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大魔王(予定)は乳離れできない? いいえ、必要ないのです。  作者: あなぐらグラム
旧版 大魔王(予定)は乳離れできない? いいえ、必要ないのです。
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旧4~6話

第4話 暴走メイドと初めて二つ


「……ん、んぅ、ぐ苦しい」

 デミは身体の上に重みがあるのを感じ、目を覚ました。

「あれっ?」

 目を覚まして気付いた。痛みが引いている。よく見れば腫れ上がっていたはずの眼もぱっちりと見えるし、腕を動かしてみても痣はどこにも見当たらない。

 何が何やらわからない中で腹部から音が聞こえる。「びぃええええん」という元気な赤ん坊の泣き声が。


「え、ええ~っ??」

 気絶前の出来事は大体覚えている。

 人攫いに捕まって、逃げ出す前に欲をかいて拷問を受けていてその時神に出会った……ような気がする。

 いつもなら、男たちが戻って来ないうちに逃げようとするか怯えるはず。それなのにお腹にいる赤ん坊のことを考えると不思議と恐怖を感じない。

 代わりに感じるのは底知れない安心だった。


「~~~~~~!!」

 平穏とは長く続かないとはよく言ったものだが、まさか一分も持たないとは。

 部屋の外からドドドドドッと物凄い音がしたかと思えば、ドアが吹き飛び目尻を吊り上げたメイド姿の見知らぬ女性――マティサが押し入ってきた。


「坊ちゃま!! ご無事で…………殺す」

 マティサは鍛え上げたメイドアイで即座に主を見つけ出すと、その主を抱きかかえるデミに猛烈な殺気を飛ばす。

 その殺気たるや人攫いの頭領カシラやボクナスが可愛く見える、例えるなら寝ている猛獣の口の中にそうとは知らず入っていて猛獣が目覚めて避けられない死が迫っているように感じられ、得体の知れない安心感に包まれていなければ失神を通り越してショック死してしまったことだろう。


◇◆◇◆◇


「申し訳ありませんでした」

「い、いえいえ! 顔を上げてください」

 殺意剥き出しで確実に命を奪おうとしていた女性の豹変にどうすればいいのかわからず狼狽することしか出来ない。

「……ところで、そろそろ若をお返し願えますか?」

「え、ええっとぉ……」

 口調は丁寧だが、有無を言わさない圧の込められた言葉に迷いを隠せない。

 目が忙しなく泳ぎ、おどおどした態度のわりには赤ん坊を抱える腕には痛みを感じさせない程度で力が込められている。


 猛然と迫ってきたマティサは赤ん坊と目が合うと途端に動きを止めて、しばらく話し合っていた。デミから見れば一方的に言い訳をしていたようにしか見えなかった光景だが、なぜかしっかりとコミュニケーションが取れていると感じられるやり取りで上下関係を窺い知ることができる。

 なので赤ん坊を手放せば再び命の危険に晒されるのではないかという恐怖と、抱いていることで感じる絶対的な安心感、言葉では言い表しがたいほどに手放したくない愛しさがデミに次の行動を決めさせなかった。


「――やるべきことをすべき」

 いつの間に現れたのかもう一人のメイド服ことレイフォンティアは再び泣き出した赤ん坊を素早く取り上げると、徐にメイド服の前を肌蹴させ胸部を露出させ赤ん坊を押し付ける。

「だぁう」

「ん、んぅ……」

 お世辞にも豊かとはいえない膨らみに押し付けられた赤ん坊は、口先で目的物を見つけ出すとすぐさま吸い付いた。 

 レイフォンティアから吹き出たミルクをちゅーちゅーと音を立てながら飲み込み、ミルクが喉を通る音に合わせるように艶めかしい声が漏れ出す。


 それに黙っていなかったのはマティサだ。

「ちょっと! なんて羨ましい!!」

 普段のマティサのクールな仮面を放り投げ、欲望丸出しのマティサが顔を出す。もはやそれは別人だ。

「じゃなかった、あなたなんでミルクが出ているの!?」

 マティサが知っている限り、レイフォンティアに妊娠の傾向はなく、体質的に出るようなこともなかった。それが出るのが当たり前のように与えているということは……導き出される結論は一つ。


「……フッ」

 肯定するように鼻で笑い、白い大きなイチゴのような木の実を取り出し噛み付いた。

「~~~~!?」

「あなたには渡さない」

 信じられない行動を取ったレイフォンティアにマティサの怒りは頂点に達した。

 その後も赤ん坊の食事中ずっと木の実を齧り続ける姿に怨念をぶつけながらも挑発を続け、「けぷっ」ゲップの音が二人の口から漏れる。


「あっ……」

 目にも留まらぬスピードで赤ん坊を掻っ攫わられたレイフォンティアは、お腹が一杯で動けないことに気付き冷や汗を流し始める。

 調子に乗り過ぎたと後悔してももう遅い。

「それではどういうことか説明してもらいましょうか?」

 凡そ見当は付いているが、先程までの態度と合わせて再教育の必要ありという大義名分をもって教育の名を借りた尋問もとい調教が始まった。



「改めましてマティサと申します。こちらのおバカはレイフォンティアです」

「バカじゃない。あと、マスターを返して」

「いいえっ、大バカです! それと、坊ちゃまを返しません。もうしばらく反省していなさいっ!」

 目の前で赤ん坊の奪い合いを繰り広げる二人になんと声をかけるべきか……。

 デミ自身も再び赤ん坊を抱きたい衝動に駆られるのを必死に抑え、猛獣よりも怖い二人の矛先が向かないことを祈りつつ、行ったり来たりする赤ん坊と目を合わせて癒されてみる。


 ――騒がしくて申し訳ありません。

「えっ?」

 目が合った――それに喜んでいると突然知らない声が聞こえてきた。

 ただ、知らないはずなのに何故か聞いたことがあるような、とても安心できる声だった。


 ――わかりますか? 僕です。

 僕ですと言われても、男の人は目の前にいる赤ん坊だけ。室内には他に見当たらない。

 ――そうですよ。目の前の赤ん坊こそが僕、エボルです!

