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「土星」

 「それ」が藤原浅葱の目の前に現れたのは、ちょうど祐二達がエリスと面会していた時だった。いきなり室内に出現した「光る靄」の中から姿を現した「それ」を見た浅葱は、真っ先に浮かび上がった「それ」に対する第一印象を口にした。


「……農家の人?」


 手に鍬を持ち、首からタオルを提げ、長袖の白いシャツの上から紺のオーバーオールを身につけた「それ」は、紛れもなく農作業に従事する人間の出で立ちであった。そして浅葱が目の前に出現した農夫を男だと認識するのは、彼女が視線をあげてその顔を見たときだった。

 その視界に入ったのは、白い髭をたくわえた老人だった。顔には皺が刻まれていたが、その目には強い意志が宿っていた。


「失礼。ワダツミがティアマトを探しているという話を聞いてここに来たのだが。動いているのはあなたのワダツミかな?」


 ワダツミを守護として降ろしている人間は自分以外にも存在する。浅葱がそれに気づくのは目の前の農夫がそう親しげに話しかけてから少し経った後の事だった。


「違うのかな? また外れであったか?」

「い、いえ、違わないです!」


 そして帰ろうと踵を返した農夫を見て、浅葱は慌てて言い返した。それを聞いた農夫は再度回れ右をして浅葱に向き直り、彼女の目をじっと見つめながら言った。


「本当かね?」

「は、はい! そういうことになってます! 詳しいことはワダツミに聞いてください!」


 怯え半分、焦り半分で浅葱が返す。農夫は視線を浅葱から外してあらぬ方向に目を向ける。

 それから暫く、無言の時間が続いた。怖くて浅葱は何も言えなかったが、部屋のどこかで見えない何かが動いている事は何となく読みとれた。


「なるほど。どうやらここで合っていたようだ」


 そして数秒後、農夫は安心したように息を吐きながら言った。それから彼は再び浅葱に目を向け、静かな口調で言った。


「あなたは現人神とお知り合いなのかね?」

「は、はい。そうですけど」

「それは良かった。私はサトゥルヌス。あなたの所のワダツミが探している、ティアマトを匿っている者です」


 一瞬、浅葱は目の前の農夫が何を言っているのかわからなかった。しかしそんな事はお構いなしにサトゥルヌスは続けて言った。


「現人神にティアマトの居場所を教えたいと思い、こうしてやってきました。現人神に連絡してくれませんか?」


 浅葱はなおも何がどうなってるのか理解しきれていなかった。しかし頭で考えるよりも前に、その体は無意識のうちに動いていた。

 神に逆らってはいけない。浅葱は本能のままにメニューディスプレイを開き、祐二達にメールを送ったのだった。





「サトゥルヌスか」


 その報告を聞いたアテナは納得したように言った。そして「そいつは誰なんだ」と問いかける祐二に対し、アテナは彼の方を見ながら答えた。


「ローマ神話の農耕神だ。時を司る神でもあるな。知っているか?」

「いや、初耳だ」

「ではサターンと言ったら?」

「サターン?」


 アテナが続けて放った言葉に対しても、祐二達は首を捻った。


「なんだそれ」

「ゲーム機?」

「違う」


 見当違いの回答をした美沙に向けて呆れた視線を向けながらアテナが答える。


「サターンとはサトゥルヌスの英語読みだ。そしてサターンは土星という星につけられた名前だ」

「土星? ……あっ」


 そこで先程自分が言った言葉を思い出した祐二が、何かを閃いたように目を光らせる。美沙も同様に顔を輝かせ、そして感情のままに声を放った。


「だから土星だったのね」

「本気で土星に匿っていたのか」

「確かに地球の外ならば誰にも見つかりませんね」


 ウォフ・マナフが横から物静かに口を挟む。そしてアテナもそれに頷き、現人神二人に目を向けながら言った。


「目的地は決まった訳だな」

「まあそうなるかな」

「それで、どうやって土星に行くのだ?」


 アテナが疑問を投げかける。言われてみれば至極もっともな疑問だった。

 現人神二人は困惑した。


「え?」

「どうやって行くんだ?」

「メールの中に書かれているのではありませんか?」


 そこで再びウォフ・マナフが横槍を入れる。しかし現人神はそれを不快に思わず、素直にメニューを開いてメールを再確認した。二人は藁にもすがる思いだった。


「あ」


 そして本当に書かれてあった。メールの最下段、PSという形で記載されていた。


「土星への生き方ですが、私がそちらに赴いて直接連れて行きます。少しお待ちください」


 こっちに来るのか。それを聞いたアテナが呟く。そして次の瞬間、彼らの目の前に唐突に光の靄が出現し、そしてその靄の中から一人の農夫が姿を現した。


「サトゥルヌスか」


 それを見たアテナが声をかける。ウォフ・マナフは無言でそれを見つめ、人間二人は突然の出来事に驚きながらもその農夫を視界に入れた。

 その中でサトゥルヌスが肩に担いでいた鍬を降ろして刃を地面につけ、アテナを見ながら言った。


「現人神は何処に?」


 アテナが顔を動かし、目線で相手を指し示す。自分の後ろに対象がいることを知った農耕神は体ごと動いて祐二達に向き直り、そして目当ての人間を前にしてサトゥルヌスが言った。


