「有坂恭」
それから数日後、祐二と美沙は目的の場所にいた。アマテラスの伝言を受け、有坂恭なる人物から指定された場所で彼を待っていた。
「本当にここであってるの?」
「メールにはそう書いてあったな」
二人がいたのは、秋葉原にあるネットカフェの一つだった。彼らはかつて秋葉原のあった、今は雑草すら生えない不毛の荒野と化した場所に点在するエレベーターを使って地下に潜り、そこにある「地下都市」秋葉原まで来ていた。なお、祐二はここに来る前に「ご主人様ばっかりずるいッス」とパラケルススから愚痴をこぼされたが、それを何とかなだめてここに来た。
地下に沈んでも、そこには以前と全く変わらない秋葉原の姿があった。人の数は多く、電器店やアニメ関係の店が軒を連ねていた。エレベーターを降りた美沙の目が輝いていたのは、決して祐二の気のせいでは無かった。街の上を天使や悪魔が飛び回っていたが、それに関しては二人とも触れなかった。これまで何度も見てきて、正直見飽きていた。
「良かった、あの店ちゃんと残ってる。あっ、あっちもある!」
贔屓の店が現存していたことを知った美沙が声を弾ませる。祐二にはそれらがどんな店なのかさっぱりわからなかったが、美沙が喜んでいるならそれでいいかと開き直ることにした。
「用事が済んだらさ、どっか二、三件寄ってってもいい?」
「別にいいよ」
そして嬉しそうに声をかけてきた美沙にそう返事を返しながら、祐二は彼女と共にこの目的の場所に来た。そこは彼らの降り立った駅前から離れた場所にあり、周りも駅前と比べて閑散としていた。店の類も少なく、マンションや個人住宅が軒を連ねていた。
待ち合わせの時間までまだ三十分ほど早かったが、相手を待たせるよりはずっといい。
「でもなあ」
「うん」
しかし本当にここで合ってるのかどうか、待っている内に不安になってきた。そこはどう見ても普通のネットカフェであり、今も多くの利用客がいた。待ち合わせ場所として指定されていたのはその中にある個室の一つであり、防音設備こそ整っていたが室内には監視カメラが普通に設置されていた。
「どうみても秘密の話し合いには向いてないんだよなあ」
「いったんここで集まって、また別の場所に向かうってことなんじゃないの?」
「そうなのかな」
暇を持て余した祐二と美沙が他愛もない会話をする。緊張でパソコンや漫画に手をつける余裕は無かった。
入り口のドアがノックされたのはその時だった。
「ん?」
「誰だろ」
最初に美沙がそれに気づき、祐二が椅子から立ち上がってドアのもとまで近づく。そしてドア越しにいる誰かに向けて声をかける。
「どちら様ですか?」
「有坂です」
祐二はすぐに言葉を返さず、無言で美沙に向き直る。美沙もまた無言で首を縦に振り、確認をした祐二はゆっくりとドアを開けた。
「どうも」
そしてドアの向こうにいた男の姿をみて、祐二は一瞬息をのんだ。縁の細い黒い眼鏡を身につけたその男は頬に傷を持ち、鷹のように鋭い眼光を備えていた。短い髪は真っ白に染まり、焦げ茶色のスーツを身に纏っていた。
その風体はどう見てもカタギのそれでは無かった。
「有坂恭です。現人神の安藤祐二さんと藤原美沙さんですね?」
恭が祐二の目をまっすぐ見つめながら低い声で問いかける。そう聞かれた祐二はただ黙って頷いた。蛇に睨まれた蛙のような有様であった。
しかし同時に祐二は確信した。この人は「本物」だ。この人が自分達と会う約束をしていた、有坂恭その人だ。
「ああよかった。二人とも来ているみたいだ」
「は、はい。ちゃんといます」
「そうか。余裕を持って行こうとしたんだが、こっちより早く来てくれるとは思わなかったよ。とにかく、来てくれてありがとう」
そんなことを考える祐二に、恭が表情を変えずにそう告げる。しかし顔色こそ変わっていなかったが、声の調子や全身から放つ雰囲気はわずかに柔らかくなっていた。思っていたより冷血漢ではないようだ。
「それで、ここで話すんですか?」
「いや、ここじゃなくてもっとちゃんとした場所で話そう。場所はもうこっちで確保してあるからね」
その一方で美沙が恭に話しかける。恭はそれに対してそう答え、そのまま流れるような動作で二人に背を向ける。そして肩越しに二人を見て続けて言った。
「じゃあさっそく行こう。お金はこっちで払っておくから」
祐二が再び美沙を見る。美沙は困惑に満ちた彼の顔を見て、再度頷きながら言った。
「行きましょう。他に選択肢は無いわ」
そう言って腰を上げる美沙を見て、祐二もまた腹を括ることにした。
「ゲームのプログラミングをしてるんですか?」