「ええええええっ!?」

 考えていることを与えられたことよりも、赤ん坊の言葉が伝わってきたことにより驚愕を受ける。

「……って、なんだ妄想か」

 あぁ、よかった。


 ――違います。

「違うに決まっているでしょう」

「……違う」

 現実は厳しい。全員から否定され、ようやく向き合う覚悟を決める。


「えへっ、エヘヘヘ」

 ――どうしました?

 向き合った現実のあまりの神々しさにだらしない笑い声が漏れてしまう。

 指摘されて気付いたデミは慌てて口元の涎を拭きとると「なんでもないです」とアピールする。

 ――そうですか?

 本当に大丈夫かなと思わないでもなかったが、本人が大丈夫だと言っているのだから大丈夫なんだろうと話を進めて行く。

 まだ本題どころか序の口にも入っていない。


 ――とりあえず、今は赤ん坊なので敬語の必要はありませんよ? 後ろの二人が何か言うかもしれませんが無視してください。

「そう……ですか?」

 二人は何かを言ったわけではない。無言で睨みつけてきた。それも視線だけで人を殺せそうな厳しい視線で。

 正直言うと、詐欺の時以外で敬語を話すことをしたことがないので真摯に話すときは敬語じゃない方が落ち着くのだが、命には代えられない。何よりもエボルの前ではこの話し方の方が正しい気がしていた。

 ――仕方ありませんね。

 エボルはエボルで従者でもない人の場合は砕けた口調で話してくれる方が落ち着くのだが、付け加えられた敬語に諦めを示す。

 


 ――改めまして。僕はエボル。こちらの二人は僕の従者になります。

「私は、デミ……と言います」

 ――デミさん、ケガの具合はどうですか? 痛むところはありませんか?

「あっ、はい。大丈夫みたいです。……ええっと、やっぱりあなたが助けてくれたんですか?」

 気絶する前に聞いた声に似ていると思い出し、おずおずと尋ねる。

 エボルは謙遜することなくそれを認めると、魔法を発動してデミの周りを飛んだり、身体にペタペタと触ったりする。


「はへぇ!? な、なんですか?」

 軽く触られた程度で恥ずかしがるほど初心じゃないはずなのに、何故かエボルに触られると途端に生娘のように恥ずかしくなる。

 見た目、赤ん坊なのに……少年愛好癖にしても行き過ぎだと知らなかった性癖かと不安になってくる。

 ――どうしました!? やはり、身体に異変が?

 その様子を見て、勘違いされ手つきが荒々しく、全身くまなく触られ始めるともうダメ。声を抑えるので必死でぴくぴくと悶絶することしか出来なかった。


 ――ふぅ。どうやら異常はないようですね。

 結局、エボルが満足したのはデミが羞恥のあまり動けなってからだった。

 軽い触診を終えてぐったりとしている姿に異常はなかったはずなんだけど?と疑問を抱くものの、気にしてもしょうがないと話を進める。

「ぐぬぬっ……! なんて、なんて羨ましぃ」

 後ろで血涙を出しているマティサには触れない方針のようだ。


 ――命の危険が迫っていたので使用しましたが、あのポーションは不良品です。

「……市販している中で質の悪い物をさらに水などで薄めて使用しているようですね」

 空きビンに残っていた回復薬を舐めとり、解析した結果を報告する。嫌悪と納得を表情に浮かべて。

「いかにもこの人攫いグループの首領が取りそうな方法です。節約のつもりでしょうが、本来の効果を得られないのはひどく滑稽ですね」

 言い終わると同時にマティサの横に何かが音を立てて現れた。


「ひっ!」

 それは人の死体。それも黒こげになった状態の。

「坊ちゃま、これは人攫いたちのボスです」

 頭領カシラの様変わりした姿に、マティサはついでとばかりに折れた棒を突き刺した。皮膚に刺さっている部分の反対側には鏃があり、それが弓などで射る矢だということがわかる。

「……どんな意図があったにせよ、部下に弓も持たせずに矢だけを武器として支給している男ですからね。不思議はありませんよ」

 ミルフィーを追いかけていた男たちが持っていた時は何かの冗談や商品を傷つけないためかと思ったが、頭領と一緒に逃げ出してきた男たちのうち幹部と思わしき連中以外も同様の武器だったので切り捨てることに躊躇いを覚えない部下に力を与えないタイプなのだろうと結論付ける。


 ――ふむ。上に立つ資格のない者、か。犯罪者集団とは言え、そういうのを聞くと腹立たしく思えるね。

「坊ちゃまが気にする必要はありません。坊ちゃまは絶対にこのような愚か者にはならないのですから」

 ――ありがとう。さて、僕があなたの身体を心配している理由をわかっていただけたと思いますのでそろそろ状況を説明しましょう。僕がどうして赤ん坊の姿になっているのかという点について。


