「ダゴン」
ひとしきり暴れ終わって落ち着いた後、闇はそこで初めてこの場所に自分以外の誰かがいることに気がついた。気がついた時には、既に城の上半分がなくなっていた。祐二達は幸運にも落石から生き延びていた。
それから闇は瓦礫の山の中で四つん這いの姿勢になって三人に顔を近づけ、その無貌の闇の中から声を響かせた。
「お前達、何者だ? なぜ人間がこんな所にいる?」
その音声に反応するようにして顔の表面が中心から波立ち、幾重もの波紋となって広がっていく。それを見た三人はあまりのおどろおどろしさに竦み上がったが、やがて祐二が最初に口を開いた。
「お、俺達はその、調査に来たんだ」
「調査だと? この禁域に人間が何をしに来た?」
「現人神として来たんだよ。ここにいるはずの奴に用があったんだ」
「現人神とな」
闇が身動ぎ、顔を三人から離す。そしてやや遠くから三人を見つめ、再び顔を近づけながら祐二に問いかける。
「名を名乗れ。現人神」
闇に促されるまま、祐二達は順番に自分の名前を言っていった。そしてロバートの名を聞いた時、闇は「うん?」と声を上げた。そこには明らかに不審の色が籠もっていた。
「お前、現人神ではないな。なぜ神に選ばれた者でもない人間がここにいる?」
「協力者よ。特別に協力してもらってるの」
美沙が食い気味に闇に答える。しかし闇はそれを聞いても「本当なのか?」と納得できないように首を傾げ、そんな闇に対して美沙が続けて言った。
「だ、だったらガイアに聞いてみなさいよ。向こうからちゃんと許可もらってるんだから」
「ガイアだと?」
「そ、そうよ。この人がここにいるのはガイアも了承してるんだから」
美沙の言葉の最後は若干裏返っていた。それでも美沙は我を通し、最後まで萎縮することなく闇に向けて言い切った。
対して人型の闇はそれを受けて、その後暫し黙り込んだ。祐二達も何も言わず、その眼前で四つん這いの姿勢のまま固まったそれをじっと見守った。
「本当のようだな」
そして十秒ほど経った後、闇が再び重い音をたてて動きながら声を発した。音を出す度に波紋を立てる顔面を見ながら、美沙は「ほら、言ったとおりでしょ」と強気な姿勢を見せた。
闇は憤慨することもなく、納得したように声を出した。
「なるほど、お前達のことはだいたいわかった。狙いは同じというわけか」
「同じ?」
「それよりまずお前の名前を教えてくれ。こっちも自己紹介したんだから、今度はそっちの番だ」
それに反応するロバートの横で祐二が闇に問いかける。闇は祐二の方に視線を向けーー少なくとも祐二はそう感じたーーそれから三人に対して声を出した。
「そうだな。ならば名乗っておこう。我はダゴン。深き場所に身を潜める者だ」
「え?」
三人が揃って目を丸くする。祐二の脳内にガイアの声が聞こえてきたのはまさにその時だった。
「どうしたのですか。先程から声が聞こえてこないのですが。イタズラ電話ですか?」
そのいつもと変わらない柔和な声を聞いて、祐二は自分が以前から「回線」を繋ぎっぱなしにしていたことを思い出した。
その後、それを思い出した祐二はガイアにそのことーー自分の目の前にダゴンと名乗る神がいることを告げた。最初それを聞いたガイアは「ようやく会えたのですね」と声を弾ませたが、次に祐二がそのダゴンの特徴を告げると、彼女は一気にその声の調子を落とした。
「ああ、そちらの方のダゴンでしたか」
「そっち? どういう意味だ?」
「そういえば話していませんでしたね。ダゴンは二人いるんですよ」
ガイアがさらっと言ってのける。それを聞いた祐二は頭の中が一瞬真っ白になった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。なんでそんなことになってるんだ?」
「それについては後で説明します。とにかく今知っておくべきは、そちらの方のダゴンはハズレだということです」
「俺達の探してるダゴンじゃないってことか」
「そうですね」
