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「フィッシュ」

 祐二が正気を取り戻した頃には、既にガイアが事態の収拾に乗り出していた。そもそもダンジョンで力尽きて魚化するプレイヤーの大半が、祐二達と同じようにダゴンの「本性」を知り、精神的にノックアウトされたのが原因であったのだ。


「なんでそれすぐに修正しなかったんだよ」

「本格的に発狂したのはあなた方が初めてだったからですよ」


 殻を破って「中身」を見た場合、普通ならばそこで気を失って終わる。夜会用の赤いドレスを着こなしたガイアは、ログインした祐二のマイホームの中で彼にそう説明した。なおここには祐二だけがおり、他の面々はまだ回復こそすれど、万全の状態までは立ち直りきっていなかった。

 閑話休題。とにかくダゴンを見たことで意識を無くし、それぞれの設定した復活地点で目を覚ますのが、それまでの通例だったのだ。現実世界でも意識を失って病院送りになり、さらにそこから発狂するなど今までありえなかったのだ。


「じゃあ俺達はなんでそうなったんだ?」

「現人神、もとい顔見知りとの戦いだったので、つい力が入りすぎたそうです」


 ふてくされる祐二にガイアが答える。どうやら祐二が病院で喚いていた時に、既にダゴンから話を聞き出していたらしい。

 ちなみに祐二と時子が病院に担ぎ込まれていた時、彼らと一緒にダゴンと戦っていた面々もほぼ同じ時刻にそれぞれ別の病院に搬送されていたのだという。その後最初に目を覚まして何をしたのかについては、祐二の想像通りだった。


「ですから、ダゴンには私の方から強く言っておきました。あなたの狂気の力は強すぎるので、もっと抑えてほしいと」

「あいつは人の話を聞くタマなのか?」

「ご安心ください。確かにクトゥルーは地球の常識を越えた存在として作られてはいますが、今このゲームを支配しているのは私ですから」


 ガイアが胸を張って答える。祐二はちょっと

不安を感じていた。


「そういえば、もう一つ気になることがあるんだけど」


 不安になるついでに、祐二が続けてガイアに質問した。なんでしょうかと聞き返すガイアに、祐二は少し難しい表情を浮かべて言った。


「確か、イベントが始まってから一回ダゴンと話したんだよな」

「はい」

「イベントで死んだら魚になる方の問題はどうなったんだ?」

「あ」


 ガイアが呆気にとられた表情を浮かべる。

 祐二はますます不安にかられた。


「すいません。そちらの方は忘れていました」

「どうするんだよ。まだ外で会ったこと無いけど、それでも魚人間は増えてるんだろ?」

「あんな姿になって外出しようと考える人はいないでしょうしね」

「どっちにしろヤバいよ。どうするんだよ」

「もう一度話をつけてきます。おそらくイベント中に修正は出来ないでしょうが」


 じゃあどうするんだ。目で訴える祐二にガイアが答える。


「ご心配には及びません。次善策はしっかり用意してあります」





 次の日、全てのログインユーザーに向けて運営組織から正式に通達があった。

 内容は簡潔極まりない物だった。


「魚状態はイベント終了まで続きます。回復手段はありません。ごめんね」


 もう笑うしかなかった。当然怒り狂う者もいた。退会してやると息巻く者もいた。

 しかし今やこのゲームは現実世界と密接に関わっていた。金を稼ぐのにも、自分の身を守るのにも、何をするにもまずこのゲームをプレイしなければならなかった。今このゲームを止めることは、現実世界での生活を半分諦めることにも繋がった。生きていくためにはログインするしかなかったのだ。

 もう笑うしかなかった。


「なんかこれでもう開き直った人も多そうだな」


 熱砂の街にある酒場の一角に陣取り、祐二が目を細めて周囲を見渡しながら言った。かつては様々な格好をしたプレイヤー達が客として集まっていたが、今はその客の殆どが直立魚となっていた。


「まああんな声明出されちゃどうしようもないでしょ。公式の方から諦めろって言われたらなんにも出来ないわよ」


 テーブルを挟んで祐二の反対側に座っていた美沙が空のグラスを転がしながら答える。彼女は祐二と同じく人間の姿を保っており、そしてその祐二から「久しぶりに会わないか」と誘いを受けてここに来ていた。現実世界で顔を合わせなかったのは、単にこちらの方が簡単だったからだ。


「それに生活にも直結してるし、そもそも止めるに止めらんないしね」

「恨みは買うかもしれないけどな」

「ちょっと足下見すぎな気もするッスけどね」


 美沙の隣に座っていたパラケルススがストローでコップの中にある水を吸い出しながら言った。その悪魔も現人神二人と同じく普段通りの姿をしており、いつも通りの燕尾服姿のまま渋い顔を浮かべていた。


