「大和の子」
二人が通されたのは本殿から離れた場所に建てられた小さな社、その中にあるごく一般的な和室だった。背後とその向かい側を襖で仕切られ、床には畳が敷かれ、部屋の真ん中には木製の四角いテーブルが置かれていた。左に目をやれば花を入れた壷と滝を描いた掛け軸が目に留まり、右側の壁にはそれぞれ異なる形をした日本刀が縦一列にかけられていた。
「さあ、おくつろぎになってくださいまし」
自分もそのテーブルの前で腰を下ろしながら、アマテラスが二人に催促する。祐二と美沙は一度顔を合わせた後、揃って遠慮がちにアマテラスの
向かい側に腰を下ろした。その動作は堅苦しく、相手に気取られまいとするあまりさらに不自然な動きになっていた。
「……」
「どうかなされましたか? 少しぎこちないように見えますが……」
緊張していたのだ。実の所、神話についてあまり詳しくない祐二と美沙は、アマテラスと名乗る目の前の女神がどのような立ち位置にいるか全くわからなかった。しかし彼らの内にある動物的直感、生存本能とも言うべきそれが、目の前に座る黒衣の女性を前にして絶えず警告を発していたのだった。
敬え。不敬を働けば殺されるぞ。
「いいっ、いえ! なんでもございません!」
「お気遣いありがとうございます!」
「? まあ、大丈夫ならばそれでよいのですが」
斬首台の上に首を置いている気分だった。なんでそんな気持ちになるのかは自分でもわからない。ただ「そうしなければならない」という思いが体を支配し、それによって慣れない態度や敬語を扱う羽目になっていたのだった。
「ど、どうも、本日はご機嫌うるわしゅう」
「へりくだる必要はございませんわ。どうか自然に、いつもの通りに接してきてくださいまし」
しかしそんな精一杯の注意を払って見せた畏敬の念を、その直後に女神本人からやんわりと否定される。刃物を首に突きつけられた状態で「くつろげ」と言われても無理な相談であった。
「い、いえ、とてもそのようなことは」
「構いませんわ。このアマテラスはそれしきで怒ったりはいたしません。太陽は常に寛大なのです。ですから大和の子よ、どうか心を鎮めてください」
「……っ」
一瞬、喉が詰まるような感覚を味わった。思わず顔を上げると、黒衣の女神がこちらを見て微笑んでいた。
太陽のように眩しく暖かい、慈母のような笑み。それを見た瞬間、それまで体を縛り付けていた緊張がするりと体から抜け落ちていった。
「さあ、まずは深呼吸から」
それを見たアマテラスが優しく語りかける。二人がそれに従って深呼吸をすると、ますます体が軽くなっていった。まるで体内の空気を入れ換えると同時に、腹の底に溜まっていた緊張まで一緒に抜け落ちていくかのようだった。
「さて、これで心おきなく話せますわね」
そうして三回ほど深呼吸を繰り返した後、アマテラスがさも嬉しそうに言った。そして彼女の言う通り、祐二達も自分の中から警戒心にも似た緊張感が無くなっていることに気が付いた。
不思議な気分だった。その感覚はまるで見えないオーラのような物が体を包み込み、体を暖かく解きほぐしていくかのようだった。これも女神の力の賜物なのだろうか。
「アマテラスは神道に属する太陽神。慈愛に溢れた女神として表現されている。変に凝り固まったお前達を見て、つい世話を焼きたくなったのだろう」
祐二の背後に立つアテナが解説を挟む。しかし当の祐二はそれに意識を回す余裕は無かった。アマテラスもアテナを一瞥して軽く頭を下げるに留まり、そしてアテナもまたその扱いを不当だと喚くこともしなかった。自分の立ち位置を弁えていたからだ。
そんなことなど知る由もなく、祐二が遠慮がちにアマテラスに言った。
「なんか、その、すいません。変に迷惑を
かけてしまったみたいで」
「いいえ、お気になさらず。神と相対した人の子は、大抵はあのような行動を見せるのです。恥と思う必要はありませんわ」
「そ、そうですか」
「それで、今日はどのようなご用件で?」
そういえばすっかり忘れていた。祐二達は自分達がここに来た理由を改めてアマテラスに説明した。
「それなら心当たりがございます」
祐二からの説明を聞いたアマテラスは即答した。目を見開いて無言で驚く祐二と美沙に対し、姿勢を整えたままアマテラスが続けた。
