「新しい仕事」
「本当のことを知ったようだな」
話を聞き終えて恭とガイアから別れ、家に戻ったその日の夜、祐二は自室でアテナからそう問いかけられた。その口調は詰問しているものではなく、単純に好奇心から相手に質問をしているようだった。
「神がどうやって生まれたかってこと?」
「そうだ。聞いたのか?」
「ああ」
「誰から?」
「ガイアから」
「あいつか」
アテナが思い出したように返す。祐二が「知り合いなのか」と問いかけると、アテナはため息を漏らしながら言った。
「私と同じ神話の世界にいる女神だ。大地の女神だが、今では地球そのものを指す言葉としても使われている」
「そうなのか」
「これくらいのことは覚えておいても損はないぞ」
「悪かったな。神話には疎いんだよ」
指摘された祐二が口を尖らせる。アテナは苦笑をこぼし、パソコンを指さしながら「それで調べればいいだろう」と言った。
「そんな暇じゃないんだよ」
「そいうなのか? それならば私が一から教えてやってもいいぞ」
「それもそれで勘弁してくれ」
本物の神から神話の講習を受けることを想像した祐二が顔を暗くする。どこまでディープな内容の講義になるのか予想がつかない。
「正直言って、ついていけない気がする」
「大丈夫だ。初心者でもついていけるような密度で話してやる」
「いや、やっぱりやめてくれ」
きっぱりと断った祐二にアテナが「なんだ、つまらん」とふてくされたように返す。それから二人は暫くの間互いに黙り込み、室内にはむずがゆい静寂が流れた。
「で、あれは本当なのか?」
その後、不意に祐二が問いかけた。アテナは「なんのことだ」と聞き返すこともなく、静かに首を縦に振って答えた。
「そうだ。全て本当のことだ」
「神は人間が作ったってのも?」
「無意識の内に創造したというのが正しいだろうな。まあお前達人間が作ったという点では合っているな」
「そうなのか」
「お前も聞いていると思うが、神がどうやって生まれたかについては誰も知らない。私もわからない。何がどうなっているのか、誰もわからないのだ」
「確かガイアもそう言ってたな」
そこまで言ったところで、祐二があることに気づいた。そして彼はそのまま、気づいたことをアテナに問いかけた。
「そういえば、俺達がガイアと話してた時、お前あそこにいなかったよな」
「な、なんだいきなり。そもそもなぜそれがわかる?」
「いや、いつもは後ろに感じてる気配が無かったからさ。なんとなく気づいてたんだよ。何かあったのか?」
祐二から問われたアテナが渋い表情を浮かべる。何事かと思い彼女の顔を見つめる祐二に対し、顔をしかめたままアテナが言った。
「き、気恥ずかしいからだ」
「気恥ずかしい?」
「ガイアは我々の世界、つまり人間達がギリシア神話と呼んでいる世界では、万物の母とされている。神も人も、皆等しくガイアから誕生したとされているのだ。今でこそ地球を象徴する女神とされてはいるが、本来ガイアはこの世界そのものを指す存在だったのだ」
「空も海もガイアってことか?」
「それだけではない。他の星も、この宇宙も、全てがガイアであるのだ。形のないカオスから最初に生まれた存在、それがガイアなのだ」
アテナの話を聞いた祐二が「そんなのいるのか」と感心したように呟く。そして彼はそのままアテナに問いかけた。
「つまり、ガイアはお前にとって母親みたいな神ってことなのか」
「そうだ。おまけに彼奴は世話焼きな性格でな。面倒くさくてたまらんのだ。現人神と一緒にいるところを見られたら何を言われるかわからん。彼奴の小言はもう聞き飽きた」
アテナが疲れたように言葉を吐く。本当に迷惑している感じだった。
「だから出てこなかった。お前の前で色々言われるのは恥ずかしくて仕方ないからな。これが理由だ」
「母親はどこもそんな感じなのか」
「大抵はそんなものだろう。全く面倒極まりない」
そこまで言ったアテナがあることに気づく。安藤祐二は孤児院にいるのだ。
しまった。アテナが心の中で自らの迂闊さを呪った。さすがにデリカシーが無さすぎた。
