「新しい世界」
強い日差しを感じて、祐二は目を覚ました。毛布をどかして上体を起こし、ベッドの上で軽く伸びをする。
「祐二君。おはよう」
目の前から声がする。聞き慣れた女性の声だった。その声に反応して意識を覚醒させつつ、ゆっくりと目を開ける。そうして完全に開かれた視界の先には、案の定自分の良く知る人物が立っていた。
榊時子。自分を拾ってくれた女性だ。
「ほら起きて。もう朝よ」
時子はカーテンを開いた窓の前に立ちながら、そう祐二に問いかけた。そしてその言葉の後に窓を開き、室内の空気を入れ換える。
新鮮な空気が部屋の中を駆けめぐる。祐二の私室に溜まる古い空気を洗い出し、ついでとばかりにその少し冷たさの残る風が祐二の頬をなでていく。
日差しと風、そして時子の声。それらは祐二の意識を完全に目覚めさせるのに十分な役割を果たした。二度寝の機会を奪われた祐二は目をこすりながらベッドから立ち上がり、そして欠伸を噛み殺しながら時子に言った。
「おはよう」
「おはよう祐二君。今日もいい天気よ」
「そうだね。なんとなくわかるよ」
曇り模様ならこんなに強く日差しが窓から差し込むはずもない。祐二はそう考えながら答えた。時子はそれを聞いて笑みを浮かべ、そしておもむろに右手を顔の位置まで持ち上げながら祐二に言った。
「それより祐二君、ちょっと手伝ってほしいんだ」
「なに? どうしたの?」
問い返す祐二の眼前で、時子が右手の中に光球を生み出す。その光球は手の中で暴れ回りながら膨張し、形を変え、一瞬の内に自分の背丈ほどもある巨大な両刃の斧へと姿を変える。
その斧を軽々と持ち上げ、何事もなく肩に担ぎながら時子が言った。
「敵襲よ」
次の瞬間、窓の外から爆発音が轟いた。
創世を行うにあたって、祐二と美沙はある意味で致命的な欠点を持っていた。
二人して細かい調整がとにかく苦手だったのだ。
「もう面倒くさいからさ。ゲームと現実を合体させた方がいいんじゃない?」
そしてその二人が出した結論がそれであった。すなわち、ゲームの世界を現実世界と融合させ、ゲームのルールをそのまま現実世界でも適用させようということである。
それまではアップデートと称してじわじわと現実と仮想現実の差を埋めていっていたが、ここに来て一気にその溝をくっつけてしまおうと考えたのである。
そして更にゲームの世界だけでなく、そのゲームとは別にそれぞれ存在していた「神話の世界」もまた同様に、現実の世界とくっつけてしまおうと考えたのである。三つの世界のバランス調整が面倒なら最初からそれを放棄してしまえばいい。一つの空間に三つの世界を詰め込んでしまおうという、あまりにも強引な手法であった。
「随分と大胆なことをなさりますね」
「考えるのめんどいんだもん」
「あ、そうですか」
ブラフマーは毒気を抜かれたような声を出した。ここに来てこの創造神は、この二人の現人神がどういう神経をしているのかをはっきりと悟った。
今更知ったところでどうにもならなかったが。
「ではそのようにするのですか?」
「いや、ここでもう一個付け加えたい物もあるんだよ」
しかしこの二人はどうでもいいところで中途半端に知恵が回った。ブラフマーがそれを知るのもまた、この時になってからだった。
「それはいったいどのような物でしょうか?」
「さっき言ってたあれだよ。影の薄い神の出番を増やそうっていうあれ」
「ああ、そういえばそんな物があると言っていましたね」
思い出したようにブラフマーが答える。そしてそのまま祐二と美沙は改めて腹案を出した。
すなわち、それまで降ろしていた守護に加えて、もう一体別の守護を降ろせるようにしようと考えたのである。祐二達はこれをそれぞれメインとサブに分け、そしてその「サブ守護」枠には一週間でランダムに入れ替わる神の中から選んで降ろせるようにしたのだ。
「これなら少なくとも出番は増える。出番はなくとも露出は増える。人の目に留まる確率は上がるだろう」
「私たちとしてはこれで精一杯よね」
それを考えついた祐二達は、しかしまだ納得してはいない様子であった。まだ考えれば他に何かいいアイデアが浮かぶんじゃないかと思っていたのだ。
しかしこれ以上悩んでも何も出てこないのも事実であった。二人は妥協して、この案で行くことに決めたのだった。
「私からは特に何もありません。お二人の考えにお任せします」
対してブラフマーは良いとも悪いとも言わなかった。自分はあくまで「作る」側であり、その作る物の中身について口を挟もうとは考えていなかったのである。一方で祐二と美沙は助言くらいは欲しいと思ったりもしたが、ブラフマーはそんな心の声に対してははっきりと反応した。
