「次善策」
直接会いたい。
浅葱からそのメールを受け取った祐二はログアウト後にメールの内容を読み、まず最初に疑問を抱いた。なぜ直接会う必要があるのか? ゲームの中で顔を合わせるのでは駄目なのだろうか?
しかし考えても仕方ないので、祐二はとりあえず返事を送ることにした。送られてきたそれに集合場所と時間が書かれていなかったので、祐二はその返信メールの中に「明日か明後日、こちらで会うのはどうでしょうか?」と、自分のいる孤児院の住所と名前を記載した。
返事はすぐに来た。浅葱の返答は「それで大丈夫です。もしよければ明日にでもお伺いしていいでしょうか?」とのことだった。それを見た祐二はすぐに「明日でも大丈夫ですよ」とメールを送り、二人の打ち合わせはそれで終了となった。
場所と時間が決まって祐二は一安心したが、すぐに自分の落ち度に気がついた。
「なんで直接会うのか聞けば良かったな」
まあ、後でどうにでもなるだろ。しかし祐二はすぐにそう気持ちを切り替えた。一人で気にしたところでどうにかなるものでは無かったからだ。そして祐二は手伝いついでに時子にその旨を伝え、彼女からの了承をもらい、その日はそのまま眠りについた。
翌日。指定した時刻通りに浅葱はやってきた。この時の彼女の格好は最初会った時に目の当たりにしたようなジャージ姿ではなく、薄緑色のロングスカートとベージュ色の薄手のブラウスという「きちんとした」ものだった。眼鏡も野暮ったい黒縁眼鏡ではなく、線の細いシャープなものをあけていた。全体的に質素ではあったが、ジャージよりはずっとマシだった。
「初めまして。藤原と申します」
そして浅葱は玄関先で応対に出た時子に、そう言うと共に丁寧にお辞儀をした。時子もそれに対して「いえ、こちらこそ祐二君がお世話になりました」とお辞儀で返した。別に茶を振る舞われたわけでも無かったのだが、祐二は二人のやり取りを見ても黙っておくことにした。
「それじゃあ安藤君、さっそぐだけど」
そして時子と互いに穏やかな挨拶を交わした後、浅葱は祐二の方に視線を向けて控えめな口調で言った。祐二は無言で頷き、そして時子に「あとは俺達でやるよ」と言った。
「あんまり失礼なことしたら駄目よ?」
時子はそれだけ言って、そして改めて浅葱に礼をしてから居間の方に下がっていった。居間では子供達が絵を描いて遊んでいた。その様子を見た浅葱が祐二に近づいて言った。
「親御さんですか?」
「みたいなものです」
祐二はそう言ってはぐらかした。やや投げ遣りな返答であったが、浅葱もそれ以上追求しようとはしなかった。相手の出自でどうこう騒ぐほど、二人はもう子供ではなかった。
それから二人は揃って二階に上がり、祐二の使っている部屋に入った。そこは中々に広く、祐二と浅葱が一緒に室内に入っても息苦しさを感じることは無かった。
しかし開放感を覚えたのは、室内の広さだけが理由ではなかった。中は非常に簡素で、シングルサイズのベッドと机と衣装箪笥しか置かれていなかった。机の上には本が数冊置かれていたが、この空間の中に「娯楽」と呼べる代物はそれしか存在していなかった。
軟禁でもされてるのか? 浅葱は真っ先にそう思った。牢屋よりはまだ恵まれているが、それでもここは人が住むにはあまりにも小綺麗すぎた。
「ずいぶんとさっぱりしてますね」
そんな部屋の中を見回しながら、しかし件の率直な感想は胸の中にしまいながら浅葱が言った。祐二は恥ずかしそうに頭をかきながらそれに答えた。
「あんまりモノが欲しいって思えないんですよ」
「テレビとか見ないんですか?」
「そういうのも無いですね。テレビなら大きいのが居間の方にありますし、そもそも見たい番組も無いですし」
「パソコンは?」
「共用のパソコン使ってます。頻繁に使う物でもないので、結構自由に使えるんですよ。アクセス制限はかかってるんで言うほど自由ってわけでもないんですけどね」
祐二の言葉を聞いて、浅葱はますます不思議に思った。いったい何をどうしたら、ここまで物欲に欠けた生活を送れるようになるのだろう? 自分ならテレビが無い時点で軽く発狂してしまう。ゲーム機もパソコンも無い、本も数冊しか持っていない、そんな状況でどうやって暇を潰しているんだろう?
