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「空の上から」

 私立探偵ロバート・ブラークがその依頼を受けたのは、決して好奇心にかられたからでは無かった。彼は自分がプロの探偵であることを自認しており、そしてプロの探偵とは仕事の選り好みをしないものだと考えていた。


「わかりました。調査してみましょう」


 しかしロバートが二つ返事でそれを引き受けた時、今度は依頼人である男の方が目を丸くした。テーブルを挟んでソファに腰掛けていたその男は、紺のスーツを身につけた白髪の老人であった。頭髪は大分後退していたが、それでも「禿げている」と言われない程度には髪の毛を残していた。

 そしてそんな男の顔には、自分から仕事を持ちかけておきながら、「なんでこんな仕事を引き受けるんだ」と言わんばかりの困惑の色がありありと浮かんでいた。


「例えどんなことであれ、頼まれた依頼は遂行する。それが私の探偵としてのポリシーなのですよ」


 そんな依頼人に対し、ロバートは自然な態度でそう言った。彼は自分もまたソファに腰掛け、依頼人と相対していた。それを聞いた依頼人は「いえ、受けてくれるのは嬉しいのですが」となおも戸惑いの表情を浮かべながら言葉を返した。


「自分で言うのもあれなんですが、いくらなんでもこれは馬鹿げてます。子供の妄想としか思えません」

「ですが、あなたの教え子は確かにそれを見たと言っているんですよね? しかも一人二人ではなく、クラスのほぼ全員が、違う日に、違う場所で」

「は、はあ」

「子供のいたずらにしては手が込んでると思いませんか? 例え妄想だったとしても、単純にそれとして片づけるには無理があると思うのです」


 ロバートの説明を受け、依頼人は一転して神妙な顔つきになった。そして男はスーツの胸ポケットからハンカチを取り出し、額を拭いながらロバートに言った。


「それはそうなのですが」

「それにあなたも、これが子供のいたずらなり妄想なりと本気で思っていたのだとしたら、わざわざ私のところに来たりはしなかったはずです。警察に頼んで、それで終わりで良かったはずだ」

「ま、まあ……」

「確かに変だと思う気持ちもわかります。ですがここはとりあえず、私に任せてみてはくれませんか」


 ロバートが念を押すように依頼人に話しかける。本心を突かれ、依頼人であるその教師は暫く逡巡したが、結局は彼の言葉の前に折れた。


「わかりました。よろしくお願いします」

「結果が出るまで暫くお待ちください。そう時間はかからないと思いますから」


 依頼人に対してロバートはそう言った。依頼人の方もすっかり気負うことを止め、力なく頭を垂れた。


「どうか、よろしくお願いします」





 依頼人を帰した後、ロバートはソファから立ち上がり、ブラインドをかけた窓の方に向かって歩き出した。途中で窓と平行して置かれていた自分専用のデスクの上に放られていたタバコの箱を取り上げ、そこからタバコを一本取り出して口にくわえる。そして窓のそばに立つと同時に胸元からジッポーを取り出し、タバコの先端に火をつけた。

 煙が肺まで行き届くのを実感する。悩みや不安と共に重たい煙を口から吐き出し、心を落ち着かせる。彼が仕事をする前はいつもこうしてタバコを吸っていた。精神を安定させ、平常心で依頼に当たるための儀式のようなものであった。


「……」


 ロバートはそれから暫しの間、無心でタバコをふかした。そしてそれの半分が灰に変わった頃、彼は脇にある紐を引っ張っておもむろにブラインドを上げた。

 窓の外には碁盤のように規則的に敷かれた道路に囲まれるように、複数の建物がその道路で区切られた枠の中に同じ数だけ並んでいる光景が広がっていた。建物の形と大きさはそれぞれバラバラだったが、色は全て白で統一されていた。強化合成コンクリートで作られたその建物は非常に味気なく、頭数こそ十分あったが、それでもそこは町というには余りにも貧相な姿を晒していた。

 町は闇の中に包まれていた。建物の窓からは光が漏れ、きらびやかな印象を与えたが、一度視線を上げると、そこには星一つ見えない漆黒の空間が広がっていた。さらに視線を上に向けると、その先には一つの青い球体が浮かんでいた。

