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「野暮用」

「それ、気になる?」


 反対側に座る美沙から指摘され、祐二はそれまで無意識のうちに触れていた鎧の胸元から手を離した。信仰を得たいがために反則行為を利用して暴れ回っていた天使に返り討ちに遭い、帰還場所として設定していた「熱砂の街」の酒場で二人して英気を養っていた時のことである。

 この「熱砂の街」はこのゲームを始めたプレイヤー全員が最初に訪れることの出来る街であり、ここでは武器や防具その他消費アイテムの売買、敵の落とす素材アイテムを利用した装備の強化、情報収集などが出来た。また、仲間を募集してパーティーを組むための集会場も用意されていた。


「胸の穴」

「え、ああ、まあね」


 美沙から言われ、祐二が曖昧な返事を返す。そして何か言いたそうな美沙の前で祐二は気を逸らそうと首を回し、自分の周囲の光景を見渡した。熱砂の街に置かれているだけあって、彼らのいた酒場は埃っぽい雰囲気に満ちていた。酒場自体は広く、出入りする人の数に対して息苦しさを感じることは無かった。

 木目張りの床を歩けばわずかに砂煙が立ち、おかげで彼らの足下にはうっすらと茶色いもやがかかっていた。床や壁や天井、椅子や机までもが風雨に晒されたかのように傷んでいた。低い天井からは黄褐色の電球が吊され、その空間の中で漂う「乾き」や「薄汚さ」をさらに強調していた。


「お前演奏上手いな。現実の方で何かやってたのか?」

「ちょっとバイオリンをね。同じ物がこっちにあるなんて思わなかったよ」

「じゃああたしとセッションしてみない? あたしピアノ弾けるんだけど」


 そんな西部劇に出てきそうな雰囲気の酒場の中で、他のプレイヤー達は楽器を弾いたり、テーブルを囲んで雑談をしたり、カウンター席で管を巻いていたりと、それぞれが自由に行動していた。楽器は酒場に備え付けの者を借りて弾くことも出来たし、ダンジョンで入手した物を持ち込んでも良かった。


「ここの酒は変な感じだな。味はそのままなのに、何杯飲んでも全然酔えねえんだからよ」

「子供に配慮したんだろ? それに酔っぱらったままダンジョンに入っても死ぬだけだろ」

「ま、パラメータ強化のための消費アイテムだと割り切った方がいいわな。酔いたかったらリアルで酔えってことだ」


 カウンターの方から声が聞こえてきた。彼らの言う通り、ここで飲める酒は有料だがパラメータを上げる効果があり、ダンジョンに潜って出てくるまでその効果は持続することになっていた。別の酒を複数飲んでも効果が重複することはなく、最初に飲んだ酒の効果が適用されるようになっていた。上昇する部分は酒によって異なるが、別に飲んでも酔っぱらったりはしなかった。


「どうよこれ? 昨日ダンジョンで見つけてきたんだ」

「すげえな、それレア武器じゃねえか」

「何百回も挑戦してやっと手に入れたんだ。今日からはこいつを担いで行くことにするぜ」

「でもお前、今使ってるジョブってファイターだったよな? 弓なんか使えたっけ?」


 ここにいるプレイヤーの格好も様々だった。祐二のように重装備を施していた者もいれば、逆に美沙のように軽装の者もいた。


「マジでそれで行く気かよ」

「当たらなければどうということはない」


 中には防具を着けずにインナーだけ身につけ、背中に身の丈ほどもある大剣を背負っている者もいた。髪の色も形も人それぞれでカラフルな光景だったが、黒い髪を持っていたのはこの中では美沙と祐二だけだった。


「動きが鈍くならないようにしたかったんだろうな」

「よくやるわね」


 その大剣を背負った金髪のプレイヤーの後ろ姿を見つめながら祐二が呟き、それを拾って美沙が答えた。このゲームでは武器と防具にはそれぞれ重量が設定されており、一般的に単純な攻撃力や防御力が高ければ高いほど重量は増え、近接ジョブ向きの装備になっていた。もちろん例外もある。

 そしてその全装備の合計重量がプレイヤーのステータスの一つである「所持重量」の限界を越えると、動きにマイナス補正がかかるようになっていた。装備の総重量と所持重量の間に差が開けば開くほど、動きもより鈍重になっていくのであった。