「……坊ちゃま、わたくしは反対です」

 前のめりに聞く姿勢を見せたデミの出鼻を挫くように、窘める声が上がる。

「坊ちゃまの秘密は軽々と知らせるべきではありません」

 マティサはどうしてエボルがこのような愚行をするのか、それが気になっていた。

 いつもなら、助けることは助けるだろうが予測できない事態に陥った場合は冷静な判断をしている。軽々しく自分にとって不利になるような情報を漏らす真似は絶対にしない。

 もしかしたら何かされたのではないかと疑いたくなる。


 何よりもエボルがデミを構うことが気に食わない。

 最後の私怨一番大きく比率を占める中で行われた牽制だった。


 マティサの牽制に対し、エボルは苦笑を返す。

 しょうがないなと言っているようでもあり、それだけでなく言い出しにくい困ったという雰囲気でもある。ちなみに前半はマティサを、後半はデミに視線を向けていた。

「あなた、何をしたのですか!」

 視線の移ろいを見ていたマティサは鬼の首を取ったかのように、諸悪の根源と決めつけてデミに詰め寄り問い質す。


 ――落ち着いて。

 にゅっと二人の間に入ったエボルが小さな両手で顔を挟み込み、おでこをくっつけて諭すことでようやくマティサの暴走は収まりを見せる。

 デミ以上にだらしない表情で、鉄仮面は粉々に砕け散っていた。

 乳母として接してきたせいか、赤ん坊状態のエボルに対してはマティサは常にどこかおかしい。

「坊ちゃま、坊ちゃま、坊ちゃま~~」

 手の感触を確かめるように自分の頬をぐにぐにと押す姿など、法律が整っている国ならば一発でアウトに違いない。


「……失礼いたしました」

 地面にめり込む勢いで土下座する姿は美しい。

 見せられる三人は大暴走を見た後なので笑うことも出来ず、ドン引きである。

 あと、当然のことだが土下座しているのはエボルに対してのみ。


 ――まあまあ、落ち着いたみたいでよかったよ。

 この姿の時の暴走には慣れてしまったが、今回は酷かった。レイフォンティアがちょっかいを出すこともなく見守っていたのが何よりの証拠。


 ――こほん。デミさんには聞いていただく必要があります。

 仕切り直してもう一度。

 ――だって、デミさんは僕によって魅了されている状態みたいですから。

「……えっ? 魅了、ですか?」

 メロメロだったのがバレていたのか、そんな風に考えてしまうが言い回しが違う気がする。覚えのないことにデミは首を傾げ、従者二人も何のことかわかっていない様子だった。

 ――どうやら新しいスキルみたいなんですが…。まあ、それも含めて説明するためには最初から聞いてもらう必要があると判断しました。


 ――僕は特殊なスキルを持っています。あっ、魅了とは関係がないスキルですよ?

 この世界の人間は肉体の強さを表すステータスを持っている。

 スキルもその一つで、固有スキル・習熟スキル・特殊スキルの三種類。

 ――固有スキル【新生進化】、レベルが上がれば自然と新たな力を得る。そのためにより強力な身体とステータスを手に入れる、代償として赤ん坊に返ることを要求されます。

「代償だなんてとんでもありませんっ! これはご褒美です!!」

 ――うん、ちょっとほんとに黙ってて?


「赤ちゃんにはミルクが必要」

 マティサが黙ったかと思えばレイフォンティアが薄い胸を張って偉そうにしゃしゃり出る。

「ミルルの森、特有の植物。ミルルの実は女性の乳腺を刺激して、妊娠してなくてもミルクが出せる体質にする」

「ッ!?」

 ――ええ……。なんでそこでそんなにリアクション取るんですか?

「……わかった? これさえあれば」

「私もおっぱいをあげられる!!」

「「…………」」

 ガシッと握手を交わす二人。


「――わたくしを出し抜くためだけに大量に食べて動けなくなった? ですよね?」

 レイフォンティアの頭を鷲掴みにするマティサ。

「…………いや、その」

 図星のため、言い逃れが出来ないレイフォンティアは冷や汗を流しつつ部屋の隅に連れて行かれお説教が開始される。

 待てをされた猛犬は別のオモチャで鬱憤を紛らわせる必要があった。


 ――じゃれ合っている二人は置いておきましょう。問題は僕がこの固有スキルを持つ理由です。

 固有スキルはその人の個性を表すとされていて、生まれつきの物が大半を占める。

 種族的な特性として、あるいはその人個人を表す力として現れるのが固有スキルとされている。

 ――僕は人族ですが、同時に【進化種】という種族でもあるのです。


「……【進化種】、ですか?」

 エボルから告げられた種族名をデミは聞いたことがなかった。

 そもそも、人族自体が種族でありミルフィーたち【牛魔族】のように生活環境などに応じて集団で生態が変わり、個体差が大きく出ることはほぼない種族。そのため、種族的な固有スキルの習得は絶望的、あるいはそんなものは存在しないと考えられている。


 ――まあ、特殊な種族らしいので知らないのも無理はありません。

 あえて説明はしなかったが、確認したところ【進化種】について知っているのは世界でも限られた人間だけらしい。

 昔、それこそ神話の時代にまで遡る起源を持つことが判明しているが、暦が制定され文化が定着し始めた頃には滅ぼされたということしかわからなかった。


 ――どうもあらゆる環境に対応するために必要なスキルだったようですが、今はステータスに対応しているようなんですよ。

 詳しいことはわからない。

 これは説明をしているエボルにも不明な点が多いこと、デミの理解力を大きく上回る壮大なスケールの話であることからだ。

 ――結局、ステータスがリセットされる際の変化合わせて身体も変化させるというのが僕たちの見解ですね。

 最終的には大雑把にまとめることになる。


「で、でもっ、それじゃあ大変じゃないですか?」

 エボルは可愛い。

 だけど、レベルアップの度に赤ん坊に戻っていては大人になれないのでは? 成長はどうなるのか? そこが気になる。

 ――ああ、大丈夫です。赤ちゃん返りと呼んでいる現象は一時的なものなので、一定の期間をこの姿で過ごせば僕は元の年齢に戻りますから。

「そうですか。よかった……」

 ホッとしたのはちゃんと成長できることか、それとも何度でも赤ん坊の姿を見ることが出来るからか……。

 出会ってからそう時間が経っているわけではないが、デミの中ではエボルについて行くことは決定事項となっていた。


 ――ちなみに、デミさんを魅了しているのは特殊スキル【無垢な魅了】の効果らしいんですが、結構強力なスキルらしいのでこれからの旅に同行してくれませんか?

 なので、勧誘の返事はもちろんYesだった。


◇◆◇◆◇


「……ようやく辿り着きましたね」

 ――感慨深げに言っているところ悪いけど、マティサがごねなければもう少し早く着いたんじゃない?

 デミが仲間になったことを伝えると、レイフォンティアを叱りつけていたことなどすっかり忘れて猛反対を始めたことで説得に時間がかかってしまったのは間違いない。

「ですがっ! 早急に過ぎると思います。彼女の人柄や実力もわからない状態で加えるなど!」

 魅了状態になっているということはエボルに対して危害を加える可能性は低い。それでも万が一の事態を想定して、せめて誘う前に一声かけてもらえれば!

 後悔の念は尽きない。


 ――反対されるのはわかってたし、それに無意識に状態異常にしちゃったけどそのおかげで大体のことはわかったよ?

