「神の集い」
アムピトリテにはすぐに出会えた。なぜか水中でも使えるパソコンからゲームにログインし、そこから氷河の街に向かい、その中に建っている一般的にはただのオブジェクトとして存在していた建物の中に入り込めば、そこはもう彼女がいるであろうポセイドンの宮殿の中であった。
アムピトリテはそこにいた。ポセイドンの妻である彼女は裾が波打つようにひだのついた白いローブを身にまとい、肩まで届く金色の髪もまた同様にウェーブがかかっていた。目鼻立ちはハッキリとしておりながら柔和な表情を浮かべており、見る者に母性と聡明さを感じさせた。
しかしその手順を踏んでポセイドンのいる玉座の間に到達した現人神二人は、今はそのアムピトリテではなく、彼女の横にいたもう一人の海神の方に意識を向けていた。
「おお、よく来たな。現人神よ、我がポセイドンの宮殿によく参られた。今日はいったい何用だ?」
アムピトリテの真横、玉座に座るスクール水着を身につけた幼女が元気よく声を出した。その幼女こそがアムピトリテの夫、海神ポセイドンその人である。
姿形こそ大きく変貌していたが、祐二と美沙はその雰囲気から相手の素性を察した。同時に彼らは揃って呆れた表情を浮かべた。
「またその格好になってるのか」
「今回はきちんと手順を踏んだぞ。プレイヤーが
投稿したイラストの姿になっているのだ。業深なプレイヤーもいるものだな」
かつて自分の姿を勝手に変更したことを思い出した祐二が呆れた声を出し、対してポセイドンは得意満面な顔を浮かべて堂々と言い返した。美沙は「そんなにコスプレが好きなのかしら」と目を細めて幼女を見ながら呟き、アムピトリテは申し訳なさそうに目を伏せた。
「ポセイドン様がまた何かなさったのでしょうか?」
そして控えめな調子でアムピトリテが尋ねる。祐二はすぐに顔色を改めて首を横に振り、今日はポセイドンに用事があって来たのではないことを告げてからアムピトリテに言った。
「今日はあなたに用があって来たんだ」
「私にですか?」
「ええ。ちょっと探してる神様がいてね。それについて聞きたいことがあるのよ」
美沙が補足するように返す。それを聞いたアムピトリテは、伺いを立てるように一度ポセイドンに顔を向ける。
スク水幼女、もといオリュンポスの海神は妻の方を向き、無言で頷いた。それを見たアムピトリテは夫の方を向きながら小さく頭を下げ、それから視線を現人神の方に向き直してから彼らの元へ歩いていった。
「それで今日は、私にどのようなご用件でしょうか?」
そしてアムピトリテは祐二達に近づいてからそう尋ねた。声色に非難の色はこもっておらず、純粋に疑念だけが含まれていた。
「ティアマトって知ってる?」
そして美沙もまどろっこしいことはせずに、ストレートに本題に入った。直後、アムピトリテは一瞬だが眉間に皺を寄せた。後ろでそれを聞いたポセイドンもまた、不機嫌そうに片眉を吊り上げた。
ああ、これは何かあったな。海神夫婦の態度の変化を見た祐二は直感した。そして祐二の直感通り、アムピトリテが「やっぱり」と言いたげな顔で答えた。
「あの者に何か用なのですか」
「うん、まあちょっとな」
「今現実の世界で何が起きてるか知ってる?」
「日本という国が丸ごと水没したのですよね」
アムピトリテは即答した。知っているなら話は早い。
「その件にティアマトが関わってるらしくてさ。ちょっとそっちの方に話を聞きたかったんだけど、雲隠れしてるみたいなんだ」
「それで私の所に話を聞きに来たと?」
「そういうことになるわね」
「なるほど」
美沙の返答を聞いてアムピトリテは納得したように頷いた。続けて祐二が「知ってるのか?」と問いかけると、ポセイドンの妻は渋い表情を浮かべながら首を縦に振った。
「じゃあどこにいるのか教えてくれないか」
「残念ながらここにはおりません」
「え?」
「あの者は今現実世界におります」
一瞬、意味がわからなかった。アムピトリテは続けて言った。
「神々のルールを無視して神の力を使い、直接現実世界に移り住んでいるのです」
「えっ?」
「それいいのかよ」
そして言葉の意味を理解した二人は顔をしかめた。前にガイアから聞いた話では、神は信仰無しに人間の世界に直接出現してはいけないということになっていたはずだ。
「そのルールを破ったってことか」
「そうなりますね」
「さすがにマズいだろ。そんなことしたら他の神も黙ってないだろ」
「もちろんだ。見つかればタダでは済まんだろうな。それに現実問題として、ティアマトが現出したことによって日本は丸ごと水没していることだしな」
それまで黙って話を聞いていたポセイドンが玉座に座ったまま答える。そして人間の視線が自分に向かった所で、ポセイドンが続けて言った。
