「待ち人」
数分後、彼らは地下の迷宮の最深部「紅蓮の間」の中に来ていた。中は文字通り炎に包まれており、壁と天井の全てが赤々と燃え上がっていた。地面は黒く焦げてこそいたが火の手は回っておらず、そこを人間が歩くことは可能であった。
そこはこの迷宮の踏破を目的とするプレイヤー達にとっては最後の目的地であったが、ここに到達できたプレイヤーはまだいなかった。
「ま、待て。話せばわかる。話せばわかる」
この最深部「紅蓮の間」に続く扉の前には炎の壁がそびえ立っており、そのままではプレイヤーが入ることは出来なかった。これを消して紅蓮の間の中に入るには海の迷宮で入手できるあるアイテムを使用する必要があったのだが、しかしそれを手に入れるためにはこの迷宮の中で手に入る「不滅の火種」が必要でもあった。だが今は不滅の火種が力を失っていたので、その先の段階まで進む事が出来なかったのだ。
「お前がやったってことはもうわかってるんだよ。観念しろ」
「神様なんでしょ? ちょっとくらい平気でしょ」
「そんな武器は知らん! 我は古代の武器しか知らんのだ! そんなものを向けるな!」
そんな未踏の地と化した紅蓮の間の中に、今は三つの人影があった。うち一人は筋肉質の体を備え、全身から炎を噴き出した全裸の大男であり、それに向かい合うように立っていた二人はガスマスクと耐熱スーツで完全武装していた。
「ヒノカグツチとアマテラスからよろしくだってさ」
「覚悟完了した?」
「ふざけるな! 我は悪くない! ヒノカグツチから頼まれたのだ!」
「お前が勝手にやったんだろうが」
「今更見苦しいわよ」
スコーピオンサブマシンガンを腰溜めに構えながら祐二と美沙が冷ややかに言い放つ。対して全身からバーナーのように赤い炎を噴き出していた火神アグニは、その自分に向けられた銃口と現人神二人の目を交互に見やりながら首を激しく左右に振った。その噴き出た炎に包まれていた顔に浮かんでいた表情は明らかに動揺していた。
アグニは抵抗しなかった。ここで現人神に危害を加えれば、他の神からの印象が更に悪くなる。今受けようとしている物よりさらに強烈な罰を食らう羽目になるかもしれなかった。
「わかった。もうしない。もう悪いことは何もしない。だから頼む。我に知らない武器を向けるのは止めてくれ。それがどれだけ痛いのか全くわからんのだ」
「大丈夫よ。死にはしないから」
「神様は人の武器じゃ死なないんだろ? だから安心しろ」
祐二と美沙が揃って銃を持ち、側面にあるレバーを引く。ガシャリと音が鳴り響き、マガジンから薬室内へ初弾が移行したことをこれみよがしに伝える。後は引き金を引くだけだ。
「あとこれはハデスも容認してくれたことだから」
「行き過ぎた行いをする神に天罰を下すのが現人神だ、とさ」
「勘弁してくれ。ただちょっと体を変えただけだろう。性転換は神話の世界じゃ珍しくない」
「言い訳は結構」
発射準備の整った銃を目線の高さまで持ち上げる。上部にある突起で狙いをつけながら祐二が言い放つ。
「アグニ。覚えておけ」
「な、なんだ?」
問いかけるアグニに祐二が返す。
「一回は一回だ」
刹那、人間二人が躊躇いなく引き金を引いた。
炎に包まれた紅蓮の間の中で、乾いた銃声だけが鳴り響いた。
その翌日、大地の迷宮は本来の力を取り戻した。不滅の火種も元通りの効力を発揮し、海の迷宮の探索も進むようになった。被害はゼロとは言えなかったが、それでも大惨事になることは避けられた。そしてついでに、火焔の街もこころなしか熱量を増したような気がした。
「よくぞやってくれました。そなた達には心から感謝しております」
そして同じ頃、祐二と美沙はアマテラスから呼び出しを受けていた。ハデスに火の玉を返したことと「お礼参り」をしてきたことは既に昨日の時点で報告していたのだが、今日はいったいどんな用件で呼んだのだろうか。離れの客間の一つに腰を下ろしながら不思議に思う二人に対し、彼らとテーブルを挟んで正座していた黒衣の太陽神はまず最初に二人の現人神をそう労った。