 地球。我らが母なる星だ。


「遠き故郷か」


 ロバートは十八の頃、両親に連れられて月へと移住してきていた。当時のロバートは自分達が「勝ち組」だと自負していた。月に行けるのは一握りの富裕層の人間だけだということを知っていたからだ。しかし幸運は続かなかった。

 二十二の時、火事で両親を同時に亡くした。当時は強化合成コンクリートの生成が不安定であり、強い発火性を持つというデメリットを抱えていた。しかし他に使える資材も無く、月に移った者達は低コストで大量生産出来るそれを使わざるを得なかった。

 それから二年後、ロバートは探偵社の一つに入社した。特別探偵に興味があったわけではない。たまたまその看板が目に留まって、適当に入ってみたら本当に採用されてしまったのである。親を喪ったショックから立ち直れずにいた当時の彼は、流されるまま探偵の業務を続けた。

 三十三の頃、ロバートは独立した。その頃には傷も癒え、当時の記憶を忘れることこそ無かったが、必要以上にそれによって苛まされることも無くなった。そして五年経った現在、彼は過去に縛られることも無く、精力的に仕事に当たっていた。

 その中で担当した事件は大小含めると七十を越えていた。耳を疑うような怪事件を担当することも一度や二度では無かったが、今回受けた仕事は輪を掛けて奇妙だった。


「歩く魚か」


 依頼人から聞いた話を頭の中で反芻させながらロバートが呟く。この月に唯一存在する町の中で夜な夜な「魚人間」が出没し、人目もはばからず徘徊しているのだという。その名の通り、四肢の生えた魚が垂直に立って歩いているらしい。

 最初は生徒達の二、三人がそう訴えてきただけだった。夜に外を見ると、人気のない通りを件の魚人間が歩いているのを見たのだと言う。そして日を追うにつれて「それを見た」という者は増えていき、仕舞いにはクラス全員が同じ物を見たと言い出した。

 最初は適当にあしらっていたその教師も、クラス全員が同じことを言ってきた時には流石に背筋が寒くなった。もしかしたら本当にいるんじゃないかと自分でも思うようになった。

 しかし警察はまともに取り合わなかった。当然といえば当然の流れであったが、教師はこのまま引き下がるのも釈然としなかった。その時の子供達は全員が真剣な顔で訴えてきており、彼らが総掛かりでいたずらをしているとも思えなかったのだ。

 もちろん疑いの念も捨て切れていなかった。そして彼は半信半疑のまま、ダメ元でロバートの所にやって来たのであった。


「さて、どこから手をつけようかね」


 タバコを一本吸い終えたところで残りを灰皿にねじ込み、ロバートが軽く背伸びをする。彼の事務所に

置かれていた電話が鳴り響いたのはその直後だった。





 一時間後、彼はスペースシャトルの中にいた。これは一日に十本運行している地球と月を結ぶ往復便であり、十ドルも払えば誰でも乗ることが出来た。もっともこのご時世、わざわざ金を払ってまで地球に向かう物好きは皆無に近かった。現に今ロバートが乗っているシャトルの中に、彼以外の乗客はいなかった。

 当然ながらスチュワーデスの類もいない。完全にお役所仕事と化していたが、今のロバートにとっては運行してくれるだけでもありがたかった。


「皆様、ご搭乗ありがとうございます。本機はこれより大気圏を突破いたします。直ちに座席にお戻りになり、シートベルトをお締めください」


 無個性な機会音声のアナウンスが響き、規則的に配置されていた窓が自動で閉まっていく。その様子を見ながらロバートは慣れた手つきでベルトを締め、体をシートに固定させた。

 ロバートがここにいたのには当然理由があった。タバコを吸い終え、調査を始めようとした矢先に鳴り響いた電話である。


「魚人間のことで情報を探しているようですね」


 女の声だった。ロバートは驚きを押し殺しながら、努めて低い声で返した。


「あんたは?」

「名乗るほどの者ではありません。ただ、私も魚人間の謎を追っていましてね。その途中であなたを知った訳ですよ」


 自分が魚人間のことを知ったのはつい先ほどのことだ。あの教師、自分以外の探偵にも依頼をしたというのか?