「こちらに来る前に、まず本殿に行ったかと思われます」
「はい、たしかにそうです」
「そこの襖に手をかけたりしましたか?」
「しました」
「なるほど。ではそれに手をかけた瞬間、あなた方は猛烈な熱さを覚えたはずです。それこそ火傷するほどの」
二人はそれに対して言葉を詰まらせた。本当のことであったが、どう反応すればいいのかわからなかったのだ。
変なことを言って相手の気分を害してしまったらどうしよう。そんな二人の心情を察したアマテラスが「かしこまる必要はありませんわ」と微笑みながら返し、そのまま人間二人に言った。
「あれは本殿の中に引きこもっているカグツチのせいなのです」
「カグツチ?」
「ヒノカグツチ。火を司る神です。容姿についてですが、こちらは炎が人の形をしていると思っていただいて結構ですわ」
「火の神ですか」
「そうです。そのカグツチが彼が他の神や従者を追い払って本殿の中に閉じこもっているおかげで、あのようなことになっているのです」
「そうなんですか」
美沙がそう返し、続けてアマテラスに言った。
「でもそれとこれと、いったいなんの繋がりが? 確かあの迷宮、地下の迷宮はハデスとかいう神が管理してたはずです。ハデスってギリシャの神ですよね。日本の神話の世界? とは無関係そうな感じがするんですけど」
「それについても説明できますわ。とても簡単な理由です」
「それは?」
「カグツチが引きこもる際、あの迷宮の中に眠る炎の力を根こそぎ奪っていったからなのです」
祐二と美沙は再び目を見開いた。今度ははっきりと、その顔に驚愕の表情を貼り付けていた。
「……それ、やばくないっすか?」
具体的に何がやばいかはわからなかったが、感覚的にやばいことになりそうなのは察することが出来た。そして祐二からの問いかけに対し、アマテラスも素直に首を縦に振った。
「とてもまずい状況です。あの迷宮に存在している者達は、その大半が炎の力によって動いています。炎の力は生命の力と同義なのです。ですからその炎を丸ごと奪われれば、彼らはいずれ活動を止め、やがて死に至ることでしょう」
「うわ、思ってたよりやばいことになってる」
「今はハデス本人の神力でなんとか炎の力を保ってはいるようですが、いずれそれにも限界が訪れるでしょう。そして現実の世界でも、その影響が現れるかもしれません」
「それはなんなんですか?」
「そこまではまだわかりません」
アマテラスが表情を曇らせ、首を横に振る。祐二は話題を変えた。
「どうすればヒノカグツチを説得出来るんですか?」
「まったく検討がつきません。こちらの世界に戻ってくるなり、あの者はいきなり本殿を占拠し始めたのです。こちらの言葉もまるで通じず、聞く耳も持ちませんでした。ですから私達はなぜカグツチがああなってしまったのか、どうすれば解決できるのか、まるでわからないのです」
アマテラスは本当に困り果てた表情をしていた。その顔を見た祐二と美沙は、なぜだか揃って胸が締め付けられるような痛みを感じた。会ってまだ数分しか経ってないはずなのに、長年付き添ってきた肉親が心から嘆いているのを見て胸を痛めるのと同じような感覚を味わっていた。
「現人神よ、お願いします。どうか、この問題を解決してただけないでしょうか?」
そんなアマテラスが憂いに満ちた顔を見せながら懇願してくる。それを見た瞬間、考えるより先に口が動いた。
「わかりました。やりましょう」
祐二は一拍置いてから、自分がそう言ったことに内心で驚いた。それはまったく無意識のうちに放たれた言葉だったからだ。
しかし言ってしまった以上はやるしかない。
「ここは現人神にお任せください」
祐二はそう言い切った。アマテラスの顔が見る見る内に輝きを取り戻していくのが見て取れ、それだけで祐二は自分の心が喜びと満足感で満たされて行くのを感じた。
「即断即決か。私は好きだぞ」
脳内でアテナの言葉が響いた。同時に横で美沙のため息が聞こえ、そのすぐ後に「まあやるしかないよね」と呟きが聞こえてくる。
「それで、具体的にどうするか考えてあるの?」
その直後に美沙が祐二に話しかける。次の瞬間、祐二は頭の中が真っ白になった。
何も考えてなかったからだ。