 所持重量はレベルアップの際に入手できるスキルポイントを使って上げることが可能であり、このポイントは何回でも振り直すことが出来た。また、降ろせる「守護」の中にはこの所持重量の値を増やすことの出来る神も存在していた。


「それで、さっきの話なんだけど」


 しかし美沙は最初に自分がかけた言葉を忘れてはいなかった。祐二は観念したように美沙に向き直り、そして美沙は彼に向かって問いかけた。


「その胸、気にしない方がいいわよ」

「そりゃそうなんだけどさ」

「あくまで演出。実際に取られた訳じゃないんだからさ。そんな神経質になる必要ないって」

「でもいくらなんでも趣味悪いだろ?」

「ただのバーチャル映像だって。ヘッドセットはこんなことも出来るんだぞーって自慢したいだけなのよ」


 美沙が素っ気ない態度で返す。だが祐二はそれに納得することが出来なかった。ディスプレイから伸びた腕が自分の心臓を掴むのを見たとき、祐二はヘッドセットを外していたのだ。


「そういうことにしておくのよ」


 しかし祐二の言いたいことに気づいたのか、美沙が目を細めて機先を制するように言った。祐二はその迫力に気圧され、渋々口を閉じた。


「他の人に聞かれたらまずいでしょ」


 そうして祐二が渋面を浮かべたその直後、美沙がテーブル越しに顔を近づけ声を潜めて言った。祐二は一瞬驚いた後、美沙と同じくらい声を抑えて返した。


「だから余計に気になるんだよ。体に穴が空いた状態で平然としてられるのがおかしい」

「大丈夫よ。心臓はもう持ち主の所に帰ってるから」

「顔と体が知りたいなら、他にやりようもあったと思うんだけどな」

「向こうの趣味なんでしょ」


 このゲームにはアバター作成機能というものは存在しなかった。現実世界での自分の容姿とほぼ同じ姿でこのゲームの中を冒険することになっていた。変更できるのは髪の色だけである。なお痩せ形の人間も肥満体の人間も、その容姿はそのままゲーム中に反映されるのだが、大抵の場合は装備を担いで冒険していくうちに健康体になっていった。重病患者もゲームの中では病に冒される前の健康な肉体を手に入れ、冒険に赴くことが出来ていた。

 なお名前は自由に変更可能であったが、美沙と祐二はそれぞれ「ミサ」、「ユージ」と本名をカタカナに変えただけの安直な名前にしていた。

 そしてその現実の姿を仮想空間に投影する際に、このゲームの運営機関はその人間の心臓を直接摘出し、それを調べるのである。祐二はここに来たばかりの時に、目の前にいる美沙からそう説明されていた。はっきり言って意味がわからなかったが、そういう物なのだろうと割り切るのが一番だとその時の美沙は言った。


「あなたは現人神として選ばれたのよ。良いか悪いかは別にしてね」

「そなたの心臓は既に元の場所に戻しておいた。安心するが良い」


 マイホームに転送される前、祐二は自分達のいる場所以外が暗闇に閉ざされた空間の中でその美沙の言葉を聞いていた。そして彼女の隣にいた「それ」も美沙の言葉に頷き、今喋っている美沙と同じことを言った。「それ」が何者なのか、祐二は聞きそびれていた。


「二週間経っても、慣れないものは慣れないのかしらね」

「俺は無理だ。そっちはどうなんだよ」

「私? 私は特に気にしたことないわね。気にするの忘れるくらいこっちの生活が楽しくってさ」


 美沙が表情を解して答える。直後、酒場の隅で歓声が上がる。二人が会話を中断して声のする方へ目をやると、そこでは複数のプレイヤーが一つのテーブルを囲んでトランプゲームに興じていた。当然ながら勝手も負けてもダンジョン攻略にメリットやデメリットが生じることはない。ただのお遊び、待ち合わせしていた他のプレイヤーが集まるまでの時間潰しとしてやるようなものであった。


「ねえ知ってる? ダンジョンに潜らないでずっとトランプだけやってる人達がいるそうよ」

「別にいいんじゃね? 何やろうがその人の勝手だろ」


 新しくゲームを始めたトランプの一団を遠目に見ながら、美沙が祐二に話しかける。祐二にとってはどうでもいい話だったので適当に返事を寄越し、そのまま意識を再び周囲の光景に向けた。