 精神を支配する類のスキルの中には、相手の思考を把握できるものも存在する。

 スキルによってデミから向けられる好意の種類や、性質を吟味した結果として仲間に加えても大丈夫だろうと判断した。


「あなたは私の部下。よろしく」

「えっ、あっ、はい。こちらこそ……?」

 口数が少ないながらも初めての部下に浮かれて交流している姿を見れば間違っていなかったと思える決断に満足気なエボル。

 こうなったら何を言っても聞かないのは親譲りなので諦めるしかないことを痛感し、今後は不用意に目を離さないようにしようと戒めるに留めた。


「わかりました。若を信じます」

 気を引き締める意味でも、呼び方を戻し気合いを入れ直す。

「では、ひとまずギルドに向かいましょう。モンヒャーでの最大の目的地でもありますし……」

「それは、私が行く」

「……あなたがですか? どういう風の吹き回しです?」

 基本的に面倒くさいことを嫌うレイフォンティアからの申し出に、警戒心を抱く。

 未だに出し抜かれたことを根に持っているのがわかる。


 ――きっと、初めての部下の前で良い所を見せたいんだよ。

「なるほど」

 言われてみれば、そうかと納得する。

 かつて似たような経験があるので気持ちはわかるし、簡単な要件なので失敗はないだろうと任せてみることにした。

「それでは頼みましたよ」



 一行がミルルの森を抜けて、辿り着いた目的地モンヒャー。

 ここを目指していたのは、エボルを冒険者として登録するため。

 旅をしていると身分の保証が難しい。それを請け負うのがギルドだが、色々な土地を巡るのならば一番疑われにくいのが冒険者という職業になる。

 幸い、モンヒャーのギルド支部には知り合いがいてなにかと秘密の多いエボルにも融通を利かせてもらえるはずだった。


「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?」

 受付をしている女の子は元気に声をかける。

 レイフォンティアの服装から、誰かに仕えている人物だと察し、依頼の発注――つまりはお客の方だと見当をつけたためだ。

「森で保護した。ギルド長のエルジィって人に会いたいから取り次いで」

 言葉少なに、ミルフィーたち人攫いにあった人たちを指差し、ついでとばかりに本来の目的を果たす。

 内心で完璧だと思ったレイフォンティアだったが、予期しない言葉を告げられることになる。


「も、申し訳ありません!」

 突然謝ったかと思うと口を塞がれる。

「ギルド長、いえ前ギルド長は逮捕されました!!」

 口を塞がれていなければ、感情の起伏が乏しいレイフォンティアといえども叫んでいたかも知れない。

 何はさておき、初めてのおつかいは失敗の終わったということは明らかだった。




第5話 していた&されない信頼:モンヒャー


「ふっふ~ん♪」

 冒険者ギルド、モンヒャー支部の地下牢に鼻歌が反響する。

 その発生源にある者は憤怒を、ある者は蔑みを、またある者は呆れを抱く。


「……エルジィ様、お控え下さい」

 とうとう、見張りの一人が注意する。

「ん? 別にいいじゃないか。地下牢で愉快そうにしていてはいけないなんて決まりはないんだからさ。それよりも君ももう少し楽しそうな顔をしたらどうだい? 暗い表情をしてたら、ただでさえ暗い場所が余計に暗くなっちゃうよ?」

「……もういいです」

 かつては上司として接していた相手に強く出られない見張りは説得は諦めて同僚とのポーカーに興じる。


「……あんなでも悪いことはしないと尊敬してたのに」

「へへっ、そんなこと言ったって無駄さ。あの人は昔っからあんな性格だよ。何があろうともどんな状況でも笑って乗り越えちまう。それより、知ってるか?」

「……何をだよ?」

 心配する素振りすら見せない不真面目な同僚に、元冒険者はこんなものかとバカにしながらも気になるので聞き返す。元ギルド長の相手で疲れていたからというのが最大の理由だった。


「なんでも、この後あの人がどうなるか賭けが行われてるらしいぜ?」

 一口乗らないか?という誘い文句に、カッと頭に血が上るのを感じたが、生真面目な見張りは怒りを内側に留め、大声を出すのはなんとか堪えて見せた。

「……どういうつもりだ?」

 外に出すのは抑えたが、怒りは収まらない。

 声色にはギルドの職員が賭け事なんてという非難が多分に含まれていた。


「別に問題ねえだろ? 参加してないのはお前みたいな堅物で、ギルド長と直に接する機会が少なかった奴だけだぜ?」

「!?」

 さすがにギルドの大半がすでに参加していると聞かされると驚きを隠せなかった。

「……おい、そんなバカな賭けをする胴元は誰だ? 今なら、ギルド長は不在だ。始末書程度で済むように掛け合ってやるから」

 自分の理想とイメージにある公正なギルドを取り戻すため、必死に訴える。

 告発なんてすればギルドの職務が一時的に不能になりかねなくても正義感を捨てきれない。そんなだからギルドでも成り手がいない見張りなんかに回されたことに気付いていないようだ。


「賭け事の胴元なんて決まってるだろ?」

 対する同僚は生真面目すぎると笑い飛ばし、知りたがっていた答えを教えてやることにした。

「モンヒャーで賭け事、しかも胴元と言えば九分九厘はあの人さ」

 スッと見張りの背後、ついさっきまで見張りが立っていた牢屋を指差してやる。

「まさか……!?」

 指差す場所を目で追いかけ、愕然とする。

 あり得ない。そんなバカなことがあって堪るかと顔にはありありと書かれていた。

 しかし、同僚はニヤニヤするだけで否定する気配は一切ない。むしろ、その笑みは真実を告げて反応を楽しんでいるとしか取れないものだった。


「ギルド長は、そのうち勝手に助け出されるに全財産を賭けるって話だ。早く乗らねえと損するだけだぜ?」

 自分は牢屋に飽きて逃げ出すに賭けたと笑いながら、ついでとばかりに持っていたカードを並べて行く。

「……ほれ、運はオレの味方みたいだな?」

 その手札はエースのフォーカード。

 見張りの男は同僚が未だに『ギルド長』と呼んでいることに突っ込むのも忘れてショックのあまり手札をテーブルにばら撒いてしまっていた。その手札はブタだった。



「ほらっ、さっさと入れ!」

「……ん? 新入りみたいだな」

 呆然としている同僚を放置して、仕事に戻る元冒険者の職員。

 その際、ちゃっかりと賭け金をもぎ取って行くのを忘れない。


「よう、最近は忙しいな」

「……まったくだ。ただでさえ、不祥事で大変だっつうのに……」

 ぶつくさ文句を言いながら、片手でボロを着た女を押し込む職員はふといつも無駄に張り切っている同僚が今日に限ってこちらに気付いてすらいないらしい様子を目にして疑問を抱いた。