「お初にお目にかかります。私はサトゥルヌス。農耕を司る神でございます」


 老いた神はとても穏やかな口調で言った。祐二と美沙は安堵を覚えた。癖の強い神だったらどうしようと身構えていたからだ。


「あなた方の事は耳にしております、現人神よ。ティアマトを探しておられるのですね?」

「ああ、そうだ」

「本当に土星にいるの?」


 頷く祐二の横で、美沙が半信半疑に問いかける。サトゥルヌスは「もちろんですとも」と即答し、そのままの調子で二人に問いかけた。


「では、今から行きましょうか」

「え?」

「どこに?」

「土星にです」


 いくらなんでも突然すぎる。まだ心の準備も出来ていない。


「ご安心を。扉を開ければすぐですよ。シャトルとかロケットとかは使いません。一瞬です」


 しかしサトゥルヌスはお構いなしに話を進めた。そして相手の反論も待たずに指を鳴らし、彼らの眼前に音もなく一つの扉を出現させた。


「さあ、これを開ければ土星です。どうぞどうぞ」


 ここに来て祐二達は、自分達が誤解をしていたことに気がついた。このサトゥルヌスとかいう神も、人の話を聞くタマでは無いのだ。

 所詮神はどこまでいっても神なのだ。


「さあお早く。こういうのは早ければ早いほどいいですからね」

「ていうか、ここから行くの?」

「そうです」

「現実世界の土星に?」


 祐二の疑問にサトゥルヌスが淡々と答える。


「そうなりますね。電子の存在のまま現実の世界に赴く。神と同じ事をすることになりますね」

「まず人間が生身で宇宙空間に飛び出したら生きていられませんからね」


 そしてウォフ・マナフがそれに続くようにして言葉を放つ。言われてみればその通りである。


「道は出来た。ならば進むだけだ」


 そしてダメ押しとばかりにアテナが声をかける。それを聞いた祐二は少し逡巡した後、心を落ち着かせるように大きく息を吐いた。


「……行こう」


 そして覚悟を決める。美沙は驚きの表情を浮かべるが、すぐにその顔を引き締めて彼の言葉に続いた。


「やるしかないわよね」

「ああ」

「……準備は出来たようですね」


 美沙と祐二が揃って扉に目を向ける。ヤケクソ気味ではあるが、その目には覚悟が灯っていた。そんな二人を見てサトゥルヌスが声をかける。


「では、お二人とも、こちらへ」


 そして扉の取っ手を握りながら、農耕神が二人を手招きする。現人神はそれに従い、アテナもまた二人の後についていく。そして祐二達の後ろについた直後、アテナはウォフ・マナフの方を向いてその善神に声をかけた。


「エリスの件は任せたぞ」

「ご安心を。壊れない程度に適当に狂わせておきますので」


 エリスは何も言わなかった。身動き一つしなかったが、歯の根が噛み合ってないような音は微かに聞こえてきた。


「では、行きましょうか」


 サトゥルヌスが最終確認を行う。三人は同時に首を縦に振る。それを見た農耕神もそれに応えるように頷き、取っ手を捻る。


「ようこそ土星へ」


 そして勢いよく扉を押し開く。

 刹那、扉の向こうから目映い光が溢れ出した。





 三人は光の中に飛び込んだ。

 この光の向こうには何が広がっているのだろうか。火星のように荒れ果てた大地が広がっているのだろうか。光の中を進みながら子供の頃に読んだ天体の本の中にあった火星の表面写真を思い出し、祐二はそんなことを考えた。

 その祐二の予想は見事に外れた。


「……え?」


 光を抜けた先に広がっていたのは海だった。三百六十度、どこを見渡しても一面真っ青の海が広がっていた。

 祐二達はその海の、水面の上に立っていたのだ。


「なんだよこれ」

「ここ、本当に土星なの?」

「地球に戻ってきたんじゃないだろうな」

「土星ですよ」


 祐二と美沙、そしてアテナまでもが困惑する中で、サトゥルヌスだけが平静を保ちながらそれに答える。そして「じゃあこれはなんだ」と目で訴えてくる祐二に対し、サトゥルヌスは前方を指さしながらそれに答えた。


「あの者が勝手に答えたのです」


 三人が農耕神の指さす先に目を向けるのと、それが水中が姿を現したのは同時だった。

 水面を突き破り、一つの巨大な影が眼前に出現する。上半身だけを水上に見せたそれは高層ビルと同等の背丈を持ち、それにふさわしい威容を備えていたが、それによって水面が荒れ狂うことも、祐二達の足下が乱れることもなかった。

 そうして全身に海水を身に纏いながら出現したそれを見て、祐二は呆然と呟いた。


「女の人?」


 それは女性の形をしていた。長い髪、線の細い顔立ち、小さいが確かに胸部に存在する二つの膨らみ、華奢な体つき。それらの特徴は全て、目の前の存在が紛れもない「女」であることを示していた。

 それが普通の人間と異なっていたのは、見上げなければ顔を視界に納めなければならないほどに巨大であったこと、そしてその全身が青銅で出来ていたことであった。


「この者がそうなのか」


 自分以上に巨大な存在を見てアテナが言葉を漏らす。その女神の言葉に答えるように、サトゥルヌスが青銅の裸婦像を見つめながら言った。


「ティアマトでございます」

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