旧1~3話
リメイクのリメイクにはなりますが、再度手直しをしようと思います。
そのため、旧版をまとめていきますのでご了承ください。
第1話 牛娘との遭遇:ミルルの森 ミルルの森
ミルクのような濃厚な霧が頻繁に立ち込めるこの森の別名はミルキー・メイズ。この森自体には物騒な名前を付けられる要素はないのだが、この森はとある危険地帯へと通じることでそう呼ばれていた。
危険ではないとはいえ、木々が生い茂りひとたび霧が立ち込めば数分から一時間程度身動きが取れなくなる場所に、身なりの整った男女がいた。男女と言っても大人の女性と少年で、服装から察するに女性の方は少年の従者ではないかと思われる。
その主従は三時間もの間、一か所から動いていない。
三時間の間に霧が出ては晴れ、今再び霧が立ち込み始めていたがそれでも動く様子は見られず、何かをじっと待っていた。
「……遅い!」
じっとしていたが、何も感じていないわけではなかったらしく女性の方が苛立った表情で小さく唸った。
「まあまあ、きっと彼女も苦労してるんだよ」
女性とは真逆でのんびりとした様子の少年は落ち着かせるように声をかけるが、これは逆効果となった。
「若! 何を仰るのです!? 若様をお待たせするなど言語道断、以ての外です!!」
少年に気を遣って怒りを抑えていたが、少年が庇うことで怒りが噴き出してしまった。
ままならない状況に、少年はひっそりと内心で待ち人に謝罪をしつつ一時的に彼女の不満を受け入れる覚悟を決めた。
『――助けて! 誰かっ!』
覚悟を決めたのに……不満を感じないわけではないがこれで小言はなくなるだろうと切迫した声に対して不謹慎な思いを抱くと女性と共に声の方へ駆け出していく。
「助けてください!」
少し行ったところでローブを着た人物とその後ろから複数の人間が向かってくるのを発見した。
「ちょうどいい。ただ待っているのに飽きてきたところだし、彼らに道を聞いて町まで連れて行ってもらおうか?」
「……若。どう見てもローブの女性以外はゴロツキ崩れの野盗です。道を聞いても教えてはくれないでしょう。女性の方もあの様子では道に詳しいかどうか……。いいアイデアではあるのですが、残念です」
少年の冗談に、女性は割と本気で返していた。
待ち人を放置してもどうせ追いつく、そんな信頼の表れでもあるのだが……置いてけぼりを喰らわせる気満々な態度から怒りは収まっていないことが伝わってくる。
なんにせよ襲われている女性と近付いてくる野盗がいるとは思えない会話だ。
「待ちやが……兄貴、前に人がいますぜ!」
「ああん?」
手下からの報告に追いかけていた獲物から、視線を移すと確かに人影が薄っすら見えている。
「おいおい、ラッキーじゃねえか!」
霧で輪郭しかわからないが、一人は確実に女。もう一人も子どもだと認識した男は下卑た笑みを浮かべて獲物が増えたことを喜んだ。
不手際で獲物を逃がしたが、追加の獲物を連れて帰れば汚名返上どころか褒美を貰えるかもしれないと皮算用を始め、手下に発破をかける。
「野郎ども! 追加の獲物だ! やっちまえええっ!!」
「「「オオオオッ!」」」
「若様、お下がりを。あのような下賤な輩は若様が手を下す価値はありません」
「え~そうかい? 経験値稼ぎにもなるから僕もやった方がいいんじゃない? 大した実力もなさそうだし……」
「いけませんっ! 若様が得るべき経験値は清廉なものである必要があります!」
なおも言い募ろうとする少年を背に庇う形で強引に前へ出た女性は右腕をすっと前に出し、何かを弾くような仕草をする。その際、閃光が走ったがそれを認識できたのは女性と少年だけだった。
「「!?」」
男たちのうち、最後尾にいた二人の頭部に強い衝撃があり、声を上げる間もなく倒れる。その中には先程兄貴と呼ばれていた男も含まれる。ただ、最後尾だったがために他の男たちは気付くことが出来ず、仲間を一瞬で無力化した圧倒的な実力差の相手にリーダー格を欠いた無謀な状態で挑むこととなる。
獲物だと思っていたら、狩る側の存在だった。
それは猛獣の開いた口の中にエサが飛び込んでいくようなものだった。
「キャアアアッ??」
「はい。少し失礼しますよ~」
逃げていたローブの人物は突如浮遊感に襲われ、気付いた時には少年の顔がすぐ近くにあってきょとんとする。
「あまり暴れないでくださいね? この魔法、あまりこういう風に使うのには向いてないですから」
自分よりも明らかに年下の人物から言われたことを理解できないまま、「は、はい」と答えることしかできなかった。
支えている腕がぷるぷると小刻みに震えて不安を掻き立てるが、何故か少年の顔を見ていると安心する。同時に助かったら少し痩せようと決意する。
「……あの小娘、羨ましいですね!」
唇をキュッと噛みしめ、恨めしく思っている間に、突然獲物を攫われる形となった男たちはぽかーんと口を開けたまま宙に浮かぶ二人を眺めた後、怒鳴り声を上げながら襲いかかってきた。
「状況判断がなってないですね……」
飛行手段を持っていない状況で唯一手の届くところにいる人物に襲いかかるのはわかるが、その前に倒された二人に気付くべきだろうと呆れを通り越してもはや憐みすら覚え始めていた。