 とてもゲームの世界とは思えなかった。ここは人の喧噪に満ち、活気が溢れ、大袈裟な言い方をすれば自分が生きていることを実感できたのだ。生気を失い陰鬱な空気に満ちた現実世界とは大違いで、ややもすればこちらが自分の本当に住んでいる世界なのではないかと思ってしまうほどであった。


「これ、ゲームの世界なんだよな」


 祐二がうわごとのように呟く。それは美沙の耳には届かず、彼女は他のことに意識を回した祐二を放って手持ち無沙汰気味にメニューディスプレイをいじっていた。


「ん?」


 美沙のメニューディスプレイに新着メールが届いたのは、まさにその時だった。





 メールの送信者はこのゲームの運営組織からだった。内容は単純で、「一週間後に実装される予定の森林ダンジョンでチート行為を働いているエネミーがいるから止めてきてほしい」とのことであった。

 肝心のエネミーはすぐに見つかった。ダンジョンに入った瞬間、その入り口付近で待ち伏せしていたエネミーが向こうから攻撃してきたのだった。


「ハーハハハッ! 死ね死ねー!」


 それは一言で言えば妖精だった。人間の顔ほどの大きさしかなく、背中から透き通った羽を生やし、葉っぱを小さく切って加工した服を身につけていた、レベル1のエネミーユニット。要するに雑魚キャラである。初心者プレイヤーの金策や経験値稼ぎのために乱獲される存在である。

 問題はその雑魚エネミーが戦闘機に搭載されるようなサイズの大型ガトリング砲を操っていたことだった。


「くたばれくたばれー! 私にひざまずくのだー!」


 羽を動かし浮遊していた妖精がタガの外れたテンションで叫び、横に置かれていたガトリング砲を支えている土台を勢いよく蹴飛ばす。それに呼応するかのようにガトリング砲は前部に据え付けられた砲身を高速で回転させ、そして重苦しい音を出しながら弾丸の嵐を前方にまき散らすのである。


「うおおっ!」


 入って早々不意打ちを食らう羽目になった祐二と美沙は、しかし咄嗟の判断で横っ飛びをしてそれの直撃を回避した。脚や腰に何発かかすったが、死なないだけ良しとした。


「おいおい、なんであんな物がここにあるんだよ!」

「データをいじって作ったんでしょ? ほら、妖精って悪知恵が働く奴が多いじゃない?」


 木陰に隠れてその攻撃を凌ぎながら、祐二と美沙が言葉を交わす。二人の顔には等しく冷や汗が浮かんでおり、けたたましく鳴り響く砲撃音に肝を冷やしていた。

 しかしこのまま隠れているわけにもいかない。美沙が祐二に話しかける。


「どうする? こっちもチート使う?」

「いや、まずはアナライズだ。向こうの情報を確認しよう」


 祐二が答え、美沙が頷く。その後美沙はボウガンを構え、弓を装填させながら自分の装備しているスキルの名前を呟いた。


「アナライズ」


 直後、美沙の眼前の空間にモニターが出現する。そこには今現在アナライズ可能なエネミーの一覧が表示され、横にはそのエネミーの現在位置と自分の居場所を示すミニマップが映っていた。美沙が空いた方の手を伸ばし、マップの上方に唯一存在する赤い光点をタッチする。直後、それまであったモニターを押し退けるように横から別のモニターが出現し、そこにはタッチされたエネミーの情報が記されていた。

 普通なら初遭遇のエネミーをアナライズした際にそこに表示されるのは、エネミーの画像と名前、そして体力と魔力の最大値だけである。それ以外の情報は一度戦わなければ全て開示されないのであるが、現人神の権限を得た美沙の場合は別だった。

 彼女のアナライズは現人神専用の特別製だった。戦闘回数に関わらず相手の耐性や弱点、さらには本来表示されないデータであるエネミーの攻撃手段やそのダメージ量まで全て記載されていた。当然ガトリング砲もそのデータの中に含まれていた。

 他の部分は緑色で表示されていたが、ガトリング砲の部分のデータは赤く表示されていた。それはこの攻撃手段が本来存在してはいけないもの、違法行為によって作られたものであることを示していた。


「やっぱりチート使ってるみたい」

「そりゃそうだろ。このゲームに銃は一切登場しないんだから」

「まったく、困ったものよね……なんだ、攻撃力もレベル1じゃない」


 そこに書かれていたデータを見た美沙が呆れたような声を出す。なおも砲撃は続いていたが、美沙はそんなことなどお構いなしにモニターを掴んで移動させ、祐二にもそのデータを見せた。


