「最新アップデート」
他の神にも絵を提供したいけど、一人だけじゃ手が回らない。だからいっそのこと、他に絵を描いている一般の人にも声をかけて、大々的にイラストを募集してしまおう。
これが浅葱の出した提案であった。それを聞いた祐二は素直に首を縦に振れなかった。こういうのは見返りが無いと相手も動かないんじゃないか。彼はそう考えていたのだ。
もちろん人間の全てが現金な性格とは考えていなかった。しかしそういう類の人間がいることもまた事実であり、そういった者達に対する策も考えておかないといけないと思っていた。
「安心するが良い。その手の問題もしっかり考えてある」
しかしそんな祐二の懸念に対して、アテナは微塵も動じなかった。彼女は浅葱を見送った後自室で考え込む祐二の背後に腕を組んで立ちながら、はっきりとした声でそう言った。
「それはどんなやつなんだ?」
「慌てるでない。次のアップデートの時まで待つが良い。その時に改めて説明するとしよう」
祐二から問われても、アテナはそう答えて受け流すだけだった。祐二は不満に思ったが、背後に立つ女神は梃子でも動かなさそうだったので、祐二はそれについてはこれ以上聞かないことにした。
代わりに彼は別のことについてアテナに尋ねた。
「その次のアップデートっていつなんだ?」
「明日だ」
「え?」
「明日行われる。楽しみに待っているが良い」
アテナが実に楽しそうに言ってきた。祐二はなぜが不安で胸が締め付けられた。
「本当に平気なのか?」
「私を疑うのか? 私は女神だぞ。それも由緒正しき軍神だ。安心しろ。ゲームをやっている者にとって不利になるような内容ではない」
「なんでそう言い切れるんだよ」
「考えているのは我々だからな」
アテナがまたしても自信満々に言い切る。祐二は再び不安になってきた。
翌日、祐二の不安は的中した。
「今日からこのお店は我々が取り仕切ります。色々と言いたいこともありますが、どうかよろしくお願いします」
まず現実世界にあった既存の店が、全て天使か悪魔の物になった。個人商店から大規模デパートまで、およそ「店」に分類されるものはその悉くが彼らの手中に落ちた。
彼らの手に落ちた建物は内装だけでなく外見も大きく変わり、中には販売されている商品まで変わってしまっていた。抗議をする人間も当然いたが、天使もしくは悪魔に正面から反逆できる人間は一人もいなかった。
これは天使と悪魔による侵略行為である。人間はこれに決して負けるわけにはいかない。テレビに映っていたコメンテーターの一人が声高に主張していたが、彼の言葉とは裏腹に「侵略行為」は着々と進行していた。
「おうおう、なんだその紙切れは?」
「俺らの店で人間の金が使えると思ってんのか! 帰れ帰れ!」
そしてそれらの店では、それまで人間の世界で流通していた貨幣が使用不可能になっていた。いつも通りに買い物をしようとしてお札を見せた人間達は、例外なくそれを突き返された。
「じゃ、じゃあ何なら通用するんだ?」
「今回のアップデートで現実世界でもメニューディスプレイを開けるようになったはずだ。そしてそこからゲーム中に集めた貨幣を取り出して、それを使用するのだ」
それまで普通に使っていた金銭を拒絶されたその人間は、店番代わりである悪魔からそう言われて目を点にした。その反応を見た悪魔はキャッシャー越しに激昂した。
「さては貴様、あのゲームをやっていないな? なんて時代遅れな奴なんだ!」
「ゲ、ゲームだと? あんな子供の遊びをなんでやらないといけないんだ!」
その頭の禿げ上がった中年の男は負けじと言い返したが、悪魔はそよ風を頬に受けた程度にしか動じなかった。一方でその男の後ろで会計を待っていた青年がおもむろに腕を動かし、ゲームの中で自分がやっていたように右の掌を開いてみた。
「うわ、すげえ! 本当に出てきた!」
次の瞬間、眼前にメニューディスプレイが出てきたのを見た青年は驚きの声を上げた。彼の周りにいた人間達もそれを見て同様に驚愕した。
「そうだ、まずはそのようにメニュー画面を開くのだ。そして画面をスライドさせて、プレイヤープロフィールの画面を出すのだ」
会計係の悪魔の指示に従って、青年が掌の上に出現したウインドウを指で払ってスライドさせる。そうしてプロフィール画面を目の前に出した後、次はどうするのかと悪魔に視線を送った。
