「神の貌」
ダゴンが右手を振り上げる。握り拳を作り、横並びに構える六人に向けてそれを振り下ろす。
「避けろ!」
真っ先にそれに反応したロバートが叫ぶ。他の五人がそれを受け、それぞればらばらの方向に走り出す。
六人のいた場所に漆黒のハンマーが叩きつけられる。ワンテンポ逃げ遅れた時子とパラケルススが、その衝撃の煽りを背中から至近距離で受ける。
「ひいいっ!」
「きゃあっ!」
二人が同時に悲鳴を上げる。背中に強い衝撃が走り、直後、全身を浮遊感が包み込む。足が地面から離れ、強風に呑まれる枯れ葉のように体が宙を舞う。それを見た祐二が思わず叫ぶ。
「まずい!」
彼の視線の先には左拳を振りかぶるダゴンの姿があった。その闇の奥に隠されたダゴンの両目は、空中に投げ出された時子の姿をじっと見据えていた。
時子がそれに気づく。上げて落とす連携を前に、体勢を整える時間は無かった。
「させません!」
そこで浅葱が叫んだ。彼女はそれと同時に杖を持った手を前に突き出し、杖の先を時子に向ける。
「ブロックアップ!」
浅葱が魔術スキルの名前を叫ぶ。今では叫ばなくともスキルを発動できる仕様になってはいたが、りきむあまり言葉が口から飛び出してしまっていた。
閑話休題。その直後、杖の先端に魔法陣が形成される。そしてそれと同時に時子の体を緑色のオーラが包み込んでいく。
オーラが全身に行き渡り、時子の体が緑色に発光する。刹那、ダゴンの放った左ストレートが時子の体に直撃した。
「……!」
顔面蒼白になった祐二が声にならない叫びをあげる。美沙とロバートも両目を見開いてその光景を凝視する。自分の背丈を越える巨大な拳を正面から食らった時子は反応を見せず、浅葱は杖をつきだしたまま険しい表情でそれを見つめた。
高所の壁に激突し、そのまま壁に沿って床までずり落ちたパラケルススは、背中と尻の痛みでそれどころではなかった。
「え? なに? どうしたッスか?」
そして痛みが引いて意識を外に向け直した悪魔は、今何が起きているのかすぐに理解できなかった。その彼女の眼前で、ダゴンの拳がゆっくりと時子から離れていった。
「いい……っ」
歯を食いしばっていた時子がそのままダゴンを睨みつける。
「痛ェんだよ!」
そのまま力任せに叫び、空中で体を捻り、勢いをつけて手にした大斧を投げつける。
完全なる奇襲であった。
「が」
斧の刃がダゴンの顔面にぶっ刺さる。
「ああっ!?」
血こそ出なかったが、ダメージは十分入った。それは両膝立ちの姿勢になり、両手で顔を覆いながら身悶えるダゴンの様子を見れば、すぐにわかることだった。
「ああ、クソ、クソッ! この野郎!」
邪神が感情を剥き出しにして、散々悪態をつきながら斧を引き抜く。抜いた瞬間、傷口から闇色の液体が盛大に吹き出す。その液体は顔面にかかると同時に瞬時に固まり、傷口をあっという間に塞いでいった。
「畜生が。余計なことしやがって! この、クソッ!」
「わっ、ととっ」
その光景を後目に、時子が地面に着地する。着地の瞬間若干ふらつきはしたが、それでも彼女の体に目立った外傷は無かった。頭上に表示されているHPゲージは確実に減ってはいたが、致命傷では無かった。
「時子さん!」
そんな時子の元に祐二達が駆け寄る。そして真っ先に彼女の元に辿り着いた祐二が不安げな表情を浮かべながら声をかける。
「大丈夫? 怪我はない?」
「ええ、平気よ。一瞬危ないかなって思ったんだけど、思ったよりダメージは無かったわ」
「良かった。でもどうして?」
「私の魔法が間に合ったんですよ」
祐二の疑問に答えるように、時子に追いついた浅葱が言葉を放つ。
「防御を上げたんですよ。一定時間だけですけれどね」
「そんなこと出来るのか」
「魔法使いですから」
感心するロバートに浅葱が胸を張って答える。その六人に向かって姿勢を元の四つん這いに戻したダゴンが顔を近づける。
「よくもやってくれたな」
その顔には縦に黒い亀裂が走っていた。闇色の体液で傷を塞ぎはしたが、それでも完全に治癒は出来ていなかったようだった。
「つまり?」
そのことをロバートから聞いたパラケルススが彼に問いかける。ロバートはナイフを握る手に力を込め、ダゴンの亀裂を見据えながら答えた。
「弱点が出来たってことだ」
祐二は時子の不意打ちを食らったダゴンが目に見えて身悶える姿を思い出していた。確かにあれは演技には見えなかった。
「頭を叩けってことか」
「なるほどね」
祐二に続いて美沙がボウガンに矢をつがえる。他の四人も何をすべきかを悟り、一斉に武器を構える。
「集中砲火だ。攻撃を頭に集めるぞ」
「何をぐちぐち言っている!」
そんな人間達の言葉を聞き取れなかったダゴンが、我慢の限界とばかりに右拳で殴りつける。祐二が前に躍り出て盾を構え、斜めに飛んできた拳を受け止める。
祐二の体が衝撃で押し戻される。ダメージは微々たる物だったが体にかかる負担は本物だった。祐二は歯を食いしばってそれに耐え、数歩分下がった所で踏み留まる。
「今だ! 行け!」
