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「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」

 安藤祐二がそれの存在を知ったのは、今からちょうど二週間前のことである。彼は人気の少ない通りの脇で二人のスーツ服姿のセールスマンに詰め寄られていた。いわゆる押し売りである。


「お兄さん、どうですか? こちらの方を選んでみては? 横の奴よりもずっとお得ですよ?」

「いけませんお兄さん、横の奴はいけません。あなたが清い心をお持ちならば、こちらの方を手に取るべきです。絶対に損はさせません」


 二人はそれぞれ同じ商品を手に持ち、競うように祐二に向けて宣伝していた。それだけでも祐二にとっては迷惑な話だったのだが、それ以上に彼を困惑させたのは目の前にいる二人の容姿だった。片方は顔が雪のように白く、肌自体が発光しているかのように白く輝いていた。金色の巻き毛を備えて背中から鳥のような翼を生やし、翼までもが輝いていた。もう片方は隣とは対照的に真っ黒な顔で、短く切った頭髪は赤く、頭から雄々しくねじれた角を生やし、背中から蝙蝠の翼を生やしていた。


「お兄さん、悪魔の誘惑に乗せられてはいけません。光の道を選び、正しき道を進むのです」

「お兄さん、天使の口車なんて無視しなさい。あいつらはペテン師です。口先だけの阿呆です。夜の方がずっと過ごしやすいですよ」


 祐二は最初、彼らをただのやりすぎたコスプレ集団か何かだと考えていた。手にしているゲームを売りつけるために、キャラクターになりきって買い手の興味を惹こうとしているのだろう。それにまさか、「本物」が自分の目の前に現れるなんて都合のいいことが起こるはずはない。祐二はそうも思っていた。

 その祐二の考えは半分当たっていた。そしてもう半分、自分がある一点について思い違いをしていたことに気づいたのは、その直後のことだった。


「いい加減にしなさい、この悪魔め! ペテン師はお前達の方ではないか!」

「黙れ黙れ! 加護だのなんだの言って実際には何もしない連中をペテン師と言って何が悪い! 俺達は正当な契約に基づいて行動しているだけだ!」

「何が正当な契約だ! 人間には払えない代価を平気で要求するそのやり口のどこが正当だと言うのだ! 悪質にもほどがある!」


 天使の格好をした人物が激昂し、次の瞬間体の奥底から光を放ち、身につけていたスーツを吹き飛ばした。体を飲み込んだその光はすぐに消滅し、後にはビジネススーツの代わりに白いローブを身につけ、片方の手にゲームのパッケージを、もう片方の手に金色の槍を手にした人物が立っていた。その人物は全身から前にも増して強い光を放ち、翼を広げて宙に浮き上がった。

 祐二は絶句した。目の前にいたのが本物の「天使」で、そして初めて自分の目で本物の天使を目の当たりにしたからだ。


「そこに直れ悪魔よ! その性根を私直々に叩き直してくれる!」

「言ったなモヤシ野郎! 返り討ちにしてやる!」


 そしてその天使の挑発に乗るようにして、悪魔もまたその本性を現した。スーツを吹き飛ばして露わになったその筋肉質の肉体は黒く染まり、腰簑と胸当てを身につけ、片手にパッケージを、もう片方の手に両刃の剣を持っていた。

 こっちも本物だ。驚きのあまり祐二は腰砕けになり、思わずその場にへたり込んだ。そしてそんな「客」そっちのけで、正体を現した天使と悪魔は空高く舞い上がり、そのまま一騎打ちをはじめてしまった。


「邪悪め! くたばれ!」

「善人ぶるのもいい加減にしろ! くたばるのはお前の方だ!」


 空を泳ぎ、互いの刃を切り結び、空から甲高い音を響かせながら、白と黒の二人が怒号をぶつけあう。顔を上げてその光景を見ながら、祐二は一週間前の光景を思い出していた。





 一週間前。全人口の二割が枯れ果てた地球を捨て、全ての金持ち、もとい「選ばれた人類」が月への到達を果たしたその日。それは唐突に始まった。空の彼方から突如として、翼を生やした人間が降りてきたのだ。それも一人や二人ではなく、数千、下手をすれば数万にも及ぶ大軍勢であった。

 空から降り注ぐ金色の光と共に降り立ってきたそれは、自身も真白に光を放っていた。まさに天使と呼ぶべき姿をしていた彼らは、それ自体も輝く白い羽根をまき散らしながら地上へと降りてきたのだが、不思議だったのはそうして現れた天使の群れは一人残らず日本の、それも東京都の空の上から出現し、その全員がそれぞれ出てきた地点の真下に向かって降りてきたということであった。それ以外の国では一人も姿を現さなかったのだ。