それはもう野盗の一人が持っていた刃物が当たるギリギリまでわざとらしく頬に手を当ててため息を吐くほどに。
「……せめて鉈とかちゃんとした刃物を持って来なさい」
手近にいた男の武器を持っていない方の腕を取って、男の体を思いっきり他の野盗にフルスイングする。
「「「ぐげぇっ!?」」」
落とした武器を踏んで粉々にしながら、眼を回している野盗に近付く。
「運が悪かったと諦めることですね」
機嫌が悪いことを自覚している彼女は遠慮などしない。
クククッとこれからやることに相応しい邪悪な笑みを浮かべる彼女の口は耳まで裂けていた。
「僕はちょっと、彼女の様子を見てきますから」
人間離れした彼女の八つ当たりを見せないように少年は空気を読む。そのおかげで戻った時には機嫌が普段より少し悪いかな?ぐらいにまで回復していた。
「お疲れ様」
「若! 申し訳ございません。お待たせいたしました」
「いいよいいよ。少しはスッキリした?」
「はぃ」
「じゃあ、彼女に自己紹介をしようか? 一応、僕から軽く紹介しておいたから簡単にでいいよ」
「かしこまりました」
主に恥をかかせるわけにはいかないと姿勢も表情もキリッとしたものに一瞬で整え、それを確認した少年もまたそんな従者の態度に相応しい雰囲気へと変貌した。
「――改めまして、僕の名前はエボル。こちらの女性は我が家のメイド長をしているマティサといいます」
「マティサでございます。本来はエボル様のお父上にお仕えしておりますが、訳あって現在はエボル様と行動を共にさせていただいております」
「マティサは僕の乳母でもある女性で昔から世話になっているんですよ。あともう一人、供がいるのですがちょっと頼みごとをしているので今は席を外しています。僕たちはこの森を抜けた先にあるモンヒャーに行く途中なんですよ」
「えっ!? あ、あの大丈夫なんですか?」
つい先程まで襲われていただけに、合流していない供とされる人物を心配され、配慮が足りなかったと思ったが今はその心配を取り合う意味はないと判断した。
「大丈夫ですよ。マティサには及ばないまでも彼女は強いですから」
安心させるように告げても、効果は見られない。
マティサの力を見ていると言っても、彼女が見たのは極々一部であり、実力の百分の一も垣間見ていないのだからそのマティサよりも弱い……しかも女性と聞かされれば不安に感じるのも無理はない。
これ以上どんなことを言っても不安を解消させるのは無理だと説得を早々に諦めて話を切り替える。
「次はあなたのことを教えていただけませんか?」
「わた、私は――あっ、すいません!!」
話を振られたことに動揺するあまり大切なことを忘れていた。
助けてくれた相手に対する礼として、頭から被っていたローブを下げて顔を露わにする。
「なんと……!」
露わになった容姿を見て、マティサは思わず感嘆の声が漏らす。
「【牛魔族】の方だったとは。……驚きました」
一瞬で普段通りに戻ったが、視線は頭部にある小さな角とローブの上からでもわかる豊満な胸に向けられていた。
「あ、はい。そうなんです。【牛魔族】はホルの部族、ミルフレンニといいます。ミルフィーと呼んでくださぃ……」
「わかったよミルフィー」
「ではそのように呼ばせていただきます」
食い入るような視線に怖気づいて、引き攣った笑みとびくびくと怯えたような態度を見せる。その態度に気付いていないがら、あえて突っ込まないエボルたちだった。
【牛魔族】牛の特徴を持つ亜人種であり、成人した女性は全員が母乳を出すことが出来ることから乳魔族という蔑称で呼ばれ奴隷、特に性的な奴隷としての需要が高い。そのため、種族ごとに住んでおり他種族の前には姿を現すことが少ないとされる。
思いがけない対面に普段は冷静なマティサも僅かに動揺していた。それは彼女をよく知る人物でないと気付けないぐらいの動揺なので当然ミルフィーは気付いていない。
【牛魔族】の女性は性質ゆえか胸部が豊かに育ちやすいため普段から他種族――主に男性から注目されることは少なくない。他種族と交流がなかったミルフィーはマティサから向けられる視線の意味には鈍感だったが、獲物を狙うかのような鋭さに居心地の悪さを感じていた。
「(……マティサ、少し抑えて)」
「(はっ! 申し訳ありません)」
見かねたエボルが注意することで視線が緩和されるが、苦手意識が芽生えてしまったようでマティサから距離を取ってしまっている。
「(ほら、怖がらせちゃった……)」
「(申し訳ありません。まさかこんなところで出会うことになろうとは思っていなかったもので、つい……)」
「(……いずれは仲間に加えようって言ってた種族の方なんだよね?)」
「(はい。しかも、その中でもホルの一族は最優です。あの一族は特に質がいいと言われていますから。普段は隠れ里から出てこないはずの彼女が出てきているということは何かに巻き込まれたのだと思います。坊ちゃま、ここは恩を売るべきです)」
「(恩を売るっていう考えはあまり好きじゃないんだけど……仕方ないね)」
