「空城」
ダゴンの居城は海の迷宮からさらに下層、光の届かない暗闇に包まれた領域の中にあった。そこは本来ダンジョンとして使う予定のない、それどころかそもそも作られてすらいない空白の場所であった。
「つまり、どういうこと?」
「他人のパソコンのハードディスクの空き領域に勝手にゲーム突っ込んだってことじゃない?」
「それは怒られても文句は言えないな」
祐二の問いかけに美沙が答え、ロバートが顔をしかめて感想を述べる。祐二はいまいち実感がわかなかったが、とりあえず不味いことをしたんだなとはなんとなくわかった。
「それで、そこにはどうやって行くんだ?」
「ご安心を。ダゴンの場所には私がご案内します。あっという間に着けますよ」
その後祐二の質問にガイアが答え、そのままガイアは祐二達に向けて左手を伸ばし、指差すように彼らに人差し指を突き出した。
「?」
ガイアの突然の行動を前にして、三人が不審げな表情を浮かべる。その彼らの眼前に、不意に一つの白く光る球体が出現した。
突然のことに驚く人間達の目の前で、球体が独りでに姿を変えていく。そしてその球体は一個の鐘となり、彼らの眼前に浮いていた。
「私と連絡を取りたくなったら、その鐘を鳴らしてください。そうすれば私と意識が繋がり、思念を通じて会話をすることが出来ます」
ガイアがそう説明を終えた後、鐘は再び球体へと戻り、彼らの左手へと飛び込んでいった。避ける間もなく球体は三人の左手とそれぞれ接触し、そのまま手の中に吸い込まれるようにして姿を消した。
「使い方は普通のアイテムと同じです。メニューディスプレイを開いてそこから使うか、もしくはショートカットアイテムに設定してそこから使うかですね。私としてはショートカット欄に置いておく方が良いかと思います」
ガイアはそれから右手を軽く払い、自分の真横に霧の中から灰色の扉を出現させた。
「こちらから行けます。ご武運を」
ガイアがゆっくりと微笑む。しかし祐二達はすぐには動き出さず、その場で生唾を飲み込んだ。いつだって未知の領域に踏み込むのは緊張するのだ。
「祐二」
「わかってる」
しかしいつまでもこうしてる訳には行かない。美沙の言葉を受けた祐二が肩に力を込め、一歩前に出る。美沙とロバートもそれに続き、そしてついに祐二がドアノブに手をかける。
「いってきます」
誰に言うでもなく、祐二が静かに呟く。ガイアも何も言わずに軽く頭を下げ、そして祐二はドアノブを回してそれを開けた。
開けたドアの先には城があった。ドアと城の間に石畳の道があり、その周りには荒野が広がっていた。
灰色に染まった城はまさに「イメージ通り」の作りであった。堅牢な城壁で囲まれ、尖塔が立ち並び、堂々とした威容を見せていた。
「なんだここ」
「海じゃないよね」
乾いた大地に足をつけた祐二と美沙が呆然と言葉を放つ。ロバートはそもそも何も言えず、阿呆のように口を半開きにしたままだった。
「それで、ダゴンはどこ?」
「たぶんあの城じゃないかしら」
「まあ普通に考えればそうだよな」
その感覚の麻痺したロバートを後目に、祐二と美沙が互いに意見を交わしあう。二人は完全とはいかないまでも、流石にこうした状況に慣れ始めていた。
「よし、行くか」
「そうね。行きますよ?」
「ん? ああ、わかった」
そして意見交換を終えた二人は城に向かって歩き出した。歩き始めに美沙はロバートに声をかけ、それを聞いたロバートも我に返ってそれに続いた。
正門は開け放しになっていた。門番や衛兵の類は存在せず、三人が城内に入り込んでも何のリアクションも返ってこなかった。
「静かすぎるな」
中庭に入った所で目を細めながらロバートが言った。前を行く現人神二人もそれに頷き、美沙が不審げに言った。
「罠かしら?」
「そうだとしても、今更後には引けないだろ」
しかし祐二が力強く言い返し、美沙もそれを聞いてうなずく。彼の言う通り、ここまで来て引き返す訳にはいかない。
「行こう」
祐二の声を皮切りにして、三人が正面玄関へ向かう。それから彼らは何の妨害も受けず、玄関の大扉を三人がかりで押し開けた。
扉の先はすぐに玉座の間に繋がっていた。扉から奥に見える玉座まで赤い絨毯がまっすぐに敷かれ、広い室内の天井には豪華なシャンデリアが吊されていた。他の部屋ないし廊下に続く扉も階段も無く、複雑な構造など欠片も無かった。
「マジで?」
「なんか拍子抜けね」
明らかに手抜きな作りをしていた城内を前に祐二が渋い表情を浮かべ、ダンジョンのようなものを期待していた美沙が目に見えて肩を落とす。一方でロバートは安心したように肩の力を抜いた。
「わかりやすい方がいい」
「それはそうなんですけどね」
「まあとにかく、あそこまで行ってみよう」
祐二の言葉をきっかけに三人が動き出す。そして三人は玉座の真ん前までたどり着くが、そこには誰もいなかった。