「これで、今回の件は解決したと言ってもよいでしょう。そなた達には深くお礼を申し上げますわ」
「いえ、言われたことをやっただけですから」
「それより、今日はなんで俺達を呼んだんですか?」
祐二に問われ、アマテラスが「もちろんそれもお話ししますわ」と返す。そしてアマテラスは居住まいを正し、それにつられるように背筋を伸ばした二人に向けて言った。
「今日そなた達を呼んだのは、私の方からそなた達に伝言を伝えるためなのです」
「伝言?」
「メールじゃ駄目なんですか?」
「こればかりは直接伝えた方がいいと判断しましたので、このような形を取らせていただきました。お手を煩わせてしまって申し訳ありませんわ」
アマテラスが小さく頭を下げる。祐二達はその動きをじっと見守っていた。そしてアマテラスは頭を上げた後、その二人を見つめながら言った。
「この伝言は、ある一人の人間からのものです。その者が私に、ぜひ現人神に伝えてほしいと言ってきたのです」
「え、ちょっと待って、人間から?」
「まずは内容を聞いてみましょう。それで、どんなことを言ってきたんですか?」
食い気味に問いかける祐二を制止しながら美沙が尋ねる。アマテラスは一度頷いた後、二人を見ながら言った。
「伝言の内容はこうです。今から三日後に会いたい、と。以上です」
「……それだけ?」
「はい」
「なんかさっぱりしてますね。わざわざ神様に頼む伝言でも無いような……」
「まあ確かに、内容だけで言えば特別深刻な物ではありませんね」
不審そうに呟く祐二にアマテラスが苦笑混じりに反応する。それからアマテラスは「集合場所と時間も受け取ってあるので教えておきます」と言って掌を差し出し、その手の中から二人に向けて光の玉を飛ばした。玉は不規則な軌道を描きながら彼らの左手の中に吸い込まれていき、その直後、彼らの視界の隅にポップしたウインドウに「新着メールが届きました」という文章が表示された。
「場所と時間は、先程送ったメールの中にかかれております。よろしくお願いしますわ」
手を膝の上に戻しつつアマテラスが告げる。そんなアマテラスに対して、今度は美沙が言葉を投げかけた。
「ていうか、神にそんな雑事を頼める人間っていったい誰なんですか? まさか現人神?」
「いえ。現人神はそなた達しかおりません」
困惑を露わにした美沙からの質問にアマテラスが答える。じゃあ誰が? そう視線で訴える祐二の方を見ながらアマテラスが言った。
「前にも申した通り、私にこの伝言を依頼したのは現人神ではありません。現人神よりももっと高位の人物と言うべきでしょうか」
「高位?」
「それは誰なんですか?」
「このゲームを作った方です」
一瞬、二人は目の前の太陽神が何を言ったのかわからなかった。一方でアマテラスは目を白黒差せる二人を見て「聞こえなかったのでしょうか」と小声で呟いた後、今度はそれまでより少し声量を上げてもう一度言った。
「このゲームを作った方が、私の方に頼んできたのですわ」
「ゲームを作ったって、え?」
「でもこれ、確か神様が作ったんですよね?」
自分はそう聞いている。混乱する祐二にアマテラスが答えた。
「確かに、このゲームのシステムを構築したのは我々です。ですが我々は、人間の世界に直接手を下すことは出来ないのです。ですから我々は、我々の考案したシステムを人間の世界に実際に構築してくれるよう、その人間に頼んだのです」
「ああ、なるほど」
「まさにゲームの創造主ということですわ」
納得する祐二にアマテラスが補足を加える。そのアマテラスに対して美沙が質問した。
「それで、それはなんていう名前の人なんですか?」
「有坂恭、という名前ですわ」
「ありさか? 聞かない名前ですね」
美沙がそう返すと、アマテラスは笑いながらそれに答えた。
「確かに、まだまだ無名の部類ではありますわね。ですがゲームの開発に関わっていたのは確かです」
「本当にその人に頼んだんですか?」
「ええ。詳しいことは、実際にその人に尋ねてみると良いでしょう」
アマテラスが微笑みながら言った。面倒事から逃げたな。祐二は不敬とは思いつつも、そう邪推せずにはいられなかった。