「悪魔の世界」
悪魔のドームが出てきて三日が経過した。その三日の間にそれまでの人間社会の有り様を激変させるほどの大きな変化は無かったが、それでも異変自体は起きていた。
街に悪魔が溢れ出したのである。それまで神出鬼没であり、出てきたとしてもすぐに何処かへと消えてしまっていた悪魔達は、今やそこが自分達の居場所であるかのように堂々と町中を闊歩し、翼を広げて空を飛んでいるのであった。
「てめえ! 今俺の肩にぶつかりやがったな!」
「ふざけんな! 自分からぶつかっておいてなんだその言いぐさは! ぶっ殺すぞ!」
そして悪魔同士は街の至る所で喧嘩を始めていた。地上はもとより空の上でも、悪魔達はその闘争本能に身を任せるかのように喧嘩に明け暮れていたのである。
人間に直接因縁をつけることは無かったが、それでも人に近い姿をした悪魔達が悪態をつきながら殴り合う光景は、見ていて決して愉快なものではなかった。一方でそんな人間達を後目に他の悪魔達はその喧嘩をする者達を取り囲み、声を上げてはやし立てたり煽ったりしていた。
「やれーッ! そこだーッ! ぶっとばせーッ!」
「興奮してるなお前」
パラケルススもその一人だった。彼女は祐二につれられて街の中を歩く最中にその喧嘩の光景に出くわし、「これは見なければ!」と祐二の制止も聞かずにその輪の中に飛び込んでいったのである。祐二も少し躊躇ってから彼女を追って悪魔の中に身を投じ、その中でパラケルススと共に喧嘩を観戦する羽目になった。
「いやあ、興奮するッスね! やっぱり戦いは見るのもやるのもたまらないッス!」
「でもさすがに町中で堂々とするのはどうなんだ?」
「祐二様は古いッスねー。これに共感する人間も増え始めてるんスから、昔の考えなんか忘れて楽しんだ方がいいッスよ?」
パラケルススの言葉通りだった。日を追うにつれ、そんな悪魔の価値観に毒された者も現れ始めたのだ。彼らは悪魔の中に混じって声をかけたり、写真を撮ってツイッターに上げたりしていた。
最初はそれこそ一人か二人程度だったが、その熱は凄まじいスピードで人々の間に感染していった。三日経つ頃には「一つの試合」に数十人もの人間が群がっていた。それが至る所で発生していたため、実際の観戦者数は数百をくだらなかった。
「あなたはなぜ悪魔の戦いを見学しようと思ったのですか?」
「上手く言えないけど、頭が刺激されるんです。ワクワクするっていうか、熱狂するっていうか? とにかくそういう気配を感じると興奮してきて、もっと興奮したい、直接見たいて気分になるんです」
ニュースキャスターからの質問に対し、それまで悪魔同士の戦いを見ていた人間の一人はそう答えた。実際その人間は頬を紅潮させ息も荒げており、見るからに興奮状態にあった。
「これは本質を剥き出しにした悪魔の活動を前にして、人間の精神が影響を受けた結果である」
学者の中にはそう分析する者もいた。悪魔の暴力への欲求が人間に伝染したのだと、その学者はテレビの中でそう説明した。
「その辺り、悪魔としてはどうなんだ? やっぱり当たってるのか?」
「大体その通りだと思うッスね」
「そうなのか」
「ええ。だってあれ変装した悪魔ッスから」
喧嘩を見終えて歩きながら話していた祐二が足を止める。パラケルススはお構いなしに前を進み、呆気にとられていた祐二は慌ててその後を追いかけた。
そして夜には、悪魔達はまた別の本質をさらけ出した。昼に喧嘩をしていた者達とは対照的な見目麗しい姿を持つ悪魔達が、夜に通りを行く人間に声をかけて誘惑し始めたのだ。その者達が人間を誘って何をしようとしていたのかは、その悪魔達の熱のこもった視線や挑発的に体をまさぐる手の動きから容易に想像がついた。
「意外と人間も盛ってるッスね」
「お前よく直視できるな」
こちらも最初の頃はまだ人間達は理性を働かせて、彼らないし彼女らの誘惑を断ち切っていた。しかし三日も経つと、その誘惑に膝を折る者達が出始めた。そして彼らはそのまま、他人のことなどお構いなしにその場で「始めて」しまうのであった。
「祐二様は興奮しないんスか? もしかして、他人のセックスじゃ興奮しないってタイプッスか?」
「違う。そうじゃない」
「じゃああたしとヤるッスか? あたし、祐二様となら合体してもいいかなーって思ってたりするんスけど」
「そういうこと言うのやめろ! 脱ぐな! くっつくな!」
それを白い目で見る人間も当然いた。安藤祐二がその一人だった。彼は通りのあちこちで男女問わず平然とまぐわっている者達を前にして、酷い頭痛を覚えた。パラケルススの散歩に付き添うんじゃなかった。彼は本気で後悔していた。