「手がかりも無しに謎を追うのは骨が折れるかと存じます。ですので少し、あなたに情報を提供しようかと思いまして」


 その声の主は柔らかな口調でそう言った。言葉遣いは穏やかだったが、ロバートはそう簡単に心を許したりはしなかった。


「情報を知っているなら、どうして自分で動かないんだ。なんで俺に教える?」

「自分では動けないのです。理由は明かせませんが、あなたに頼むしか無いのです」


 後ろめたい理由でもあるのだろうか。ロバートはそこまで考えたが、深く気にしないことにした。脛に傷を持つ人間と対面することはこれが初めてではない。そしてその経験の中で、こういうことには深入りするべきではないということを彼はよく知っていた。


「それに、現時点では他に手掛かりもない。違いますか?」


 女の声がロバートの耳に刺さる。実際その通りだった。そう考えたロバートは素直に観念することにした。

 聞くだけならタダだ。


「わかった。聞くよ。それで情報ってなんなんだ?」

「魚人間の出所です。詳しく言うならば、魚人間が出現する根本の原因です」


 ロバートの目が鋭さを増した。彼は目を細め、半分脅すような口調で言った。


「本当なんだろうな?」

「もちろん本当です。神に誓って言います」

「神だ? 胡散臭いな」

「前にも言いましたが、あなたの方にも他に手掛かりは無いはず。これを無碍にする利点は無いかと思われますが」

「わかったよ。悪かった。大人しく聞くよ。教えてくれ」


 これ以上問答を続けるのは時間の無駄だ。そう思ったロバートは素直に相手の話を聞くことにした。電話越しの相手はそれを聞いて「ありがとうございます」と安堵した調子で返し、そのまま本題に入った。


「大気圏突入。暫くお待ちください」


 そして現在、それを聞いたロバートはシャトルの中にいた。我ながら安直すぎたか? 大気圏を通過する際に生じる摩擦熱によって機体が揺さぶられ、それによって発生する振動をシート越しに感じながら、ロバートは少し後悔した。いくらなんでも目の前の餌に簡単に食いつきすぎたかもしれない。

 しかし今更後悔しても始まらない。ロバートはそう考え直し、その思いを振り払った。それにかつて所属していた探偵所の所長も言っていたではないか。事件解決はスピードが命だと。


「ただいま、大気圏を突破しました。まもなく目的に到着いたします。皆様、お疲れさまでした」


 気づけばシートの振動も無くなっていた。アナウンスによってそれに気づいたロバートはベルトを外し、軽く背伸びをする。まあ、なんとかなるだろう。ロバートは気持ちを切り替えることにした。

 ダメ元なのは最初からだ。それに戻ろうと思えばいつでも戻れる。


「お客様、宇宙の旅はいかがでしたでしょうか?」


 不意に横から声をかけられる。明るい男の声だった。

 ロバートは一瞬疑問に思った。ここには「自分以外」誰もいなかったはずだ。乗客も、それこそスチュワーデスの類もいない。

 じゃあ誰だ?


「当機は間もなく、日本の新成田空港に到着いたします。準備のほどをお願いします」


 そんなロバートに向けて、続けて声がかけられる。相手の顔を見ようか、ロバートは躊躇した。何か嫌な予感がする。背筋に寒気が走り、探偵としての本能が警鐘を告げている。

 しかし結局は好奇心が勝った。


「ああ、わかったよ。すぐに準備する」


 そう答えながらロバートが声のする方に目をやる。いったい「二人目」が誰なのか、確かめてやろうじゃないか。

 二人目の姿が視界に移る。

 直後、彼は顔を向けたことを激しく後悔した。


「よろしくお願いしますね、人間」


 闇をそのまま吸い込んだような黒く滑らかな肌。禿げきった頭から生やした一対の角。背中から生やした蝙蝠の翼。

 それを見たロバートの脳裏に一つの単語が閃く。

 悪魔。


「あ、な」

「ロバート・ブラーク様ですね。空港を降りた後は私と一緒に来ていただきます。よろしいですね」


 ロバートは反射的に首を縦に振っていた。それを見た悪魔は「よろしい」と満足げに頷き、そのままシャトルの奥の方へ引っ込んでいった。

 ここまで奇怪な事件に巻き込まれたのは生まれて初めてだった。ロバートは初めて、自分が仕事を引き受けたことを後悔していた。

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