「悪魔側」
「アザゼルちゃーん! 会いたかったわー!」
天使の陣営を抜け出した祐二達は、その後パラケルススの案内で悪魔の本隊が陣取っている建物の中に来ていた。そこは誰も使っていない雑居ビルの一つを丸ごと改装したものであり、一応補修はされていたが、それでも壁や天井には小さな亀裂があり、中には剥き出しになった鉄骨がそのまま放置されていたりもしていた。
「ああんもう! アザゼルちゃんてばおめかしなんかしちゃって! 本当可愛いんだから! 食べちゃいたい!」
そしてそのビルの最上階。入口の扉に「司令官の部屋」と書かれた部屋の中で、祐二達は現在悪魔達を束ねている一体の悪魔と顔を合わせていた。
「なんてこんなに可愛いのかしら! あの頃から本当に変わってないんだから! お姉さん嬉しいわあ!」
「ちょっ、やめ、お願いやめて! 本当止めてほしいッス!」
正確には、その悪魔の軍団長がパラケルススに絡んでいる様を黙って見届けていた。最初に扉を開けて中に入ったパラケルススの姿を見たその悪魔が部屋の奥から彼女に飛びかかり、相手の抵抗を許さぬまま首根っこに両腕を巻き付けてそのまま部屋の中に引きずり込んでいき、それを追いかけた人間二人の目の前で今の光景が繰り広げられていたという訳である。
「アザゼルちゃんどう? この後一緒にお食事とかどう? もちろんその後ホテルに泊まって、朝まで帰らないコースとか?」
「嫌ッス! お断りッス! 人の純情を弄んだ奴とホテルとか死んでも嫌ッス! この変態! 両刀! 強姦魔!」
「んもう、つれないわねえ。それに純情を弄んだって、あなたの男をちょっと味見しただけじゃない。あなたの初めてはちゃんとその人に捧げたからノーカンよ」
「人の男寝取っておいて何言ってるんスか! ちくしょう、だからここには来たく無かったんスよ!」
青い肌と銀の長髪を備えた長身の悪魔に後ろから抱きつかれながら、パラケルススが声を張り上げて暴れ出す。あの飄々とした悪魔がここまで動揺していたのは初めてだった。あまりに物珍しい光景だったので、祐二と美沙は止めに入ろうとはせず、黙ってそれを見ていた。
「ちょ、ご主人! ご主人様助けて! このままだとあたし襲われちゃう! レズ悪魔に襲われて大切な物無くしちゃうッス!」
その内幾分か平静を取り戻したパラケルススが自分と一緒に来ていた者の存在を思い出し、視線もそちらに向けながら救援を請う。それを聞いた祐二はさすがに無視も出来ず、視線をパラケルススに向ける。
パラケルススに抱きついていた悪魔が祐二達の存在に気づいたのはそれとほぼ同時だった。
「あら?」
腕に力を込めたまま、青い肌の悪魔が祐二達に顔を向ける。金色の瞳が祐二達に向けられ、その視線を受けた二人もまたその意識を青肌の悪魔に移した。
「あなた達人間? ここに直接来るなんて珍しいわね。どちら様かしら?」
そして目を見開き、純粋に疑問の声をあげる。サンダルフォンの時と違い、そこに敵意は籠もっていなかった。
良かった、こっちは話が進みそうだ。安堵を覚えながら祐二が悪魔に自己紹介し、続けて美沙も同じように自分の名前と肩書きを告げた。
「え?」
そして彼らの肩書き、現人神という名前を聞いた直後、その青肌の悪魔は目の色を変えた。
「まさか、あなた達があの? 本物なの?」
「今手持ちの証拠は無いけど、一応そういうことになってる」
「本当ッスよ。それでついでに言うと、こっちの安藤祐二はあたしのご主人様ッス」
抱きつかれていたパラケルススが背後の悪魔に声をかける。その目は勝機を得たとばかりに輝いていた。
「言い忘れてたけど、今のあたしは現人神様のしもべッス。さあ離すッス。はやくしないとあたしに代わって、現人神様が天誅を下すことになるッスよ!」
完全に勝った気分になってパラケルススが言い放つ。そして実際に、彼女を抱きしめていた青肌の悪魔は自身の両腕の力を抜いていった。
「一つ聞かせて」
そしてパラケルススが自力で拘束を解けるまでに力を抜いた所で、不意にその悪魔が声をかける。すんでのところで質問されたパラケルススは脱出を中断し、青肌の悪魔の腕に手をかけたままそれに反応した。
