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「ユニバース」

 祐二が目を覚ましたそこは、辺り一面が暗黒に包まれていた。次に自分がその暗黒空間の中に倒れていることに気づいた祐二はその場で立ち上がり、まだ意識を薄ぼんやりとさせたまま周囲を見渡した。


「……」


 真っ黒だった。そして無音だった。匂いも、気配も無かった。自分以外の何者も認識できず、全てが静まりかえっていた。

 本当の孤独はこういうものを言うのか。正常な思考を取り戻した祐二は真っ先にそう思い、そして恐怖した。それは味方を失い、未知の領域に一人取り残されたことによる生存本能の喚起。その場からすぐに離れなければならないという警告から来る恐怖であった。


「いや、待て」


 しかしその本能の警告に従い、ここから逃げ出す算段を整え始めたところで、祐二の理性がそれにストップをかけた。自分は何かを忘れている。ここに来る前に一緒にいた、大切な何かを。

 味方。味方がいる。平静を取り戻すと同時に、祐二の思考が鮮明になっていく。ひび割れていた記憶が修復されていき、かつて体験した過去の事象が明確な形を帯びていく。

 そして全てを思い出す。


「そうだ、俺達は」


 俺達は土星に向かった。

 そこでティアマトと出会った。

 そして神に包囲された。

 戦って、それで。

 美沙。


「美沙!」

「大丈夫。ここにいますよ」


 祐二が反射的に叫んだ直後、それに答えるようにどこからか声がした。その声は世界そのものを揺さぶり、祐二の脳内に直接鳴り響いた。

 それはまさに教会の鐘の音のように清らかで、神々しい音色だった。


「私はキリスト教の関係者ではありませんよ。清らか、と言えばそうかもしれませんが」


 再び祐二の脳に声が響く。そして祐二は驚きに目を見開く。

 自分の心を読まれている?


「その通りです。私はあなたの心の声を読み取り、それに答えています。口から出す言葉に真実を求めるのは酷だと思っておりますもので。気分を害してしまったのなら申し訳ありません」


 それに対して、声の主が謝罪してくる。その声は物憂げで、心の底から謝意を示しているのが読みとれた。

 祐二は抵抗する気も起きなかった。身も心も酷く疲れ切っていた。


「別にどっちでもいいよ。好きな方で喋っていい」

「ありがとうございます」

「それより、お前は誰だ? 敵なのか?」


 そうしてそれに対して投げやりに答えた祐二が、今度はその声の主に対して問いかける。祐二は直接口から言葉を放ち、その声は暗黒の空間の中に吸い込まれていった。

 対して、なおも空間全てを震わせて祐二の脳内に直接声を響かせていたその声は小さく笑みをこぼし、そのまま祐二に答えた。


「ご安心ください現人神よ。私はあなた方に害意をなそうとは考えておりませんよ。今の状況で信用してくれと言うのは、さすがに難しいかもしれませんが」


 自分のことを知っていると言うことは、当然こちらの名前も知っていると言うことなのだろう。祐二はそう思案した。そして実際、声の主はそれに反応して「はい、存じております」と脳内に答えた。

 祐二はもう一々驚こうとはしなかった。驚く代わりに話を進めようと考えた。


「信じるか信じないかはこれから次第だよ。それで、お前の名前は?」

「私はブラフマー。創造を司るヒンズーの神です」


 その名を聞いた祐二は複雑な顔をした。そんな名前の神は聞いたことがない。


「そうでしょうね。私も自分が影の薄い存在であることは自覚していますから」


 ブラフマーは悲しげな声で答えた。それに対して祐二は少し躊躇った後、「お前も地味神の集いの一人なのか」と尋ねた。

 ブラフマーは「はい、そうです」と即答した。それを聞いた祐二は咄嗟に身構えた。彼はこの時既に、自分がここに来る前にどんな目に遭っていたのかを明確に思い出していたからだ。


