旧第21話 魔王と勇者
「――さあ、お食べ」
室内にいるすべての人間が注目する中、おそるおそる顔を近付け……パクリ。
「おおっ! 食べた!」
「……ふぅ。これで第一段階は成功ですね」
オークション会場から無事に帰還したマティサたちは早速ミルルの実をプラントペットに食べさせていた。
「主催者側から貰った説明文書にはプラントペットにも好みがあるそうですからね」
どんな植物でも背中から生やすことが出来るという謳い文句のこのモンスターだが、そのためには植物を一度摂取する必要があり、生き物ゆえか……かなりの偏食らしい。
「まったく。これだから魔王の造った物など信用できないのです!」
大金をはたいて買った物が不良品でしたでは目も当てられない。マティサは魔王の悪辣な手腕に怒りを隠し切れなかった。その中にはオークションで舐め腐った態度を取ったスピカーニアに対する憤りが多分に含まれていた。
「あとは何日かミルルの実と水だけを与えると背中から植物が生えてくるそうですよ」
「……すぐには出来んのか」
「面倒」
「そう言われても……どうします? 先にここを発ちますか?」
オークションでの目的は果たしたのだ。もはやここにこれ以上長居をする必要はない。
むしろ長居をすれば貴族を脅したことが明るみに出て、彼らの裏にいる魔王が出て来る可能性がある。
「……そうですね。早いうちに出て行く方が安全でしょう。まあ、問題は無事に出発できるか……でしょうけど」
「……? どういうことです?」
「私たちはオークション最大の目玉商品を落札しました。そして、目玉商品は魔王に関連しているということは周知の事実。しばらくは監視が付くかもしれないということです」
「監視って、そんな大袈裟な」
「大袈裟ではありませんよ。普通の人間にとって、魔王との繋がりというのはそれほどに恐ろしいものなのですから」
「……まるで悪人ですね」
「魔王ですからね」
「魔王が絶対悪ってわけじゃないけど、そっち方面に性格が偏っている人は多いらしいからね」
しょうがないよと語るエボルにそっと歩みよる。
「安心してください! 私たちは決してそのようにエボル様を見たりはしません!!」
「そうだぞ。安心するがよい」
「……ん。心配し過ぎ」
「――若、我らを信じてください」
「……うん。ありがとう。みんな」
――コンコン。
『失礼いたします』
突如の来訪者に緊張が走る。
「……どうしました?」
『お休みのところ申し訳ございません。お客様に御用の方がお越しになっておられます』
「……私たちに客?」
扉越しに従業員と会話するが、どうもおかしい。ギャランティカに来てからというものそこまで住人と交流を持っていたわけでもなく、ここに知り合いがいたわけでもない。
「……若、少々出てまいります」
「大丈夫? 僕も行った方が……」
「いえ、敵襲という可能性もあります。レイフォンティア、若をすぐに連れて逃げられる準備を整えておいてください」
「ん。了解」
「御心配なく。もしかしたら、エルジィ辺りから伝言が来たのかもしれません。問題を起こさずに速やかに戻って参ります」
「……わかったよ。それじゃあ、マティサに任せる」
「お任せください」
しかし、マティサは客人を見て引き受けたことを猛烈に後悔するのだった。
◇◆◇◆◇
「やっと来ましたわね!」
「…………!?」
その来客を見た瞬間、マティサのこめかみがビキッと反応する。
「まったく、このスピカーニアを待たせるなんてどういうつもり!? スピカーニアが呼んだらすぐに来るのが世界の常識でしょう!」
「お、お姫様がどのようなご用件でしょうか……?」
内心ではこの小娘ぇええ!と叫んでいるマティサだったが、そこは完璧なメイド。笑顔を鉄仮面の上から貼り付け、彼女をよく知る人間でなければわからない程度に取り繕った。実際、それなりに身分の高い者たちに囲まれて育ったために従者の動きには敏感なスピカーニアも見事に誤魔化していた。
「ふふっ、今日は褒めに来てやったのよ!」
「……は、はあ」
言われても今一つピンとこない。
「わ、わたくしにご用でしょうか? それとも別の者に?」
正直、人違いであってほしい。
「あら、あなたよ。あなた。他にもお仲間はいたみたいだけど、最終的にスピカーニアと争い勝ったのはあなたじゃない」
「姫様に褒められる覚えがまったくないのですが……」