「気にしなくていいよ」
そのアテナの心中を察した祐二が彼女に問いかける。軽く驚いたアテナは何かを言おうとしたが、そうして彼女が口を開くよりも前に、祐二がそれを遮るように言った。
「本当の母親が誰なのかはわからないけど、母親みたいな人はいるから」
「榊時子か」
「うん。だから全然不遇だとか思ったことはないよ」
「それでいいのか」
「こういうことはあまり気にしないことにしてるんだ。だからこれでいいんだよ」
祐二がそう言った直後、彼の頭の中にアラームオンが響いた。突然のことに驚く祐二を見て、アテナが不思議そうに問いかけた。
「どうした?」
「いや、いきなり頭の中で変な音が響いて」
「音? メールか何かではないのか?」
なんだそれ? 頭の上に「?」マークを浮かべる祐二に向けて、アテナが続けて言った。
「ゲームの運営からの新着メールだ。とりあえずメニューディスプレイを開いてみたらどうだ」
「メニューディスプレイって、ここでか」
「もう現実世界でも出来るようになっているはずだぞ。いいからやってみろ」
アテナに促されるまま、祐二が左手を開いてメニューディスプレイを展開する。そして手の上に出現した画面をもう片方の手の指でスライドさせてメール画面を表示させる。
そこには確かに一通の新着メールが届いていた。送り主は運営組織、着信時間はつい数十秒前のことであった。
「本当だ。来てる」
「とりあえず開いてみろ。中身を確認してみるんだ」
アテナの指示通り、祐二がその新着メールを開く。それまで出ていた画面の上から新しい画面が出現し、その中にメールの文面が表示されていた。
指を使って画面内をスクロールしながら、祐二はそれを読み進めた。
「現人神に次の依頼だってさ」
そしてそれを流し読みした祐二が、アテナに聞かせるように言った。アテナもそれは予想していたのか「そうか」と素っ気なく返し、それから祐二に問いかけた。
「中身はどんな感じなんだ?」
「ん? ああ、ちょっと待って」
祐二が画面を上に戻してタイトルから再び読み進める。そして文面の中身を改めて把握した後でその画面を見ながらアテナに言った。
「新しいイベントが始まるから、それに備えてテストプレイをしてほしいってさ」
「なるほど、そういうことか。イベントの概要は?」
「そこまでは書かれてなかったな。海の迷宮で行うってことと、明後日の午前十一時から始めるってことくらいしか書いてない」
「なんだそれは。肝心なところが抜け落ちてるぞ」
アテナが眉をひそめながら言った。祐二も同じように顔をしかめながら「使えないメールだ」と応え、その後アテナが祐二に言った。
「それで、そのイベントはなんていう名前なのだ?」
「ええと、確か」
再度画面をスクロールして上の方に持って行く。そして祐二はそのメールの頭の部分に書かれていたイベントの名前を読み上げた。
「インスマウス・チャレンジだってさ」
「インスマウス?」
「ああ。そう書いてある。アテナは何か知ってるか?」
「知らん。初耳だ」
祐二の言葉にアテナが即答する。その後アテナは祐二にそれと同じ質問を返したが、彼もまた「こんなの知らないよ」と困った調子で答えた。
「なんだろうな。どっかの町かな」
「神の名前かもしれんぞ」
それから暫くの間、祐二とアテナは互いにそれの正体について予想を出し合った。インターネットで調べようともしたが、それだけのために今からパソコンのある部屋に行くのも面倒だった。
「まあいいや。明後日になればわかるだろ」
結局、数分もしないうちに祐二はそれについて考えることをあっさりと諦めた。アテナも彼と同じように思案を放棄し、「まあなんとかなるだろうな」と軽い気持ちでいた。
「楽しみが一つ増えたな」
「変なことに巻き込まれないか不安で仕方ないんだが」
しかしその心中は正反対だった。未知のものに対してそれとなく心を躍らせるアテナに対し、祐二は恐怖の入り交じった不安で胃がキリキリと痛むのを自覚していた。
そしてイベント当日。祐二の不安は的中した。