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「藤原浅葱」

 不思議な感覚だった。水底にまで沈んでいった祐二はそう思った。

 水の中に入っている感覚は確かにあった。緩やかな水流が方向を変えながら体に当たり、冷たさを肌で実感することが出来た。ジャンプすればゆっくり上がってゆっくり落ちていき、ここに浮力は存在することも表していた。

 その一方で、祐二は陸の上に立っているのと同じ感覚も味わっていたのだ。


「不思議だな」


 口を開けても水は入ってこないし、言葉も普通に耳に聞こえてくる。耳や鼻の穴から水が流れてくることもなければ、目がしみることもない。そもそも口から泡が出るのに、息苦しさを微塵も感じていない。水の中に飛び込んで五分程度は経ったはずなのに、それまで普通に呼吸をしていたように口を開けていたのだ。そして今も陸地で息をするかのように無意識のうちに口を開けていたのだが、溺死する気配は一向になかった。


「これが守護の力なのか」

「凄い。こんなのも出来るんだ」


 祐二の横で道路の上を歩きながら、美沙が感心したように言った。彼女も目をしっかりと開け、何か喋る度に口から泡を溢れ出していたのだが、喉を押さえてもがき苦しむ様子はいっさい無かった。

 その様子を見ながら、祐二は一つの疑問を抱いた。美沙はいったいどんな守護を降ろしているのだろう?


「ところで、美沙はなんの守護を降ろしてるんだ?」


 実際に聞いてみた。美沙は快くそれに答えた。


「そう言えばまだ言ってなかったわね。私は今ね、セクメトっていう神を降ろしてるの」

「セクメト? 誰だそれ」

「エジプトの神話に出てくる女神ッスね。闘いを司る獅子頭の女神ッス」


 美沙に代わってスラスラと解説していくパラケルススを見て、祐二が素直に驚く。そして「なんでそんなこと知ってるんだ」と祐二から問いかけられると、パラケルススは「人間のことならなんでも知ってるッス」と自信満々に返した。


「セクメトの能力も知ってるッスよ。確か攻撃力が大きく伸びて、防御力が大きく落ちる感じッスよね」

「ええ、その通りよ」

「マイナス効果つきか。使いにくそうだな」

「スカウトは元々防御力が低いからね。あんまり気にしてないわ。当たらなきゃいいのよ」


 自分のジョブを引き合いに出しながら美沙が言った。そして美沙は続けて「頼りにしてるからね、メイン盾」と祐二に軽くウインクを飛ばす。祐二は無言で頷き、パラケルススは再びため息をついた。


「あそこ見て。他にも歩いてる人がいる」


 そんなことを話しているうちに、美沙が不意に前方を指さした。祐二がそちらの方へ目を向けると、そこには確かに自分と同じように歩いている人たちがいた。数こそまばらであったが彼らも潜水装備は身につけず、着の身着のままで歩道を歩いていた。車が通っていないことをいいことに車道を平気で横切る者もいた。中には水の中にいることをいいことに泳いで進む者もいた。


「あの人達も守護を?」

「多分そうだろうな」

「そうでもなきゃ人間が水の中で生きていくなんて出来っこないッスよ」


 美沙からの問いかけに祐二とパラケルススが答える。それから三人は地上を進む感覚で歩道の上を歩いていたのだが、彼らはその途中でコンビニや個人商店の姿をいくつか発見した。閉め切られている物もあれば平常運行しているものもあり、それらは水圧で窓ガラスが割れることもなく、入り口が開いてもその中に水が入り込むこともなかった。


「変なの」

「あれも守護の?」

「そうじゃないッスかね」


 そんなやり取りをしながら、三人は試しに開いていた酒屋の一つに入ってみることにした。自動ドアが開いても、水は見えない壁に阻まれるかのようにそのドアの境目でせき止められていた。店内は地上にあるものと全く同じ状況であり、照明がしっかりとついて品物は濡れたりせずにいつも通りの状況で棚の上に陳列されていた。そして水のない空間に来て気づいたのは、自分達の服も同様に乾ききっていたことだった。