浅葱は祐二に興味を抱いた。
「それで、今日は確かポセイドンの絵が出来たから会いに来たんですよね?」
しかしそんな浅葱の意識は、祐二からそう問いかけられたことで現実に引き戻された。そして浅葱は一拍遅れて祐二の言葉を理解し、「そ、そう、そうなんです」と口早に答えてから彼に言った。
「実はその、イラストのことについて話したいことがありまして」
「どうかしたんですか?」
「絵自体は完成したんです。そちらも持ってきました。でもそれとは別に、もう一つ話したいことがあるんです」
それを聞いた祐二が頭の上に「?」マークを乗せる。そんな彼を後目に、浅葱は周囲をきょろきょろと見回した後で祐二に顔を近づけ、周りに聞こえないように声を潜めて言った。
「ちょっと面倒なことになりまして」
「何があったんです?」
祐二もつられて声を潜める。それまでと同じ声量で浅葱が言った。
「他の神からリクエストされたんです」
「え?」
「私がポセイドンの絵を新調したことが全面的にバレて、それで他の神もこぞって絵を描いて欲しいって言ってきたんです」
そこまで言って、またも浅葱が周囲を見回す。どうかしたのかと祐二が尋ねると、浅葱は以前と同様に声を潜めて彼に言った。
「確か安藤君は、神の姿が見えるんですよね?」
「まあ、そういうことになってますけど」
「じゃあ今、ここに誰かいるかわかりますか?」
浅葱に言われて、祐二はここで初めて自分の持っていた「資格」を思い出した。そして彼は首を振って周囲を見回し、部屋の中をぐるりと確認した。
そこには自分の真後ろに立ってこちらを凝視するアテナと、浅葱の真後ろに立つもう一人の女神の存在しか視認できなかった。その浅葱の背後にいる女神は半透明の水色の羽衣を身に纏い、顔の両側で長い髪を束ねていた。
「それはたぶん私の守護です。ワダツミっていう海の女神です」
その祐二からの報告を受けて、浅葱は安心したように答えた。なんで安心しているのかと祐二が尋ねると、浅葱は「ワダツミは無理なことは言ってきませんからね」と断言した。
「いくら神といえど、現人神本人の目の前で人間を強請るような馬鹿な真似はすまい。神というのは人間に似て狡猾な存在なのだ。ここに我々以外の神がいないのはそれが理由だろうな」
そしてここに他の神がいない理由については、祐二の背後に立っていたアテナがそう推論を立てた。その言葉は祐二にしか聞こえなかったので、浅葱には祐二が口頭で説明した。
「だからここに来たんですね」
そして祐二もまた、彼女に説明している最中になぜ浅葱が直接会いに来たのかについて理解した。一方で浅葱は祐二を通して「神の言葉」を聞いた後、次に神々がどうやって自分に要求してきたのかについて言った。
「夢の中で訴えてくるんです」
浅葱はそう切り出した。真顔で話を聞く祐二に、浅葱はそのまま続けた。
「夢枕っていうんですかね。その中に見たこともない人が出てきて、自分は神であると言った上で私に話しかけてくるんです。ポセイドンと同じことを自分にもしてくれって」
「夢ですか」
「そうです。一回の夢に出てくるのは一人だけなんですけど、翌日には別の神が夢に出てきて、同じことを言ってくるんです」
「ひょっとして、それ毎日ですか?」
「毎日です」
「ひっきりなしに?」
「とっかえひっかえ色んな神が出てきます」
祐二はぞっとした。背後でアテナのため息が聞こえた。そして祐二は半ば唖然としながら浅葱に言った。
「よく嫌にならなかったですね」
「それはまあ、絵のリクエストされるのは嫌じゃないですから」
「安眠妨害されても?」
「イラストの方が大事です。ファンがついてくれるのも嬉しいですしね」
祐二はまたも唖然とした。休息より大事なことがあるのか。彼は目の前の女性との価値観の相違を実感した。
しかし祐二はそこでなんとか気を取り直し、浅葱に問いかけた。
「つまり藤原さんは、その夢の中に出てくる神を何とかしてほしいってことなんですね?」
「そういうことです。でも私としては、やってきた神様の意見を無碍にはしたくないんです」
「でも神全員のイラスト描くってさすがに無茶ですよね。絶対体壊しますよ」
「世界中にいる神をまとめるとしたら、二百や三百ではきかんだろうな」
祐二の言葉に応えるようにアテナが言った。祐二はそのことも浅葱に伝え、続けて「やっぱり無茶ですよと言った。しかし浅葱は「それは私もわかっています」と一つ頷いた後、真剣な表情で祐二に言った。
「私に一つ考えがあるんです」
「考えですか?」
「はい。かなり無茶な内容だとは思っているんですが、一個アイデアが」
それから浅葱は、祐二に自分のアイデアを説明した。それを聞いた祐二は困った顔を浮かべ、後ろでそれを聞いていたアテナは「なるほど、逆転の発想ということか」と感心したように声をあげた。
「私はありだと思うぞ。あのゲームは商売目的でやっているわけではないからな。むしろ人間と接点が持てるような奴ならどんどんやっていくべきだろう」
「でもそれいいのかなあ」
「私がいいと言っているのだ。他の神々も良いと言うだろう。なんならこのゲームの開発者に連絡を入れてみても良いぞ。私に頼んでくれれば、喜んで渡りをつけてやろう」
興奮したように話しかけるアテナに、祐二は脳内で渋る声を出した。しかしアテナは強情であり、そしてそんな二人のやり取りを見ていた浅葱は「神様からの通信ですか?」と不思議そうに問いかけた。
「ええまあ、そんな感じです」
「でしたらぜひ伝えておいてください。こういうアイデアはどうでしょうかと言っておいてほしいんです。お願いします」
浅葱の表情は真剣そのものだった。アテナはまだ耳元で何か騒いでいた。祐二は断るに断れず、結局それを受け入れた。
「わかりました。とりあえず言っておきます」
「そうですか? ありがとうございます」
「よく言った。それでこそ現人神だ。これからも神への奉仕を忘れるでないぞ」
うるさいよ。祐二は頭の中で賞賛の言葉を述べるアテナにそうつっこんだ。
これどうすりゃいいんだろう。祐二は心の中で頭を抱えた。