「つまり、見かけ倒しってことか」

「そういうこと」

「普通のスキルでもやれる?」

「ええ。いつも通りの戦法で行きましょう」


 美沙の提案に祐二が頷く。それから美沙はモニターの前で手を横に振ってそれらを全て閉じ、ボウガンを両手で持つ。祐二もまた背中に担いでいた盾と剣を持ち、飛び出すタイミングを計る。

 狙い澄ましたかのように砲撃音が止む。単に弾切れしたのか、それとも一向に出てこないこちらの様子を伺っているのか。いずれにしろチャンスである。


「行くぞ!」


 祐二が叫び、先陣を切る。妖精の前に飛び出した祐二はそのまま姿勢を低めて盾を構え、美沙がその後ろにぴったりとつく。

 相手の姿を視認した妖精が再度土台を蹴る。砲身が回転し、唸り声を上げながら弾丸をまき散らす。


「ガードアップだ!」


 弾が放たれる直前、祐二が叫ぶ。その瞬間、彼の持つ大盾が金色の光を放つ。一定時間盾による防御率を上昇させる、ナイトの基本防御スキルである。

 その効果は絶大だった。金色に輝く盾とぶつかった弾丸はその尽くが目の前にそびえる金の壁に屈服し、ある者は明後日の方向へ弾き飛ばされ、またある者は弾頭をひしゃげさせながら力を失い真下に落ちていった。空き缶を蹴ったような小気味良い金属音だけが盾の表面から響き続けるが、その盾を貫通して祐二の体に到達する弾丸は一つとして無かった。

 そして盾を構えたまま、祐二は妖精に向かって突撃した。互いの距離がみるみる縮まっていく。金属音の鳴り響く間隔が段々と狭まっていく。しかし金色に光る盾は鉄壁を誇り、銃弾の雨に晒されながら傷一つつかない。


「爆炎矢行くよ」


 祐二の後ろについた美沙が宣言する。装填されていた矢が自動で更新され、先端に小さな円柱のくっついた物へと変化する。目の前で起きている光景が信じられず表情を凍り付かせていた妖精はその声を聞き取ることは出来なかった。

 攻撃はなおも祐二に集中している。妖精も祐二の方だけを見ている。チャンスだった。


「ブルズアイ!」


 宣言した直後の一発だけ確実にクリティカルヒット扱いにする攻撃スキルを宣言しながら、美沙が祐二の後ろから横っ飛びに姿を現す。そして地面とほぼ水平の状態で宙に舞いながらボウガンを構え、狙いをつけて引き金を引く。

 矢が放たれる。空を切って矢が迫る。妖精がそれに気づいた瞬間、矢は既にその眼前に迫っていた。

 先端が鼻先に接触する。

 刹那、妖精の目前で爆発が起きた。解き放たれ膨れ上がった炎球は妖精の小さな体を軽々と飲み込み、さらにはガトリング砲さえも巻き込んで一際大きな爆発を引き起こした。


「弾が誘爆したのかな」

「たぶんそうだと思うわ。普通ならこんな派手な爆発はしないもの」

「チートってのは怖いな」


 地面で燃え残る炎ともうもうと立ち昇る灰色の煙を見つめながら、祐二と美沙は戦闘態勢を解きつつ言葉を交わした。彼らの視界の隅に小さくディスプレイが出現し、この戦闘で獲得した資金と経験値が表示される。それを横目で見た後、美沙が軽く背伸びをしながら言った。


「これで終わりかしらね」

「そうだな。じゃあ帰るか?」

「そうね。あれがどうやって作られたのかは、まあ、向こうで調べてくれるでしょ」


 祐二の問いかけに美沙が頷き、それから二人は揃って出口を通ってこのダンジョンから姿を消した。煙はその後も昇り続けたが、それから数分経った後で不意に強風が吹き、ガトリング砲の残骸もろとも煙を根こそぎ吹き飛ばしていった。

 風が止むと、後には何も残らなかった。戦闘の痕跡も、炎に飲まれた妖精の姿も無かった。その後、どこからともなく声が聞こえてきた。


「まったくこいつめ! いたずらも程々にしろ! 罰として今日は飯抜きだ!」

「えーん! ごめんなさいごめんなさい! もうしませんから許してくださーい!」


 その会話を聞き取った者は誰もいなかった。

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