「海の迷宮」
翌日、祐二と美沙、そしてパラケルススの三人は氷河の街の一角に集合していた。そこにはわずかだが彼ら以外にも人が集まり始めており、最初の頃に比べて活気が出始めていた。
「藤原さんは?」
「来てないみたいね」
「一応メールは送ったんスよね?」
「ええ。でも反応なしよ」
その街の中を行き来する他のプレイヤーを視界に納めながら、ギルド「しまうま」のメンバーが会話していた。話していたのは美沙とパラケルススだった。なおここに四人目のギルドメンバーである藤原浅葱の姿はなく、それについて彼らは話を進めていた。
「多分新しいイラスト描いてるんじゃないかしら」
「でも返答のメールが来てないんスよね。そんなに没頭するものなんスか?」
「私は絵を描いてないからよくわからないけど、そういうのはやっぱりあるんじゃないかしら。私だって一つのことに集中すると周りのことが見えなくなるし」
「その集中力は羨ましいッスね。あたしはそこまで一つのことに集中できないッス」
そう答えた後で、ふと自分の横にいたそれに気がついたパラケルススが視線をそちらに移す。そこには会話に混ざらず、上の空で立ち尽くしていた祐二の姿があった。
「ご主人様、どうしたッスか?」
パラケルススが祐二に向けて声をかける。いきなり話しかけられた祐二は一瞬驚きで体を震わせた後、挙動不審気味に彼女の方を向いて言った。
「な、なんだ?」
「いや、大丈夫ッスか? なんか思い詰めてる感じッスけど」
パラケルススから問われ、祐二が「ああ、うう」と言葉を濁す。しかしすぐに肩から力を抜き、「実はさ」と観念したように二人に白状した。
「昨日時子さん泣かせちゃったんだよ」
「え?」
「なんで?」
パラケルススと美沙が祐二に注目する。女二人の視線を受けながら、祐二は昨日の出来事について説明した。
「昨日さ、俺達で品川に行ったじゃん。それで俺達水の中に入ったよな?」
「ええ、確かに行ったわね」
「その時の様子がテレビで報道されてたんだよ。男女の無理心中みたいな感じでさ。で、それを時子さんが見て、誤解して・・」
「不安になりすぎて泣いちゃったってわけね?」
美沙の推論に祐二が頷いて肯定する。美沙はバツが悪そうな表情を浮かべつつ頭をかき、パラケルススは気まずい顔で「そんなことあったんスか」と言った。そしてパラケルススの言葉を聞いた美沙が彼女に尋ねた。
「パラケルススはそれ知らないの?」
「あたしは帰ってすぐに自室に引きこもったッスから。それについては全然知らなかったッス」
「とにかくそんなことがあってさ。一応誤解は解けたけど、なんか悪いことしちゃったような気がしてさ」
「祐二はその人になんて説明したの?」
「ありのままを全部だよ。守護を降ろしてるから水の中に入っても平気だとか、本当は水の底にある街に泳いで向かっただけなんだとか」
その祐二の説明を聞いた美沙が眉をひそめた。
「全部話したの?」
「ああ」
「それ、信じてくれたの?」
「突拍子もないことはわかってるけどさ。でも時子さんは全部信じてくれたよ」
あの人には本当頭が下がらないよ。祐二は心から感謝するように言った。パラケルススは「いい人なんスね」と返し、美沙はどこか羨望の混じった表情で喜びを噛みしめる祐二の顔を見つめていた。
「それより、そろそろダンジョン行かないッスか? せっかくここまで来て雑談で終わりなんて嫌ッスよ」
その中でパラケルススが提案する。それは二人にとっても同意見であり、三人はそこで話を切り上げてダンジョンに向かった。
海の迷宮と名付けられたそのダンジョンは、その名の通り海の中に作られた物だった。透明なガラスで作られた迷宮を海の中に沈めたと言っても過言ではなかった。
閉鎖的な迷宮ではあったが天井は高く、道幅は広かった。四人パーティが横並びになってもまだ余裕があるほどだった。そして頭上から海面を照らす日光が照明の代わりを務めており、波の動きに呼応して揺らめく光が迷宮を照らす姿は幻想的でもあった。
そんな海の迷宮に出てくるモンスターは、その大半が水属性のスキルを使用してきた。中には食らった相手を氷漬けにする効果を持つ魔法の使い手もいた。何度か戦った後で「予想通りね」と露出の高い軽装鎧を身につけた美沙は自信満々に言ってのけたが、その時彼女は敵からの氷結魔法によって腰から下を氷漬けにされていた。
「まあこうなることはわかってたわよ」
「偉ぶって言うことじゃねえだろそれ」
「じっとしてるッスよー」
銀に光る全身鎧を身につけながら渋る祐二の横で、現実世界と同じ燕尾服姿のパラケルススがそう言いながら両手を美沙に向けて突き出す。直後、突き出された手の先から赤く輝く魔法陣が出現し、そしてその陣の中央から炎の柱が勢いよく噴き出した。
「え、ちょ、ちょっと!?」
いきなり炎を噴きつけられた美沙が狼狽する。しかしその炎は美沙の氷漬けにされた足の方へと向けられ、そして先端部分が氷の表面にギリギリつかない程度の距離で止まっていた。
「今溶かすからちょっと待つッス」
