月光の吸血鬼
どれ程そうやってうちひしがれていたかは分からない。
気がつくと雨が降ってきた。
はじめはポツポツと、次第に激しく打ち付けてくる滴が、俺の肩を濡らしていく。汚ならしい服が肌に張り付く気持ち悪さはあるが、冷たくはない。俺の喉から乾いた笑いが漏れる。なるほど、死者というのはずいぶんと便利なものだ。
このまま泥の中に沈み、永遠の眠りの中に戻りたい。一度死んだというなら、なぜ生き返ってしまったのだろう。せめて自我さえなければ、これほど苦しいこともないだろうに。こんな醜い死者の姿で、記憶すらないのに、どうやって生きていかれるというのか。涙すら、出ない
全身くまなくずぶ濡れになり、ようやく身動ぎする気になった。このまま座り込んでいてもしょうがない。自殺する手段もいくつか思い浮かんだが、一度生き返った以上、どうしても簡単に命を捨てる気にはならなかった。アンデットが生に執着するとは、なんともおかしな話だ。
取り合えず、雨宿りする場所を探そう。それほど遠くない場所に朽ちた教会が見える。屋根も所々落ちているようだが、雨をしのぐ程度にはなるだろう。もしかたら服などの備品もあるかもしれない。いくら寒さを感じないとはいえ、このようにボロボロの服では具合が悪い。
ズルズルと体を引きずり、教会の門を潜る。扉に装飾された女神のレリーフが微笑みで俺を出迎えた。どんな女神かは知らないが、アンデットすら分け隔てなく愛せるというなら大した神である。俺は女神に微笑み返して扉を押し開いた。
案外、教会の中は広かった。周囲の雰囲気からして辺境の忘れられた教会であると想像していたが、よほど信心深い土地だったようだ。立派な柱が立ち並び、大きな祭壇の上にはひび割れたステンドグラスが煌めいている。華美な装飾もなく、朽ちているとはいえ厳かな雰囲気は損なわれていない。宿としても充分利用できそうだ。
「神に、感謝、だな」
しわがれた声を喉からひねり出し、顔をしかめる。どうやら流暢にしゃべる訳にはいかないらしい。一語一語発音することにも苦労する。誰と話す訳でもないが、人間でないことを改めて思い知らされた。まるで無理をして言葉を話そうとする獣のような声だった。
いくら悩もうと、アンデットの肉体の不便さばかりはどうしようもない。せめて元人間として、身に纏う服だけはどうにかしたものだが。
しかし、結局教会の隅々まで探しても服や備品は見あたらなかった。以前住んでいた村人か盗賊が持っていったのかもしれない。すべての小部屋をいじくり回した末に、ようやく諦めをつけてため息をつく。まぁ、寝床が見つかっただけでも上等だ。しばらくはこのボロ服で我慢する他ない。
それにいい加減疲れが溜まっていた。肉体ではなく、精神にだ。
全く、今日ほど疲弊する1日があるだろうか。墓をまるごと一つ掘り返し、いざ日の本に出てみれば死んでいることに気がついた。絶望し、雨にうたれ、朽ちた教会にたどり着いた。
これ以上はなにもないと思いたい。今でも死者になった動揺を克服できたとはとても言えないのだ。やることがなくなれば、不安が毒のように全身を巡る。もしかしたら、明日になれば本当のアンデットになっているかも知れない。そんな考えすら頭を過る。
俺は祭壇の前に座り込み、祈るように目を瞑った。何をすればいいか分からない、不安で不安でたまらないとき、結局は何かにすがらずにはいられない。アンデットに成り下がってなお、俺は弱い人間のようだ。
どうか、今だけは安らかに休ませてくれ。
俺は子供のように、ただ救済だけを願っていた。
一つ発見したことがある。アンデットも眠ることができるようだ。いつの間にか仰向けになって寝りこけていたらしく、目を開くと落ちた屋根から満点の星空と月が見える。すっかり雨は上がったようだ。日光のように目に痛みが走ることはない。優しく慰めるような星の光に、心が安らぐのを感じる。
ずいぶんと頭もスッキリした。これなら多少マシな考えが思い浮かぶかもしれない。少なくともこれ以上、自殺の方法を考えなくてもよさそうだ。
「・・・・・・起きたの?」
ふと、そんな声が響いた。誰もいないはずの教会に、そよ風が鈴の音を運んできたようだった。全く予測していなかった現象に、俺は思わず体を起こして声の主を探す。
自然と祭壇に腰かける人物が目に入った。年端のいかぬ少女のようだった。ステンドグラスを通して差し込む月光に、美しく伸びた銀髪が煌めく。一瞬、その様子が教会の女神と重なった。
幻か? 半ば本気でそう考えた俺を、鮮やかな朱色の瞳が遠慮なく見つめる。そして次の瞬間、少女は嬉しそうに顔をほころばせて言った。
「こんばんは。いい夜ね」
「君、は、誰だ?」
様々な疑問が頭から溢れんばかりだったが、最初に口から出てきたのはそんな質問だった。人間の少女のように見えるが、アンデットである自分を見ても全く恐れていない。人類の敵である魔物を見て、平然としているなど考えられないことだった。それに、こんな廃墟に深夜訪れる少女がいてたまるものか。
警戒に身構えるこちらに対し、少女は落ち着いた所作で自身の胸に手を当てる。
「私はイェニカ。この教会を根城にするヴァンパイアよ」
桜色の唇が薄い弧を描く。幼い外見にそぐわず、妙に扇情的なその微笑みの隙間から、鋭い牙が覗いていた。