「だからご安心ください。私はティアマト達とは違います。あなた方現人神と事を起こそうとは考えておりません」


 そんな片手に光球を生み出した祐二を前にして、ブラフマーが慌てたように声を放つ。構えを解かず、光球も生み出したまま、祐二が前を睨みつけながら問いかける。


「本当なんだろうな?」

「はい、本当です」

「証拠はあるのか?」

「それを今からお見せします」


 ブラフマーがそう言った直後、祐二の眼前に一個の光る球体が出現した。それは自分の背丈と同じ大きさを持ち、僅かに宙に浮き、淡い輝きを放っていた。

 球体がゆっくりと地面に着地する。次の瞬間、球体が音もなく砕け散り、中から一人の少女が現れた。その少女は地面に横たわり、眠っているかのように目を閉じていた。

 その少女には見覚えがあった。

 美沙だ。


「美沙!」


 祐二が名前を呼びながら美沙の元へ駆け出す。そして美沙のすぐ側まで近づいて腰を下ろし、祖のみを抱き抱える。

 身を起こされても全く動かない美沙は、一見死んでいるように見えた。しかし顔を近づけてみると一定のテンポで呼吸をしていることがわかり、そして心臓の鼓動もゆったりとしたペースで聞こえてきた。


「その者は眠っているだけです」


 ブラフマーが祐二の推測を補強してくる。美沙の状態を見る限りでは実際その通りであり、それを知った祐二は美沙の体をゆっくり地面に戻しつつ安堵のため息をついた。


「良かった。まだ死んでない」

「ご安心ください。あなたもまだ死んではいませんよ」

「そうなのか?」

「はい。土星にいた時のあなたは肉体を離れ、意識だけを電子の状態に変換させていましたからね。あなた方は神と同じく、物質的な生死の概念を超越している存在なのです」


 ブラフマーが淡々と説明する。祐二はとりあえず、「自分はまだ生きている」ということだけを理解しておくことにした。他の事柄を一々考えてたら頭がパンクしそうだった。


「確かに、それが良いかもしれませんね」


 ブラフマーが他人事のように答える。それに反論したりはせず、祐二がブラフマーに問いかける。


「それで、ここはどこなんだ? 俺達は土星にいたはずなんだが」

「ここは土星ではありません。土星での戦いに敗北したあなた方を、私がここまで運んだのです。彼らの争いの手から遠く離れた、安全な場所まで」

「そうだったのか。じゃあここは宇宙なのか?」

「宇宙、言えばそういうことになりますね。確かに宇宙ではあります」


 ブラフマーの最後の返答は、どことなく歯切れの悪いものだった。そのことを疑問に思った祐二が、相手に心を読まれる前にそれを口に出した。


「それはつまり、地球のある宇宙じゃないってことなのか? その、地球のある銀河系から離れた、別の宇宙ってことなのか?」


 自分でも何を言っているのか良くわからなかった。哲学的なことはどうにも苦手だ。

 しかしブラフマーには、彼の言わんとしていることが伝わったようだった。ブラフマーは最初に一言「いいえ」と答えた後、続けて祐二に答えた。


「ここはあなたの宇宙です。あなたの住む宇宙、あなたが身を置いていた地球の存在する宇宙なのです。あなたの故郷、あなたの世界」

「ここが?」

「そうです。太陽系第三惑星、地球の存在する宇宙です」


 ブラフマーが断言する。祐二が立ち上がり、改めて周囲を見回す。

 何もない。星の煌めきといったものは欠片も存在しない。文字通りの暗黒だ。

 それともこれが本来の姿なのか? 本に載っているような星がキラキラと輝く宇宙の姿は偽りのものだったのか?


「宇宙空間って言うのは、もっとこう、星が光ってると思ってたんだけど。違ったのか?」


 その疑問を素直に口に出す。対してブラフマーは声のトーンを明らかに落として答えた。


「もう無いんです」

「は?」

「星はもう無いんです」


 ブラフマーの声は悲嘆に満ちていた。祐二の頭の中で嫌なイメージが広がっていく。

 そんな。そんなまさか。


「神が宇宙を破壊したのです」


 ブラフマーは容赦をしなかった。祐二のなけなしの希望を完全に打ち砕いた。


「神々がすべての星を打ち砕き、破壊したのです。今残っているのは、かつて宇宙と呼ばれた無謬の空間だけ。生命の存在しない、ただの暗黒の世界だけなのです」


 気がついた時には、祐二は地面に膝をついていた。言葉では言い表せない、感情でも表現できない、どうしようもない程の喪失感が、祐二の心を満たした。

 祐二は途端に真顔になった。彼の心ではなく、その精神、遺伝子の奥底に眠る太古の地球の記憶が悲鳴を上げていた。

 その悲しみを表現する術を知らなかった。


「今この世に生きている人間はあなた方だけです」


 ブラフマーは容赦をしなかった。

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