初対面で、しかもスピカーニア本人が言っているように関係としては敵対関係だ。
「あら、スピカーニアに競り勝ったのですから十分褒めるに値するでしょう?」
それに対しては何を言っているんだとむしろこっちが言いたい反応が返ってきた。
「そ、そうですかね?」
もう取り繕うのも結構限界だった。初めは気にしてなかったのに、今では一人称が自分の名前ということにも苛立っている。
「そうなのよ。スピカーニアがちょっといいなって思った人は何故かみ~んな途中で挫けちゃうから!」
それはお前が鬱陶しいからだと叫ぶのも堪える。こんなところで大国の姫に喧嘩は売れない。
「というわけで、今回は褒美を持ってきたわ。ラインザック!」
「ハッ!」
護衛の男がマティサの前にいくつかのカバンを積み重ねていく。その数はおよそ二十。
「これは?」
「お金よ!」
堂々と言い放つ姫様である。
「お金?」
「そうよ。本来だったら払わなくてもよかったお金を使わせたから、そのお詫び! 一つ当たり一億ほど入っているわ」
「二十億!?」
これにはさすがのマティサの鉄仮面も崩れる崩れる。元が整っているからギャグ顔にならなかったが、それでも普段と比べると大分崩れている。
「――あと、これはスカウト代も入っているわ」
「……スカウト?」
冷静になれたのはこの言葉があったからだ。
「そうよ。スピカーニアについて来られる人間は少ないわ。お母様にはもっと少ないの。だから気に入ったらスカウトする。それがお母様の教えよ!」
「――申し訳ございません。お断りさせていただきます」
間髪入れずに断るマティサ。
「――わかっていたわ!!」
それに対して逆に嬉しそうなスピカーニア。宿屋の従業員たちも何事かと興味津々だが、巻き込まれたくないのか遠巻きに見るだけだ。
「こんな簡単に誘いに乗るようなのは初めからいらないわ!」
「そうですか。では、わたくしはこれで」
ちゃっかりお金は受け取ってこの場を去ろうとするマティサにスピカーニアが今度は懐から取り出した封筒を投げつける。
「忘れ物よ!」
「……これは?」
「もしも、何か困ったことがあったり、我が国に来ることがあったらそれを衛兵に見せなさい。全力でもてなしてあげるわ!! ホーホッホッホ!」
今度こそ用は済んだと高笑いを上げながら去って行くスピカーニアに、嵐が去って行くのを感じつつマティサは来た時は違ってほくほく顔で戻って行く。
心なしかその足取りは浮足立っていた。
◇◆◇◆◇
「あらぁん? そこ、良い男がいるじゃな~い」
「!?」
宿を出てすぐ、最悪の邂逅に一同に緊張が走る。
「しかも、そっちのはプラントペットを落札した女たちねん。まさに一石二鳥ってやつだわ」
無駄にしなを作りながらの芝居がかった動きで徐々に間合いを詰めてくるサシリーヌ。それでいて油断なく、素通りすることの困難さを感じさせる状況にマティサは最大限の警戒を強める。
「……勇者が何か御用ですか?」
「あらん? 猫かぶりはやめたのかしら?」
オークションまでは情報を一切つかませなかったマティサが勇者というよりサシリーヌ本人を知っているような素振りを見せたことにこれまで隠していたことを明らかにしてでも隠したい何かがあると確信する。
「ん~どこで会ったのかしらね? 女の顔なんて覚えるのが面倒だから困っちゃうわ」
「単純にあなたが有名なだけですよ。『開発者』サーシュヴァルツ様」
「その名前で呼んでんじゃねえよ!!」
名前を呼ばれた瞬間、それまでのオカマ口調から一転。体格に相応しいドスの利いた低い声を発して怒りを顕わにするサシリーヌことサーシュヴァルツ。
『開発者』という二つ名は彼に敗れた者が何かに目覚めることからつけられたものである。
「……てめぇ、な~んか知り過ぎてねえか? 一体どこで……?」
サシリーヌの怒りを自分が受けるところまではマティサの計画通りだった。
いくらオークションの落札者が警戒対象になるとはいえ、街中で勇者が大っぴらに戦闘を仕掛けることは拙いと理解しているからだ。
だが、誤算が一つ生じた。
いや、誤算というよりはサシリーヌのあることに対する嗅覚――この場合は執念がマティサの予想を超えていたのだ。
「ちょっと、待てよ。いや、待ちなさい」
口調が徐々にオカマ口調へ戻って行き、それが冷静さを取り戻しつつあることの証と理解したマティサは確信に至る前に攻撃を仕掛けた。
「――逃げなさい!」
