「天使の交渉」
現実世界に戻った祐二達は途方に暮れていた。神々でさえ行方の掴めていない神を、いったいどうやって探せばいいのだろうか。部屋ごと水中に沈み、口や鼻から気泡を出しながら、互いに意見を出し合っていた。
「これどうする?」
「実際お先真っ暗だよな」
ログアウト後、祐二の私室に再び集まった三人は互いに表情を暗くしていた。ちなみにパラケルススもこの場におり、彼女は現人神二人に駄々をこねて無理矢理今回の異変のあらましを聞いていた。何も知らない者からすれば非常に突飛な話であったが、それを「非現実的である」と一周してしまうほどパラケルススは無知ではなかった。
そうして情報を共有した三人は時子が差し入れとして持ってきた菓子に手をつけ、窒息など眼中にないと言わんばかりに口からゴボゴボ空気を吐き出しながら、陸地にいた時と変わらない調子でのんびり会議をしていた。
「八方塞がりじゃないッスか」
「少なくとも人手は足りないよな。全然足りていない」
「地道に聞いて回るっていうのも使えないしね」
相手は神だ。人の目に見えない物を人に聞いてもわかるわけがない。これは地味にハードルが高いぞ。同じ事を考えた三人は揃って険しい顔をした。
「人手が足りないなら借りればいいんじゃないスか?」
その内、パラケルススが思い出したように声を上げる。祐二と美沙は顔を上げ、その提案をした悪魔に視線を向けた。
「何かいい考えがあるのか?」
「一応あるッスよ。確実に成功するかどうかはわからんスけど」
「とりあえず教えて。詳しいことは後で考えましょうよ」
「わかったッス」
美沙に促され、パラケルススが腹案を話して聞かせる。それを聞いた現人神二人は最初難しい顔をした。
「それ、上手く行くのか?」
「上手く行くかどうかはご主人様達次第ッスね」
「自信ないなあ」
祐二の疑問に他人事のようにパラケルススが答え、その横で美沙が浮かない表情を浮かべる。そんないまいち乗り気でない現人神に対し、パラケルススは差し入れの大学芋を口の中に放り込みながらわざとらしい口調で言った。
「なんスかなんスかー? 天下の現人神様が尻込みしちゃってるんスかー?」
「怖いもんは怖いんだよ」
「別に大丈夫だと思いますよ? そりゃまあ人の話を聞かない大天使もいるッスけど、あっちの方はそんな狭量じゃないッスよ。多分」
「多分ねえ」
「まあ物は試しってことで。一回やってみたらいいじゃないッスか。いざとなったら現人神パワーでどうにかすればいいだけの話だし」
「好き勝手言いやがって」
どこか楽しげに話すパラケルススを前にして、祐二が呆れた表情を浮かべる。しかし彼は同時に、今の段階ではそれ以外にとれる方法がないことも理解していた。
だったら取るべき道は一つだ。悩む前に動け。祐二はそう考えた。
「でもまあ、やるしか無いよな」
「他に案も無いしね」
そしてそれは美沙も思っていたことだった。悩む前にまずは行動を。自分と彼女は結構馬が合うのかもしれない。祐二は美沙の言葉に頷きながらそう思った。
そうして二人は、悪魔の甘言に乗ることにしたのだった。
「それで、私の所に来たと言うわけか」
三十秒後、三人は孤児院一階のリビングの隅で一人の天使と対峙していた。そこは右側に据えられた窓越しに小さな中庭が臨める場所であり、その中庭では時子と子供達が遊んでいた。そこも孤児院同様に真っ青な水の中に沈んでいたが、それでも子供達は気兼ねなくはしゃぎ回っていた。いつもより元気そうですらあった。
そんな和やかな光景を見ながら、その赤い鎧を身にまとった大天使は静かな口調で問いかけた。三人の先頭に立った祐二が頷きながらそれに答える。
「お前の力を貸してほしいんだ。正確に言えば、お前達の力を」
「神を探すために天使の力を借りるというわけか。大胆なことを考える」
「駄目か?」
「私の一存ではなんとも言えん。彼らは私の統率下にあるわけではないのだ」
大天使ウリエルはそう言って、祐二達の方に向き直った。かつてゲーム中で罪を犯し、その贖罪のために地上に降り、今は榊時子の守護となっているその天使は、自然な動作で腕を組んで祐二達と相対した。