「ご心配なく。あからさまにまずいと思った物に対してはちゃんと助言をしますから。それがないと言うことは、現時点であなた方の考えていることは特に問題は無いと思っていただいて結構ですよ」
第三者からそのようなことを言われると、不思議と自信が沸いてくる。結局二人はブラフマーの無言の後押しを受け、自分たちの考えを反映させた新たな世界を創造したのだった。
自分達がどれだけ人の道から外れた行いをしているのか、この時はまだ自覚すらしていなかった。
そうして生まれた新たな世界は、それまでの常識とは大きくかけ離れた姿をしていた。
まず摩天楼が消えた。大都市はその背丈を三分の一以下にまで縮め、摩天楼の中を走り回る車も無くなった。空を飛ぶ鉄の飛行機も無くなり、船と鉄道が辛うじて残った。個人用携行火器の類は生き永らえることが出来たが、戦車やミサイルといったものは姿を消した。
新たなエネルギーには「人的内在力」たる魔法と「自然力」のマナ、そして宇宙に満ちるダークマターが使われ、石油や原子力はその役目を終えた。
公害という言葉も消滅した。もはやスモッグや有害毒素を吐き出す物は消えて無くなり、空はすっかり青く澄み切ったものとなっていた。
科学文明は死に絶え、代わりに精神文明が勃興した。剣と魔法の異世界。誰もが夢見たファンタジーの世界である。
「鬼だ! 鬼が出たぞ!」
しかし世界全てが優しくなったわけではない。ファンタジー世界の顕現は、同時にモンスターや悪神の跳梁を許すことにも繋がった。
「また来やがった! これで何度目だ!」
「ぼやくのは後だ! やるぞ!」
窓の外から声が聞こえる。祐二が時子の隣に立ち、窓の外の光景に目をやる。
そこには一面金色に輝く小麦畑のど真ん中に立つ一人の鬼と、それを取り囲むように立つ四人の人間がいた。人間はそれぞれが手の中に光球を生み出し、そしてその光球をそれぞれが得意とする武器へと変えていった。
「おらクソ鬼! 経験値よこせ!」
「信仰もだ! 全部寄越せ!」
凶暴なモンスターが姿を現すと同時に、人間達もまた新たな力を得ていた。剣と魔法、そして信仰の力である。目の前で起きている出来事は、今や世界中で当たり前のように行われていた。
彼らは気に入った神を守護として自らに降ろし、その力の一部を借りているのであった。そして力を貸している神はその人間から信仰を受け、自らの存在を保っていく。まさにギブアンドテイクの関係であり、それは再生する前の世界に存在していたゲームのシステムを丸ごと流用していたものだった。
しかし、そんな元祖のシステムと現行のシステムでは、一つ異なる点が存在していた。それは「今の」人間は複数の神を同時に降ろせるということである。祐二と美沙が無い知恵を絞って考えついた小さな変更点であった。
「なるほど。それは良い考えですね」
なお、創世によって復活したガイアはそのアイデアを聞いていたく感銘を受けた。彼女は復活した時点で自分と人間に何が起きたのかを理解しており、そのことも含めて祐二達に礼を言った。
「問題点が見つかったのならその都度修正していけば良い話ですしね。とにかく、お疲れさまでした」
そんな悠長なことを言っていていいのだろうかと思いもしたが、労いの言葉をかけられて心が軽くなったのも事実だった。創世後、真っ先にガイアの元に向かった祐二達は確かな満足感を覚えながらそれぞれの家路に戻っていったのだった。
「祐二君、準備はいい?」
そんなことを考えていた祐二の横から、時子が声をかける。尋ねられた祐二は気持ちを切り替えて軽く腕を回し、時子がしたのと同じように右手に光球を生み出す。
光球が二つに別れ、それぞれ剣と盾に変わっていく。そうして生み出した右手に剣を持ち、左手に盾を持つ。こうして武器を生み出すのはかつては現人神だけの特権だったが、今では全ての人間が同じ能力を手にしている。
祐二はこれと言って不満に思ったりはしなかった。自分の周りが平穏になれば、後は何がどうなろうがどうでも良かったのだ。
「着替えた方がいいかな?」
そうして武器を手にした祐二が、思い出したように声を出す。思えば今自分はまだパジャマ姿であった。
時子はそれを聞いて、小さく笑みをこぼしながら答えた。
「大丈夫よ。誰も気にしないと思うわ」
「パラケルススは笑うと思うんだけどね」
「いいじゃないそれくらい。笑わせておきましょうよ」
祐二はそれ以上反論しなかった。やるだけ無駄だったし、そもそもそんな余裕も無かったからだ。
「じゃあ祐二君。行きましょう?」
時子が優しく声をかける。祐二は頷き、開け放たれた窓の枠に足をかける。
その足に力を込め、一息に外へ飛び出す。それに続くように時子も窓枠を蹴りつけ、斧を振り回しながら勢いよく飛び出していく。
汚れ一つない青空の下、新たなゲームが幕を開けた。