巨大な拳を受け止めた祐二が叫ぶ。それと同時に五人が一斉に動き出す。身軽な時子とロバートが祐二の受け止めた拳から腕の上に乗り、美沙と浅葱は距離を取って遠距離攻撃の用意をする。
最初に動いたのは美沙だった。腕の上を悪魔と探偵が駆け上がる間、美沙は片膝立ちの姿勢になってボウガンを構え、黒塗りの矢を放った。
撃ち出された矢がまっすぐ軌道を描いてダゴンの顔面に突き刺さる。直後、突き刺さった矢が爆発し、ダゴンの顔の近くで爆炎の華が盛大に咲き誇る。
「ハハッ! トルクボウの味はどうよ!」
命中を確認した美沙が会心の笑みを浮かべる。そして次弾を装填する間、今度は横にいた浅葱が杖をかざす。
「雷鳴よ!」
杖の上に黄色に光る魔法陣が出現し、同時に呻くダゴンの頭上でそれと同じ色と形の魔法陣が出現する。
「吹き飛ばせ!」
杖の先端から雷が放たれ、すぐ上の魔法陣に吸い込まれていく。同時にダゴンの頭上にある魔法陣から特大の雷が撃ち出される。
雷の柱がダゴンの頭部を飲み込む。この時腕を駆け上るロバートと時子が顔の近くに到達する。
「追い打ちをかけるぞ!」
「はい!」
ロバートのかけ声に時子が答える。そしてロバートは肩の上に乗って顔の側面に、時子は首筋に回って後頭部に狙いを付ける。
「くたばれ」
「ヒャッハー!」
ロバートが静かに、時子が殺意を剥き出しにして叫ぶ。そしてロバートは雷が通過し顔から煙を出すダゴンのこめかみにナイフを突き刺し、時子は後頭部に大斧を叩きつけた。
「ガアアアアアッ!」
ダゴンが凄まじい雄叫びをあげる。声の裏返った、聞く者の心をかきむしる強烈な叫びだった。そのままダゴンは体を激しく動かし、自分の上に乗っていた人間を力任せに振り落とす。
ロバートと時子は腰に力を込めてそれに耐えようとしたが、無駄な努力だった。あっという間に振り落とされ、二人して背中から地面に叩きつけられる。そして自分の近くに落ちてきたロバートめがけて、ダゴンが拳を高々と振りかぶる。
「ロバート!」
「ああ、畜生」
美沙が叫ぶ。ロバートが苦い顔を浮かべる。ダゴンが拳を真下に向けて落とす。
ロバートが横に転がってそれを避ける。紙一重で拳が床に叩きつけられ、その真横にいたロバートは額に嫌な汗が流れるのを覚えた。
外したことを知ったダゴンが腕を持ち上げる。そして一度手を開いてから再度拳を作り、再びロバートに狙いを付ける。
「そこまでッス!」
それに割り込むようにパラケルススが走り寄る。その手に握られた剣は全身が白く凍りついていた。魔法剣、水属性付与。
またの名をアイスソード。
「はあああっ!」
パラケルススが魔法剣アイスソードを両手で持ち、顔ではなく持ち上げられた腕に狙いをつける。そして拳に向けて剣を斜めに振り下ろす。
斬りつけられたダゴンの拳が瞬時に凍りつく。さらに拳を凍らせた氷はそのまま腕の表面を駆け上がり、瞬く間にダゴンの片腕を丸ごと凍結させた。
「なんだと!」
「攻撃はさせねーッスよ」
ダゴンが驚き、後ろに飛び退いたパラケルススが不敵に笑う。その間にロバートは立ち上がってダゴンから距離を離し、パラケルススの隣に立つ。
「だあああッ!」
その二人を追い越すように祐二が駆け出す。片手に持った剣を振り上げ、トドメとばかりにダゴンの顔面を斬りつける。
最初は縦斬り。次に横斬り。低い威力を手数で補うように目の前の顔を滅多切りにする。ダゴンの顔にあった亀裂がさらに広がり、ダゴンは両手で顔を押さえてうめき声を上げる。
「当たった!」
「どうだ!」
美沙が喜びの声をあげ、祐二が盾を構えて後ろに下がりながら言い放つ。その他四人も集まり、苦しげな動きを見せるダゴンを睨みつける。
ダゴンの動きが止まる。油断せず武器を構える六人の前で、ダゴンがそれまで顔を覆っていた両手をダラリとたれ下げる。
「どうしたんだ?」
「倒したのかしら?」
眉をひそめる祐二の横で時子が素直に疑問を述べる。やがてダゴンが再び四つん這いになり、顔を六人に近づける。
「あー」
顔の奥から声が響く。それまでとは違う、感情の見られない低い声だった。顔面に波紋が広がることもなく、闇は完全に固形化していた。
「あー、うー、あー」
同じ調子で声が聞こえてくる。知性の欠片も見られない、白痴の発するような声だった。
虫酸の走る声だった。
「くそ、なんなんだいったい」
「あれ!」
顔を不快そうに歪めるロバートの横で祐二がダゴンの方を指差す。六人の視線がダゴンの顔面に注目する。
彼らの眼前でダゴンの顔が「割れた」。それを覆い隠していた闇がはがれ落ち、卵の殻のように固まったそれが地面に落ちていく。
「あー、おー、あー」
闇の奥から声が聞こえる。亀裂が全身に及び、闇の殻が次々とはがれていく。
「ダゴン」がその本当の姿を露わにする。
「うー」
そして祐二達はそれを見た。
この世に存在してはいけない、この世の者が見てはいけない、狂気と恐怖に満ちた「神の貌」を。
「あー」
それが正気を保ちながら六人が聞いた最後の言葉だった。