【スープ】
やや苛立ちを紛らわせるように、水を仰いだ。給仕はすでに退出したらしく、いなくなっていた。こう感情を波立たせて食べるのは、よろしくない。
帰りがてら、彼女の所にでも寄ろう。若くやわらかい女は、良い慰めになる。予定にない往来でも快く迎えてくれるだろう。今度彼女が好んだ柑橘類の香水を贈ればいいだろうか。
思考に埋没していたせいか、気付いたら次の料理が既に並べられていた。全然扉の開閉音に気がつかなかった。スープ皿と添えるようにパンが二切れほど。オイしそウだ。
「スープは『アンタンス・ポタージュ・リエ アンヴィ風』になります。付け合わせにオス入りパン・オ・エウヴァンをどうぞ」
赤身を帯びた橙色で、牛乳とか生クリームが使われているのか、全体に白を帯びている。銀匙を浸せば、とろりとスープが流れ込んだ。
あぁ、なんか拙そうだ。アァ、トテモ美味シソウダ。口に含んだら吐き気を催すに違いない。口ニ含ンダラ頬ガ落チルダロウ。
給仕の料理の説明だけが、やけにはっきりと聞き取れる。
「こちらのスープはフォリーを香味野菜と共に煮込んで丁寧に裏ごしして、アタッシュマンでのばしたポタージュ・リエでございます。最初に暴力的とも云える辛みがあまやかで後を引く甘みに変わる一品です。付け合わせのパンであるパン・オ・ルヴァンは特有の香りと酸味が特徴のパンですが、ポタージュ・リエと共に味わえば共にまろやかな味に仕上がります」
パンの生地の所々に白い欠片が目についた。クルミか。アーモンドか。……こんな色のナッツがあっただろうか。石灰に似た色をしたそれは、あんまりにもナッツらしくない気がした。
千切る。齧りつく。天然酵母独特の匂いと酸っぱさといやに堅い食感。ガリッと口の中で鳴った。
「ルヴァンは是非、スープに浸してお食べ下さい」
声に促されるままに、再びパンを千切りスープに浸す。パンがスープを含み、辛味・酸味・甘味・塩味・旨味が渾然と広がり舌の上を駆け調和した。うまい。ソウダ、オマエノ為ノ命ダ。ソノ贄ノ血肉ハ甘美ナモノダロウ?
思わず、手が止まった。気がついたら、スープもパンも全て食べ尽くしていた。
「お下げ致しますね」
「……頼むよ」
給仕が片付ける姿を横目で見ながら、先ほどの奇妙な感覚が落ち着かない。何かがおかしい。私の感覚が叫んでいる気がした。でも、何がおかしいのか分からない。
後味に広がるこの香りはなんだろう。パッと思い出せない。
「後味にオレンジの香りが鼻を抜けて、爽やかでしょう」
「あ…………ぁあ、そうですな」
給仕が私の思考を読んだように云った。本当にオレンジの匂いだっただろうか。そもそも、あのスープの色は何色だった。そんな記憶すら、私の中から零れ落ちていた。白? クリーム色? 緑? …………血色? 思い出せナい。思いダしたくなイ。カンガエルナ。カンガエルナ。
「すぐに、次の皿をお持ち致しますね」
やけに、給仕の紅い唇が目に焼き付いた。
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