視界を塞ぐように激しい雷光が迸る。それにより、サシリーヌの部下たちは倒され、レイフォンティアがエボルを抱えて逃げるには十分な時間が稼げるはずだった。
「見つけたわぁん♡」
「!?」
雷光は確かに直撃しているにも関わらず直進してマティサを弾き飛ばす。そして、エボルを抱えて今まさに逃げようとしていたレイフォンティアを押さえつけ、引き剥がすと同時に放り投げる。
ついでにソファーラの腹に蹴りを見舞って、デミの頬をはたく。
一瞬の攻防は流れの中にいた者たちでさえも把握できないほど。
そして、勇者と魔王見習いは対峙する。
「……初めまして」
エボルは最大限に警戒しつつ、声を掛ける。
今の段階では魔王見習いとばれていないだろうし、襲われた被害者とは言え勇者に挨拶もしないのは印象が悪いと判断したからだ。
「やっぱり……! 間違いないわ!!」
興奮したサシリーヌに果たしてエボルの言葉は届いていたのか。
ただサシリーヌは目をハートにして鼻息荒くエボルを見つめ続ける。
「……どのようなご用件でしょうか?」
気分としては蛇に睨まれたカエルだが、辛抱強く交渉をしようとするエボル。
「そっくり。ゾクゾクしちゃう……!」
「あの……」
一向に話を聞こうとしないサシリーヌにどうしたものかと内心で首を傾げ、冷や汗を流す。
マティサは街中で攻撃を仕掛けたものの、幸いにも周囲もこの状況についていけていないためか拘束される様子は見受けられない。ならば今は少しでも時間を稼ぐべきなのだが、相手にその意思がないように思われる。
「――サシリーヌさん何をやってるんですか!」
その時、騒ぎを聞きつけてレンデルが現れた。
彼はサシリーヌたちと行動して悪目立ちするのを避けるために単独でオークションの落札者を見張っていたのだが、騒がしいので活躍の場を求めてこちらにやって来ていた。
「あら? どうしたの? 見張りは?」
「それどころじゃないでしょう。サシリーヌさんこそどうし……」
話の途中で倒れているマティサ、ソファーラ、デミを見てどこかで見た顔だと思うレンデル。そして、ソファーラを見て、オークションにいたスーツの人物だと思い至ったことで状況を把握する。
「いくらオークションでモンスターを落札したからってこれは拙いでしょう」
「――おバカ!?」
レンデルとしては何気ない事実を述べた言葉だった。
だが、それは街中で言っていい言葉ではなかった。
さすがのサシリーヌもこれには動揺し、声を張り上げるが、時すでに遅し。遠巻きに見つめるだけだった民衆もレンデルの発言はしっかりと届いており……瞬間ギャランティカの街中はパニックに包まれる。
「キャー」
「ま、街中でモンスターが出ただと!?」
悲鳴を上げる民衆。
ギャランティカはカジノ都市であり、裏で魔王と繋がるオークションが開催されてもいるが住民のほとんどは無関係な一般人だ。
当然、モンスターが競売の品として出品されていることなど知らないし、それが街中にいることなど想像できるはずがない。
「フハハッハ!」
パニックになって逃げ惑う中、突如聞こえてきた高笑い。
その発生源となったマティサはゆっくりと懐からプラントペットを取り出し、名乗りを上げる。
「――バレてしまってはしょうがない。我こそが魔王マグドーバラ様の忠実な僕、ボリンメイド!! そして、このモンスターこそがマグドーバラ様が新たに創造なされた最悪のモンスターなり!!」
「魔王の手先! くっ、神妙にしろ!!」
「やめなさい!」
「――愚かなり」
ボリンメイドと名乗ったマティサに突っ込むレンデルを今度はマティサが瞬殺する。
「見よ! 勇者サシリーヌの配下も偉大なるマグドーバラ様より力を授かった我には手も足も出ぬ!!」
レンデルを足蹴にしつつ高々と宣言する。周囲には実際にサシリーヌの配下が転がっていることから説得力は抜群。辺りはさらにパニックとなる。
「――魔王の関係者と名乗ったからには容赦しないわよ」
しかし、ボリンメイドの快進撃もそこまで。勇者は魔王を見逃さない。
「……ぐぅ!?」
サシリーヌの一撃を受け止めただけで手が痺れるような衝撃が走る。
「さあ、観念しなさい」
「……私は肉弾戦は得意じゃないんですよ!」
シッと空気を吐きながらサシリーヌに手を伸ばすが、得意じゃないという言葉通りそれは簡単に防がれてしまう。
だが、マティサの狙いはそこではない。
「喰らいなさい!!」
