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「対面」

 人気の少ない街の隅に移動した後、アテナは目の前に手をかざした。その手の先に光が集まり、凝集した光はすぐさま形を変え、瞬く間に一つの扉と化した。


「この向こうにゾロアスターの世界がある。エリスもそこにいる」


 アテナの言葉を聞いて、祐二と美沙は揃って息をのんだ。新天地に赴くのはいつだって緊張するものだ。


「そう身構える必要はない。スプンタ・マンユの納めるかの地は善性に満ちた場所だ。少なくとも

お前達に危害を加える者は存在しない」


 そんな二人の様子に気がついたアテナが声をかける。軍神としてはアドバイスのつもりだったが、それで肩の力を抜けるほどこの現人神二人は単純な思考をしていなかった。

 そんな一向に緊張の解けない二人を見てアテナは小さくため息をついた。そんなことでは胃に穴があくぞ。続けて指摘したくなったが、その言葉を喉から出しかけたところで止めた。これ以上無駄話に時間をかけるのも無駄だ。


「行くぞ。私の後についてくるんだ」


 扉の取っ手を握りながらアテナが問いかける。祐二と美沙は揃って頷き、それを肩越しに見たアテナは手に力を込めた。


「さあ気合いを入れろ。光の世界だ」


 そして自分に言い聞かせるように言葉を放ち、一息に扉を開けた。





 扉の先に広がっていたのは、白い空間だった。


「え?」


 中に入った二人の人間は無意識のうちに呆然とした声をあげた。何も無かったからだ。


「ここが、え? そうなの?」

「真っ白だ。真っ白しかない」


 果てしない白の空間。それが今祐二達のいた場所だった。道も、家も、城も無い。海も大地も、地平線も。何もかもが無い。明確に「ここにある」と認識出来るのは「地面」だけだ。しかしその地面さえもが周囲と同じく白に染められ、風景と同化し、どこか「地面」でどこが「空」なのかすらわからなかった。

 境界が見えない。どこがどうなっているのかわからない。圧倒的なスケールが五感に襲いかかる。理解できない世界を前に脳が悲鳴を上げる。いるだけで目眩がしてきた。


「ウォフ・マナフ!」


 その中で、不意にアテナが叫んだ。突然のことに現人神達はいきなり教師に怒鳴られた生徒のように肩を震わせたが、そんな人間達の感情などお構いなしにアテナが続けて言った。


「現人神と共に来た! エリスに会わせてもらいたい!」


 その声は反響しなかった。空に向かって叫んだ時と同じように、声が彼方へ飛んでいった。ここは思っていた以上に広いようだ。

 そんなことを頭の片隅で考えていると、彼らの目の前に一つの物体が現れた。それは白い地面を水面のように揺らし、その中から地上へと浮き上がってきた。


「お久しぶりです、アテナ。わざわざご足労いただき、恐縮です」


 それは人の形をした金色の光だった。背丈はアテナと同じくらいで、胸の位置に一際強い輝きを放つ小さな光球があった。祐二はつい最近自分を発狂させたクトゥルーの神を思い出した。


「そちらの方々が現人神ですね? ようこそいらっしゃいました」


 そんな彼らに対して、光る人間が声をかける。思考を中断して祐二が「ああ」と答えると、ウォフ・マナフと呼ばれたその光は頭を下げながら言った。


「お初にお目にかかります。私はウォフ・マナフと申します。この世を統べる善性の一つにして、裁きと公平を司る者であります」

「他の神は?」

「別件で出払っております。ここにいるのは私だけです」

「善性っていうのは?」

「絶対的な正義の象徴として太古の人間が生み出した存在だ。それから彼と同じように別の視点から正義を司る者は他にも存在する」


 ウォフ・マナフの自己紹介に併せてアテナが補足をする。それを聞いた祐二達はとりあえず「善い神様なんだな」と認識した。


「その考えで大丈夫かと存じます」


 そのことを尋ねると、ウォフ・マナフもそれに同意した。それからウォフ・マナフは「我がゾロアスターの系譜について説明しましょうか?」と提案したが、それはアテナの方からやんわりと断った。


「すまないが、早速本題に入りたい。エリスは今どこにいるんだ?」

「そうですか。ではこちらへ。彼の者の所へ案内しましょう」


 少し残念そうに声のトーンを落としながらウォフ・マナフが言葉を返す。それから彼はその場に跪き、地面に向けて手をかざす。

 次の瞬間、彼の目の前にあった地面が奥にスライドし、地下へ続く階段が姿を現した。その階段も白く塗られ、両脇の壁が白く発光していたために照明の類も存在していなかった。