「なんだあれは……」


 このとき東京に住んでいた者達は自分の目を疑った。それまで想像の存在であった者達が突如として、しかも何万人もまとめてやってきたのである。中には地上に置き去りにされた自分達を憐れみ、神が救いの手を差し伸べてきたのだと、本気で思った者もいた。


「手荒なことをするつもりはありません。どうか落ち着いて、我々の話を聞いてください」


 そんな呆然とする人間達を後目に、無手のまま大都会の中に降り立った天使の一人が透き通った声で話しかけた。それはするりと耳の中に入り込み、脳の隅々まで穏やかに染み渡っていくような不思議な音色を備えていた。人の暴力性を抑え、ささくれた心を癒やし落ち着かせる声だった。


「私達はあなた方と争うために来たのではありません。あなた方に救いの手を差し伸べるために来たのです。落ち着いて、私の話を聞いてください」


 最初の一人を皮切りに、各地に降り立った天使達が次々と声を発した。声は街の隅々まで行き渡り、そしてそれを聞いた者達は揃って天使の話に耳を傾け始めた。その目は期待に満ち、一斉に光り輝く者達に向けられていた。


「今のあなた方の置かれた状況については承知しております。苦難に満ちた世界からあなた方を救うために、私達はこうしてやってきたのです。どうか、私達の言うとおりにしてください」


 周囲を見渡し、整備する者もなく朽ちかけた建物の姿を視界に収めながら天使が話し続ける。面と向かって拒絶する者はいなかった。もう地上には新鮮な水も、新たな食料を生み出す土壌も無い。今はまだ残された分だけで保つだろうが、いずれそれらも底をつく。奇跡でもなんでもいいから、今の自分達の状況をなんとかしてほしい。誰もがそう思っていた。

 そんな民衆からの無言の懇願を理解したのか、各地にいた天使達は言葉を切って同じ動きを見せた。彼らはおもむろに懐に手を入れ、そこから光の塊を取り出した。光は一瞬で形を変え、上半身を隠すほどの大きさの箱へと変化した。不思議そうに目を細めたり首を伸ばしたりする人々を前に、天使達は同じタイミングで声を発した。


「これをプレイするのです。新発売、サンサーラ・サーガ・オンライン。完全無料のオンラインゲームです。今すぐこれを受け取って、プレイするのです」


 その後天使達はなんと商品の宣伝を始めた。「サンサーラ・サーガ・オンライン」と名付けられたそのゲームソフトの特徴を淡々と、しかしどこか嬉々とした調子で話し続けた。そして次第にセールストークにも熱が入り始め、終いには親に玩具をせがむ子供のように興奮した様子で話し続けた。


「さらに今から一週間、スタートダッシュキャンペーンも実施します! この間にプレイすれば、なんと得られる経験値とゴールドの量が二倍! レア装備のドロップ確率も大幅上昇! 他のプレイヤーに大きく差を付けることが出来るチャンスです! 強い武器を手に入れて、強大な敵と戦い抜け!」


 しかし神聖な存在がいきなり俗なことをし始めたのを見て、周りにいた人々は一人残らずに目を点にした。信心深い者もそうでない者も、その光り輝く者がゲームのセールスをする光景を見て唖然としない者はいなかった。一方でそんなことなど知らんと言わんばかりに天使の熱弁は続き、最終的に彼らが話し終えたのは一時間後のことであった。


「……というわけで、皆さん是非ともこれで遊んでください。これで遊ぶことが、皆さんの心の安寧と、荒れ果てたこの世の安定に繋がるのです。どうか私を信じて、このゲームで遊んでください」


 人々は何も言えなかった。目の前の光景が異質すぎて何を言ったらいいのかわからなかった。しかし天使達は宣伝を終えると満足したように空の上へと舞い上がっていき、天使の姿が消え空から射す金色の光も消えた後には、それまで彼らが宣伝していたゲームのパッケージの山だけが大量に残っていた。


「……どうする?」

「どうするって」


 まだ地球のネットワークは生き残っていた。電気は有り余り、コンピュータを起動する余裕は十分あった。それにあの天使が「これを遊べば救われる」とも言っていた。人を騙すのは悪魔の仕事だ。天使がそんなことをするとは思えなかった。

 最初の一人が恐る恐るパッケージを手に取るのにそう時間はかからなかった。





 結果として、その天使達が残していった最初の分は全て捌けた。その後も天使は度々地上に現れ、まだゲームを手にしていない者に今度は手渡しでそれを与えていった。それに次いで東京だけでなく他の県にも出現し始めたが、それ以外の国には未だに姿を現さなかった。

