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「選択と決断」

 東京に巨大なドームが出現したことは、すぐにそこに住む全ての住民の知るところとなった。政治家のうちここに置き去りにされた者達で構成された暫定政府や同じように「居残り組」で再編された警察組織などは東京の住民、そしてテレビを通してそれを知った他県の者達に冷静な対応を求めたが、そもそもそれをきっかけにして暴動を起こすような人間はいなかった。

 一方で既に「サンサーラ・サーガ・オンライン」に登録を済ませ、一プレイヤーとしてそのゲームを遊んでいた者の所には、運営組織から一通のメールが届いていた。祐二と美沙の元にも同様にメールが届いていた。孤児院の一室に置かれていたパソコンを使ってそのメールを開封した祐二は、そこにある文面を見てすぐにログインの準備を始めた。


「プレイヤーの皆様、おはようございます。早速ですが、現実世界に出現したドームについて、こちらから説明を行いたいと思います。是非とも本当のことを知りたいと思うプレイヤーの皆様は、お手数ですが本日の午後一時に開催される緊急集会にご出席ください。今後とも本オンラインをよろしくお願いいたします」


 祐二は一度自室に戻ってヘッドセットを手に取り、電源をつけておいていたパソコンに戻ってそれを接続する。途中でそこに遊びに来た子供から「またそれするのー?」と言われ、祐二はヘッドセットを装着したまま子供の方を向いて曖昧な返事を返した。


「ちょっとやることがあってね。しばらく寝るけど、放っておいていいから」

「わかってるよ。それVRMMOってやつでしょ? それくらい知ってるから」

「頼むよ」


 そう言ってから祐二がパソコンに向き直り、画面に表示されていた「ゲーム開始」の部分をクリックする。直後、頭についていたヘッドセットの下が淡く発光し、祐二の体から力が抜け落ちた。

 そうして死んだように椅子の背もたれに寄りかかる祐二の姿を見て、子供は「ゲーム始めたんだな」と特に驚く素振りも見せずに隣の椅子に座り、目の前のパソコンの電源を入れた。VRMMOの存在は既に一般化しており、特に気になるものでも無かったのだ。





 集会は予定通り午後一時、熱砂の街の中心地にある広場で行われた。そこには多くのプレイヤーが集まり、祐二と美沙もそこにいた。一応広場に来ずともそれぞれのプレイヤーに用意されていた「マイホーム」からもその集会の様子を見ることができ、一部のプレイヤーは実際そうしていた。


「皆様、よくお越しいただきました」


 その広場の中央に現れたのは天使だった。天使は空から翼をはためかせて舞い降り、周囲を白く照らしながら衆目の前に姿を現した。白く輝く体。足首まで隠す長さを持った白いワンピース。背中から生やした純白の翼。そして他の天使と異なっていたのは、服の上から薄い緑色に染められた鎧を身につけていたことだった。


「私はガブリエル。天使達を統べる者、四大天使の一人です」


 新手のNPCかな? プレイヤー達はガブリエルと名乗った天使をただのゲームのキャラクターか何かかと思った。ガブリエルは柔和な笑みを浮かべながら言葉を続けた。


「ここにいる皆様は、おそらくあのメールを見てここに集まってきたのだと思います。なので早速ですが、結論から申したいと思います」


 プレイヤーの数人が固唾を飲んで見守る。大半は体から力を抜き、リラックスした姿勢を保っていた。そんな大半が気の抜けた姿を見せる衆目を前に、ガブリエルが口を開いた。


「このゲームと現実は繋がっているのです」


 最初、目の前の天使が何を言っているのか誰も理解できなかった。構うことなくガブリエルが続けた。


「すぐに理解したり、受け入れたりすることは難しいでしょう。しかしこのゲームはそういう作りになっているのです。このゲームで皆様が選択した結果が、そのまま現実の世界にも反映されるのです。東京にあのドームが出現したのも、あなた方が悪魔の側に多くついたため。あなた方人間が悪魔を選択した結果、現実の世界に悪魔の拠点が出現したのです」


