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レストラン・オルール  作者: 昭如春香
プロローグ
1/7

ごらいてん

 

 

 

 

 この世にはありとあらゆる“道楽”という奴があるが、その中でも極みがないのは『食い道楽』に違いない。私にはそういう確信がある。


 珍しい調味料と最高級の材料に、それらの味を存分に引き出す確かな技術と客をそそる美術感覚を持つ料理人がいてこそ。更に食すための食器やテーブルに音楽や絵画などによって構成された空間は、その味を更に高めてくれる。


 どんなに腕の良い料理人であっても、完全なる同一の味というものはない。いや、私自身のその時々の体調なり、心境なども、その料理を主観的感性の影響を与える事だろう。そう、食事とは全て一期一会といえるのだ。





 *





 二十三区の一つ、『閑静な』と形容詞がつきそうな住宅街の中に私は来ていた。


 生憎と妻も息子たちも都合が合わなかったもので、お一人様という奴だ。いや、そろそろ私も還暦を迎えるのだから、家族と付き合いが薄くなるのも当然だろう。友人もここ数日は仕事が立て込んで忙しいのか、誘ったが返信がなかったが残念だ。


 私がこんな所に来ているのは勿論、噂で聞いた『レストラン・オルール』の予約が遂に叶ったからだ。そんな名店への予約ができたのに、喰い分のない奴らだ。


 この『レストラン・オルール』は知る人ぞ知るフランス料理の名店で、食通を自称する者には有名な料理店だ。なんでも食材から皿などの食器の類や装飾品まで拘っていて、営業は一週間から一ヶ月に一日。それも一組しか予約を受けないという。あの憎き商売敵の遠藤が、嫌味たらっしく『君はまだ、食べたことがないのかね?』と言われた因縁深き店でもある。



「ここが…………レストラン・オルール」



 まじまじと件の店を観察した。レストラン・オルールはわたしが思っていたよりも遥かに、隠れ家の様な店舗であった。通りに面した所には、葉を生い茂らせたトネリコと橙色の灯を灯したランタンぐらいしかない。ランタンの下に看板がぶら下げられていなければ、わたしは辿りつくことが出来なかったと確信している。


 アプローチ通りにトネリコの傍を抜けて、奥へと行けば、白亜の建物がひっそりと建っていた。直線を基調とし所何処に走る曲線があり、懐かしいような匂いがある。建築様式きっとアール・デコに近いんじゃないだろうか。


 私の来訪を気がついたように、重厚そうな黒い扉が開かれる。玄関ホールを出迎えたのは、漆黒の給仕服に身を包んだ男が滲むように笑い深々とお辞儀をした。年はいくつだろうか。いやに若くも見えるが、老成した雰囲気もある。男に例えるのも変だが……月光の元にのみ咲く艶かしい花のようだ。


 玄関ホールは八畳ほどのスペースに、客を出迎えるように飾られた夜の森の絵画が正面に飾られている。入って右手側にクロークルームらしきシンプルな扉、左手側には色ガラスの両開き扉があった。光量が抑えられた橙色の灯は、中々に落ち着いた雰囲気を演出している。



「レストラン・オルールにようこそいらっしゃいました。ご予約の佐波さなみあい様ですね。玄関ホールにて、手荷物とコートをお預かり致しますが、よろしでしょうか」


「あぁ、頼むよ」



 一応、財布だけは持って、後は預けてしまうことにした。いくら緊急とはいえ、食事中の電話というものは嫌いだ。せっかく最高と言われる料理を味わうのだから、携帯電話など無粋だろう。ここしばらくは、急ぎの仕事などなかったから、大丈夫だ。


 私からの荷物を受け取った給仕の彼は、右手の扉の奥へ消えて、そう時間を掛けずに戻って来た。



「お待たせ致しました。どうぞ、こちらへ」



 給仕の先導に従って左の扉を潜る。一組しか客を取らないと噂で聞いた通りなのだろう。料理店ではよくありそうな個室程度の広さよりやや広い程で、中央に純白のテーブルクロスに覆われた長机と、座り心地の良さそうな一脚の椅子が設置されている。


 正面はそのまま庭に出れそうな程大きなスライド式らしい窓があり、庭に面しているのだろう。緑が深いのか隣家の光はなく、都会とは思えない程濃い闇がそこにあった。その庭をぼんやりと照らすのは室内から漏れ出た灯と奥の方にある揺らぐ蝋燭の火のみだ。


 入室した戸の反対側に木製の折りたたみ式の衝立がある。衝立は上部に花らしき透かし彫りを施されており、どっしりとした赤銅色の木肌から結構な年数を重ねているように感じた。そして恐らくは、あの先が調理室に繋がっているのだろう。こういうワンクッションを置いている気遣いは悪くない。


 給仕に促されて腰をかけた。



「本日給仕を勤めさせて戴きます、給仕長メートルのレ・ディアーブルと申します。佐波様はレストラン・オルールをどこまでご存知でしょうか」


「食事がとても美味しく、数週間から一ヶ月に一度だけに客を一組取るとだけだね」


「そうですか。当レストランでは料理長であるアンフェールのお任せコースとなっております」


「解りました。では、それを」


「ではごゆっくり、『フェスティヴァル・デ・ラ・グルマンディーズ』をお楽しみください」



 何かがわらった気がした。






.

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