祐二の声に答えるようにガイアが言葉を放つ。それが祐二の脳内に響いた直後、彼を含む三人とダゴンと名乗る人型の闇の間にある空間に渦が生じた。祐二が意識をそちらに向け、他の面々もそれに注目した次の瞬間、渦の中から一人の女性が姿を見せた。
「直接お話しした方がいいでしょう」
それは祐二達のよく知る人物だった。それまで祐二が脳内電波で会話をしていたガイアそのものだった。
「あ、ガイア」
「前に見たときと衣装が替わってるな」
「私だってお洒落はするのですよ?」
無意識の内にその姿を見た美沙が相手の名を呼び、ロバートが冷静に相手の特徴を観察する。そしてロバートの言葉ににこやかに返した後、ガイアは両サイドにいる四人を交互に見ながら、先程祐二と話したのと同じ語調で話し始めた。
「どうやらここにはいないようですね」
「見ての通りだ。ここには現人神とその連れしかいなかった」
「一手遅かったと言うわけですか。相手も中々素早いですね」
二人目のダゴンとガイアが話し始める。それに割り込むように祐二がガイアに問いかける。
「それで、こっちのダゴンはどういうダゴンなんだ? カナンのダゴンとはどういう関係なんだ?」
「もう、せっかちな方ですね」
祐二の方を見てガイアが苦笑を漏らす。怒る様子は一向に見られなかった。それからガイアはダゴンに背を向け、人間三人に対して説明を始めた。
「ここに来る前に祐二に言ったのですが、ダゴンは二人いるのです」
「何それ聞いてない」
「あなた方には今話したばかりですからね」
ガイアがさらりと返す。一瞬カチンと来たように片眉を吊り上げた美沙を無視してガイアが続ける。
「先にも申した通り、ダゴンと名乗る者は二人いるのです。一人は今あなた達が追っている方のダゴンです。こちらは古代パレスチナ、カナンの地に住まうペリシテ人が信仰していた神ですね。海を司る神です」
「なるほど」
「それで、もう一人は?」
「それは今こちらにいる方のダゴンです。こちらは二十世紀に生まれたダゴンですね」
「二十世紀だと?」
ロバートが思わず声を上げる。ガイアは頷き、話を続けた。
「こちらは一人の作家が起爆剤となって作り上げた神話ですね。クトゥルー神話と言うものです」
「あ、それ聞いたことある」
「なんだそれ」
「聞いたこと無いぞそれ」
名前を聞いた美沙が顔を輝かせ、祐二とロバートが顔をしかめる。ガイアはしかめる二人に顔を向けて続けた。
「怪奇幻想作家H・P・ラヴクラフト。アメリカに住むその人が作り上げた狂気の神話世界です」
「他の神話に比べれば随分新しいんだな」
「その通りですね。形になってからまだ百年と少ししか経ってないでしょう」
「そんな新しい神話もこのゲームの中に入ってるのか」
「それだけ多くの人に認知されているということです。彼らもまた実体を得るほどに多くの信仰を得たのですよ」
ガイアの言葉を聞いた三人が素直に感心した声を上げる。ガイアの後ろにいたダゴンは「凄かろう」と得意げに言葉を出し、その後で祐二がガイアに問いかけた。
「それで、そのクトゥルーのダゴンはどういう効果なんだ? いや効果っていうか能力っていうか、特性? みたいな奴か」
「まずSAN値を削りますね」
「は?」
「SAN値を削ります」
意味が分からなかった。ポカンとする祐二にガイアが言った。
「出会っただけで正気を失うことです。今あなた方の前にいるダゴンが闇一色なのも、本当の姿を見た人が正気を失わないようにするためなのです」
それを聞いた三人が無意識の内に後ずさりする。それを見たガイアは笑いながら「今は大丈夫ですよ」と返し、そのままにこやかに三人を見ながらガイアが言った。
「さて、せっかくですからもう少し、ダゴンについて説明をしましょうか。月に魚が出てきた理由もそれでわかると思いますからね」
「そういうのは最初に言っておくべきなんじゃないのか」
「すいません。忘れてました」
ガイアが素直に謝る。ロバートは憤慨したが、後の祭りだった。