「本番」
「奴ばかり注目されているのが気にくわなかったのだ」
カナンのダゴンは予想通りの台詞を吐いた。巨神化したガイアが二人のダゴンを叩きのめしてからちょうど五分後、どこにあるかもわからない暗黒の空間の中でのことである。
「だいたいぽっと出の奴がデカい顔をしていれば、誰だってイラッとくるものだろう。自分と同じ名前を持つ奴ならばなおさらだ。赤の他人が自分と同じ名前で呼ばれてチヤホヤされている。これを屈辱と言わずしてなんと言うのか」
巨神のままそこにいたカナンのダゴンは全く悪びれる素振りを見せなかった。彼はそこにいた現人神二人とロバート、そして人間と同じ背丈にまで縮んだガイアを見下ろしながら、強気な口調でそう言い切った。その言葉と両目には「自分の非は絶対に認めない」という強い意志が込められていた。
「我は抗議をしたに過ぎん。よって我は悪くない。我に非は無いのだ」
「それ本気で言ってるのか」
「どうやら本気のようですね」
その主張を聞いて呆れた声を出す祐二に、ガイアが困り顔を浮かべて答えた。それからガイアはまっすぐダゴンの顔を見上げ、その困った表情のまま巨神に言った。
「そもそもあなたがクトゥルーのダゴンの用意した舞台に下手なちょっかいをかけなければ、今回の騒ぎは起きずに済んだのですよ。あちらのダゴンは地球の英知を超越した、超宇宙的存在として設定されているのです。何の理解も持たない者が不必要に干渉すればどうなるか、誰にもわからないのですよ?」
「で、実際に干渉した結果がこれってことなのか?」
四肢の生えた直立する魚が自分を指さしながらガイアに問いかける。ガイアは「おそらくそうなのでしょう」と頷きながら答え、そして再度ダゴンを見つめながら言った。
「クトゥルーのダゴンは我々の予想していた以上に、今回のイベントに己の力を注ぎ込んでいたのです。それこそ一度爆発すれば、地球を飛び越えて宇宙の深淵の隅にまで到達してしまいそうな程に膨大のエネルギーをです。そしてそれは実際に、あなたの干渉によって爆発してしまった。恐怖と狂気を内包したコズミックエナジーは地球の引力を突き破り、広い宇宙に拡散してしまった」
「待て。待て。途中から何言ってるのか全然わからないんだが。つまりどういうことなんだ?」
ロバートがガイアの会話を遮る。話途中にそれを邪魔されたガイアは少しむっとしながら、それでもすぐに表情を解して彼の問いに答えた。
「要するに、このカナンのダゴンが余計なことをしたために、月にこちらにいるのと同じ魚人間が出現したということです」
「じゃあつまり」
ロバートが咄嗟に視線をダゴンに向ける。ダゴンはなおも悪びれる素振りを見せずにそのロバートを見下ろす。
「こいつが犯人?」
「そうなりますね」
「だったらどうした」
その後のロバートとガイアのやりとりを聞いてもダゴンはブレなかった。そのようになおも自身の優位が絶対であると思い続けるダゴンを見て、祐二は呆れを通り越して感心すらしていた。
「あいつ凄いな。ここまで来ても自分が悪くないって思ってる」
「ある意味豪傑ね」
美沙もそれに同意するように言い放つ。対してガイアは「あまり開き直られるのも困り物なのですが」と困ったように言った。
「正直、ここまで頑固だとは思いませんでした」
「どうにかならないのか?」
「穏便に説得、とは行かないでしょう。あの様子ですからね」
そしてロバートからの問いかけに対してもガイアは諦めたようにそう答えた。そんな女神に向かって、右手の中に光る球体を出現させながら祐二が言った。
「じゃあどうするんだ。実力でわからせるとか?」
手の中の光球が一瞬にして拳銃へと変化する。現人神の特権の一つ、情報改変能力を発現させたのだ。祐二の隣では美沙が同じように光球を生み出し、それを取っ手のついた長い筒へと変化させて肩に担いでいた。俗に言うバズーカ砲である。
しかしそうして生み出した拳銃のグリップ部分を握りしめた祐二を見ながら、ガイアが首を横に振った。
「いえ、そこまでする必要はありません。あくまで穏便に済ませる余地が無いというだけです」
どういうことだ? 自分で生み出した拳銃のトリガー部分に人差し指を差し込んで回転させながら祐二が目で訴える。ガイアは少し苦笑をこぼした後、彼の方を見て言った。
「説得が駄目なら、次は恫喝です」
これ以上こちらの指示に従わないのならお前の存在をゲームから消す。ガイアはダゴンに対してそう告げた。
効果は絶大だった。
「それだけは勘弁してくれ。我が悪かった」
ダゴンは一発で折れた。目に見えてへりくだったりはしなかったが、それでも今までの態度と比べれば謝意は十分に伝わってきた。