 ざわめきが次第に大きくなっていく。プレイヤー達はガブリエルそっちのけで周りにいる他のプレイヤーと話を始め、その声量は次第に大きくなっていった。

 構うことなくガブリエルが話を続ける。


「なぜこのようなゲームが作られたのか? それは人間を救うためなのです」


 その声は不思議な響きを放っていた。その声はゲームにログインしていた全てのプレイヤー、それこそガブリエルにそっぽを向いて他のプレイヤーとの話に夢中になっていた者やマイホームでそれをモニター越しにそれを見ていた者まで、その全てのプレイヤーの頭の中に直接響き渡ったのだ。

 耳を介さず、心地よい音色が脳髄を直接揺らす。それはまるで母の胸の中で抱きしめられるかのような安らかで暖かい感覚であり、その感覚をいきなり味わわされたプレイヤー達はその誰もが思考を遮断された。


「これは神が作ったゲームなのです。人の手を借り、神が生み出したゲームなのです。神は、いえ、この世に数多存在する神々は、人を救おうとしてこのゲームを作ったのです」


 ガブリエルが言った。プレイヤー達は黙ってそれを聞いていた。脳味噌を優しく揺らし続けるその透き通った音色に魅了され、それ以外の雑念を抱くことが出来なかった。


「ですが、神々は全てを自分達だけで作り直そうとは思っておりません。この世界は人間のもの。この星の上に築き上げられた文明や文化は、人間が作り上げたものです。神の所有物ではありません。ですから、あなた達に選択してほしいのです」


 何を選択するんだ? 無意識にプレイヤーが抱いた疑問を、しかしそれが言葉となって口から出る前にガブリエルは拾い上げ、彼らの発言を遮るように言った。


「この世界の有り様を。あなた達が新しく生きる世界の姿を。選択し、決断するのです。自分が生きたいと願う世界の姿を」


 そこまで言って、ガブリエルが柔和な表情を浮かべる。そして再び声を鳴らし、聞く者全ての脳を心地よく揺さぶる音色を響かせる。


「難しく考える必要はありません。単純に好きだと思った生き方を選択すればいいのです。それにこのゲームで死んだとしても、現実で死ぬわけではありません。ゲームの出来事は現実に反映されるとは言いましたが、プレイヤーの死までは反映されませんから。これは死亡遊戯デスゲームではないのです」


 ガブリエルがニコリと笑う。そして不意に首を回し、視線を美沙と祐二に向ける。

 その目はしっかりと二人を捉えていた。表情は穏やかで、まさに聖母のようであったが、同時にガブリエルから放たれる空気は厳粛なものであった。その自分達に向けられた厳かな気配を感じ取り、天使に見つめられた現人神二人は咄嗟に背筋を伸ばした。

 ガブリエルが軽く頭を下げる。


「よろしく頼みましたよ。神と人を繋ぐ者よ」


 直後、空から光の柱が降りてくる。柱はガブリエルを包み込み、周囲を更に明るく照らし出す。柱はやがて輝きを失い、数秒もしないうちに収束し消滅した。柱が消えた頃にはガブリエルの姿もなく、辺りを照らす光も消えていた。

 広場に集まっていたプレイヤー達は暫し呆然としていた。葬式会場のように静まりかえっていた。言いたいことは山ほどあったが、脳の処理が追いつかず何から話していいかわからなかった。


「……つまり、どういうこと?」


 やがてプレイヤーの一人がぽつりと呟く。誰もすぐにはそれに答えられなかったが、暫くして祐二が小声で言った。


「ゲームが現実になるってことでしょ」


 身も蓋もない言い方だったが、それが事実なのでそれ以外に言いようが無かった。





 集会が終わった直後、現実の世界で異変が起きた。それまで姿を見せるだけで微動だにしなかったドームの各所にあった扉が揃って開き、中から大量の悪魔が飛び出してきたのだ。

