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「争いの女神」

「そうよ。私が焚きつけたの」


 エリスはあっさりと白状した。目隠しをされ、腕を縛られた不和の女神は、現人神である祐二からの問いかけに対し即答した。少しも抵抗する素振りを見せなかったその女神を前にして、祐二と美沙、そしてアテナの三人は揃って顔をしかめた。

 ウォフ・マナフは微動だにしなかった。


「それは本当なのか?」

「もちろん本当よ。私は嘘をつくこともあるけど、こればっかりは本当のことなんだから。私がティアマトを挑発したの」


 それから、エリスは自分の行いを得意げに語って聞かせた。彼女は今より前の集まりの際にティアマトに接触し、したり顔を浮かべながらこう話しかけたのだという。


「あなた、大地母の座に戻ってみたいとは思わない?」


 それからエリスはティアマトと共に隅に移動し、そこで二人きりになったところでとても親しげな態度でティアマトに話し続けた。同じ悩みを持つものとして、ティアマトはエリスの言葉に素直に耳を傾けた。

 しかしエリスは別に、自分の口八丁でティアマトを籠絡しようとは微塵も考えていなかった。彼女とティアマトの会話もただの世間話に終始し、権謀術数を張り巡らせるようなことはしなかった。そもそも最初にエリスの放った物騒な言葉にしても、その直後に彼女の方から「なんてね。ただの冗談よ」と切り捨てていた。


「ならなぜそのようなことを言った?」

「あなたの気を引く為よ。不快に思わせてしまったのなら謝るわ」

「いや、いい。その程度で怒るほど、私は短気ではない」


 会話の内容はどうでも良かった。エリスとしては、ティアマトの気を引くだけで良かったのだ。


「あらそう? なら良かったわ。安心した」

「それで、お前はなぜそうまでして私の気を引いたのだ? 何かよからぬ事でも考えているのか」

「とんでもない。純粋にあなたと話したかっただけよ。少し物騒な物言いになったのは、あれよ。インパクト強い方が相手の気をより引けるかと思ったからよ」

「なるほど。しかし次からはあまりそういうことを軽弾みに言うものではないぞ。私はそうでもないが、気にしている者も少なからずいるからな」

「ええ。気をつけるわ」


 ティアマトの意識が完全にこちらに向き、自分との会話に没頭する。その時点でエリスの作戦は成功していたのだ。エリスは話しながら、己の神力をその言葉に乗せて相手に流し込んでいたのだ。それもティアマトに気づかれないように微量に、しかし断続的に、相手の心に影響を与え続けた。

 エリスは不和と争いを司る女神。そしてティアマトの精神を蝕んでいったのもまた、不和と争いを引き起こす力だった。

 ティアマトはそれに気づくことは無かった。海のど真ん中にスプーン一杯の砂糖を流し込んだとして、誰がそれに気づくだろうか。

 エリスは狡猾で辛抱強かった。海が砂糖で満たされるまで、彼女はその行為を粘り強く続けた。

 そして流され続けた砂糖が海の半分を支配し始めた頃には、ティアマトもその異変に気づいた。しかし気づいた頃には手遅れだった。


「いいのかしら? このまま忘れ去れても。あなたの偉業を知る人が減り続けていっても、それで満足なの?」


 エリスの言葉は段々と挑発じみた物になっていった。しかしそれに対して理性的な反応を返せるほど、その時のティアマトに冷静な精神は残っていなかった。


「あなたに信仰を捧げてくれる人はもういない。そんなことになる前に、何か行動を起こさなければいけない。そうは思わない?」

「私は……」

「言っちゃ悪いけど、もう正攻法でどうにかなる問題ではないわよ。地位を取り戻すには危険を冒さないといけない。そうしなければならない場所にまで来ているの」

「それは」


 ティアマトの心の均衡は少しずつ、しかし確実に傾き始めていた。理性がその力を無くし、自制を失った本能がその凶暴性を露わにし始めた。


「……本当にそう思うか」

「ええ。少なくとも私はそう考えるわ」

「どうすればいい?」

「それは自分で考えなさいな。でもまあ、どうするかくらいはもう見当はついてるんでしょう?」

「しかし規則がある。この集まりだって特例で認められた物だ。これ以上に神がおおっぴらに動いては」

「またそんなこと言って」


 ティアマトの最後の理性が歯止めをかける。エリスはその暴走を食い止める箍を優しく外した。


「いい? これはチャンスなのよ。あなたが元の力を取り戻し、元の信仰を得ることの出来る最後のチャンスなの。世界の理を打ち崩し、あなたが頂点に立つ。あなたが信仰を独占する」