「何事にも誠意って大事ッスよ」

「神と人の価値観は違うからなあ」

「確かに変につっかかっても意味ないと思うわね」


 人間二人は既に諦めムードだった。投げ遣りな感じにも見えるほどの諦観ぶりであった。それを見た悪魔は初めは釈然としない感じだったが、その後すぐに何かを思い出し、表情を暗くして言った。


「お二人とも、まだあれを引きずってる感じなんスかね」


 「あれ」が何を指しているのか、二人はすぐに思い至った。しかし言葉には出さず、ただ悲痛な顔を浮かべて沈黙でもって答えた。

 大当たりか。パラケルススは直感した。同時に納得もした。「あれ」を体験して一週間かそこらで立ち直れるほど、人間は強くないのだ。


「お前は平気なのか」


 祐二が質問を返す。パラケルススはコップの水を全部吸いだしてから答えた。


「あたしはそれほどヤバいって訳でもないッスよ。たぶん精神の構造が人間と違うからかもしれないッスね」

「悪魔って便利ね」

「無駄に頑丈なのも困り物なんスけどね」


 そこまで言って、パラケルススがおどけたように笑ってみせる。祐二と美沙は何の反応も返さなかった。人形のように座り続ける二人を見て、パラケルススの笑いも自然と引いていった。


「マジでやばそうッスね」

「ごめんちょっと本気でやばい」


 美沙が早口に言い返す。顔面蒼白であり、額からは脂汗がにじみ出ていた。


「今日はここでお開きか」

「ごめん。ほんとごめん」

「謝らなくていい。俺も結構やばいから」

「しばらくは現人神のお仕事も休止ッスかね」


 そう言い合いながら三人が同時に席を立つ。そして三人の中で一番健常だったパラケルススが美沙に肩を貸し、三人揃ってその酒場を出た。

 パラケルススの言う通り、現人神の業務はいったん休止せざるを得ない状態であった。美沙は元より、外に見せてないだけで祐二もガタガタだったのだ。





 それからイベントは二週間ほど続いた。その間、祐二達「発狂組」は一度もゲームにログインしなかった。現人神二人はもちろん、時子と浅葱、そしてビジネスホテルに滞在していたロバートも同様だった。パラケルススは無事だったが、空気を呼んで自粛した。

 そしてその甲斐あってか、イベントが終わる頃には全員がなんとか精神的に完全復帰することが出来た。退院した直後は全く手をつけることの出来なかった「深き者ども」、もとい魚にも、今では何の抵抗もなく接することが出来ていた。

 浅葱から電話がかかってきたのは、その翌日だった。


「あ、安藤君? 私です。藤原です」

「藤原さん? どうしたんですかいきなり?」


 声を通して友人の無事を確認した祐二は、心の中で安堵しながら浅葱に問い返した。浅葱は聞くからに嬉しそうな声でそれ答えた。


「当選してたんですよ!」

「当選?」

「はい! 前に話した装備コンテストで、私のアイデアが当選したんです! もう嬉しくて嬉しくて、誰かに話さずにはいられなくなって!」


 なるほど。そういうことか。祐二は浅葱が自分に電話してきた理由を察し、同時に喜ばしい気分になった。彼は友人の功績を妬むほど愚かではなかった。


「凄いじゃないですか! 本当なんですかそれ?」

「もちろん本当ですよ! いやー、奇跡って起きるものなんですね!」

「謙遜しなくてもいいですよ。運も実力の内って言うじゃないですか」

「そうですか? まあそうなのかも? 参ったなー、そうなのかなー」


 電話の向こうの相手は明らかに浮かれていた。祐二にはそれが微笑ましかった。そして嬉しい気分に浸りながら、祐二は浅葱に尋ねた。


「それで、藤原さんはどんな装備デザインを投稿したんですか」

「はい、魚です!」

「は?」


 聞き間違いかな? 祐二がもう一度尋ねる。


「魚?」

「魚です」

「魚って、どういうことです?」

「そのまんまですよ。魚の形をした全身鎧ですよ」


 嫌な予感がした。無言の祐二に向けて浅葱が畳みかける。


「前に安藤さんが魚の格好してたじゃないですか。それを見てピーンて来たんですよ。これ丸ごと防具にすれば面白いんじゃないかなーて」

「へ、へえ」

「まあダメもとで送ってみたんですけどね。まさか本当に当たるなんて思ってもなくて! 嬉しいなあ! うふふっ」

「それ、まさか直立の魚?」

「そう! そうです! あの魚です!」


 それまでの喜びは完全に消滅していた。祐二はその後、浅葱の喜びの声を黙って聞いていた。

 魚なんて大嫌いだ。





 後日、浅葱の案が決定したのは単にダゴンによる「魚化」の悪印象を和らげるためであると、祐二はガイアから聞いた。謝罪修正するべきはそこじゃないと祐二は思ったが、何も言わないでおいた。

 同時に、祐二は事の真相を浅葱に伝えることもしないでおこうと考えた。この世には知らない方がいいことも存在するのだ。

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