しかし一方で、それを当たり前のことのように認識し、素通りしていく者も現れ始めた。表立って咎める者もおらず、夜は夜で混沌とした様相を呈していた。
こうして人間達の中に理性を忘れ、本能に身を任せる者達が現れ始めた。そしてそれを「良し」とする人間達もまた同様に増えていった。その流れは緩慢であったが、しかし確実に日本のあらゆるところで進行していった。
「まあこれ、ぶっちゃけると全部人間の選んだ結果なんスけどね」
翌日。サンサーラ・サーガ・オンライン内の東京ダンジョンの中で、パラケルススは自分の近くで自分と同じように雑魚敵と戦っていた祐二と美沙にいきなり言ってのけた。祐二と美沙は悪魔の言葉に驚き、手を止めて悪魔の方に顔を向けた。
「いきなりなんの話だよ?」
「昨日祐二様に連れられて見たあれッス。街の喧嘩とか合体のことッスよ」
「ああ、あれか」
パラケルススの言葉を聞いた祐二がそれを思い出して声をあげる。そして祐二はパラケルススを見ながら彼女に声をかけた。
「どういう意味だ?」
「そのままの意味ッス。人間が悪魔の世界を選んだから、ああなったんスよ」
「ガブリエルも確かそんなこと言ってたわね」
パラケルススの言葉を聞いた美沙が広場に立つ天使の姿を思い出しながら言った。その後美沙は一度視線を正面に戻し、斧を振り回しながらこちらに突撃してきたゴブリンに向けてボウガンの引き金を引いた。音もなく飛び出した矢がゴブリンの脳天に命中し、ゴブリンはその細い体を金色の粒子に変えて消滅していく。
「それから、人間を救うためとかなんとか言ってたかしら」
次の矢を装填しながら美沙が言った。眼前のゴブリンを睨みつけ、盾を構えながら祐二が言い返す。
「悪魔が来たら世界が救われるのかよ?」
直後、祐二の構えていた盾が赤く発光する。彼の前に立っていたゴブリンがその盾めがけて手斧を振り下ろす。
斧の刃が赤く光る盾に衝突する。刹那、斧が弾かれて腕が勢いよく振り上げられ、ゴブリンが無防備な腹を晒す。
「逆に世界が終わると思うんだけどな!」
そのゴブリンの腹に剣を突き刺しながら祐二が力任せに叫ぶ。ちなみにこれまでプレイヤーのスキルは一々その技の名前を叫ばなければ発動しないようになっていたが、これに対してプレイヤー達から「さすがに恥ずかしい」や「途中で噛んだら不発に終わる仕様はやめてほしい」といった苦情が頻発していた。それに対して運営はさっそく行動を起こし、アップデートによって頭の中でスキル発動を宣言するだけでそのスキルが発動するようになっていた。
「やっぱり装備は落とさないか……それで? 実際どうなんだよ。お先真っ暗だと思うぞ」
金色の粒子の中から剣を引き抜き、どこか落胆しつつ剣を持ち直しながら祐二が問いかける。それを聞いたパラケルススは飛びかかってきたゴブリンの腹を手刀でぶち抜き、すぐさま突き刺した方の腕を振り払ってゴブリンの死体を地面に叩きつけてから答えた。
「いやあ、どうッスかね。あのまま悪魔が出てこなかったとしても、人間の世界はお先真っ暗だったと思うッスよ」
「確かにそれもそうね」
「じゃあ悪魔が出てきたら何か変わるっていうのか?」
パラケルススの言葉に美沙が同意し、祐二がさらに疑問をぶつける。新たに跳んできたゴブリンを回し蹴りで蹴飛ばしてからパラケルススが答えた。
「もちろん変わるッスよ。世界が大きく変わるッス。人間の社会とか価値観とか全然通用しなくなるかもッスけど、少なくとも地球の人間がジリ貧で全滅することはなくなるッス」
「断言出来るの?」
「出来るッス。なにせ神様達は全滅を避けるためにその仕様を作ったッスからね」
「仕様? 現実とゲームがリンクするってやつ?」
「本当に神様がこのゲームを作ったのか」
「そうッス。信じられないかもしれないけど、それが事実ッス」
そこまで言って、パラケルススが軽く首と肩を回す。そして「久しぶりに運動すると気持ちいいッスねー」とゆったりとした態度で言葉を話つパラケルススを見て、美沙が眉をひそめながら祐二に言った。
「ところで、あの子誰?」
「あ、まだ言ってなかったっけ」
祐二はそう答えてから、美沙にパラケルススの紹介を行った。その祐二からの説明を聞いた美沙は、自分と祐二がダンジョンに潜る時にしれっとパーティーに混ざってきた悪魔を改めて見つめた。
「ああ、あなたが行き倒れの」
「そうッス。よろしくお願いしまッス」
パラケルススがにこやかに笑いながら言葉を返す。その親しげな雰囲気を放つ悪魔を見ながら、今度は祐二がパラケルススに問いかけた。
「ところでお前、どうやってこっちに来たんだ?」
「えっ、一緒に来たんじゃないの?」