「そんなこと、出来ると思っているのか?」

「あなたなら出来るわ」


 エリスが小さく頷く。その目は確信に満ちていた。

 それがティアマトの心にトドメを刺した。


「あなたは戦うべきよ。この世の理不尽と戦うの。地母神の誇りをかけて、勝利を掴むのよ」


 争いの女神は会心の笑みを浮かべた。





「なんでそんなことしたんだ」


 エリスの話を聞き終えた祐二は呆然とした顔で言った。美沙とエリスも同様の顔をしていた。

 エリスは動じなかった。


「面白そうだったからよ」

「え?」

「前からあの神は結構カリカリしていたからね。ちょっと火をつけてみたら面白いことになるんじゃないかなって思っただけよ」


 そして事も無げに言ってのける。祐二の表情は呆然から唖然へと変わっていく。


「そんな単純な理由で?」

「ええ」

「支配とかは考えてないのか?」

「そんな面倒くさいことするわけないじゃない。別に嫉妬とかもしてないし。私はただ楽しめればいいのよ」

「イカレてるよ」


 笑みさえ浮かべながら話すエリスを見て、美沙が小さく呟く。アテナは凄まじい形相でエリスを睨みつけ、祐二は額から冷や汗を流していた。

 ウォフ・マナフは不動の姿勢のまま一つ咳払いをした。


「まあ、愉快犯ではありますね」

「褒め言葉として受け取っておくわ」


 しかしその善神の言葉にもエリスは動じなかった。それどころか、その女神は愉快そうに唇を緩めて笑みを作り、本当に愉快そうに言った。


「でもまさか、ティアマトがここまでするとは予想外だったわね。フラストレーションが溜まっていたことはなんとなく予想できたけど、こうも爆発してくれるといっそ清々しいわね」

「おかげでこっちはえらい迷惑してるんだけどな」

「いいじゃない。少なくとも退屈はしないわよ」

「お前はそう思うかもしれないがな」


 祐二の声には諦めの色が籠もっていた。こいつにはもう何を言っても無駄だ。二人の現人神は説得が不可能であることを直感していた。


「ところで、この後こいつはどうするつもりなんだ?」


 そんな折、アテナがウォフ・マナフの方を向いて尋ねた。そして「有罪確定なのは間違いないだろうが」と続けて言ったアテナの言葉に頷いてから、その裁きの善神が答えた。


「見ての通り、この女神は普通に実刑を下しても反省はしないでしょう。ましてや彼女が力を使い、相手を懐柔してしまうかもしれません」

「まあ、さっきの話を聞く限りはな」

「何か対策は無いの?」


 美沙からの問いかけに、ウォフ・マナフは再び頷いた。そして最初にエリスを、次に三人を見てから口を開いた。


「ダゴンの元に送ります」

「ダゴン?」

「どちらのダゴンだ」

「クトゥルーのダゴンです」


 一瞬、エリスが息をのむ音が聞こえた。祐二と美沙は何かを思い出しかけたが、すぐにその思考に蓋をした。アテナは一気にその顔を暗くして「それはご愁傷様だな」と言った。


「しかし、それで反省するか?」

「反省するまでいてもらいます。最悪の場合は黒山羊の所にでも送るつもりですが」


 ウォフ・マナフは淡々としていた。アテナは眉一つ動かさずにそれを聞いていた。祐二と美沙も表面は平静を装っていたが、内心では神の言葉を聞きながら何も考えないようにしていた。

 もう発狂するのはごめんだ。


「ん?」


 祐二と美沙の脳内にコール音が響いたのはまさにその時だった。二人は同時にメニューウインドウを開き、新着メールが届いたことを知った。


「……」


 暫し、二人はその文面に注力していた。アテナとウォフ・マナフは黙ってそれを見守っていた。


「どうした?」


 そして二人がメールから視線を離して顔を上げたところで、アテナが問いかける。祐二が彼女の方を向き、軍神の目を見ながら言った。


「藤原さんからのメールです」

「内容は?」


 アテナが問いかける。祐二は一度メールに視線を戻し、文面を再確認する。

 その後再び顔を上げ、アテナに答えた。


「ティアマトの居場所がわかりました」

「どこだ?」

「土星です」


 アテナの顔から感情が消えた。どこだよそこ。無言で訴えるアテナに祐二が再び答えた。


「土星です」


 だからどこだよそこは。軍神は思考を放棄していた。

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