恩を売るというのならもうすでに売っていると言えるが、念には念を。
始末してしまった後だが、先程の野盗がミルフィーの友人という可能性を頭の隅っこに置いて確認のための探りを入れてみる。
「それにしてもどうして追われていたんですか? 武器も持っていましたし、とても友好的には見えなかったので思わず助けてしまいましたが……」
「そ、そうでしたっ! 私、実は奴隷にされるところだったんです!」
予想外に無視できない物騒な話題が飛び出してきた。
むしろ一時的とはいえ、よく忘れることが出来たなと感心してしまう。
「奴隷とは、穏やかじゃありませんね」
「ミルフィー様、大丈夫でしたか?」
同性であるマティサが労わるようなセリフと心配する素振りを見せるが、内心でしめしめと思っていることが間違いないので気付かれないかヒヤヒヤしてしまう。
「はい、私は大丈夫です! お二人に助けていただいたので怪我もしてません!」
幸い、ミルフィーに伝わらなかったようなのでよしとする。
こういうことは気にしたら負けなのである。
◇◆◇◆◇
「――チッ、ブブカの野郎! よりにもよって一番の目玉商品に逃げられやがって……!!」
「頭領、ブブカが乳魔族を捕まえて戻って来たら本当に許すんですかい?」
「あぁ? 許すわけねえだろ! そうでも言わねえとあのバカ、戻って来ねえからああ言ったんだよ」
人攫いというよりも山賊という風貌の男たちの会話を聞いている人物が一人存在した。
「ったく、てめえも余計なことをしてくれるぜ!」
「……ッ、ぅぅ……!!」
頭領の足元に転がされていたおそらく女だろう人物が呻き声を上げる。おそらくというのは顔を中心に酷い暴行を加えられており、辛うじて体形で女性だと判別できる程度だからだ。
彼女もまたミルフィーと同じく商品として連れて来られた存在だが、ミルフィーと違って自分の借金のせいでこの場にいる。
そんな彼女はミルフィーを逃がした。
一番の目玉商品が逃げ出している間に脱走を図るためだったのだが、騒ぎに乗じて金品までせしめようと欲をかいたために脱出に失敗。おまけに彼女がミルフィーを逃がしたことまで露呈してしまったために頭領の怒りを買ってしまう。
一応商品だからと本人は自重しているつもりだが、今にも息絶えてしまいそうな様子に部下ですら恐れをなして近付こうとしない。近付くのは昔からの仲間か同じような加虐趣味の者だけ。今話しているのは両方に該当するこの人攫いグループが出来た当初からいた幹部だった。
「ところで、そろそろ回復薬を使わねえと死んじまいやすぜ?」
頭領は一瞬、嫌そうな表情をするが死体では碌な値が付かないと思い直し渋々使用を許可する。
「カハッ! ハ、ハアッ……!」
俗にポーションと呼ばれる強力な治癒効果を持つ魔法の回復薬を頭からかけられ、見る見るうちに傷が癒え肌の腫れが引いく。数秒後、暴行される前の美しい肉体に戻るととまさしく息を吹き返したような反応が返ってきた。
「ったく、回復薬だってタダじゃねえんだ。その分高値にならなかったら、もっと酷い目に遭わせてやるからな!」
「ひっ!!」
「ダッハッハッハ!! なっさけねえ声だ! 白けたし、オレはもう行くぜ」
軽く脅して満足したのか部屋を後にする頭領。
完全に姿が見えなくなってからホッと安堵の息を漏らす女だったが、彼女の地獄はまだ終わっていない。
「キャアッ!」
いきなり背後から首を鷲掴みにされ、後ろの壁に押し付けられる。
「――頭領の許可も下りたし、次はオデと遊んでくれや」
残った部下から告げられた言葉の意味を理解できなかった。
否、したくなかった。
ただ、振り上げられた拳が視界を覆う直前、視界の片隅に空になった回復薬のビンと同じ物が中身を満たされた状態であるのを収めてしまい絶望と恐怖、さらに猛烈な痛みから喉が裂けるほどの悲鳴を上げる。
頭領が出て行ったのは知っていたからだ。部下の男が自分以上のサディストであることを。そのくせ加減を見極めるのが上手いために見た目はかなりグロテスクでも息がある、精神の壊れた人形に成り果てることも多い。
暴力の終わりは解放ではなく、更なる暴力の始まりでしかなかった――。
第2話 合流と夜襲:ミルルの森(IN 人攫いのアジト)
ミルルの森に夜が訪れると、昼間ほど濃厚な霧が出ないので途端に静かになる。
聞こえるのは葉を揺らす風の音と、僅かに起きている生き物の声。
ただ、今日はいつもと違うことが起きた。森の一角、最近になって人攫いが根城にしている古びた屋敷の壁が轟音を上げた。
「なんだぁ!?」
「何が起きてやがる!!」
「誰か確認に行けよ!」
慌てて音の原因を探りに行くと、そこにはアジトの壁を大きく抉って巨岩がめり込んでいた。
この辺りは木はあっても、岩山などはない。こんな岩が落ちてくるような場所はないはずだと表に出ると、アジトを破壊している岩の数倍大きな岩で遊んでいる少女の姿を目撃する。
「……出てきた」
少女の足元まで伸びた銀髪はまるで月光を吸い込むように光り輝いていて、とても神秘的だった。人攫いなどをしていてそれなりの美貌の人間を売り買いしている男たちも思わず見蕩れてしまうほどに。
