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「軒先の魚」

「いやあ、地球に降りてくる月人は本当に久し振りですよ。まともにもてなしも出来ずに申し訳ないです」


 成田空港から車で東京都までやってきたロバートは、自分は現在進行形で悪い夢を見ているんじゃないかと思い悩んでいた。こうしてベンツの後部座席に座り、町中を進んでいる自分は本当の自分ではないのではないか。全ては実体の無い夢であり、本当の自分は今もなお地球行きのシャトルの中で寝息を立てているのではないか。そう思わずにはいられなかった。

 ひょっとしたら、自分はそもそも件の依頼すら受けていないのではないのか? ロバートの妄想は膨らむ一方だった。


「ちょっと気をつけてください。前の方で戦闘してるみたいです」


 そんなロバートの意識を現実に引き戻すかのように、ベンツの運転手が彼に声をかけた。そして実際にロバートの意識が元の通り表出した刹那、彼の乗るベンツの真横に上空から「何か」が落下してきた。


「なんだ!?」


 まるで隕石が落ちてきたかのような衝撃だった。それは猛スピードで路面に斜めから激突し、ベンツはその煽りを受けて車体ごと宙に浮き上がった。そして車内で一瞬浮遊感を味わった後、ロバートは体が高所から落下する感覚を覚え、続けて自分の尻に鈍い衝撃が走るのを感じた。


「お客さん、大丈夫ですか?」

「あ、ああ、なんとかな」


 そして車が元通り地面と接した後、ロバートはずり落ちた尻を座席に戻し姿勢を正しながら、運転手の声に答えた。そしてすぐさま視線を窓の外によこし、自分のすぐそばに落ちた「それ」の正体を知ろうと目を皿にした。


「おのれ、あくまでもそちら側につくというのですか!」


 もうもうと煙を立てるその「落下地点」から白煙をかき消しつつ姿を見せたのは、一人の天使だった。金色の長髪と瞳を持ち、すらりと引き締まった体の上から汚れ一つないワンピースを身につけ、背中からは服と同じくらいまっさらな翼を生やしていた。右手には金の装飾の施された銀の剣を持ち、左手には剣と同じ意匠を施された盾を持っていた。


「愚かな。悪魔の側について何の得があるというのだ。人の子よ、これ以上罪を重ねてなんになるのだ」


 その中性的な顔立ちをした天使は、剣を握る手に力を込めながら前方を睨みつけた。端正な顔は怒りと理不尽で歪み、それを見たロバートはその怒りが自分に向けられた物ではないと知りつつも思わず息をのんだ。


「悪いな。俺はもっと自由に生きたいんだ。お前らの勧誘なんざまっぴらなんだよ」


 そしてその天使の睨みつける先、ベンツの目と鼻の先に立っていた一人の人間が、意地の悪い笑みを浮かべながらそう言った。ロバートがその声を聞いてその人間の方に目をやったとき、彼はその人間が背中から炎を翼のように噴き出して宙に浮いていたように見えた。しかし次の瞬間にはその炎の翼は影も形も無くなっており、人間の両足もまたしっかりと地面についていた。

 そして何よりロバートの目を惹いたのは、その人間が中世の騎士が身につけるような甲冑を装備していたことであった。高層ビルの建ち並ぶ摩天楼のただ中にあって、その姿は時代錯誤も甚だしかった。


「いいからさっさと消えろ。お前なんざお呼びじゃないんだよ」

「なんという不敬。これ以上はもはや我慢ならん」


 そしてその甲冑姿の人間はそう言いながら腰に提げていた剣に手をかけ、慣れた手つきでそれを引き抜いた。天使もそれに応えるように盾と剣を構える。その姿はまるで中世の決闘のようであった。今は二十一世紀だというのに。

 二人は互いに敵しか見ておらず、ロバートと彼の乗る車のことは眼中に無いようだった。


「今の内に退散しましょう。巻き込まれたらどうなるかわかりませんから」


 そんな光景を横目で見ていた運転手が声をかける。そしてロバートの返答も待たずアクセルを踏み、気づかれぬようゆっくりと出発する。そして後部座席に座っていたロバートと甲冑姿の人間がすれ違った瞬間、ロバートは窓越しにその人間が放った言葉を耳にした。


「ラー、やるぞ」


 直後、彼は熱波がドアを越えて自分の体に襲いかかってくるのを実感した。甲冑人間の姿に変化は無かったが、ロバートは確実に「熱さ」を感じていた。


「人間が守護を降ろしたみたいですね」


 そのロバートの異変に気づいたのか、運転手が前を見ながら言った。その言葉を聞いたロバートは「今のがそうなのか」と返し、運転手は「そうですよ」と軽く返した。


「今この国がどうなっているかについては、もうご存じですよね。さすがに月には地球のニュースは届いてないかと思いますが」


 ロバートは無言で頷いた。空港からここまでの間、彼はここで何が起きているのかを運転手から聞いていたのだ。どれもこれも月では一度も耳にしたことのない情報であった。

 月は今開発途上にあった。全く異なる環境を前にして自分達のことだけで精一杯であり、地球のことにかまけている暇は無かったのだ。


「ゲームがねえ」

「嘘くさいかもしれませんが、全部本当なんです。さっき見たのもそれの一例なんですよ」

「ゲーム中で手に入れた武器を現実世界で使えるようになったのか。物騒だな」

「慣れればそうでも無いですよ。住めば都ってやつですかね」


 ロバートはその運転手の話を素直に信じることにしていた。そもそも自分の目の前で動かぬ証拠が活き活きと動き回っていた以上、彼としては信じるしかなかった。


「まさか本物の天使と悪魔にお目見え出来るとは思わなかったよ。それも日本でなんてね」

「驚きでしょう? 外国の人は大抵驚くんですよ」


 運転手の声を聞きながら、ロバートが窓越しに空を見上げる。そこには翼を広げた天使と悪魔が、渡り鳥のように方々を飛び回っていた。立体道路の上やビルの屋上に腰を下ろしていた者もおり、空は完全に彼らのテリトリーと化していた。