「こちらへ。下の階層にエリスがおります」


 そう言いながらウォフ・マナフが立ち上がり、階段を降りていく。アテナが無言でそれに続き、それを追いかけるようにして祐二と美沙が階段を降り始める。質問する猶予は無かった。

 階段は螺旋状に延びながら下へと続いていた。壁が発光していたために外と同じくらい明るかったのだが、壁が近いことによる閉塞感はしっかりと感じられた。しかしむしろ、それまで何もかもが広すぎる空間の中にいたために混乱していた祐二達としては、その狭苦しさはむしろ心地よかった。


「どうして地下に幽閉したんだ?」

「地上は我々善なる者の住む場所。罪人をそこに置くことは躊躇われたのです」


 白い階段を降りる最中、アテナがウォフ・マナフに問いかける。対して公平を司る神は、こともなげにそう言い切った。


「悪しき波動によって善性が損なわれるのは悲劇としか言いようがありません。上位者たる我々がそうならぬよう、しかるべき措置を取っているのです」

「でもそれって臭い物に蓋って理屈じゃ」

「駄目な物は駄目なのです」


 後ろから控えめに問いかけた美沙にウォフ・マナフがぴしゃりと言い放つ。それを聞いた祐二は一瞬顔をしかめ、すぐに表情を元に戻して前を行くアテナに尋ねた。


「随分デリケートなのな」

「正義という概念自体が曖昧で変わりやすいものだからな。自分の善性が他人のせいで塗り替えられるというのも、あながち冗談ではない話なのだ」


 アテナの返答を聞いて、祐二はわかったようなわからないような複雑な気分になった。しかし安易に結論を出してはいけないということは良くわかった。

 それから彼らは暫くの間、無言で階段を下り続けた。そしてやがてウォフ・マナフが足を止め、それに続くように女神と現人神も立ち止まる。


「この扉の先にエリスがおります」


 そう言うなり、人の形をした光はゆっくりと眼前の扉を開けた。扉の先もまた真っ白な空間だった。地上と全く同じ光景であり、祐二は再び目眩を覚えた。


「こちらにエリスがおります」


 そんな祐二をさしおいて、中に入ったウォフ・マナフがその空間の一角を指さして言った。それに続けてそこに入った三人が同時にその指さす方へ目を向けると、確かにそこには一人の女性があぐらをかいた姿勢で鎮座していた。


「エリスか」


 アテナが小声で問いかける。ウォフ・マナフは無言で頷いた。


「彼女の周囲には不可視の壁が展開されております。逃げ出す心配はありません」


 そしてエリスを見ながらウォフ・マナフが淡々と説明する。その言葉を聞きながら、三人はゆっくりとエリスの元へ近づいていった。

 やがて見えない壁が額と接触する。先頭に立ってそれを感じ取ったアテナはそこで足を止め、後ろの二人も続けて立ち止まった。

 壁から意識を外してエリスに注目する。不和と争いの根元たるその女神はサンダルを履き、絹のドレスを身にまとい、小さな王冠を戴いていた。腰まで届く長い髪は手入れが行き届いており、肌もまた若々しく水気を保っていた。

 そしてその見目麗しい女神は両手を後ろで縛られ、足首に鎖付きの重石をつけられ、目隠しをされていた。


「まるで囚人だ」

「実際囚人だからな」


 素直な感想を述べた祐二にアテナが返す。そのままアテナは不可視の壁に手を置き、エリスをまっすぐ見つめながら声をかけた。


「エリス。聞こえているか」


 その声にエリスが反応する。ひどく緩慢な動きで顔を上げ、目隠し越しにアテナを見つめる。


「私の声を忘れたとは言わせんぞ」


 アテナが鋭く言い放つ。ウォフ・マナフは直立不動を保っていたが、祐二と美沙は思わず肩を震わせた。

 そしてそれを聞いたエリスは、口元を緩めて不敵に笑った。


「忘れるわけ無いでしょ」


 嘲るようにエリスが言い放つ。アテナはなおもエリスを鋭く射抜くように見つめる。そしてエリスもまた、不遜な態度を保ったままアテナを見据えた。


「そこにいるんでしょアテナ? だったらこの縄解いてくれないかしら」

「断る」

「つれないわね。少しくらい優しくしてくれたってバチは当たらないわよ?」

「貴様にくれてやる優しさはない」

「軍神様も以外とお堅いのね。そんなんじゃ彼氏出来ないわよ?」


 エリスとアテナが互いに言葉をぶつけ合う。両者とも感情を交えず、その会話は酷く淡々としていた。しかしその言葉の端々からは隠しきれないほどの殺意が滲み出ていた。


「いい加減死ねよ」

「死ぬのは貴様の方だ」


 人間二人は生きた心地がしなかった。

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