しかし、男たちは見蕩れる前に気付くべきだった。
少女は男たちにとって女神ではなく、死神なのだと。
「それじゃ、いくね?」
男たちが「何を?」そう尋ね返す前に少女は片手で遊んでいた岩を振りかぶり、思いっきり投擲する。
「「「!!!???」」」
悲鳴を上げるよりも、背を向けて逃げ出すよりも早く少女の投げた巨岩は男たちをアジトの中へと押し戻す。
「……ぁ、ぁぁっ」
運良く軌道上にいなかった男たちは、自分たちの身を守っていたアジトが呆気なく壊れたことと巨岩に挟まれて潰されたであろう仲間にショックを受け、それ以上に畏怖のこもった視線で銀髪の死神を見つめる。
もはや男たちは少女に魅入られてはいない。ただし、少女の放つ濃厚な死の気配に飲み込まれ、死神に魅入られてしまっている。
その光景を脇の森から見ている人影があった。
「開戦の狼煙が上がったようですね。――それではミルフィーさん、案内よろしくお願いしますね」
「は、はいっ! 任せてください!」
出てきた男たちが恐怖で身動きが取れなくなったのを確認し、エボルはミルフィーを促してアジトの中へと移動を開始する。
◇◆◇◆◇
ミルフィーから詳しい事情を聞き終えたエボルは迷っていた。
というのも、先程まで熱心に恩を売れと言っていたマティサが態度を一変させ、「面倒事には関わらない方がいい」「ミルフィーを助けたことで恩は売った」とこの場を離れることを強く勧めて来るからだ。
話を聞く前なら、エボルもそう思っていただろうが、今もなお捕まって奴隷になりかけている人がいると考えると見捨てるのは後味が悪い。そもそもそのことをどうやってミルフィーに説明するか……これについてはマティサが強引になんとかするだろうが、それでは売った恩以上に反感を買ってしまう可能性が高い。
マティサの実力なら捕まっている人たちを助けるぐらい容易いのだから、説得すべきだろうがおそらく応じないだろうとも簡単に予想出来てしまう。
エボルとマティサの関係は主従関係のようであって厳密には違う。二人の間にはエボルの父が絶対的な位置で存在するからだ。
マティサ本来の主からエボルのことを守るように言いつけられている。ある程度の試練を与えることは許可されているが、その判断はすべて一任されており、旅の最終決定権は彼女にあると言っても過言ではない。
強く言ってこなかったのは、乳母として幼い頃から接していたことによる優しさであり、エボルもまた仕えるべき存在として敬っていたからに過ぎない。
しかし、そのエボルが自ら危険に飛び込もうとしている。それも飛び込む必要のない対岸の火事に。
マティサは止めるだろう。――今までとは違う意味の優しさとして。
いっそのことダメ元で頼んでみるか?そんな風に考えていた時、頭上から落下してくる影あり。
「――ただいま。マスター」
「レイフォンティア!」
「…………」
「えっ? えぇ~!? ……だ、誰ですか?」
いきなり現れたレイフォンティアに、エボルは嬉しそうに駆け寄る様子をマティサは無言で眺め、ミルフィーは何が起きたのかわからず驚いたようだが、すぐにマティサと同じ格好をしていることに気付いて警戒を解くというある意味大物ぶりを見せていた。
「ミルフィーさん、彼女が先程言っていたもう一人の供。レイフォンティアです」
エボルの紹介に、レイフォンティアは「……ん」とどこか誇らしげに頷いた。ただ、容姿が整っており、雰囲気も神秘的なのだが仁王立ちでやってしまったために台無し感が半端なかった。
「あっ、ああ~その方がそうだったんですか! いきなりだったんでビックリしちゃいましたよ」
「すいません。悪気はないんです」
レイフォンティア自身にも自己紹介をさせようと振り向くと、いつの間にかマティサと睨み合いをしていた。正確にはマティサが睨みつけて、レイフォンティアは返しているだけなのだが第三者的にはどちらでも同じである。
「……それで、今まであなたはどこにいたんですか?」
「教えない」
「……ほぉ?」
一瞬にして空気が凍りつき、ピキッとヒビの入ったような幻聴がしてミルフィーは慌てて自分よりも小柄なエボルの陰に隠れる。
「理由も告げずに、若様を三時間以上も待たせた責任をどう取るつもりなのです?」
「……関係ない」
レイフォンティアは基本的に言葉足らずだ。
何事も端的に表現しようとするのと、伝わらないのならそれでいいという考え方のためだが今回は思うところがあり、言葉を重ねる。
それは慣れ親しんだ者だけが知る彼女の本気の証だった。
「あなたには、関係ない」
増えたのはたったの一言。
それでも真意を読み取ったマティサはエボルに視線を向ける。
ここから先はエボルを介してでないと会話が成立しないと悟っていた。
「レイフォンティア、遅くなったことを咎めるつもりはない」
エボルは最初から話の論点を変えた。
現れたタイミング的にもっと前から傍にいて話を聞いていたと思ったため――味方である彼女をきっかけに助けに行く算段を付けようとしていたためだ。
「――見つけたのかい?」
何を?なんて野暮なことは聞かない。
話を聞いていたのなら、そしてレイフォンティアならば見つけられると信じているから。