「ヘリコプターとかもめっきり飛ばなくなりましたね。悪魔達が騒音被害だとか言って、飛んでるヘリコプターを問答無用で落とし始めたんですよ。今まともに動いてるのは悪魔達よりも高いところを飛んでるジェット機くらいじゃないですかね」

「なるほど、そんなことがあったのか。じゃあお前もそのヘリ落としに参加してたのか?」


 運転手の言葉を聞きながら、ロバートがまっすぐ運転席の方を見る。ベンツを動かしていたその運転手はゆっくりと首を動かし、そこで初めてロバートの方を見た。


「まあ、それなりにね」


 ロバートはその運転手の顔に見覚えがあった。地球行きのシャトルで出くわした悪魔だ。

 彼はその後ロバートと共に空港に降り立ち、そのまま運転手役を引き受けたのだった。ロバートは混乱こそしていたが、断るのも無粋と思い彼の申し出を承諾した。

 悪魔はここまでフレンドリーなのか。車に乗った当初はロバートはそう思ったが、彼はすぐにあることを思い出して考えを改めた。天使と悪魔に関して昔から言われている有名なフレーズだ。

 曰く、悪魔は笑いながら、天使は怒りながら近づいてくるのだ。今更気づいて後悔しても手遅れであったが。


「ところで、この車はどこに向かってるんだ?」


 そんな「即席専属運転手」に向かって、ロバートが問いかける。ハンドルを握る悪魔は前を向き、スピードを速めながらそれに答えた。


「あなたが追ってる例の件、魚人間に関しての手掛かりを持ってる人のところです。そもそも私は、あなたをその人間のもとに案内するために遣わされたんですよ」

「そうなのか。それで、その人間はなんていうんだ?」


 なぜ自分が選ばれたのか疑問はあったが、それはひとまず横に置いてロバートが問いかける。悪魔は少し思い出すように考え込んだ後、それを思い出したように明るい調子で答えた。


「現人神って言います」





 それから数十分後、車は一つの建物の前で停止した。運転手の悪魔はバックミラー越しにロバートを見ながら「ここが目的地です」と告げた。


「一軒家にしては随分大きいな」

「ここは孤児院ですよ」

「孤児院?」

「ここに現人神様の一人が住んでるんです。理由はまあ、あまり深く考えない方がいいでしょうな」


 ロバートは悪魔の言葉に素直に頷いた。人間誰でも触れられたくない過去の一つはあるものだ。

 天使や悪魔もそうなのだろうか? そう思いながらロバートはドアを開け、車の外に出た。


「じゃあ、私はこれで」

「ああ。助かったよ」


 そしてロバートは運転席にいる悪魔に向けて礼を述べ、それを聞いた悪魔はゆっくりと車を走らせていった。その後ろ姿を暫しの間見つめた後、ロバートはその孤児院の玄関前まで向かった。


「ごめんください」


 ドアの横にあるインターホンを鳴らしてロバートが声をかける。それかれ数秒も経たない内にインターホンの向こうから声が返ってきた。


「どちら様でしょうか?」

「ロバートと申します」

「ああ、あなたがそうですか。待っててください、今開けますから」


 ロバートは軽く唸った。いつの間に自分の名前が向こうに伝わっていたんだ?

 しかし彼がそう思っている間にも事態は進行していた。ドアが音を立てて開き始め、そして向こうから声の主と思われる一つの影が姿を現した。

 それを見た直後、ロバートは絶句した。


「どうも、現人神の安藤祐二です。よろしくお願いします」


 自分よりも二回りも巨大で、四肢を生やし、二本の足で垂直に立った魚。

 魚人間。

 ロバートの前に件の依頼人が話した通りの、一体の「魚人間」がいた。


「とりあえず立ち話もあれですから、どうぞ中に入ってください」


 魚が体を横に動かしながら片手を伸ばし、室内に招き入れようとする。移動させる度に魚の足下からペタペタと粘り気のある音が響き、その銀の上に数本の青い横縞を平行に刻んだ肌が頭上にある照明の光を受けて鈍い光沢を放つ。

 ロバートは頭の中が真っ白になっていた。異常な光景から正気を守るための防衛機構が発動した結果であった。


「どうしました?」

「い、いや、すいません。失礼します」


 そうしてその魚を前にして圧倒されていたロバートだったが、魚からの声を聞いて我に返り、慌てて孤児院の中へ入っていく。そして歩調を緩めずに進み続け、脇に退いていた魚人間を追い越す。

 視界から魚の姿が消える。ほんの僅か安堵した刹那、後ろからペタペタと足音がしてくる。ドアの閉まる音が鼓膜を揺らし、垂直の魚がじわじわと距離を詰めてくる。

 こんな仕事受けるんじゃなかった。ロバートは本格的に後悔し始めていた。

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