迸る電撃は先程よりも広範囲にばらけ、周囲の住民たちに襲いかかる。
「「「キャアアアア!!」」」
「よくも……!」
狙いが住民だとわかったサシリーヌはトドメを刺そうとするが、それよりもマティサの離脱の方が速い。
「どうした! 勇者よ、貴様の実力はその程度か!」
離れたことでまたボリンメイドとして声を上げ、街を破壊し始める。
まさにギャランティカを人質に取るやり方だが、そんなことに構っている余裕はない。
「やめなさいって言ってんのよ!!」
さしものサシリーヌも都市が人質では無暗に攻撃は出来ない。その間にもマティサは派手に壊し続ける。
「怒ったわよ……!」
そして、ついにサシリーヌが本気になろうとした瞬間、マティサは最大出力で電撃を放ち、辺りは一瞬白い光に包まれる。
「くっ……!」
一瞬、視界を奪われ気付いた時にはマティサの姿はなかった。
「どこに……ハッ!?」
そして、気付いたらエボルもソファーラ、デミの姿もなかった。
「……覚えてらっしゃい。絶対に見つけるわ。私の愛しい人の子!」
民衆はさすがは勇者サシリーヌと称えるが、そんな言葉は耳に入ってこない。
マティサが最後の攻撃を放った時、白ではなく銀色の光が過ぎ去るのを見た。おそらくはそれで離脱をしたのだろう。
「……それにあの女も! ようやく思い出したわん!」
あれだけの実力があり、自分の好いた相手の関係者となると記憶に残るのは数人。その中の一人だと当たりをつけ、今度こそはと意気込みを新たにする。
◇◆◇◆◇
「せーふ」
「……ふぅ、今回ばかりは助かりました」
ギャランティカからそう遠くない場所で、エボルたちはなんとか逃げ切ったことに安堵の息を溢す。
「いや、面目ない。気付いたら終わっていたとは……情けない」
「……うぅ、役に立てませんでした」
「……相手が悪すぎました。今回は私も役立たずという意味では同類です」
「……そうだね。今回一番活躍してくれたのはレイフォンティアだからね」
「ん!」
誇らしげに胸を張るレイフォンティアだが、マティサは呆れ顔だ。
「いい加減に服を着なさい」
何故ならレイフォンティアは全裸だったから。
「……今は無理」
対してレイフォンティアは疲れているから無理だと主張する。
彼女が全裸なのはスキル【軽装加速】を使用するためだ。【軽装加速】は文字通り軽装であるほどにスピードが上がるというスキルで、レイフォンティアが本来【重騎士】というジョブについていることを考えれば意味をなさないどころか足を引っ張りかねない彼女本来の実力由来の力である。
ちなみにジョブにちなんだ力として【重過加力】という装備が重ければ重いほどに力が増すというスキルも有し、相反するこのスキルを使い分けることでレイフォンティアは最速と豪腕を誇っている。
マティサがサシリーヌの注意を引き付けている間に吹き飛ばされたレイフォンティアは服を脱ぎ、誰にも気付かれないスピードで全員の救出を成功させたのだった。
「まあ、何はともあれ皆無事でよかった」
「……そうですね。勇者と戦って無事だったのは誇るべきことです」
「……そう言えば、あの勇者はなんで僕に目を付けたんだろう?」
「おそらく、陛下に対する因縁を忘れていなかったからではないかと」
理由に思い当たり過ぎるマティサだが、エボルが知るには汚すぎる事情に言葉を紡ぐ。エボルにはいつまでも純粋無垢でいてほしいのだ。
「? そうなの? じゃあ、またいつか会うかもね。その時のためにももっと強くなってないと!」
「そうですね。頑張りましょう」
「それじゃあ、ギャランティカでの目的は達成したし、出発だ!」
「「「はい!!」」」
こうしてエボル一行はギャランティカに騒動の名残りを残しつつ旅立って行った。
「――っ!」
マティサは手に痛みがあるのに気付いた。
「……これは?」
それはサシリーヌから受けた傷ではなかった。サシリーヌは無手であり、殴られた腕は確実に骨にヒビが入っているが、傷跡は切り傷。明らかに刃物で生じた裂傷だった。
「……一体、いつの間に」
剣で攻撃を受ける機会などなかったはず。
そういえば、無暗に突っ込んできたのが剣を使っていたと思ったが、まさかと首を振る。
「おそらく、気付かないうちにどこかで切ったのでしょう」
結局、この時は気のせいだと思うことにした。
だが、これが気のせいではなかったと気付くことになる日はついに訪れたなかったのである。