「右上に今自分の持っている金額が表示されているだろう? そこをタッチして、次に出てくるメニュー一覧の中から現実世界に昇華させるというところをタッチするのだ」
言われるまま指を動かし、所持金の項目をタッチする。そしてポップアップしてきた小窓の中にある「現実世界に昇華させる」という項目をタッチすると、「物質変換させる金額を入力してください」というタイトルのついた小さな画面が一番上に表示された。
タイトルの下には長方形の小窓がついており、さらにその小窓の下にはテンキーがあった。
「この数字を押して、使いたい額を決めるのか?」
「そうだ。そうすれば、お前の手元に入力した通りの金が残るだろう。さあやってみろ」
言われた通りに指を動かす。周りの人間が見守る中で、その青年はテンキーを押して「2000」と入力し、最後に一番下の「決定」と書かれたボタンを押した。
次の瞬間、それまで開かれていた青年の掌の上に、千円札に似た形の赤い紙が二枚出現していた。それを見た周囲の人間が驚きの声を上げた。
「それだ。それを使えば、ここの店で自由に買い物が出来るぞ。もちろん他の店でもだ」
そして悪魔は得意げにそう言った。すると別の方から声が挙がった。
「それってつまり、あのゲームをやってないと買い物が出来ないってことなんですか?」
「そういうことになるな。安心するが良い。今ならサンサーラ・サーガ・オンラインは絶賛無料配布中だ」
そう答えながら、悪魔はキャッシャーの下に積まれていたゲームのパッケージを取り出し、自分の目の前にどさりと置いた。貨幣を突き返された中年の男はそれを見て、額から汗を流しながら言った。
「そ、そんな物を遊べというのか? 金が欲しかったらそのゲームをしろというのか?」
「そういうことだ。お前もこれからはこのゲームをやって、どんどん神に奉仕するが良いぞ」
「く、狂ってる・・!」
「貴様の偏見よりはマシだ」
中年男にそう吐き捨ててから、その悪魔は彼の後ろに並んでいた者や興味深そうに店の奥からこちらを覗いていた者に向かって声を大にして言った。
「さあお前達! お前達の中にまだこのゲームをプレイしていない者はいないかな? 今なら特別に、このゲームが遊べるセット一式をこの場でプレゼントしよう! 欲しいと思う者は躊躇せずに前に出よ! サンサーラ・サーガ・オンラインは完全無料のオンラインゲームだ! これをプレイして金を稼がないと、もう現実の商品は買えないぞ! さあさあ、欲しい者はいないか!」
これと同じ光景は東京だけでなく、日本全国で見ることが出来た。現実世界へのゲームの浸食は止まることを知らず、確実に日本の社会システムを脅かしていっていた。
「これはひどい」
ゲームで稼いだ資金を使って買い物を済ませながら、祐二は目の前に広がる光景を見て眉をひそめた。アテナが言っていたのはこれのことだったのか。
「どうだ、凄いだろう?」
そしてなぜか自分のことのように得意げになりながら、背後にいたアテナが祐二に語りかける。
「現実の金銭は用意できないが、ゲーム中の貨幣ならばいくらでも用意できる。だからこうすれば、我々もしっかりと報酬を送ることが出来るのだ」
「絵を描いた人にゲームの通貨を渡すってことか?」
「そういうことだ。絵の質の善し悪しは関係なしにな。とにかく神のイラストを描いてくれた人には等しく報酬を用意する予定だ」
「それで、描かれた絵はどうするんだ? それっきりか?」
祐二からの問いかけに、アテナは首を横に振りながら答えた。
「それは違うな。ちゃんと使い途も考えてあるぞ。もし降ろした守護に複数のイラストが用意されていた場合、その守護を降ろしたプレイヤーはそのイラストの中から好きなものを選んでそれを使用することが出来るのだ。そうして選ばれたものはプロフィール画面に表示される守護の姿に反映されるのだ」
「なるほどね。絵によってステータス変動とかは無いのか?」
「それはない。さすがにそこまで手を加えるつもりは無いな。あくまで趣味の領域だ」
そこまで言ったアテナを見ながら祐二が感心したように言った。
「意外と頭切れるんだな」
「当然だ。私は軍神だぞ? 戦争には頭を使うことも要求されるのだ」
アテナが腕を組み、満足したように言う。祐二はその様子を見て「すぐ調子に乗らなければ完璧なのにな」と心の中で呟いた。