「……どうしたんだ、あいつ? 生真面目が過ぎてとうとうおかしくなったか? それとも、賭けで大負けしたのか?」

 同僚が持っているパンパンに膨らんだ布袋を見て予測を付けてみる。

「まぁ、そんなところだ。とりあえず、お疲れさん。あとはやっとくからゆっくり休んでくれやっ」

 さすがにこれから囚人になる者の前でギルドの問題行動を話すわけにはいかないと追い出すように囚人を奪い取るとまだショックから立ち直っていない同僚の横を通り抜けてさっさと空いてる牢屋に放り込む。


「ギルド長がいないのを聞いてバカな真似をしたんだろうが、残念だったな。ウチはそんなに甘くねえんだよっ!」

 ギルドらしく囚人を脅しておく。

 こうすれば再犯率が気持ちだけ低くなるのだ。

 それでもギルド長が捕まっている間はどうしても犯罪率は上がるのは避けられないだろうなと、ほぼほぼ埋まっている牢屋を見渡して温まった懐の分、心労も増えた気がするのだった。


「ハハッ、悪いね。どうも、迷惑をかけちまったようだ」

 誰のせいでこんなことになっているのか、理解しているはずの元ギルド長は埋まったばかりの隣に話しかける。

 牢屋の中から情報収集をしつつ、次なる犯罪を防ぐという一応ギルド長らしい仕事をしようと考えていたからだ。ついでに暇つぶしも出来て一石二鳥になるはずだった。


「――バカなことを言っているんじゃありませんよ、エルジィ?」

「!!」

「……まったく、わたくしがこんなところに来なければならないなんて! すぐに出してあげますから覚えていらっしゃい!」

 顔を見なくても伝わってくる怒りのオーラに、正体を悟ったエルジィは先程までのお気楽ぶりはどこかへ消え去り、冷や汗が背中を伝うのをしっかりと感じ取っていた。


「ま、マティサ……!?」

 そのうち勝手に助け出される――たしかにそう予想していた。

 だけど、まさかかつての仲間で最も怒らせると怖い女傑がやって来るとは思ってもみなかったので、一転して出ることに恐怖を感じることになる。

 その恐怖は賭けに勝った余韻でも埋めきれるかどうか……。


◇◆◇◆◇


「……マティサさん、大丈夫でしょうか?」

「余裕。心配するだけ無駄。あと、一応様付けにした方がいい」

「そうですね」

 自称直属の上司からの忠告で呼び方を変えてみる。

 すると違和感のなさに違和感を覚えそうになるほどしっくりきていた。


 ここはモンヒャーの宿。

 室内には会話をしている二人と、ゆっくり舟を漕いでいる者が一人とさらにもう一人。

 ベッドがあるのに、わざわざ椅子で寝落ちする意味があるのだろうかと横目で見つつ、レイフォンティアの抱くエボルに話しかける。


「この後はどうします?」

 エボルはスキル【念話】を持っているので、声を出さなくても話は出来る。ただし、発信と受信を同時に行うため相手側に発信の意思がなければ読み取り難い。

 しかも、エボルの脳は今は赤ん坊と同等の処理速度だ。

 【念話】を続けていれば一時間もしないうちにパンクしてしまう。

 なのでよっぽどの緊急性がない限り、伝えたいことは声に出してもらうようにしている。

 傍から見てもこれなら赤ん坊に話しかけているようにしか見えないので疑われない。……まあ、内容が少しおかしいがそれぐらいだったら大目に見てくれるだろう。


 ――とりあえずの指針は三つ。

 エボルに代わってレイフォンティアが指で三を示す。

 ――ギルド長の無罪を証明するための証拠を集めること。

 マティサが内側から証拠を集めるために、馴染みのギルド長に接触を図っているのが第一段階。


 ギルド長は生粋のギャンブラーであり、賭け事の代償がどんなものであろうとも絶対に逃げないというのがマティサから聞いた人物評。

 迷惑な話だが、今回も賭け事の代償として犯罪を引き受けた可能性が高いということ。

 なので、直接尋問をして詳しい内容を聞き出そうとしていた。

 これが上手くいけば早期解決の可能性も出て来る。

 ただ、脅されても吐かない可能性が高いのでエボルたちが外部から情報を集めて、無実だと証明するというのが第二案。……どうせ必要なのだからと同時進行させる方が効率は良さそうである。


 ――次に、牛魔族はホルの部族の集落を探し出すこと。

 人攫いに捕まっていた者で解放されていないのはミルフィーだけ。

 解放も何も捕まえていたわけではないのだが、強引に自分たちで送り届けることをギルド側には承認させている。

 ギルドもいつまでも代表者が不在なのは困るということで、ギルド長を解放するための手助けをするのが条件である。


 ――最後は、僕の身体が元に戻るまでは大人しくする。

「たしか、早ければ数日、遅ければひと月ほどでしたよね?」

 ――そうだね。こればっかりはまだ法則性を見つけられていないから確証はないけどね。僕の印象では強い相手と戦うほど時間が長い気はしてるけど……。

 現段階、レベル9のためまだデータが揃っていないことを嘆きつつ今回はそんなに長くないだろうと考えていた。


「元に戻るのがわかっていたら、宿を引き払うことができるんですけど……難しいですよね」

 宿を取る時と面子が変わり、赤ん坊がいなくなっていれば嫌でも目立つ。

 それを避けるため、数日後には宿を引き払って人目に触れないようにする必要があるだろう。その上で変装をすれば完璧。

「……そうなると、一時的にレイフォンティア様とは別行動をした方がいいですね」

「……なんで?」

 言われたことが理解できずこてんと首を傾げる。


「言ってはなんですが、この中で一番目立つからです」

 エボルや種族的な特徴がわかりやすいミルフィーも目立つと言えば目立つが、赤ん坊のエボルは抱く人間が変わればそうは目立たないし、ミルフィーはミルルの森を出る前からフードで顔を隠している。