「紹介状くらいならば書けるが、はたしてそれで彼らが動くかどうか。正直言って見当つかん」
「大天使の口添えがあっても無理なの?」
美沙からの問いかけに、ウリエルは「タイミングが悪い」と言って首を横に振った。
「今、天使と悪魔の間で緊張状態が続いている。この水没の原因を互いに押しつけあって、邪魔者を一掃しようとしているのだ」
「だからそれの準備に忙しくて、こっちに構ってられる余裕はない?」
「そういうことだ。平時ならばこちらから働きかけて強引に動かすことも出来ただろうが、今はそうもいくまい。そもそもそれ以前に、今の私はその権限も剥奪されている。実際に動かす力はない」
外様の天使一人でハルマゲドンは止められない。ウリエルは断言した。しかしここまで来て空振りでは終われないとばかりに、美沙が強い口調でウリエルに言った。
「じゃあ、せめてそこで指揮してる天使の名前を教えてよ」
「なんだと?」
「あなたの紹介状を持って、その天使に直接掛け合えば、もしかしたらなんとかなるかもしれないでしょ?」
「むう」
ウリエルは渋い顔をした。その表情が何を意味するのか、祐二達は掴みかねていた。
「とりあえずやってみたらいいじゃないスか」
そんな時、それまで黙っていたパラケルススが不意に声をかけた。三人の視線が一気に悪魔に集まり、そしてウリエルが不快そうに片眉を吊り上げる。
「堕天使の指図は受けぬ」
「まあまあそう言わずに。どうせ人間にあいつの説得は出来ないだろうとか考えてるんでしょ? そんなやる前から決めつけてどうするんスか」
「お前に何がわかるのだ」
「別にやるのはこっちじゃないッスよ。実際に説得するのは現人神の方ッス。悪魔じゃなくて人間様のお仕事ッス」
パラケルススがさらりと言ってのける。この野郎。事実は事実だがもう少し言い方ってものがあるだろう。
「それに話し合いをするのは現人神。普通の人間がするよりもずっと成功確率は高い。それに」
一方でパラケルススはそこまで言って、上目遣いでウリエルの顔を覗き込んだ。その顔は不敵ににやついており、嫌でも相手の気を引いた。
「……なんだ?」
そしてウリエルもその例外では無かった。完全に悪魔のペースだった。
天使からの反応を受け取ったパラケルススはニヤリと笑ってそれに答えた。
「ここで現人神に恩を売っておいて損はないと思いますよ」
「なんだと」
「早く天界に帰りたいでしょう?」
刹那、ウリエルの顔色が変わった。髪が逆立ち、目が見開かれ、眉間に幾筋も皺が刻まれる。その表情は一瞬で怒気をはらんだものになり、まさに鬼神の如き形相となった。眼前で鬼の姿を目の当たりにした祐二達は腰砕けになりそうだった。
しかしそれは一瞬のことだった。しばらくして怒りの気配は次第に薄れていき、すぐにいつもの通りの冷静な顔に戻った。
「本気で言っているのか」
そして震える声でウリエルが返す。努めて冷静さを保とうとしているのがよくわかった。祐二達は生きた心地がしなかったが、パラケルススは涼やかな顔をしていた。まさにどこ吹く風であった。
「もちろん本気ッスよ」
「そんな言葉に私が乗るとでも?」
「嫌だなあ。別に悪い道に誘惑してる訳じゃないッスよ。ただちょっと提案をしているだけッス。清廉潔白も大事なことッスけど、目の前のチャンスを不意にするのも愚かなことッスよ?」
恐れ知らずの悪魔が口八丁で語りかける。それを聞いていた天使は苦い表情を浮かべていたが、その内、やがて肩から力を抜いた。
それまで纏っていた殺気も同時に消えていく。そして彼はおもむろに懐から紙片を取り出し、その上で指を滑らせながらおもむろに口を開いた。
「サンダルフォンだ」
「え?」
「今天使をまとめている者の名だ。そ奴に会うといい」
そう言ってからウリエルが手にしていた紙片を祐二に手渡す。そして再び視線を中庭に向け、そちらを見ながら三人に言った。
「お前達の立場とそれを使えば、話くらいなら聞いてくれるだろう」
祐二が視線を紙片に向けて落とす。この時、彼の脳内では一つの疑念と不審がわき上がってきていた。
「サンダルフォンって誰だよ」
なぜか今になって、「地味神の集い」という言葉が脳裏をよぎる。まさかとは思うが。
嫌な予感しかしなかった。