「ここよりも町に近い所にあった」
主からの要請に応え、望む答えが返された。
「ありがとう」
「……ん!」
ミルフィーに紹介された時よりも元気よく頷くのだった。
結局のところ、二人の主従に押し切られる形で人攫いを助けに行くことが決定した。
条件として、レイフォンティアとマティサが正面から敵を撃破していく間にこっそりと行動するというのが最大限の譲歩だったが、助けてもらえると気付いた時のミルフィーは嬉しそうだった。
「――あと、遅れた理由については後ほどじっくりと説明してもらいます」
誤魔化されませんよと告げるマティサに今度は庇う言葉もなく、それまで強気だったレイフォンティアは小刻みに震えて絶望の表情を浮かべていた。
◇◆◇◆◇
「――グアッ!?」
潜入の経緯を思い返していたエボルの思考は、突如視界が大きく動いたことで現実に引き摺り戻される。
「エボル君!?」
斜め後ろをついて来ていたミルフィーに被害はないようだ……そこまで思ったところで視界に腕を抑えて蹲っている男がいるのを発見した。
「て、てめぇ……!」
男の苦々しい視線に理不尽を覚えながらも近付き、男を見下ろすと呆れた口調で正論を告げた。
「いきなり殴りかかっておいて恨み言ですか? それを言う資格があるのは僕の方だと思うのですが……まあいいでしょう。ところであなた方が攫った人たちはどこにいますか?」
「誰が教えるか!」
吠えながら痛めた方とは逆の腕で殴りかかってくるという予想通りな反応をする男に無慈悲に「そう来ると思ってました」と告げて、避けずに再度攻撃を受けてみせた。
「グギャアアアアアッ!」
結果は変わらない。
むしろ男にとっては一層酷い結果となった。
一回目でダメージを負ったことで警戒しより強い力で殴りつけたにも関わらず、一回目と違いエボルを動かすことすら出来ず、殴った腕は骨が折れてひしゃげており、明らかに重篤なダメージを負っていた。
「……一回目は不意打ちだったので驚きましたけど、思った通り大したことありませんでしたね」
「何をしやがった!!」
「何をって……見ての通りですけど?」
逆ギレされ続けるのはなんでなんだろうと疑問を抱きつつ、見てわかりませんか?と逆に問い掛ける。
「あなたの攻撃を防いだ、防いだと言っていいのかわかりませんがこの魔法をあなたの攻撃が破れなかったそれだけでしょう?」
男が殴りかかるよりも前、アジトに潜入する時から発動させている魔法。
全身に巻き付くような魔法は赤黒い怪しい光を放っており、男がエボルを見つけられたのもこの光に吸い寄せられたからという隠密には向かない魔法であり、それをなぜ潜入時に使っているのかを第三者がいれば突っ込んだだろう。
「これは飛行鎧『エアロス』という魔法です」
エボル本人や家族などは冗談で悪魔の羽衣と呼ぶそれを纏うことで文字通り飛行が出来るようになる魔法である。
「飛行魔法如きでオレにダメージを負わせられるはずがあるか!」
ほぼ野盗のような生活をしている人攫いだが、武術の心得がある男。魔法を使う者と戦った経験もある男は世間一般的に知られる飛行魔法を思い浮かべ、それでダメージを負うわけがないと反論する。
「いや、だからただの飛行魔法じゃなくて飛行鎧と言ったでしょう。通常の飛行魔法と違って、防御も同時にこなすそれが僕独自の魔法なんですよ」
「バ、バカなっ!?」
バカにしているような口調で告げられた内容に絶句する。
独自の魔法――オリジナルの魔法は魔法を極めた人物でさえ生涯に一つも開発できないことも珍しくない。だというのに、目の前の自分の半分も生きていないだろう少年が創り出したと言われれば信じられないのは当然だろう。
また、飛行魔法はすでに有名な魔法が二つも存在しており、わざわざ創り出す必要がある魔法でもない。習得が難しいというのは聞いたことがあるが、それでもオリジナル魔法を創ることの難易度とは比べようもない。
「もちろん、フライやウィングのような魔法より使い勝手が悪い部分はありますが、防御面では優れているでしょう?」
別に教えてやるつもりでも、自慢をしようとしたわけでもなく事実を伝える。
フライというのはエアロスと違い、ただ飛行する魔法。ウィングは背中に魔法の羽を生やして鳥のように飛行する魔法とされる。
三つの魔法の大きな違いをエボルは飛行の自由度だと解釈している。
自由度が圧倒的に高いのはフライで、低いのはエアロス。
これは元々、自由に飛行する魔法だったフライに鎧という要素を加えたことによる弊害で、エアロスの弱点でもある。実際に使ってみないとわからない程度の違いだが、エアロスは飛びにくい飛行魔法なのだ。
飛行速度という点でもウィングが最速であり、最遅はエアロスとなっているのがその証拠。
縦横無尽に動き回れるフライ、生まれつき空を飛ぶ力のある鳥のような速く優雅に飛ぶためのウィングそのどちらでもなく新たなエアロスを使う理由はエボルが子どもだから。
大人と違ってちょっとの傷が致命傷になりかねないのでエボルはわざわざ飛行中に身を守る術を開発する必要が求められた。