 黒い体。蝙蝠の翼。一対の角。そのどれもが同じ姿をした悪魔達は鳥籠から解き放たれた鳥のように自由に空を飛び回り、未だゲームに参加していない多くの人々を怯えさせた。


「まだ中間発表段階なんだ! 派手に暴れ回るなよ!」

「イエッサー!」


 空の上で悪魔が言葉を交わす。その直後、空中を好きなだけ飛び回っていた悪魔の一団が向きを変え、翼を畳んで地上に向けて急降下していった。

 人々はこちらに向かって猛スピードで迫ってくる黒い集団を見て恐怖にかられた。地面に激突する寸前、悪魔達は翼を勢いよく広げて速度を殺し、両足でしっかりと着地する。片膝立ちで降り立つ者もいれば、勢いを殺しきれずにダウンする者までいた。

 通りは一瞬でパニックになった。悪魔から距離を離そうと逃げ出す者、足の力が抜けて腰砕けになる者、携帯電話で写真を撮り始める者、それをみた者達は様々な反応を取った。車道で車を運転していた者達も同様にそれを目の当たりにしており、中には悪魔の姿に意識が回るあまり、すぐ前を行く車に追突してしまう者まであった。

 そうして一気に混乱の坩堝に叩き込まれた人間達であったが、それと出くわしてなお理性を残す者も多くいた。彼らは恐怖を押し殺し、意を決して悪魔に問いかけた。


「い、いきなりなんだ?」

「なんだお前ら? どこからきたんだ?」

「見てわからないか? 悪魔だよ」


 しかし根も葉もない回答をよこす悪魔に、質問を投げかけた人達は困惑するばかりだった。一方で悪魔達は続々と地上に降り始め、我が物顔で街の中を歩き始めた。何も知らない人間達はただ驚き、怯えながらその悪魔の練り歩く様を見つめることしか出来なかった。案の定警察も出張ってきたが、彼らの警告にも悪魔達は耳を貸さなかった。


「そこの不審者! 止まりなさい!」

「おい! 止まれ!」


 警官が大声で怒鳴りつけるのにも構わず、悪魔達は怯むことなく町中を進み続ける。警官達の存在は、完全に悪魔の眼中に無かった。しかし埒が明かないと思った警官が飛びかかろうとした直後、地上に降りていた悪魔達は一斉に翼を広げて空へと飛び立っていった。


「ベルゼブブ様のお達しだ! 戻るぞ!」

「え、もうかよ?」

「そりゃそうだろ。中間発表で勝っただけだからな」

「仕方ない。帰るぞ!」


 翼をはためかせながら悪魔達が口々に言葉を交わす。しかし人間達の耳には何も聞こえていなかったし、何が起きているのかもわからなかった。そんな人間を後目に悪魔達は次々とドームに向かっていき、数分もしないうちに街は元の静けさを取り戻していった。空を覆っていた悪魔の群れは消え去ったが、代わりに空から大量の紙が街に向かって降り注いできた。


「今この地に何が起こっているのか? それを知りたい人は、今すぐ神オンラインをプレイしよう! 近くの電気屋に急げ!」


 降ってきた紙は宣伝のチラシだった。そこにはこのような短い文章と悪魔のイラストが書かれていた。イラストの下にはそれを描いたと思しき人間の名前が刻まれていたが、それに気づく者は皆無だった。





 祐二や他のプレイヤーが外の出来事に気づいたのは、ガブリエルが消えてからすぐのことであった。全てのプレイヤーに運営からメールが届き、その中に悪魔が町中に現れたことを示す文面が記されていたのだ。


