「火の玉」
「アグニに勝手にこの姿にされたんです」
離れにある客間に通された後、その少女はなおも泣きながらそう言った。その姿を見た祐二達は「こいつ本当にヒノカグツチなのか」と自分達の立てた推測に疑問を抱いた。テーブルを挟んで泣きはらすその姿は、どうみても普通の子供にしか見えなかったからだ。
「ご安心ください。この者はヒノカグツチですわ」
その二人の心境を察したかのように、そこに同席していたアマテラスが小声で彼らに話しかけた。祐二と美沙は「やっぱりそうなのか」と安堵したが、同時に「なんでこっちの気持ちがわかるんだ」と不安にもなった。
「イラストが解禁されたとき、私も最初は喜んだんです。でも投稿されてくるのは決まって女性の絵ばかりで、嬉しい代わりに戸惑いも感じていたんです。いくらそれが偶像だとしても、いきなり女になれって言われて簡単になれるわけ無いじゃないですか」
そんな現人神の懸念をよそに、女体化したヒノカグツチが顔を俯かせながら話を続けた。アマテラスが無言で続きを促し、その視線を感じたヒノカグツチが続けて言った。
「そのことを他の知り合いにも相談したんです。そうしたらその知り合いの一人が提案してきたんです。なら実際に女になってみたらどうだ。そうして抵抗を無くしていけばいいだろと」
「それを受け入れたのか?」
意識の方向を変え、本腰を入れて話を聞き始めた祐二が問いかける。この少女に対しては普通に私語で話しかけていた。アマテラスと会った時のように「敬語で話さないといけない」という気分にはならなかった。
「まさか。そんなことはありません」
そしてカグツチもそれを気にすることなく話を続けた。
「私はちゃんと嫌だと言いました。でもあの者はこちらの話を聞かずに、一方的に事を進めたんです」
「その、さっき言ってたアグニって神が?」
「そうです。あの火神は私の言葉も聞かずに、一方的に私に向けて神力を使ったのです。一瞬のことでした。抵抗する暇も無く、私はその力を受けてしまったのです」
「それで、その姿になったと」
美沙の言葉にカグツチが無言で頷く。それから彼女は「本当に何も出来なかったんです」と強調するように言った。そのカグツチに向けてアマテラスが問いかけた。
「では、本殿を占拠したのは? その姿を他の者に見られたくなかったからなのですか?」
「その通りです。このような変わり果てた姿を誰かに見られるなど、私にとっては恥でしかありません。ですから私は、誰かに見られる前に姿を隠してしまおうと思ったのです」
「迷宮から火の力を奪ったのは?」
「せめてもの仕返しです」
「あ、ふーん」
子供の喧嘩じゃないんだから。祐二はそう思ったが、喉から出掛かったところでそれを抑えた。やられたらやり返す、という気持ちはわからないでもない。そして何より、神の機嫌を損ねて大惨事に発展するようなことは控えたかった。
「あれ? でも確か、神はよその神話の世界には行けないんじゃ?」
「ゲーム中に存在する迷宮と街にはそのルールは適用されないんです」
「ああ、なるほど」
一方で美沙がアマテラスに尋ね、そしてアマテラスが美沙に返す。太陽神からの返答を聞いた美沙は素直に頷き、それからアマテラスがカグツチの方を向いた。
「ではカグツチ、火の力は今も貴方が持っているのですね?」
アマテラスがカグツチに話しかける。声をかけられた少女は素直に頷き、アマテラスが続けて言った。
「ならば、その力を返してはいただけないでしょうか?」
「え? でもそれは」
「いいですかカグツチ。あなたがその力を奪ったがために、今この外にある迷宮で深刻な事態が発生しているのです」
渋るカグツチにそう切り出した後、アマテラスは彼女に対して地下の迷宮で起きていることを説明した。
「本当にそんなことが?」
それを聞いたカグツチが確認するように祐二と美沙に視線を送る。それを受けた二人は無言で首を縦に振り、カグツチは申し訳なさそうに顔を暗くして俯いた。
「私の言いたいことがおわかりですね?」
アマテラスが問いかける。カグツチが小さく頷く。それを見たアマテラスは「よろしい」と短く返し、そして次に横にいた祐二と美沙に目を向けて二人に言った。
「それでは、さっそく火の力をお二人に託したいと思います。お二人にお任せしてもよろしいでしょうか」
「あ、はい、いいですよ。ていうかいきなりすぎませんかね」