元々習得が難しくこれまでの使用者が大人だったことが飛行というジャンルで新魔法が開発されなかった理由であり、開発された理由にもなった。
そんなことを知る由もない男は言っている意味を理解できず、ただただ目の前には魔法という分野において卓越した実力を持つ敵がいることしか伝わらない。
また、そんな相手に敵対してしまった自分の運命を悟ってしまう。
「それでは、あなたの仲間が集まって来ても面倒ですからお別れとしましょう」
「待っ――」
最後まで言い終わる前に、男の首から上が消失する。
残された身体にはまるで獣に食い千切られたかのような大きな傷跡が残されていた。
「――行きましょうか」
気を遣ってエアロスで視界を塞いでいたミルフィーに気付かれないように男の遺体を脇に退け、また宙を滑るように移動する。
この後もアジトに残っていた人攫いたちの何人かがエアロスの怪しい光に吸い寄せられた虫のように現れては同じ運命を辿ることとなり、やっぱり悪魔の羽衣という名前にしようかなと本気で改名を考えることとなった。
第3話 魔法の言葉:ミルルの森(IN 人攫いのアジト)
デミという女性の人生は人攫いに捕まるまでも最悪の一歩手前を右往左往するようなものだった。
幼い時はそれなりに幸せだったが、両親が騙された挙句に国を追われ、流れ着いた土地ではそこの元締めの気に触り、両親とは離ればなれになり貧困街の住人となった。
ある日、自分よりも少し年上の少年がスリを働き捕まるのを見て、自分ならそう思い立った。
才能があったのか、スリの腕は見る見るうちに上達していき、十歳を迎える前には盗賊団に籍を置くようになる。しかし、ボスが兵士に捕まったことでやっと見つけた居場所も早々に手放すことになり、盗賊団が蓄えていた金品を奪って一からやり直すことにした。
けれど、碌な教育も手解きも受けていない少女に再び盗賊団を立ち上げられるほどの技量や実力ましてや知名度があるわけもなく詐欺師の道を踏み出した。
シスターとして各地を巡り、表向きには敬虔な信徒であるとアピールして、多額の寄付を得ては土地を転々とする。そうして十代が過ぎ、ある程度の金も貯まったところで身を落ち着けようと最後の仕事の相手に選んだのが貴族の子息だった。
幼い頃から裏稼業に手を染めていたデミからすれば世間知らずのボンボンを騙くらかすなんてお手の物。赤子をあやすように甘い言葉を囁き、家の金を貢がせていった。
関係が続きプロポーズをされた時などはいっそのことこのまま貴族の妻に納まるのも悪くないと思い始めていたというのに、二人の関係が当主である貴族様にバレてしまい、悪いことに他所にやっていた弟が不甲斐ない兄に変わって家を継ぐために戻って来たもんだからさあ大変!
あれよあれよというまに使い込みも発覚して、芋づる式に犯人であることと詐欺師であることまでも露見した時にはすでに退路を断たれていた。
外聞が悪いからと表向き、罪には問われなかったが権力を使って犯罪奴隷の身分に落とされ、商人の手に渡るところで今度は人攫いにあってしまう。
人攫いにあった時点で欲を出さなければ上手く逃げだせたのに、そう考えないでもなかったが今は違う。
シスターという表向きの身分を持っていても、信仰心の欠片もないので神など信じてこなかったデミはこの日初めて神の存在を認識する。
「――何をしているんですか?」
初めて耳にした神の声は下僕を害する者への怒りで満ちていた――一瞬で魅了され、その後の人生すべてを捧げて信仰する主との出会いを後にデミは狂信的な笑みを浮かべて語っている。
◇◆◇◆◇
「――何をしているんですか?」
見つけたのは偶然だった。
捕まっていた人々は一部屋に集められていたので、そこで待っている予定だった。
ミルフィーを残してでも探しに出たのは、妙な胸騒ぎを覚えたからとしか言い表せなかった。
あらかたアジトの人間はいなくなった後で危険が少ないとはいえ安全策として待った方が得策だったと思うし、もしかしたらマティサに怒られるかもしれない。確実に怒られるだろう。
それでも探しに来てよかったとエボルは感じていた。
「……あ゛ぁ゛?」
「その顔、やはり捕まっていた人間ではありませんね」
失礼な話ではあるが、明らかに堅気じゃないと風貌だけで決めつけていた。まあ、アジトで出会った人攫いのうち襲って来た輩を除けば見た目で選別していたので今更ではある。
「では、死んでください」
ので、何の躊躇もなく攻撃を仕掛けた。
「ぬっ、がっ……らあああっ!!」
「おや?」
雑魚たちを一瞬で千切った魔法が、肌に少し食い込んだ程度で強引に破られてしまったことに意外な表情を浮かべる。
「どうやらあなたはこれまでの人たちとは違うようですね」
「はっ、おめえが会っだのがどいつかは知らねえがオデをそんじょそこらのバカ共と一緒にすんでねえ」
「同じなどと考えてはいませんよ?」
男の言い分は心外だった。
途中で倒した奴らも目の前の男も人攫いという点では同じだが、だからと言って同類などと考えてはいない。その程度の甘い考えをするような人間だと見くびられたことにちょっぴり怒りを覚えてしまい未熟さを痛感するほどだ。