「いや、俺が接続したときには誰もいなかった。もしかしてお前もヘッドセット使ってるのか?」
美沙の言葉に応えながら祐二が再度問いかける。対してパラケルススは「そんなの使ってないッスよ」と明るく答えた上で言葉を続けた。
「あたしは特にヘッドセットとか使わなくても、直接こっちに入り込む事が出来るんスよ」
「は?」
「どうやってそんなことしたんだ?」
「申し訳ないッスけど、それはまだ説明出来ないッス。いくら現人神が相手でも、下っ端が色々と勝手に喋っちゃいけないことになってるんスよ」
「それは、お前の上にいる奴からそう言われてるのか?」
「そうッス。勘弁してほしいッス」
パラケルススが申し訳なさそうに言った。そしてパラケルススが跳んできたゴブリンの顔面に正拳突きを叩き込んでいる間、祐二と美沙は互いに顔を見合わせ「仕方ないか」と揃って肩を落とした。
「変に問いつめるのもあれだしね」
「そうだな。後で説明とかはされるのか?」
「それはわからないッス。それを決めるのはあたしじゃないッスから」
「それもそうだよなあ」
祐二からの問いかけにゴブリンを始末し終えたばかりのパラケルススが答える。それを聞いた祐二は複雑な表情を浮かべながら頭をかいた。
「変に気にしない方がいいのかもな」
「そうッスね。あたしもそっちの方がいいと思うッス」
祐二の言葉にパラケルススが同意する。一方で美沙は難しい顔を浮かべながらパラケルススをじっと見つめ、そして視線を祐二に向けて彼に声をかけた。
「ところでさ、二人はあの噂のこと知ってる?」
「噂?」
「知らないッスけど、なんスか?」
祐二とパラケルススが揃って答える。美沙はそんな二人を見て「まあゲームやってないならわからないか」と一人納得するように呟いた。それを聞いた祐二が美沙に問いかける。
「なんだよ、何があるってんだ?」
「最近ここのプレイヤー達の間である動きが起きてるのよ」
「動き?」
「ええ。次の中間発表の時までに皆で天使の側について、天使を勝たせようとしているの」
「はあ?」
美沙の言葉を聞いた祐二が眉をひそめる。その直後に新たに復活し襲いかかってきたゴブリンの攻撃を盾でいなし、がら空きの腹に致命の一撃を食らわせる。そうしてから改めて美沙の方を向いて彼女に尋ねる。
「なんでそんなことを?」
「面白そうだから、っていうのが大体の理由だと思う。あとは、そうね……きっとみんな半信半疑なのよ」
「どういう意味だ?」
「もし本当にこのゲームと現実がリンクしていたとして、それをすんなり信じれると思う? 無理よ。こんな突拍子もない話なんか簡単に信用できる訳ない。そうでしょ?」
「確かにな。それはそうだ」
祐二が素直に頷く。パラケルススも理解するように首を縦に振る。美沙が言葉を続ける。
「だからみんな確証を欲しがっているの。自分達が現実の世界に影響を与えているって自覚したいのよ」
「だから皆で一致団結しようってわけか」
「そういうこと。まあネットの一部でそういう活動が起きそうってだけであって、プレイヤー全てがそれに賛同しているわけじゃないんだけどね」
美沙がそこで言葉を切り、祐二が「そんなこと起きてたのか」と言葉を漏らす。直後、美沙は遠巻きにこちらを睨むゴブリン二匹の脳天にボウガンの矢を撃ち込み、祐二はゴブリンの投げてきた斧を盾で受け止め、その盾に突き刺さった斧を抜き取ってゴブリンに投げ返した。
投げ返された斧を食らったゴブリンが断末魔をあげて倒れる。すると今度はパラケルススが、そうして戦っていた人間二人を見つめながら言った。
「やっぱりお二人も、そのこと信じてないんスか?」
「まあ信じてないかな」
「現実の目の前にゲームと同じ建物が現れてるのに?」
「確かにそれはそうだけどさ、だからってハイそうですかって納得は出来ないんだよ」
「それもそうよね」
敵の始末をし終えたばかりの二人が声をかける。それを見たパラケルススは渋い顔を浮かべた。
「融通の利かない人達ッスねー」
「悪かったな頭固くて」
「ぶっちゃけ人間の価値観捨てた方が楽になれるッスよ?」
「うるさいな」
パラケルススの苦言に反論しながら、その後も三人はそこに留まってゴブリンを狩り続けた。彼らがここで狩りを続けていた理由は至極単純、イベント「ハルマゲドン」の中で悪魔ルートを選択した際にボスとして出てくる天使の一人に一度ボコボコに返り討ちにされたからであった。
「適当に拠点用の資材集めてれば勝てると思ってたけど甘かったな」
「ちゃんとレベルも上げないとね」
「装備も整えないと駄目ッスよ」
次の中間発表まで残り二日。既にクリアした者も出始めていた中で、祐二と美沙はイベントの七割を消化したばかりであった。