 デミは美人寄りではあるが、レイフォンティアに比べれば十人並に納まる範囲。

 となると、ただでさえメイド服という特殊な服装に加えて飛び抜けた美人のレイフォンティアは嫌でも注目を集めるのは必至。一緒に行動すればどこに移動しても噂に上がる。

「……レイフォンティア様と一緒に行動しているうちに元に戻れば、赤ん坊の所在を疑われます」

 いらぬ嫌疑をかけられるわけにはいかない。ましてや今は実質的な町のトップが不正で捕まっていてピリピリしているのだから。


「……納得できない。わかった」

 渋々。ほんっと~に渋々と提案を受け入れる。

 本音としては追跡されるような場所にいなければ問題がないと考えているが、何よりも主の身の安全を優先する必要があると考え直したからだ。

 赤ん坊になっている間、エボルのステータスは一般的な赤ん坊と大差ない。

 下手に疑われれば手荒な対応で命を落とす危険性だってある。


「まずは、身を隠せる場所を探す」

 ――それが一番だろうね。

「……となると、最有力はミルルの森ですか?」

 出て来たばかりではあるが、あそこ以上に安全な場所はないだろうという考えだったが、それはやんわりと否定される。

 ――いや、人攫いが出たという情報や詳しいアジトの場所は教えてしまったからね。しばらくは警戒が厳重になるだろうし、やめた方がいい。


「モンヒャーは大きい。裏道や人が寄りつかない場所はきっとある」

「そういうところを探すのなら、私もお手伝いできると思います」

「ん。二、三日以内には見つけ出す」

 ――頼んだよ。

「任せてマスター」

「任せてください!」


 ――彼女にも協力をしてもらわないといけないかもしれないね。

 活動方針が決定した時にはのん気に寝息を立てるミルフィー。

 その存在が不安要素だと思うが、心から惹かれる主の考えに逆らうような真似は出来ない。

 その分、自分が頑張ればいい……! 

 以前までだったら、絶対にありえない自己犠牲の精神で奮い立つ。


「マスター。別行動する間のミルクを用意しておく」

 ――よろしく頼むよ。

 決心したところで幸運が舞い込んできた。

「わ、私がっ! 私があげます!!」

 興奮して主張するデミ。その希望は叶えられなかった。


 ――悪いけど、それは無理なんだ。


「どうしてですか!?」

 他ならぬ主からの却下に、自己犠牲の精神はどこへやら……。まるで捨てられた小犬のように縋りつく。

 ――この姿になっている間は一人からしかミルクを飲めない体質になっているんだ。

「そん、な……」

 今回はレイフォンティア以外からは受け付けられない。告げられた内容にショックを隠し切れず、次まで待たなければならない時間は絶望的に長く感じられた。


 実際は、ほんの少しデメリットがあるが二人以上から授乳してもらうことは可能だ。旅立つ前にしっかりとその点は確認している。

 そうでなければ従者を二人も連れてくる必要はない。

 一人だけでそこらの国の兵士程度だったら軽く捻れる実力者たちなのだから。

 これは単純な話で、まだデミをそこまで信用できていないからだ。

 口約束で部下になっただけの脛に傷ある者をそう簡単に信用できるはずがない。

 いらぬ心配だとは思うが、弱点だらけの状態では用心に越したことはない。


 例え、赤ん坊に戻った直後であったとしても今のままではデミからの母乳を飲むことはないだろう。

 それこそ、与えられるのが一人だけでもない限りは。

 そのことを説明しないままに項垂れる様子に申し訳なさを感じるエボル、そしてレイフォンティアは初めての部下に温かい眼差しを送っていた。

 それはまるで激励するかのように、早く一人前になれとでも語りかけているかのようだった。



第6話 嵌められたのはどっち?


 モンヒャーに存在するスラム、その一角のボロ屋でどんちゃん騒ぎが繰り広げられていた。

 普段なら飲むことが出来ない酒や食事を楽しみ、人生の絶頂にいるかのように笑い声を上げる。


「ガ~ハッハッハ、それにしても怖いぐらい上手くいったな!」

 その中の一人が思い出したように成果を振り返れば、飲み仲間もそれに賛同するように頷いては豪快に酒を呷って話を肴へ変えていく。

「ギルド長を騙すなんて……言われた時は無理だと思ったが、案外イケるもんだ!」

「だから言ったろ? あのギルド長は賭けって言えば一も二もなく飛びついてくるってよ。生まれながらにいて生粋のギャンブラーなのさ!」

 嵌めた相手をまるで称えるかのように。


「だとしたら、あんなイカサマに引っかかったんだ! 下手の横好きってやつだな!」

「おっ、スラム育ちとは思えねえ博識っぷり! さっすがオレたちのてっぺん!」

「バ~カ、それを言うなら『頭』だろ!」

「バカはお前だっ! 頭じゃ、リーダーじゃねえか!」

「んっ? そうなのか? だったらなんて言うんだよ?」

「それは、おめえ……こ、こういう時こそてっぺんの出番だっ!」

 仲間たちに凝視された男はこめかみを突いて「ブレーン。脳みそだよ」と教えてやれば仲間からは一際大きな歓声が上がる。

「「「おぉ~!!」」」


「おいっ! 少し声を抑えろ!!」

 買い出しに出ていた仲間が戻って来たと思ったら、荷物を放り投げて壁に耳を当てる。

 スラムの壁は材質が脆いのでこうすることで隣の音なら簡単に聞き取れる。

「……おい、どうしたんだよ?」

「しっ! 黙ってろ!!」

 奇行を訝しんだ仲間が声をかけたが、叱責されてしまう。

 

「何が黙ってろだ! オレに命令すんじゃねえ!!」

 酔っていたこともあり、頭に血が上りやすくなっていた男は仲間の態度に苛立ち強引に振り向かせようとする。

「こっち向きやが――」

「いいから! お前も耳を壁に付けろ!」

「ぐごっ!? て、てめぇ…………おい、なんか音しねえか?」

「だからさっきから静かにしろって言ってんだ!」

「おいおい、まさか隣に人が入ったのか!?」


 スラムだって町が出来た当初は普通に人が住んでいた。それがギルドのような管理者たちの眼の届かないように入り組んでいき、不良や闇組織などが住まうようになってまともな人間がほとんどいなくなってしまったのだ。

 男たちがいる家だって空いていたから勝手に住み着いたのだし、隣に誰かが入る可能性はあった。

 だが、時期が時期だけに警戒を露わにする。


「……まさか、ギルドの奴らか?」

 自分たちがやったことの罪の重さはバカでもわかる。

 昨日までボロすぎて住む人間がスラムでも利用者が少ないこの区画に来るなんて怪しすぎる。

「いや、その可能性は低い」

「ん? なんでそんなことが言えるんだ?」

「戻る前に入る奴を見たんだよ!」

 おかしな話だ。

 入る人間を見て、ギルドの人間じゃないと確信しているというのも変だし、ギルドの人間でもないのに警戒する必要もわからない。

 どうせスラムに棲みつこうって人間なんて脛に傷持つ人間だったり、表をどうどうと歩けない訳あり、あるいは金なしと決まっている。


「……どんな奴だったんだ?」

 さすがはブレーンを自称する男!

