「火の神」
数分後、現人神二人は本殿の前にいた。正確には祐二が本殿の真正面に、美沙はアマテラスと共に祐二の斜め後方、彼からやや離れた位置に立っていた。
「調子はどう? いけそう?」
「なんとか。中身まで本物通りになってなくて良かったよ」
この時、祐二は戦車の中に一人で乗り込んでいた。美沙はその灰色の近代兵器を見つめながらチャットメニューを開き、眼前にある鋼鉄の箱の中にいた祐二と文章で会話をしていた。
なおチャットとは言うものの、これはキーボードを叩いて文字を入力するのではなく、頭の中で思い描いた文章を脳波を通じて直接入力させる方式が使われていた。これはVR技術の流用であり、これによって遠く離れた相手と実際に話しているのと同じ感覚で対話をすることが可能になっていたのだ。
閑話休題。
「中身はどんな感じなの?」
「椅子が一個と、ゲームのコントローラーが一個。あとは目の前に大きなモニターがあって、そこに前方の光景が映ってる」
「私の思った通りの造りをしているってわけね。上出来、上出来」
祐二からの報告を聞いて美沙が満足そうに頷く。目の前に鎮座する兵器を生み出したのは美沙だった。現人神として手に入れた力「情報改変能力」を使用し、ゲームのデータを書き換えて「アイテムとして」強引に呼び出したのである。俗に言うチート行為である。
そしてこれを生み出した経緯も至って単純であった。向こうから引きこもって話が出来ないのなら、その引きこもる場所を吹き飛ばしてしまえばいい。美沙はそう提案したのである。最初それを聞いた祐二は耳を疑った。彼の後ろに背後霊のように立っていたアテナもその顔に驚愕の表情を貼り付けた。
「よろしいでしょう。許可します」
しかしアマテラスはそれを聞いても驚いたりはせず、それどころかその凄まじい提案を二つ返事で許可してしまった。
「正直に言って、あまり余裕は無いのです。この際事態が解決するのならなんでもしましょう」
驚く祐二に対してアマテラスがそう説明を加える。こうして美沙のアイデアは通り、そのままこうして本番を迎えた訳であった。
「こんなの実際にゲーム中にやったら垢BAN不可避なんだけどね。まあ今回は特別ってことで」
「アカバン? なんだそれ」
「インチキとか悪質な行為をした人間に対するペナルティみたいなものかしら? まあ簡単に言うと、そのゲームに二度とログイン出来なくなるってことかしらね」
「重いな」
「それだけ重大な違法行為をしたってことよ。まあ滅多に起きることじゃないんだけどね」
そして現在、ゲーマーからの講釈を聞いたゲーム音痴の少年が短い感想を述べ、それを聞いた女ゲーマーがうんうんと頷きながら返す。その時、横にいたアマテラスが美沙の肩を軽く叩きながら彼女に問いかけた。
「ところで、いつになったら策を実行するのですか? 皆も注目して集まり出していますが」
その女神の声を聞いて、美沙が意識をチャットから「現実」に戻す。そして周囲を見渡してみると、確かに彼女の言う通り同じ格好をしたような人間達が何十人と姿を見せ、美沙達と同じ距離に立って祐二の乗る戦車を取り囲んでいた。
彼らはその全員が、歴史の教科書に出てくる縄文人のような格好をしていた。同時に美沙は今の自分の姿を思い出し、酷く場違いな感覚を覚えた。
「なんだあれは」
「箱?」
「それにしては複雑な姿をしているな」
「なんと面妖な」
その一見して人間の姿をしていた者達は、そのほぼ全員が互いに言葉を交わしたり、一人で呟いたりしていた。彼らの言葉はそれぞれ異なっていたが、その目には等しく未知の物に対する恐れと動揺の色が籠もっていた。
「これ以上このままにしておくと他の者達がより一層不安がってしまいます。出来るなら手早く済ませていただきたいのです」
そんな彼らの心の機微を感じ取ったアマテラスが、美沙にそう話しかける。美沙も周囲の雰囲気を肌で感じ、あまり長く出し続けるべきでは無いと悟った。
「祐二、やってちょうだい」
「ギャラリーが増えてるみたいだけど、いいのか?」
「説明なら後でするわ。今はもうやっちゃって」
嘘である。美沙はこの後どうするかを考えていなかった。しかしそれを真に受けた祐二は少し間を置いた後で美沙に返信した。
「よし、やるぞ」
「左のスティックで狙いを付けて、丸いボタンで発射よ」
「これがこれで……よしわかった」
「準備はいい? じゃあカウントダウンを」
美沙がそこまで言った瞬間、轟音が鳴り響き、戦車の砲塔が煙を吐き出した。
完全なる不意打ちだった。
「……あの馬鹿!」
咄嗟に耳を塞いでいた手を離しながら美沙が悪態をつく。チャットメニューは閉じられており、また美沙本人にそれを開く余裕も無かった。
「せめて心の準備くらいさせなさいよ! いきなり撃つんじゃないわよ!」
「凄まじい音でしたわね」
しかし横に立つアマテラスの呑気な声を聞いて、美沙の中にある怒りは急速に冷めていった。自分一人怒ってるのが馬鹿らしくなってきたからだ。そして幾分か冷静さを取り戻した彼女は、そのまま自分の周囲に目をやった。
戦車が弾頭を撃ち出し本殿を木っ端微塵に吹き飛ばした瞬間、ギャラリーは一斉に体を竦めて反射的に耳を手で塞いだ。そして彼らは一瞬で頭にこびりついた残響が薄れていくに従って耳から手を離し、恐る恐るといった感じで目の前の光景に視線を向けた。
「ああ……」
「なんという……!」
そして彼らは目の前の光景を見て戦慄した。「神の社」が粉々に吹き飛んでいたのだ。どんな魔法を使ったのか理解出来ずにいたが、それでもその不敬極まる光景を前に恐怖を抱かずにはいられなかった。
なんと罰当たりなことをしてくれたのだ!