「おのれ、それを交渉材料に持ってくるとは。なんと卑劣なのだ」
「駄目だこいつ。全然反省してねえや」
しかし謝った次の瞬間にダゴンがこぼした愚痴を聞いて、祐二はストレートに嫌な顔をした。いったいこの海神はどこまで厚顔無恥なのだろう。若い現人神は頭痛すら覚えた。
「……これはお仕置きが必要みたいですね」
その愚痴はガイアもしっかり聞いていた。そして彼女は額に青筋を浮き上がらせながら笑みを浮かべて一度ダゴンに向き直り、爆発寸前の感情を努めて押し殺しながら巨神に言い放った。
そしてその翌日、彼女は有言実行した。
カナンのダゴンを一定期間、守護のリストからはずしたのである。その期間はぴったり一ヶ月。それを知ったカナンのダゴンはまたしても頭を下げたが、もはやガイアは聞く耳を持たなかった。
「でもこれ、反省するのか?」
「しなかったらそのままです」
後日、処遇を知って呆れるロバートに向けてガイアはそう言い切った。なお、祐二の魚化はその時にガイアが直々に治した。元々この時彼らが集まったのは祐二の呪いを解くためであった。
インスマウス・チャレンジ実装の二日前のことである。
そしてイベント実装当日。意気揚々とダンジョンに潜ったプレイヤー達はそのイベントの仕様に戦慄した。と言っても元々このイベントは高難易度であることを宣伝していたので、そちらに対しては「まあこんなものか」と受容するプレイヤーが大半だった。
問題はそのダンジョンの中で死んだ後だった。
「なんじゃこりゃあ!」
ダンジョン内で力尽き、復活地点で目を覚ましたプレイヤーは誰もがまずそう叫んだ。目を覚ましたら自分の姿が「四肢を生やした直立歩行する魚」になっていたら、驚かない者はいないだろう。
「な、なんだよこれ! どうなってんだよ!」
「まさか、ペナルティとかじゃないだろうな?」
「ちょっと待て、これ前にどっかで見たぞ!」
その後の反応は様々だった。思い切り錯乱する者、バグか何かと勘違いして運営に連絡する者、以前に魚化した祐二の姿を目の当たりにしたことを思い出して「あれはこのための布石だったのか」と思い至る者。まさに十人十色のリアクションであったが、その中で冷静にそれを受け入れる者は皆無であった。
「これどういうことなんだよ」
「すいません。私も把握してないんです」
そしてガイアもまた、この「仕様変更」に困惑する者の一人だった。彼女曰く、最初はこのような展開になることは無かったのだという。
「最初にクトゥルーのダゴンから計画を聞いた時には、このような話は無かったのです。おそらくは実装直前にクトゥルーのダゴンがねじ込んだのでしょう」
「なんのために?」
「面白いから?」
困り顔で話すガイアに祐二が問いかけ、それに美沙が答える。祐二は「そんな理由で?」と美沙の方を向きながら聞き返し、対してロバートが祐二に言った。
「案外それが正解かもしれんぞ」
「えっ?」
「特にそうなることによるメリットもデメリットも無いんだろう? 開発側のお遊びと取っても不思議じゃない。なら面白そうだったから採用したという理屈も通ると思うんだが」
「まさか、そうなのか?」
ロバートの説明を聞いた祐二がガイアに向き直る。ガイアは首を横に振った。
「なんとも言えません。本人から直接聞くしかないでしょうね」
「つまり、ダンジョンを潜ってダゴンに会いに行くしかないと?」
「はい。今ダゴンはイベントにつきっきりで身動きがとれない状態にあります。こちらから出向くしかないでしょう」
ガイアが頷きながら答える。祐二達は顔を見合わせた。
「じゃあ行ってみる?」
「確かに気になるし、それにイベントもこなしてみたいしな」
「気になることがあるなら、まずは徹底的に調べてみる。捜査の基本だな」
三人は互いの意思を確認しあった。そしてガイアが彼らに声をかける。
「行くというのですね?」
「そうなるかな」
「では、現人神の力は使わないようにお願いしますね」
それもそうか。予想外のことをしてくれたが、それでも向こうは真面目にイベントを進めているのだ。それにその「予想外の事態」も、姿が変わるだけで深刻な被害が出るほどのことでもなかった。
「でもそれ、現実の世界でも魚になるのかしら?」
「あ」
忘れてた。祐二は自分の身の上に起きたことを思い出した。一度ああなったら、現実でも魚の姿になるのだ。
あれで実生活に影響出ないと考える方がおかしい。
「……真面目に行った方がいいかもしれんな」
その空気の変化を敏感に感じ取ったロバートが呟く。まったくその通りだった。
ダゴン。どこまでも面倒なことをしてくれる神だった。