「先制攻撃」
イベントのダンジョンは氷河の街の隅に出現した扉から入り込むことが出来た。その黒いペンキを頭から被ったような扉を開けた先には、まっすぐに伸びた通路あった。
それは闇が通路の形を取ったかのような、四方を真っ黒に染め上げられた場所だった。両側の壁に規則的に松明をかけられたその通路をしばらく進むと、最初に開けたのと同じ形と色をした扉が目の前に出現した。その黒い扉は氷のように冷たく、素手で触るのははばかられた。
なので扉を開けるのは、決まってガントレットや手袋をはめた人間の役割だった。扉にノブは無かったがそれ自体は軽く、両手で押せば簡単に開くことが出来た。
「うわあ」
「綺麗……」
扉の先には氷の迷宮が広がっていた。天井は高く、道幅は広く、そして天井も壁も床も、目に見える全てが真っ白に凍りついていた。天井からは所々氷柱が生え、床を踏むと氷の粒が砕かれていく小気味良い音が聞こえてきた。
下方に目を転じれば、大小さまざまな大きさを持つ氷の塊が至る所に転がっていた。それらは迷宮と同様に白く凍り、膝下までの大きさを持つ物から自分達の背丈よりもさらに一回り以上も大きな物まであった。寒さは感じられなかったが、目の前に広がる景色は非常に寒々しかった。
なお、この迷宮には多くのパーティが進入していたが、それらが迷宮の中で合流することは無かった。これについてはガイア曰く、「扉を支点にして同一の時間軸上に同時に存在する並行空間の中にそれぞれ構築された迷宮にランダムで飛ばされている」とのことだった。
神と対話できる特権を活かしてそのカラクリを聞いた二人の現人神は、その意味不明な説明を受けて「聞かなきゃ良かった」としみじみ思った。
「凄いですね。こんな場所になってるんだ」
「冷凍庫みたいッスね」
「これは壮観だな」
そしてその枝分かれの起点である扉を開けて最初に中に入った祐二と美沙が素直な感想を述べ続けて、浅葱とパラケルススとロバートが言った。そして一番最後に迷宮の中に入ってきた時子は視線を足下に向け、何度か凍り付いた床を踏みしめながら言った。
「でも変な所ね。凍ってるように見えて全然滑らないなんて」
「そういう風に設定されてるんだよ」
「さすがに戦ってる最中に滑るとかいうことになってたら非難殺到ッスからね」
時子の言葉に祐二とパラケルススが答える。それから六人は予め話し合った通りにひとまとまりになり、慎重に迷宮の中を歩き始めた。このイベントではパーティメンバーの制限はなく、何人でも自由にパーティを組んで探索を行うことが出来た。
一方でこのダンジョンにもここに出現する雑魚敵と対等に渡り合えるだけの強さ、いわゆる「適正レベル」というものが設定されていた。そして時子とロバートはその適正レベルを大きく下回っていた。
「どこから飛んでくるかわからないからね。警戒は緩めないように」
「わかった」
彼らはそんな時子とロバートを囲むように陣形を組み、慎重に迷宮の中を進んでいた。実際に道中、点在する氷塊の陰に潜んでいたモンスターが奇襲を仕掛けてくることもあった。そして前評判通り、ここに出てくるモンスター達は今までの物よりも強化されていた。
「まあ元からいた奴の攻撃力と体力を底上げしただけなんですけどね」
「新鮮味ないなー」
もっともある程度レベルをあげていた祐二達からすれば、それらは「少し骨のある」程度の存在でしかなかった。しかし強化された分経験値はそれ相応にあり、倒して得た経験値もパーティを組んだ全員に平等に与えられる形式となっていたため、低レベル組にとっては嬉しいことであった。
「楽して強くなるって複雑な気分ね」
「使える物はなんでも使わないと損だよ」