「そうだろう。そうだろう。なんて言ったってオデは幹部のボクナ「あなたは彼ら以上のクズで、救いようのない最低野郎だとちゃんとわかっていますから」――ス様なんだから……ってなんだと?」
どう見ても敵であるエボルに雑魚とは違うと言われて調子に乗ったボクナスは更なる恐怖を与えようと饒舌に名乗りを上げていたが、被せるように告げられた言葉に、途端に機嫌が急降下する。
「? 聞こえませんでしたか? では、もう一度言います」
エボルにしてみれば聞き返されたから答えただけ。親切のつもりだったが、ボクナスにはバカにされているように思える行動だった。
「あなたは彼ら以上のクズで、救いようのない最低野郎だと言ったのですよ。もう死んでいる人なので悪く言いたくはありませんし、それを抜きにしてもあなたを超えるほどに愚かな行為をしているのを目にしていないのでこれ以上言い表すことは出来ないのですが……」
続く「理解していただけましたか?」というセリフは頭に入っていかなかった。
目の前が怒りで真っ赤に染まり、一刻も早く目の前の生意気な子どもを始末しないと気が収まらなくなっており、如何に惨たらしく甚振り殺すかだけを考えていた。
加えて肉体はさらに先へ行き、言葉が終わるよりも前に駆け出していた。
「死ねやっ!」
額をかち割るつもりで振り下ろされた拳は、しかし空を切る。
「……危ないですね。いきなり何をするんですか」
ボクナスから五歩ぐらいの距離で浮かびながら、憤慨した様子を見せる。
見た目からは子どもがむくれているようにしか見えないが、数回ほど修羅場を潜り抜けてきたボクナスはエボルの気配が変わったことに気付いていた。
「またかっ!」
ただでさえ怒りで頭に血が上っているのに、避けられたことでさらに怒りは増していく。
一方では悪態を吐きながらも、今では自分と同じくらいの目線となったエボルの身体に巻き付く魔法を観察するという冷静な面も見せていた。
これにはイノシシのように突っ込んでくると予想していたエボルも意表を突かれる。
二人に共通していたのは、目の前の敵を倒すのは思っていたよりも手古摺りそうという感想だった。
ボクナスは、エボルを侮っていた。
最初の攻撃から潜在的な才能や伸びしろは認めていたが、それでも自分を殺すことは出来ないと考えている。
エボルの特筆すべき特徴としては何よりも魔法の速度だ。普通の魔法使いならば最低でも魔法名の詠唱が必要となるが、エボルは必要としない。スキルとして詠唱破棄を持っている可能性を考慮すべきだろう。
元々、魔法に疎いボクナスは有名な魔法であっても正確な効果を知っているわけではないが、そこにいつ、どこから繰り出されるかわからないという奇襲力が加わるとなれば警戒しないわけにはいかない。
それでも勝利を確信していた。
いくら不意打ちが出来ても威力が高くなければどれだけ喰らっても絶命することはないのだから。
エボルは、したくはないがボクナスを多少評価してもいいと考えていた。
中でも一撃で仕留めきれなかった肉体の頑丈さと、悪党らしく悪知恵が働くことを最も高く評価し、警戒する。先程の攻撃も生身で受けていればダメージは免れなかっただろう。
ただ、振り回すだけの攻撃なんて恐れるに足らず。
悪知恵が働くと言っても頭が良いわけでも切れるわけでもない。魔法のことをよく知らないということはこれまでのやり取りでわかっている。魔法のことを知っていれば距離を取って様子を見るではなく、魔法を放つ暇を与えないように遮二無二に攻撃を仕掛けて来るはず。
それも含めて頭が良いとはいえない。所詮は追い詰めると何をするかわからないから警戒しておこうといった程度。
今はボクナスの後ろで気を失っている女性の方へと注意を向けないようにしなければいけない。
――ならば、一撃で決めればいい。
ボクナスは大したダメージを受けなかった魔法からエボルを見下し、エボルは実力を測った上で上位者としてボクナスを見下している。
基準にすべきものの差が勝負の命運を別つというのはよくあること。
「!?」
先に動いたのはエボルだった。
『エアロス』をまるで触手や尻尾のように器用に動かすと、ボクナスの手足に絡めて動きを封じる。
「クッソがっ!」
苛立ちつつも最初の魔法のように引き千切ろうとするが、帯状に伸びている魔法は手足を動かせばそちらに引っ張られるだけ。引っ張って千切れないなら手でやればいいと手を伸ばしたところ熱が掌を襲ってくる。
「あっぢ!」
「あっ、気を付けた方がいいですよ? 触れてるところからではわからないでしょうけど、『エアロス』には炎属性の魔力が含まれてますからそれなりに熱いですよ」
一回り以上も歳の離れた子どもに笑われることはゴロツキや野盗のような力の世界に生きる者にとっては屈辱以外の何物でもない。
「ケッ、この程度なんともねええ!!」
虚勢を張って、手が焼けることも厭わずに奮闘する。
火を触っても掴めないように握り緊められた魔法は掌を嘲笑うかのように軽く焦がして、決して捕まることはない。
「そ、それに、おめえの自慢の魔法も小っちゃくなったじゃねえか! こりゃ、消えるのも時間の問題だなぁ!」