 冷静に事情を聞きだすことを選択すると、聞き耳を立てていた男は小さく「女だ」と答える。

「……女?」

「ああ、それも赤ん坊を連れた女だぜ?」

 ようやく言いたいことを言えると思ったのか、興奮したように見たものを語り出す。


「隣に入って行ったのは女が二人と赤ん坊一人。ローブを目深にかぶっていたが間違いねえ! 一人はローブを押し上げるような巨乳だったんだぜ!」

 こんな風にと両腕を上下させてみせる。

 腕の動きからかなりの大きさだったのだろうと予測を付けた男たちはごくりと生唾を呑み込む。スラムにいれば当然そういうことからも遠ざかる。

「もう一人も赤ん坊を抱いてる腕がスラッとしてたからな! 間違いねえはずだ!」


「……こんなところに女二人。それも赤ん坊連れってことはそうとうな訳ありだな」

「だろ! そう思うだろ? おそらくはどこかの貴族とかのガキを連れて逃げて来たんじゃねえか?」

「ああ、お前がよく読んでた本に出てくる権力争いに負けた女ってやつか?」

 スラムの人間、それも男が読む本と言えばある欲望を満たす用途がある本のことだ。物語は物語、現実にあるわけがないと思いつつも最近ついているからもしものことがあったのかもしれないと考えていた。


「情報を集めて脅したり、そうでなくても恩を売れば関係を持つぐらいは出来るかもしれねえぜ!」

「……そんなことよりも奴隷にして売った方がいいんじゃねえか?」

「だから、その前にオレたちで味見するってわけよ!」

「それだったら……」

 楽しめて、金も入る。おいしいことだらけで損はしない。

「……情報を集めねえとな」

 気付けば、アルコールは飛んでいた。今、男たちを酔わせるのはもっと本能的な欲望だった。


◇◆◇◆◇


「――とまあ、そう言う事情だったわけさ」

 笑われているギルド長ことエルジィはというと、ことの顛末を説明し終えたところだった。

 口調こそ軽口のようだが、脂汗を流し囚人服が肌に張り付いていた。

 お互いに牢屋に入っているので姿は見えない。それでもいつでも檻を破って襲いかかれる猛獣を前にしていては緊張するなという方が無理な話である。


「今頃、奴らはさらに一騒動起こそうとしているだろうね。罠にかかってやったのだとも知らずに」

 エルジィはたしかに賭け事が好きだ。

 三度の飯より好きだと言っても過言ではない。冒険者の時代にはダンジョンに取り残され、生死を彷徨う場面において残りの食料をかけて勝負したというエピソードを持っているほど。

 だが、エルジィは同時に冒険者のギルド長を務める人物。

 面白そうだからという理由でギルドの運営を放り投げるほど無責任ではなかった。


「……今回の一軒は乗っかってやったからこそ成功したんだ。奴らだけでは成功するはずがない」

 けれども、ギルド長を嵌めるという大勝負に勝ったことで犯人たちは調子に乗る。

 しかし、次は身代りになってくれるギルド長はいない。遅からず犯人は捕まり、背後関係も浮き彫りになって晴れて自由の身になっている……そういう計画だった。

「だから大人しくこんなところで黒幕が捕まるのを待っていたと?」

「そういうこと。いやぁ~、だけど、思うようにはいかないね。捕まって来るのはギルド長の不在を好機と見たバカな奴らばっかり。あとちょっとの辛抱だけど、『待ち』を続けるのは退屈だよ」

 暇つぶしに見張りをからかったりもしてみたが、あまりやると出てきた後でネチネチと言われそうだし……と不貞腐れる。

 ただでさえ、ギルド長の仕事を放り出しているので事情を知っている人間は怒り心頭なのだ。


「あなたの事情はよくわかりました」

「ほんとっ!?」

 助かったと喜んだのも束の間。全身を襲う濃厚なプレッシャーに押し潰されそうになる。

「……本来なら、あなたの作戦が継続している以上は手を出すのは野暮というもの」

 口調は落ち着いているというより、事実を淡々と説明しているだけ。

 それも自分自身に言い聞かせるように。

 これはマティサの昔からの癖だった。どこまでも冷徹で情けや容赦という言葉を知らず、ただ言われたことだけを繰り返していた人形のような癖。

 繰り返すことで与えれた任務の重要性と比較、どれだけ任務が大切かそれ以外はどうでもいいと常識などのリミッターを外す行為にエルジィは彼女が暴走寸前だと思い知らされた。