「なんスか?」
「つまり今のアザゼルちゃんは、こちらの現人神様に従っていることになるの?」
「そうッスよ」
「何をするにもこの人の許可がいる?」
「もちろんそうッス」
「そう、そうなのね」
悪魔が目を細める。両腕から力を抜き、パラケルススを完全に解放する。それを知ったパラケルススは腕をふりほどいて全速力で抜け出し、天使の時と同じように祐二の背中に隠れる。しかし今の彼女は完全に怯えていた。
後に残ったのは青肌の悪魔ただ一人。その悪魔は目を細めたまま微動だにしなかった。その目はまるで獲物を見定めた猛禽のようにギラついていた。
「な、なんだよ」
背筋に寒気が走る。
嫌な予感がした。
祐二がそう直感した刹那、眼前で悪魔が土下座した。
「……え?」
迷いのない迅速果敢な動きだった。額を地面に押しつけ、見事なほどに謝罪の体勢を作りながら、よく通る声で悪魔が続けた。
「現人神様! お願いがあります!」
「う、うん。なに?」
「アザゼルちゃんを私にください!」
「……は?」
「アザゼルを寄越せ! 違う! その子を私にください! お願いします!」
意味が分からなかった。祐二と美沙は揃って目を点にして、パラケルススは本気で嫌そうな表情を浮かべていた。
数分後、落ち着きを取り戻して立ち上がったその悪魔はシェムハザと言った。人間を愛して堕天した天使の一団「グリゴリ」の一人であり、アザゼルとは昔からの仲間であった。
「そして愛を許容するあまり変態性癖に目覚めた変態ッス」
「変なこと言わないでちょうだい。私は全ての愛を受け入れようとしているだけなのよ」
横から口を挟むパラケルススにシェムハザが口を尖らせる。その後でシェムハザは改めて現人神二人に向き直り、真面目な表情を浮かべて彼らに尋ねた。
「それで、二人は今日は何の用でここに来たのかしら?」
その問いには祐二が答えた。こちらに逃げ込んだティアマトという名の神を探していること、ここに来る前にティアマトの捜索を天使に依頼したら失敗したこと、そして向こうが駄目だったのでこっちに同じ頼みをしに来たことを、目の前の悪魔に順番に話していった。
「それくらいならいいわよ」
全て聞いたシェムハザは即答した。あまりにも即断即決であったので、今度は祐二達の方が面食らった顔を作った。
「本当にいいのか?」
「もちろん。喜んで手伝うわ」
「でもさっき、天使のいたところを襲ってたような」
「それはそれ、これはこれよ。確かにそっちも重要だけど、現人神様の頼みも大事そうだし。困っていることは放っておけないしね」
「そうなのか」
結構いい悪魔じゃん。そう思った祐二は、次の瞬間に軽く後悔することになった。
「まあその代わり、私の頼みも聞いてほしいんだけどね」
そうだよな。相手は悪魔だもんな。祐二は自分の軽率さを呪った。そもそも無償で相手の困り事に手を貸すこと自体、普通はあり得ないのだ。獲物を見定めるように目を細めるシェムハザを見ながら祐二が思った。
「それで、俺に何をしてほしいんだ」
そうして覚悟を決めながら、祐二が改めてシェムハザに問いかける。青肌の悪魔は小さく笑い、そして視線をパラケルススに向けながら言った。
「この子と結婚させて」
「それならいいよ」
「えっ!?」
今度は祐二が即答する番だった。パラケルススはあからさまに驚愕し、シェムハザは手を叩いて喜んだ。
「じゃあ頼んでいいかな」
「もちろん! 任せといて。捜索チームを組むからちょっと待っててね」
「ちょっと待って! 待って! あたしの意志は!」
「なんとか耐えてくれ」
「そんな!」
アザゼルが血の気の引いた顔を浮かべる。少し気の毒に思ったが、他に選択肢が無かったのも事実だった。
「食われる! あたし食われちゃう! SMの領域なんかに目覚めたくない!」
「がんばってくれ」
「殺生な! ご主人様それは勘弁してくれッス!」
パラケルススの言葉が背後から続けて響くが、祐二はそのいずれにも耳を貸さなかった。美沙も美沙で祐二を引き留めようとはしなかった。
二人も大分非情になってきていた。