ネットカフェを出て次の目的地に向かう間、三人は歩きながら軽く自己紹介を行った。そして恭が自分の職業を言った直後、美沙が耳ざとくそれを聞いて真っ先に反応した。
「ただの下請けだよ。何個か大きなゲームの開発に参加したって言ったけど、実際は要望通りに中身を作るだけの仕事だよ。裏方仕事って感じかな」
「自分で会社を興したりしてる訳じゃないんですね?」
「そうだね。自分はあくまでフリーのプログラマとしてやらせてもらってるよ。依頼を受けて、それをこなす。日の目を見ることは少ないけど、やりがいはある。それに記号をいじってゲームを形にしていくのは楽しいしね」
僕にとってそれはパズルを組んでいくみたいな感覚なんだ。顔の筋肉を一切動かさず、声色を明るくしながら恭が言った。声だけ聞けば楽しそうであったが、表情はいつもと変わらなかったのが祐二を不安にさせた。本気で言っているのか、それともただのブラフなのか。気にするだけ無駄とはわかっていたが、それでも気にせずにはいられなかった。
「じゃあつまり、今回のやつもその、神から依頼を受けて作ったんですか?」
「そうなるね」
そう考える祐二の横で、美沙がさりげない調子で恭に質問をする。そしてそれに対して恭がさりげない調子で返答し、美沙が目を点にする。
「……え?」
「その通りなんだよ。まあ僕も最初は神様から依頼を受けたとは思ってなかったけどね。メールでこう作ってくれって受け取っただけだし、どこかの会社か何かなんだろうとしか思ってなかったよ。少なくとも、本気で現実に神様がいるだなんてその時点ではかけらも思ってなかった」
昔を懐かしむように目を細めながら恭が言った。美沙はすぐに気を取り直し、疑問に思ったことを素直に尋ねた。
「じゃあ、今は神を信じてるんですか?」
「信じてるよ。いや、信じざるをえなくなった、って言うべきかな」
「何かあったんですか?」
「まあね。それなりに凄い目に遭ってね。あんなことされたら信じるしかないかなって感じになったんだ」
諦めたような調子で恭が続ける。そして美沙がそれについて何か尋ねようとした刹那、恭が足を止めて顔を左に向けた。
「ここが僕の家だよ。ここで話し合うとしよう」
それにつられて祐二と美沙が足を止めて揃って左を向く。そこにはコンクリートで作られた、一件の小さな家が建っていた。見てくれは何の変哲もない、どこにでもある普通の家だった。
「それで、凄い目ってどういうことなんです?」
その家を小さな一軒家を見ながら美沙が尋ねる。恭は小さく笑って「すぐにわかる」と返し、そのまま自分の家の玄関前まで進んだ。
「さあ、入ってくれ」
ドアノブに手をかけながら恭が二人に声をかける。それを受けて祐二達がドアの前まで進み、それに併せて恭がノブを回してドアを開ける。
次の瞬間、二人は絶句してその場に立ち尽くした。
「なにこれ」
「ひええ……」
家の中は燃えていた。壁も天井も床も、玄関だけでなくその先の廊下もその奥の部屋も、壁に置かれていた絵画や玄関先のすぐ傍にある靴棚に至るまで、家の中にある何もかもが赤々と燃え盛っていた。そしてそれが本当の炎であることは、家の外から見ていた二人の体に襲いかかる強烈な熱波が何より証明していた。
「え、なにこれ、え?」
「マジ?」
祐二が一歩退いて家の外観に目をやる。家そのものは全くの無傷であり、外見からはとても中が大火事であることはわからなかった。窓を見ても、そこから火の手が上がっていることは確認できなかった。
しかし視線を再び家の中に戻すと、そこは文字通りの焼け野原であった。外の静けさが嘘のような燃え具合を前にして、祐二は無意識のうちに恭の方に顔を向けた。そしてそれとほぼ同時に、美沙も恭の方を向いていた。
「見ての通りだよ」
恭が苦笑しながらそう返す。その姿に焦りや動揺の色は無かった。それが祐二には解せなかった。
「なんでそんな落ち着いてるんですか?」
「いつものことだからさ」
恭が肩を竦めながら答える。どういうことだと目を点にする二人に向けて、周りに見えないよう静かに扉を閉めつつ恭が言った。
「神の御業ってやつだよ」
祐二は嫌な予感を覚えた。それを代弁するかのように美沙が恭に尋ねる。
「まさかあれ、神から?」
「ゲームを作る前に神様達と何度かメールをやりとりしたんだけど、その中でお前達が神様なら証拠見せろって返したことあったんだよ。そしたら次の日にこうなったんだ。ここまでされるとは思わなかったよ」
神の火を使ってるから中に入っても火傷とかはしないよ。恭がフォローを入れる。
現人神二人はいろんな意味で開いた口が塞がらなかった。