「もっとも向こうに逃げ込んだ時は、ティアマトはそんなこと考えもしなかっただろう。自分が強引に世界に出たことで何が起きるかなど想像すらしていなかったに違いない。なにせ転移する直前の奴は頭に血が上っていたからな」
「なんでそんな詳しいんだ」
「向こうに行く前にここにいて、あ奴から愚痴を聞いていたからな」
ポセイドンがさらりと言ってのける。初めて聞く情報だった。
「ガイアはそんなこと言ってなかったぞ」
「おそらく向こうも頭に血が上っていて、ティアマトがどこにいるのか冷静に把握することが出来なかったのだろう」
「どういう意味だ」
「言葉の通りだよ」
意味がわからなかった。不審げに顔をしかめる祐二と美沙にアムピトリテが言った。
「そもそもティアマトが現実の世界に向かったのは、彼女がガイアと喧嘩をしたからなのですよ」
「え?」
視線と意識をアムピトリテに向ける。現人神からの視線を受けた女神は二人に答えた。
「こちらに逃げ込んできたティアマトがそう言っていたのです。自分の要求を通そうとしてガイアと口論になったと。それが原因なのだと私達は考えています」
「なんでここに……いやその前に、喧嘩の内容は何か知ってるのか?」
「それも聞きました。簡単に言いますと、どちらが母としてふさわしいか、ということですね」
ティアマトはメソポタミアで信仰されていた大地母神であり、その地域の人々からは万物の母として崇められていた。そしてその「母」としての性質は、ガイアとほぼ同じものであったのだ。
「メソポタミアの神話では、人間の住む世界は神によって殺されたティアマトの死体から作られたとされています。自己犠牲、とは少し経過が違うのですが、人々のためにその身を捧げたという部分は真実なのです」
「ティアマトはそれを理由に、ガイアに運営トップの退任と交代を迫ったのだ。自分はまさに文字通り世界の礎となった、自分こそが万物の母にふさわしいとな。もっともガイアに言い負かされたそうだが」
アムピトリテとポセイドンが続けて言った。祐二達は謎が一つ解明されると同時に、また別の謎が浮き上がってきたことを自覚した。
「それで、じゃあなんで負けたティアマトがここに来たんだ?」
「それはここがその時の地味神の集合場所になっていたからだ」
「なにそれ」
地味神の集合場所、という聞き慣れない言葉を耳にした美沙がポセイドンに尋ねる。ポセイドンは「ただのサークルだよ」と返し、そのまま言葉を続けた。
「一言で言えば、マイナーな神々の集まりだな。他のメジャーな神の影に隠れて、いまいち信仰の溜まらない神が一同に会し、不満や愚痴をこぼしあう。そういう集まりなのだ」
「なんか、凄い人間くさいわね」
「それはそうだ。神を作ったのは人間なのだからな。人間くさくて当然だ」
美沙の呟きに答えた後、ポセイドンはなぜこの場所がそんな「地味神の集い」に使われているかについても説明した。理由は至極単純で、自分の妻がそのサークルのメンバーだったからであった。
「お前達も直接顔を合わせるまで、アムピトリテなどという神の存在は知らなかっただろう?」
ポセイドンが茶化すように問いかける。本人を目の前にしておきながら、二人は何も言い返せなかった。まったくもってその通りだったからだ。そんな現人神の反応を見たアムピトリテは諦めたようにため息を吐き、ポセイドンは気にすることなく話を続けた。
「そしてティアマトもまた、そのサークルのメンバーの一人だったのだ」
「え? 大地母神なのに?」
「大地母と崇められたのはもう昔の話だ。今あ奴のことを詳しく知っている者など、そうはおらんよ」
「時の流れとは残酷なものなのです」
アムピトリテが再び諦めたような顔を浮かべ、ため息混じりに言葉を放つ。それを見た二人は凄くいたたまれない気分になった。
「その集まりの中で、ティアマトはその喧嘩の一部始終を話して聞かせていたのだ」
「なるほど、それで」
「しかし、その時の奴はひどく憤慨していた。それこそ文句を垂れるだけでは飽きたらず、実力行使に出るほどにな」
「そういうことだったのか」
やっと線が繋がった。祐二達はここに来て事の全容を把握することに成功した。その満足感を覚えたまま、祐二がアムピトリテに言った。
「じゃあつまり、ティアマトはヤケクソで現実世界に渡ったってことなのか」
「おそらくはそうなるでしょう。子供が駄々をこねるのと同じで、目的も何もない衝動的な行為だと思われます」
「なるほどね。よくわかったわ」
「じゃあ後は現実世界でティアマトを捕まえるだけか」
そして決意も新たに美沙と祐二が声を放つ。それから彼らはポセイドンの方を向き、なんとはなしに質問をぶつけた。
「それで、今ティアマトがどこにいるのかわかるか?」
「知らん」
即答だった。目を点にし、鳩が豆鉄砲食らったような顔を浮かべる現人神二人に、ポセイドンが続けて言った。
「どこに行ったかまでは知らん。そこはお前達で調べてくれ」
根本的な部分は全然わかっていなかった。