「信じられん! いったい誰がこのようなことを!」
「祟りじゃ、祟りが来るぞ!」
「神様、どうかお許しを!」
周りは一瞬で狂乱の坩堝と化した。その中にあってアマテラスだけはそれまでと同じ態度で目の前の光景を見つめ続け、美沙もまた変に動揺を見せず今まで通りの態度を貫いていた。しかしその実、「ひょっとしたらこの後こいつらに殺されるんじゃないか」と内心ではビクビクしていた。
「彼らの説得はお任せを」
その美沙に向けて、アマテラスが彼女にしか聞こえないように小声で話しかける。突然のことだったが、それだけでも美沙は自分の心が軽くなるのを感じた。
「任せていいですか」
「はい。あなたは早くカグツチを」
美沙もまた小声でアマテラスに話しかけ、それに対してアマテラスが言葉を返す。その後美沙は足早に戦車の方に向かい、そこで既に戦車の中から降りてその傍にいた祐二と合流した。
「決まったか?」
「なんとかね」
そしてどこか嬉しそうに話しかけてくる祐二に、やや不機嫌そうに美沙が返す。それを受けて祐二は「なに怒ってんだよ」と不思議そうに返し、美沙は「怒ってないわよ」と不貞腐れながら言った。
「それより、行くわよ。カグツチに話を聞かないと」
そして話題を打ち切る意味も含めて美沙が言い放つ。祐二もそれに頷き、二人はかつて本殿のあった廃墟の中へと足を踏み入れた。
そして敷居を越えて領域の中に侵入した瞬間、二人は猛烈な熱さを感じた。真夏日の真昼時、熱気を照り返すアスファルトの上に立ったような容赦のない熱さだった。
「なんだこれ」
「カグツチの力か何かでしょ?」
「火の神だから熱いのか?」
「でなきゃなんだって言うのよ」
そう互いに言い合う内に、彼らは目的の人物の元に到着した。その人物、火神「ヒノカグツチ」は体育座りの格好でその場に座り込み、顔を両膝の間に埋めるようにしてしくしくと泣いていた。
そのカグツチの姿を見た二人は、この神がなんでこんなことをしていたのかを直感的に察した。
「ああ」
「そういうこと」
彼らの目の前にいたのは、血のように赤いドレスを身につけた少女だった。腰まで伸びた赤い髪と肘まで覆い隠すラバー製の赤い手袋が特徴で、その少女は祐二達の存在にも気づかずにひたすら泣き通していた。
「なんでこんな格好なのよう。なんでこんなことになっちゃったのよう」
二人の推測を裏付けるように少女が小声で喚く。そんな自分達よりも一回り小さな体躯の少女を見下ろしながら、祐二が確認するように言った。
「これ、なんて言うんだっけ。女体化?」
「女体化ね」
「これが原因なんだろうな」
「たぶんね」
「うわーん! アグニの馬鹿ー!」
そう言葉を交わしながら、二人は暫くの間、そのカグツチらしき少女を見下ろしていた。単純に好奇心が沸いたらであり、この後どうすればいいのかわからなかったからでもあった。直後に少女がいきなり大声を出したが、二人は少し驚いただけでこれといったアクションは起こさなかった。
アマテラスがやってきて彼らを離れにある別の客間に連れて行ったのはそれから数分経ってのことであった。