そして道中で一挙に三レベルほど上がった所で、時子が申し訳なさそうに眉をひそめる。それに対して祐二はそう気楽に答え、ほかの四人も頷いた。そして彼らは再び陣形を組み、そのまま進軍を続けた。
ボスのいる部屋に続く扉に辿り着いたのは、最初に入り口の扉を開けてから二十分ほど経った後のことだった。迷宮に目立った罠が無かったのと六人パーティで進んだのが功を奏したのか、彼らのパーティに被害は殆ど出ていなかった。
「なんとかここまで来れたか」
「油断しない方がいいですよ。ここのボスのダゴンは初見殺しの攻撃を仕掛けてくるって話ですからね」
自分よりも一回りも巨大な最後の扉を前にして肩の力を抜く祐二に、杖を握る手に力を込めながら浅葱が返す。祐二もそれを聞いて表情を引き締め、そして門を開けるために前に出た。ここで扉を開けるのは重装ガントレットを身につけた彼の役目になっていた。
「行くぞ」
扉に両手を置き、前を見ながら祐二が言い放つ。後ろにいる五人は無言で頷き、それを感じ取った祐二が一息に扉を押し開く。
巨大な黒塗りの扉が大きな音を立てて開かれる。扉で遮られていた祐二の視界が一気に開けていく。
刹那、その視界が再び真っ黒に染まった。
「え」
反射的に声を上げた祐二の体が真後ろに吹き飛ばされる。己の身に起きた異変に気づく時間も与えられず、祐二の意識は一瞬で刈られた。
「は!?」
そして祐二はそのまま、真後ろにいた美沙に向かって背中から飛んでいった。美沙は驚きながらも、前から吹き飛んできた祐二をしっかりと受け止めた。しかし突然のことに体が反応しきれず、その勢いのままに祐二を抱き留めたまま後ろに倒れ込む。
全員の視線が祐二に向けられる。
「おい、大丈夫か!」
「なんとか!」
「なんですか? さっき何が起きたんですか?」
浅葱の言葉を皮切りに、全員が扉の奥に目を向ける。そしてそこにあったものを見て息をのんだ。
「拳?」
そこにあったのは扉を塞ぐように存在していた巨大な拳だった。それは星のない夜闇を見ているかのように真っ黒に染まっており、そしてその漆黒の拳は扉の奥の光景を遮ってもいた。
やがて拳がゆっくりと引き抜かれていく。視界が開けていき、その奥の光景が露わになっていく。
「あ」
「やっぱりあいつか」
そこにいた「それ」を見て、祐二が立ち上がりながら言った。彼と同時に起きあがった美沙も同時に驚きの声を出し、そしてすぐに表情を引き締めた。
「まあそうだよね。ラスボスはそうなるよね」
他の四人もそれぞれ武器を構える。そして奥に見える円形の大広間の中心に陣取り、四つん這いの姿勢で己の拳を引き抜いたそれは苦々しく声を放った。
「一撃では倒れんか。無駄にレベルばかり上げおって」
まるで闇が人の形を取ったかのように全身を黒く染めた巨人。邪悪な意志と力を秘めた外なる神。
「ダゴン」
「ふん。誰かと思えばお前達か」
祐二の声に反応して、己の名前を呼ばれたその黒き神が不敵な声を返す。クトゥルーのダゴン。遭った者の正気を削がぬよう、その姿を闇のベールで隠された異邦の神。
「よく来たな。まずは歓迎してやろう」
そのダゴンが声を出す。一語一語が放たれる度に顔の表面が波立ち、波紋となって顔面に広がっていく。そして顔を動かして周りにいる取り巻きを闇の中に沈んだ両目で視認し、再び顔を波紋で揺らめかせながら言った。
「仲間も一緒か。随分と大所帯だな」
「今回はプレイヤーとして来たからな」
「我に勝つ気か」
「当たり前だ」
祐二が強気で返し、真っ先に広間の中に入り込む。残りの五人も続けて中に入り、横一列になってダゴンと対峙する。ダゴンは四つん這いのまま人間達と向かい合い、全身を揺らしながら声を放った。
「来るがいい! 深淵の力を見せてやる!」