「こういうのは早ければ早いほどいいですからね。よろしくお願いします」
「でもそれ大丈夫なんですか? 人間が持ったら火傷しそうなんですけど」
「それは心配ありません。私の方で外に溢れる火の力を抑制しておきます。素手で触っても大丈夫なくらいには抑えましょう」
アマテラスがこともなげに言ってのける。その一方でカグツチは祐二達に向けて右手を差しだし、そしてその開かれた掌の上に赤い球体を出現させた。
出現と同時に球体が掌の上で浮き上がる。そして浮遊する球体が独りでに燃え上がり、一個の火の玉となって二人の前に顕現した。
「これが私の持ってきた火の力です」
轟々と燃え盛る火の玉を見ながらカグツチが言い放つ。どう見ても素手で触ったら火傷するような代物に見えた。軽く頬をひきつらせる祐二達を見て、アマテラスが微笑みながら言った。
「ご安心を。お任せください」
それからアマテラスが火の玉に向けて両手を差し出す。次の瞬間、大量に水をかけられたかのように燃え盛る火が一気に大人しくなった。辛うじて燃え残っていた火も、そのまま玉の中に吸い込まれていくようにどんどん収まっていった。
「これでもう大丈夫でしょう」
そしてそうアマテラスが言った頃には、カグツチの手の上にはただの赤い玉が浮かんでいた。その玉は橙色の光を放ちながらゆっくりと明滅を繰り返し、それを見た祐二がアマテラスに問いかけた。
「触っても平気なんですか?」
「はい。もう大丈夫ですよ」
アマテラスが即答する。それを聞いた祐二が自ら光を放つたまに向けて恐る恐る手を伸ばす。
人差し指で軽く玉を突く。二、三度それを繰り返した後、意を決してそれを上から握りしめる。
「……ッ!」
一瞬、祐二は掌に強烈な熱さが襲いかかるのを感じた。しかしそれはすぐに錯覚であると気づき、そして同時に火の玉から何の熱気も感じないことに気がついた。
「……おお」
無心で驚いたように声を漏らしながら玉を持ち上げる。そして手の上で転がしたり、もう片方の手で持ち替えたりしてみるが、熱さの類は欠片も伝わってこなかった。伝わってくるのは水晶玉を持ったような重みと硬い感触だけだった。
「凄い。本当に大丈夫だ」
「これをハデスに届ければいいんですね?」
「おそらくはそれでいいでしょう。後はハデスの方でやってくれると思います。それからこの件のことを、お二人の方からハデスに伝えていただけないでしょうか?」
アマテラスからの頼みに対し、二人が素直に首を縦に振る。それを見たアマテラスは「ありがとうございます」と顔を輝かせ、その後「ついでに申し訳ないのですが」と言ってから言葉を続けた。
「現人神にこのようなことを頼むのは甚だ恐縮なのですが、お礼参りの方もしておいていただけないでしょうか」
「お礼参り?」
「はい」
アマテラスが満面の笑みを浮かべる。その笑みはとても優しく暖かかったが、それを見た祐二と美沙はなぜか背筋に寒気を覚えた。
そんな現人神に向けてアマテラスが言葉を続けた。
「詳しく説明するとですね……」
その後、彼らは地下の迷宮の一角、ハデスの元に来ていた。そしてそこで、祐二はカグツチから受け取った火の玉を彼に戻した。
「おお! よくぞやってくれた!」
火の力の宿った玉を受け取ったハデスは諸手をあげて喜んだ。そして同時に、目の前に立つ現人神の姿を見てハデスは困惑の表情を浮かべた。
「しかし、そなたらその格好はなんだ? 随分と奇っ怪な姿をしておるが」
ハデスの前にいた祐二と美沙は揃ってキテレツな格好をしていた。顔にはフルフェイスタイプのガスマスクを装着し、体にはぶかぶかの耐熱スーツを身につけていた。手には厚いグローブを、足には頑丈なブーツをはめ、背中には小型のランドセルを背負っていた。ストラップをつけたサブマシンガンを肩から斜めに提げ、腰のホルスターには大振りのナイフを差し込んでいた。
ファンタジーの世界にあって場違いも甚だしい姿だった。明らかなチート行為である。
「どこぞの神から、何か新しい装備のテストでも頼まれたのか?」
「違う。自分で作ったんだ」
「作った? なんのために?」
ハデスからの問いかけには答えずに、祐二が彼に問いかける。
「ところで、アグニという火神は知ってるか?」
「アグニ? うむ、知っているぞ」
「今もここに?」
「うむ。その者に何か用でもあるのか?」
ハデスの言葉に頷いてから祐二が言った。
「少し、お礼参りをね」