虚勢の次は恫喝。
ほとほと、ガラの悪い男だと呆れながらも短くなった魔法が巻き付いた身体を見下ろす。
通常時は首下まで覆ってもまだ余りある羽衣は今や靴下のように足首までを覆うことしか出来ていない。ほとんどの部分は拘束するために使われているからだ。
なのでもしこの場に第三者が介入し、攻撃を仕掛けてくれば咄嗟に身を守ることは難しい。
あながち外れてもいない指摘であることを悟られないようにしながらも、トドメの一撃の準備を始める。
「あなたの冥府への旅立ちの餞として、真の魔法をお見せしましょう」
前置きを述べると絶望を告げる祝詞を詠い始めた。
「魔の王に頭を垂れ――尾を振る無垢なる獣よ」
「善悪の意味を知ることもなく」
「主に賜った贄を――」
その文言を詠み上げる時、無意識に贄となる者の姿を見た幼子の瞳に嗜虐的な光が宿り、贄は恐怖を覚え泣き叫ぶ。
「や、やめでぐでっ! オデが悪かっ――」
これから身に起こる悪夢を予知したかの、それとも単に上から迫り来る見えない圧力に屈したのか。悪で身を成した男が命乞いし、泣き喚く。
しかし、そんな声は届かない。希望は叶えられない。
「――肚に収めよ。『クロゥズ』」
証明するかのように慈悲を与えず、詠唱は完了し不吉な文言の魔法を現世に召喚する。
『魔法に取って詠唱とは魔力に形を付けるための器であり、そうであれという使い手の願いだ』
尊敬する父から言われた言葉がエボルの脳裏に甦る。
火の魔法を使うとイメージしても指先に小さく灯ったり、込めた力が強すぎると大火になったり……イメージが伝わらないと自らの身体に火が点くなんてこともあり得る。
言ってしまえば単純に鳥の形をイメージするだけでも変わってくる。
鳥の形をした火、鳥のように自由に動く火など色々。
エボルは幼心にこれについて疑問を覚えた。
イメージした通りに魔力に形を与えるのなら、魔法に名前を付けて誰もが使えるような形にする必要がないのでは?
教本などにも載るような魔法は効果が被りやすい。それは誰しもが同じようなイメージを抱くから。正確には本の通りに再現しようとするから。その分、使い易いが個性は消えている。
では、魔法名と効果だけを知っている場合はどうなるか?
それこそが魔法の自由度になる。
そして、一度魔法を発動してしまえば魔法のイメージは変わり難い。
ようはどのように使うかが重要。便利な道具として使いたいだけなら教本で十分。より強力な、独自の魔法を使いたいなら研鑽を積むべし――魔法は何よりも自由だった。
父から教えられた『クロゥズ』という魔法は、闇の世界に存在する獣の口をこの世に呼び寄せるという物騒極まりないもの。
闇の獣について尋ねても、こことは違う次元に棲んでいる存在としか教えてもらえなかった。
だからこそ、詠唱をしなかった時のエボルの魔法では影のような牙しか現れない。イメージが脆弱……魔法において欠点でしかないがエボルはこれを長所へと変えた。
最初に現れた魔法の効果を見て、そこから詠唱のイメージを後付けすることにしたのだ。
詠唱をせずに使った時点では、まるで輪っかのような牙。そんな生き物をイメージできなかったからエボルの魔法は異形なモノとなった。
「う、うああああああああああ!!」
「め女神、様……?」
薄れゆく意識の中、デミは黒いドレスを身に纏った女性の姿を目にした。
明らかに人間ではないその姿は女神というよりは命を吸い尽くす死神を彷彿とさせるが、その前に聞こえた悲鳴に胸がスッとしたデミにとっては救いの女神だった。
「た、助けてくれえぇぇぇぇ!!」
いくら外側から女神に見えていようともドレスの裾に包まれ、化け物の口しか見えない男には救いには到底なり得なかった。
◇◆◇◆◇
《――経験値が一定に達しました。レベルアップします》
女性の姿をした魔法が消えると脳内にアナウンスが流れた。
「ありゃ、ちょっとマズいかも……」
予想していなかったわけではないが、思ったよりも早い。
まだやらなければならないことがある、何よりもこの場でレベルが上がることに焦りを覚えたエボルだったが、時間は待ってくれない。
「待っ……、て、まだ、ま……だ」
心臓の音と《レベルアップします》というアナウンスがうるさいぐらい聞こえる中、必死に足を動かしていく。
向かうのは横たわるデミ。
途中、エアロスで室内に置いてあった回復薬のビンを取ることも忘れない。
ステータスの昇華であるレベルアップは上がれるようになったら、すぐに上がるかそれともアナウンスが終了したら自動的に上がるか。大抵はアナウンスが鬱陶しいからすぐに上がることが多いが、エボルにはそれが出来ない理由があった。
時間が経つにつれて足取りが重くなり、魔法も維持できなくなってくる。
それでも足を止めるわけにはいかない。
「これっで……!」
最後の力を振り絞ってビンの中身をかけていくと虫の息だったデミの傷が癒えていく。
それを確認して安堵の笑みを浮かべるとエボルはとうとう前のめりに倒れてしまう。
《レベルアップします――Yes》
レベルアップの光が収まると、室内には傷の言えたデミと上に眠る赤ん坊の姿があった。