 止めなければモンヒャーの町が地図から消えかねない。


「ただつまらない賭けの約束事で捕まっているのなら強引に連れ出せばいいと思っていたのですが」

「いやいやいやっ、むしろそっちの方が強引に出ちゃダメでしょ!?」

 必死のツッコミも虚しく響くだけ。

「おいっ! 何を話している!」

 騒がしくなったことで先程の生真面目な見張りが元気を取り戻したようだが、そんなことを気にしている場合ではない。むしろ危ないから来るなと叫びたいぐらいだ。


「――面倒です。脅していきますか」

「やーめーてー」

「聞いているのかぱぁあっ!?」

「……ちょうどいいです。あなた、ちょっと話を聞いてもらえませんか?」

 檻の間から伸びた腕に引き寄せられ、情けない声を上げる見張り。

 エルジィはあちゃ~と額に手を当てながら、もう止めようがないと悟りを開く。それならいっそのことこの流れに乗ってしまおうと開き直る。


「何を言っているんだ!?」

 話に置いて行かれている見張りは声を張り上げるも、襟元に伸びていた手が首を絞め始めるとその力にギョッとする。

「うるさいですよ? このまま首をへし折られたいのですか?」

「なっ!?」

「気を付けた方がいいよ~。彼女、本気でやるから」

 ギルド長から忠告だが、犯罪の仲間かと疑う余裕もない。

 返答次第で本当に首をへし折るぐらいやりかねないと理解してしまったからだ。


「な、何をすればいい?」

 首の前に心が折られてしまった。

 真面目というのは自分の中の常識が崩れ去ると脆いものだ。

「わたくしはすぐにでも坊ちゃんの下に帰りたいのです。ですから、ギルドを動かしなさい」

 有無を言わさぬ口調で無理難題を吹っ掛ける。


「……坊ちゃま?」

 一方のエルジィはというと自分の知らないマティサの行動理由に疑問符が浮かぶ。


「エルジィは無実です。このバカは黒幕を誘き出すために自らが囮になっただけ。あなたが何をしても、それはエルジィの指示に従っただけ」

 まるで悪魔の囁きだ。

 弱った心に心地よい言葉を染み込ませ、良いことをするのだと思い込ませる。

「エルジィの腹心の部下はすでに行動を始めています。あなたはそこに加わるだけでいい」

 流れに乗ろうと思ったが、最終的に責任だけ押し付けられそうな流れに今度は冷や汗が背筋を伝う。

「――さあ、お行きなさい」 


◇◆◇◆◇


 ――はぅわわわわっ!

 普段滅多に焦ることのないエボルがこの時ばかりは非常に動揺していた。

 恐れていた事態がやってきたのだ。

「エボル様!?」

 突如小刻みに震えはじめたことに慌てて周囲を警戒しつつ、何をされたのか確認しようとするが他ならぬ本人に拒否されてしまう。

 ――や、やめて!? 触らないで!


 言葉少なに告げたのがマズかった。

 ガーンとショックを受けると、残るのは自分ではどうしようもないエボルと事態に気付いていないミルフィーだけ。万事休す――その時、そっと持ち上げられた。

「くんくん。……エボル君、おトイレじゃないですか?」

 尋ねると、ミルフィーは返事を待つことなく手際よく服を脱がしていく。

「あ~、やっぱりですねぇ」

 それからは汚れたオムツを外して、荷物の中から取り出した清潔なものと交換していく。

「はい! 綺麗になりましたよ~。どうです? 私たちの一族は子どもの面倒を見るの慣れてるんですよ?」

 ――ホッ。

 柔らかい声が、耳を通り過ぎて行き、過ぎ去った脅威に安堵の息が盛大に溢れ出る。漏らしそうになって我慢した分、安心して出せるものは出し切ってしまいたい。


 ――デ、デミ? ごめんね?

「……いえ、いいんです。気にしないでください」

 落ち込みようを全身で表していれば気にするなと言われても気にしてしまう。

 悪いことをしたなと思いつつ、フォローを欠かさない。

 ――本当にごめん。この姿の時は、普通の赤ん坊よりは我慢できるけど……その、急に来るから。

 身体が小さいと溜めこめる容量は自然と少なくなる。

 本来の姿も大人とは言えないが、やはり普段よりも我慢が利かない。


 ――いつも、動揺しちゃうんだよね……。

 顔の筋肉もまだ発達してないので難しいが、苦笑いを浮かべつつ言葉を選ばなければならない。

 ――それにしても、ミルフィーはよく気付きましたね。

「そりゃあ、私は牛魔族ですからね! 獣の特徴を持つ種族は五感が優れていることが多いんですよ!」

 こんな状況でもミルフィーは褒められて純粋に嬉しそうだ。

 内心でほっこりしつつ、獣人が優れているのは知っていたが魔族に属する牛魔族もそうだとは思わなかったと伝える。


「まあ、私なんて少し鼻が利く程度ですから。戦士だったり、獣人の方々にはまったく敵いませんよ」

 ――牛魔族にも戦士がいるんですか?

 大人しい一族だと聞いていたのに……。

「もちろんです! 大人しいだけでは身を守れませんから、基本は男の人たちが中心ですけど、ちゃんと戦士もいますよ。それにしても、エボル君もあんなに慌てるなんて意外でした!」

 可愛かったです。そう告げられて、悪意がないのはわかっていても、やはりどこか居心地が悪い。

――ま、まあ、この姿ではステータスもかなり低くなっていますからね。自分ではどうにもできない事態に人間は弱いものです。


 ステータスは低くなるし、身体の動かし方もいつもと異なる。そんな状態では自分で服を脱いでトイレ位に行くことはもちろん、処理をすることだって出来ない。

 唯一、魔力だけは普通の赤ん坊より遥かに強いが、それだって一回魔法を使うのが精一杯。

 使い果たせば回復するのに時間がかかるので、こんなところでは使えない。

 だからと言って、会ってからそう時間の経っていないほぼ初対面の人――それも女性にトイレを手伝ってくださいなんて言えるわけがない。

 エボルは紳士なのだ!


「……なら」

 ――んっ?

 フォローをしていたつもりだったが、なかなか復活の兆しの見えないので忘れて話に夢中になっていたせいで気付かなかった。

 ゆらり――まるで幽霊のように生気を感じさせずに立ち上がると、小さな肩に手を置き、顔を近付け宣言する。

「次からは私が! 私がお手伝いいたします!! 絶対に! 何があっても!!」

 ――あっ、はい。お願い、……します。

 顔が怖すぎて何も言えない。

 ――まあ、いいか。

 承諾されて狂喜乱舞する様子に拍子抜けしたのか、本気で泣きそうになっていた涙が引っ込んで気が抜ける。どうせ、レイフォンティアかマティサ、どちらかが事件を解決するまであるいは身体が元に戻るまではこの生活が続くのだから張り詰めていても疲れるだけと開き直ったとも言える。

 赤ん坊が難しいことを考えることはない。

 あまり考え過ぎると知恵熱が出てしまう。


 何はともあれ、ミルルの森を抜け出てからの騒がしい一日もようやく終わりが見えてきた。


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