「あれ?」
「いない」
目の前には宝石できらびやかに飾られた椅子しか無かった。祐二達は互いに顔を見合わせ、共に怪訝な表情を浮かべる。
「どういうこと?」
「誰もいないぞ」
「いや待て。ひょっとしたらどこかに誰か潜んでいるかもしれん。細かく探してみるべきだろうな」
目を白黒させる祐二と美沙にロバートが提案する。二人はその探偵の言葉を受け、そしてそれぞれ室内を探索してみることにした。
結果は不発だった。
「本当に誰もいないぞ」
「どうなってるのよこれ」
「おかしい。隠し部屋も何もないぞ。そもそも誰かが住んでいた形跡も見られない」
床。壁。壁際の柱。絨毯の裏や玉座の後ろに据えられたステンドグラスまで、隅から隅までくまなく調べた。ロバートもこれまでに培ってきた調査力を総動員したが、何の確証も得られなかった。プロでこれだったのだから、素人の祐二と美沙については言わずもがなだった。
「無理です。なんも無いです」
「こっちもです」
「そうか。こっちも収穫無しだ」
それから三人は自然と玉座の前に集まり、そこで結果を報告しあった。そして三人揃って不作だったことを受けて、ロバートは釈然としないように顔をしかめた。
「これだけ探して手掛かりなしとはな。もしくはまだどこかに探し終えてない場所があるのか?」
「絨毯丸ごとひっくり返したりとかはまだしてないですよね」
「確かにそれはまだよね。ていうかそもそも、ここの主はもう外に出たとかじゃないの?」
美沙の言葉に祐二とロバートが反応する。それはどういうことだ。二人同時に声を放ち、美沙はステレオで聞こえてきた声に少し戸惑ってからそれに答えた。
「いやだから、もうここにはいないんじゃないかってことよ。城に住んでた人達はここを出て別の場所に向かったのよ。城の中ががら空きなのも、扉に鍵がかかってなかったのもそのせいなんじゃないの?」
「なるほど、それは一理あるな」
美沙の答えにロバートが反応する。それから彼は少し考え込んだ後、顔を上げて美沙の方を見ながら「それが正解かもしれん」と言った。
「これだけ探して見つからないんだ。夜逃げしたという線も視野に入れていく必要があるだろうな」
「じゃあここの捜索は打ち切りですか?」
「いや、もう一度調べてみよう。どこに逃げたかについては、あのガイアという神に頼んで調査してもらうんだ」
ロバートの言葉を聞いた祐二がさっそく行動に入った。彼はメニューディスプレイを開いてアイテム画面に移り、そこに表示されるアイテム欄を下にドラッグして例の鐘を選択した。ショートカットアイテムに選択すれば頭の中で「これを使うぞ」と念じるだけで簡単に使用出来るようになるのだが、祐二はその設定をしなかった。面倒くさかったのだ。
とにかく、祐二がその鐘のイラストの描かれた部分をタッチする。すると目の前に前に見たのと同じ鐘が出現し、それを右手で受け取ってディスプレイを消しながらゆっくりと鳴らす。
透き通った音色が室内に響きわたる。直後、祐二の脳内にガイアの声が聞こえてくる。
「どうかしましたか? 何か進展がありましたか?」
次の瞬間、玉座の間の天井が崩落した。
「あ」
口より先に体が動いた。頭上から震動と轟音が襲いかかってきた刹那、三人は反射的に奥の方へ駆け出していた。
祐二達が玉座の裏に回る。間一髪、それまで彼らのいた場所に瓦礫とガラス、そしてシャンデリアが丸ごと落下してくる。土煙が上がり、暴力的な音の連鎖が三人の鼓膜を容赦なく叩きつける。
「なんなんだいったい!」
ロバートが顔を上げる。視線の先には天井にぽっかりと開けられた大穴があった。穴の向こうには無謬の闇が広がり、まるで城のすぐ外に宇宙が広がっているかのような錯覚を覚えた。
その穴の縁で何かが動いたような気がした。視界の隅でそれを捉えたロバートが視線をそこへ向けた瞬間、何かがそこから落ちてきた。
「奴はどこだァ!」
ロバートが視線をそれに向けるのと、それが大声を発したのはほぼ同時だった。祐二と美沙もそれに気づいて顔を上げ、そしてそこにある物を見て絶句した。
「なにあれ」
「人?」
それは巨大な人影だった。手足は痩せ細り、胴体が長く、顔は縦に伸びた楕円形をしていた。目や鼻といった顔のパーツは無く、体の凹凸も見えなかった。巨大な人が影に包まれているというより、闇が人の形をしていたと言うべきであった。
「奴はどこだ! どこにいる! 姿を見せろ!」
そしてその巨大な人型の闇は細長い腕を振り回し、同じ言葉をしきりに繰り返していた。人間三人のことは眼中にないようであった。
「何あれ?」
「さあ」
「敵なのか?」
闇を直視しながら三人が言葉を交わす。巨大な闇が落ち着きを取り戻すのはそれから暫く経ってのことだった。