パラケルススがそう言いながら炎を出し続ける。氷は雪解けの様子を倍速で眺めているかのようなスピードでみるみるうちに溶けていき、そして炎を噴きかけてから十秒もしない内に、美沙を縛り付けていた氷塊は影も形も無くなった。
「おお、やった!」
自由になった両足をぶらぶらさせながら美沙が喜びを露わにする。一方で祐二はパラケルススの方を見つめ、「お前も魔法使い系のジョブなのか?」と質問していた。
「いや、あたしは魔法使い専門じゃないッスよ」
「じゃあなんだ?」
「ソードウィザードっていうやつッス」
「え?」
祐二が思わず変な声を出す。美沙も動くのを止めてパラケルススの方を見据える。
「本当にそれにしたの?」
「ええ。魔法剣士ってやつッス」
「なんでそれにしたんだ?」
「両方のいいとこ取りみたいな感じでお得だと思ったんス」
パラケルススがにこやかに答える。しかしそれを聞いた祐二と美沙は渋い顔をした。
魔法剣士。魔法使いと剣士の両方のスキルを扱える複合ジョブである。一見強力に見えるが、実際は器用貧乏で終わることの多い微妙なジョブでもあった。
「それパラメータが結構微妙なやつだった気がするわよ」
「どっちつかずであんまり強くないから選ばない方がいいって言われてたなそれ」
「ロマンを追い求めて何が悪いんスかね?」
しかしパラケルススは動じなかった。というよりも、あえて欠点を理解した上でそのジョブを選んでいたようであった。
祐二と美沙は説得は無駄であることを知った。
「まあ、好きなようにやればいいよ」
「そうさせてもらうッス」
得意げにパラケルススが言い返す。能天気な奴だ。そう思った直後、祐二は不意に美沙を突き飛ばした。
「伏せろ!」
地面に横ばいに衝突した美沙の耳に祐二の声が響く。刹那、美沙の足のすぐ下に何かが落下した。
「なに? なに!?」
上体を起ながら美沙が足下に視線を向ける。その視線の先には壁があった。それは全身が鈍い銀色に染まり、視界の端から端まで到達するほどの大きさを持った巨大な代物であった。
「はずしたあ」
頭上から低くくぐもった声が響く。それに続いて眼前にある壁のように巨大な物体がゆっくりと持ち上げられる。その向こうにパラケルススを抱きながら自分と同じように地面に倒れていた祐二の姿が見えた。
「祐二! 大丈夫!?」
「なんとかな!」
「何がどうなってんのよ!?」
「でかい奴が襲ってきたんだよ!」
美沙が大声で問いかけ、祐二もそれと同じくらいの声量で言い返す。そして祐二の横で倒れていたパラケルススが起きあがり気味に斜め上を指さし、「あれ! あれ!」と慌てた調子で言った。
「なんかでかいの! でかいのこっちに来てるッス!」
それを聞いた祐二と美沙が同時に指さされた方へ目を向ける。直後、二人は表情を強ばらせた。
「なにあれ?」
「巨人だ」
祐二の言う通り、それは彼らより二回りも巨大な体躯を持った真っ白な巨人だった。体型はずんぐりむっくりで見るからに鈍重そうであり、右手にはそれまで壁のように見えていた巨大な肉切り包丁を握りしめていた。顔には目と口の代わりに三つの黒い穴が開けられており、髪や耳に該当するパーツは存在しなかった。
その姿を見ていた美沙が言葉を話つ。
「違う、あれ雪像よ」
「雪像?」
「雪で出来てるってことッスか?」
パラケルススの言葉に美沙が「そうよ」と答える。それを聞いた祐二は起き上がりながら目前の巨人を見つめ、そして「あっ」と気づいたように声を発した。
「本当だ。なんか雪っぽい」
「でしょ?」
「ああ、水場だから雪使ってるんスね」
立ち上がったパラケルススが納得したように言った。そしてその三人を見下ろしながら、包丁を持った巨大な雪像がくぐもった声を発した。
「つぎははずさない」
「は?」
「はずさない」
「来るぞ!」
必死の形相を浮かべた祐二が剣と盾を構える。祐二のところに合流した美沙もボウガンを、パラケルススも長剣を構える。そしてパラケルススは空いた方の掌に魔法陣を浮かべ、そこからいつでも噴き出せるように火種を燃やしておく。
「もしかしてこれ、中ボスってやつ?」
「わからん。だが考えるのは後だ」
後ろからかけられた美沙の質問に祐二が答える。パラケルススもそれに頷いて「こんなところでゲームオーバーになってられないッス」と今まで見せたことのないくらい真剣な面持ちで言った。
「で、作戦は?」
「いつも通りで行こう。俺が囮になるから、その隙に二人で攻撃だ」
「了解」
「オッケーッス」
パラケルススが首肯するのと雪像が包丁を持ち上げたのはほぼ同時だった。雪像は間髪入れずに包丁を三人めがけて振り下ろし、それを見た祐二が叫ぶ。
「散開!」
三人がそれぞれ別方向に跳ぶ。包丁がそれまで三人のいたところに直撃する。爆音と突風が巻き起こり、三人に対して牙をむく。
「これは一発食らっただけでおしまいみたいね」
「それは見りゃわかるッスよ」
同じ方向にすっ飛んだ美沙とパラケルススが、共に額から脂汗を流しながら言った。そして彼女達と反対方向に跳んだ祐二がスキル「挑発」を使用し、剣の柄で盾を打ち鳴らし相手の狙いをこちらに向けさせながら言った。
「行くぞ! でかいの!」