 最初の「降臨」から三日後に、今度は悪魔がやってきた。黒い体、捻れた角、蝙蝠の翼、文字通りの悪魔である。悪魔達は天使と違って神出鬼没で、ご丁寧に空から降りてくることはなくどこからでも出没した。しかしそうしてやってきた悪魔達は悪事を働くこともなく、天使と同様に人間相手に売り込みを始めた。彼らと同じく、コンピューターゲーム「サンサーラ・サーガ・オンライン」のパッケージである。


「今から一週間、スタートダッシュキャンペーン実施中だ! 他のプレイヤーに差を付けたいなら今がチャンスだ! 乗り遅れたら損だぞ、損!」


 悪魔の宣伝も似たようなものだった。そして途中から天使と悪魔がかち合うこともあった。その後は予想通りの結果が起きた。彼らは互いのことを商売敵ではなく親の仇として見ているかのように互いを痛烈に罵り合い、客のことなどそっちのけで戦闘を始めたのである。今祐二の目の前で起きているそれとまさに同じ状況である。


「いい加減にしろ、この白豚め!」

「いい加減にするのは貴様の方だ悪魔! 死ね!」


 もはや空の二人に祐二の姿は見えていなかった。そして腰を抜かしていた祐二の足下に、空から二つのパッケージが落ちてきた。もはや「ゲームを売る」という当初の目的すら忘れていた。


「わ、うわっ」


 祐二は慌てて落ちてきた二つのパッケージをキャッチした。中に入っているディスクは無事だろうか? 祐二は確認したかったが、商品をあからさまに開けるのも躊躇われた。

 祐二が顔を上げる。天使と悪魔はまだ戦っていた。空気の引き裂かれる音と刃物のかちあう金属音、そして怒号が響き渡っていた。無駄だと思いつつ、祐二は空にいる天使と悪魔に声をかけた。


「これ貰ってっていいの?」

「お好きに!」

「持って行け!」


 律儀に返事が返ってきた。しかも両方から。この時初めて、祐二は神話の存在に親近感を覚えた。彼らも「生き物」なのか。上手くは説明できないが、そう思ったのだった。

 結局祐二は空の上で決闘に明け暮れている二人を置いて、パッケージ二つを抱えながら家路についた。やがて住処に帰り、そこで自分がゲームを持って帰ってきた経緯を説明すると、そこを取り仕切っていた孤児院の寮母はえらく驚いた。次いで祐二が「使えるパソコンってある?」と尋ねると、寮母は困り顔を浮かべながら「二階にある奴が使えるんじゃないかしら」と答えた。


「でも気をつけてね。危ないことはしちゃダメよ?」

「わかってるよ」


 心配そうな寮母に気の抜けた返事を返した後、祐二は二階の共有スペースに向かった。そこに横一列に並んだ四台のパソコンの一つの前に腰掛け、パッケージの一つ、天使から貰った方を開けた。そちらを選んだのに特に理由はなく、たまたま目に付いたのがそちらだったのだ。

 中には顔の上半分を隠すタイプのヘッドセットとゲームディスク、それから取扱説明書が入っていた。ヘッドセットからはコードが伸び、その先は端子になっており、パソコンの端子口に接続することが出来た。端子を接続し、パソコンの電源を入れ、ディスクを入れる。


「ヘッドセットを装着してください」


 パソコンから音声が聞こえてきた。言われた通りにヘッドセットを装着する。ヘッドセットの内側にはめ込まれたモニターに「WELCOME」と表示され、その直後、ヘッドホン部分から景気の良いファンファーレが鳴り響いた。


「おめでとうございます! あなたは66666人目のプレイヤーとなります! キリ番ゲットを記念して、あなたを現人神としてご招待致します!」


 ファンファーレに続いて声が聞こえてきた。やけに明るい女性の声だ。ファンファーレはその間もバックで鳴り続けていた。

 刹那、胸に鈍い痛みが走る。


「それでは、あなたをゲームの世界に案内いたします。準備はよろしいですか?」


 小さい針に刺されたような僅かな痛みだった。最初は気のせいかとも思ったが、いつまで経っても痛みは引かなかった。女性の声が耳に響く。

 胸がチクチクと痛む。息まで苦しくなってきた。何かおかしい。不審に思った祐二はヘッドセットを取って視線を降ろした。


「え」


 絶句した。自分の胸に腕が突っ込まれていた。腕は骨と皮だけで出来ているかのように痩せ細り、そしてそれは目の前にあるパソコンのディスプレイから生えていた。息が苦しい。体の中にめり込んだ腕が何かを掴んでいる。

 腕が引き抜かれる。手の中には心臓が握られていた。

 俺の心臓だ。


「は」


 安藤祐二が自分の身に何が起きたのかを悟るのと、自分の意識を手放したのは、ほぼ同時のことだった。


「ようこそ神の国へ。我々はあなたを歓迎いたします」


 ヘッドセットから女性の声が聞こえていたが、祐二がそれを聞くことは出来なかった。

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