「悪魔は決して悪さはしません。しかし当然ながら理由なく攻撃を受ければ自衛のために反撃をしてくるので、決して手を出さないでください」


 運営からのメールには最後にそう書かれていた。ゲーム中ならともかく、現実の世界で悪魔に喧嘩を売ろうという度胸のある人間は少なかった。それ以前に今の状況についていけない者の方が圧倒的に多く、頭を冷やして冷静に物事を捉えるにはまだ時間がかかりそうだった。


「ん?」


 祐二が自分の所に、件の運営からのそれ以外に別のメールが届いていたのを知ったのはそのすぐ後のことだった。差出人欄には榊時子と書かれていた。


「榊さんからからだ。なんだろ?」


 祐二がメールを開封する。美沙も祐二の反応に気づいて彼に注目する。数秒後、メールを一読した祐二はすぐにディスプレイを操作し、ログアウトを選択しながら美沙に言った。


「悪い。今日はちょっと帰る」

「何かあったの?」

「俺がお世話になってるところの管理人みたいな人がさ、行き倒れを拾ったって言ってきたんだよ。それでちょっと様子見てこようかなって」

「大丈夫なの?」

「なんとかなるだろ。じゃあ行ってくる」


 祐二はそう言うなりログアウトのボタンを押し、その場から音もなく消えていった。美沙は暫しその場でぼうっと立っていたが、すぐに気を取り直して首を回しながら言った。


「私が考えても仕方ないか」


 これは向こうの問題だ。そう思いながら、美沙は一人でダンジョンに潜ることにした。祐二と違って、自分に現実の居場所は無いからだ。





「祐二君、来てくれたのね」


 一方、現実世界に戻ってヘッドセットを外し、一階の広間に降りてきた祐二は、そこにいた時子から声をかけられた。祐二はすぐさま時子の方へ向かい、彼女の側に立つと同時に目の前にあるソファに寝かせられていた人影に気がついた。


「その人が?」

「うん。玄関の前に倒れてたの」

「死んでないよね?」

「それは大丈夫。息はしてるし、心臓も動いてる。今は眠ってるだけよ。かなり弱ってるみたいだけど、無理に起こすのもあれかと思って」


 眉を不安そうにひそめながら時子が言った。それを聞きながら、祐二は改めてその行き倒れていた者を見つめた。

 モデルのように引き締まった体。それを包み込むのは黒を基調とした燕尾服。僅かに膨らんだ胸。肌は褐色で。唇は紫に染まり、首筋辺りで切り揃えたショートヘアもまた同様に紫色に染まっていた。顔は小さく、体つきとは対照的に見る者にどこか幼い印象を与えた。

 そして側頭部からは二本一対の角が生えていた。黒く塗り固められたその角は途中で折れ曲がり、後ろに向かって鋭く伸びていた。


「……悪魔?」

「たぶん」


 祐二の呟きに時子が答える。それを聞いた祐二が「お人好しなんだから」と呆れたように放ち、時子がムッとした表情で「放っておけないでしょ?」と言い返す。


「しばらくここで休ませておくから、祐二君も

お願いね」

「わかったよ」


 しかし時子を責める権利は祐二には無かった。彼もまた、時子の「お人好し」によって命を救われた存在だからだ。自分はよくて他人は駄目だなどとは口が裂けても言えなかった。彼は時子の言葉に素直に頷き、それから二人でこの悪魔をどこで寝かせようかと相談しあった。

 結局、悪魔は二階にある空き部屋の一つで休ませることにした。祐二は空き部屋にあるベッドの上に悪魔を寝かせた後、その寝顔を見ながら声を漏らした。


「寝てる分には普通の人間に見えるんだよなあ」


 悪魔はそれにも反応を見せず、静かに寝息を立てていた。祐二はひょっとしたら目を覚ますんじゃないかと思い、暫くその寝顔を見つめていたが、目覚める気配は一向に無かった。結局祐二は諦めて立ち上がり、部屋のドアをそっと閉じて自室に戻っていった。

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