「ええ……?」

「気にしたら負けだ」


 祐二は自分に言い聞かせるように美沙に言った。その後三人はせっかくだからと適当に買い物を済ませ、その後改めて目的地のマンションに向かった。





 目的地のマンションへは問題なく到達することが出来た。そこは四階立てのこぢんまりとしたマンションで、目的の場所はその二階の中程にあった。


「すいません。どなたかいませんか?」


 インターホンを押しながら祐二がそこに声をかける。暫くして、その向こうから声が聞こえてきた。


「はい、どちら様ですか?」


 落ち着きのある女性の声だった。祐二は一度美沙と顔を見合わせた後、メールの中に書いてあった通りに言葉を放った。


「藤原浅葱さんですね? 現人神です。ポセイドンからの遣いで来ました」


 返答はすぐに返ってこなかった。代わりにドアの奥から鍵の開く音が聞こえ、そしてドアが僅かに開かれた。


「合言葉は?」


 ドアの奥から声が聞こえてくる。一瞬、なんのことだか祐二にはわからなかった。突然言われてメールの文章をど忘れしてしまったのだ。

 しかしその横で、咄嗟に美沙が口を開いた。


「ヤマトタケル」


 一度ドアが閉まる。失敗したか? 祐二の背筋に寒気が走る。しかし次の瞬間、ドアが完全に開かれた。


「あなた達が現人神ですね? 話はワダツミから聞いてます。待ってました」


 そこには小豆色のジャージを身につけ、縁の太い眼鏡をかけたショートヘアの女性が立っていた。





「現人神がこんなに若かったなんて驚きです。世の中何が起きるかわからないですね」


 浅葱の部屋の中は前に立ち寄った酒場と同様、開けられたドアや窓の境目で水がせき止められ、室内は水浸しにはなっていなかった。リビングにある窓の向こうには水の中に沈んだ街の景色が映り、自分達の服が全く濡れていないこともあって、祐二達はまるで海底散歩のアトラクションを楽しんでいるかのような錯覚を覚えた。


「改めましてこんにちは。私は藤原浅葱と言います。よろしくお願いしますね」


 その水気のないリビングで紅茶の入ったカップを配りながら、浅葱は自己紹介をした。その声や態度に刺々しい気配はなく、木訥で謙虚な印象を与えた。初めて会う相手に恐ろしいイメージを抱いていた祐二達は「ああ良かった」と肩の力を抜いた。

 そして丸テーブル挟んで座った浅葱に対して、祐二と美沙も自分の名前を伝えた。最後にパラケルススも名前と種族を告げたのだが、それを聞いた浅葱は子供のように目を輝かせた。


「悪魔? 本物ですか? 証拠とかあるんですか?」

「角と翼もあるッスよ」


 そう言って、パラケルススが角と翼を現出させる。それを眼前で見た浅葱はさらに目を光らせた。


「凄い! 凄いですね! こんな近くで本物見たのは初めてです!」


 そのはしゃぎようはまさに玩具を前にした子供のようであった。その様子に若干引きつつ、それでも話を進めなければと祐二が本題を切り出した。


「ところで、あなたがポセイドンの絵を描いた人なんですか?」

「えっ? あっ、はい。そうですよ」


 不意に問われた浅葱は一瞬きょとんとしたが、すぐに質問の意味を知って即答した。あっさり答えられて祐二は驚いたが、浅葱は気にすることなくテーブルから立ち上がり、部屋の隅に置かれていたノートパソコンを持って再びテーブルに戻ってきた。

 何をするんだろう? そう疑問に思う三人の前で浅葱はパソコンを開いてキーボードを叩き、やがて浅葱は三人にパソコンを向け、その画面を見せた。


「これですね。ポセイドンのイラストです」


 そこには確かに、先日自分達がゲーム中に見たスク水幼女のイラストが表示されていた。


「可愛いッスね」

「あのむさいおっさんがこんな姿にねえ」


 それを見たパラケルススが素直に感想を述べ、美沙が感慨深そうに声を漏らす。そしてそれを見ながら、祐二が浅葱に向けて疑問をぶつけた。


「ところで、俺達のことはどうやって知ったんですか?」

「神様からお告げを聞いたんです」

「じゃあどうやってポセイドンのイラストを書くようになったんです?」

「神様からお告げを聞いたんです」


 浅葱がにこやかに答える。祐二は表情を消した。こいつ洗脳か何かされてるんじゃないのか?


「本当に聞いたんです! いつものようにマイホームで装備を調えてたら、いきなり目の前に神様が来たんです!」


 そんな祐二の真顔を見て彼の言いたいことを察した浅葱が、慌てながら弁解する。そしてそのまま浅葱は三人を見ながら口早に続けた。


「まずポセイドンの絵のことなんですけど、こっちは本当にポセイドンがやって来たんです。そして私に向かって、自分の絵を描いて欲しいと言ってきたんです。出来れば日本人に受けるように、出来るだけ可愛い感じにって」

「それを受けたんですか?」

「はい。だってあの神様、私の絵を見て決めてくれたんですよ。私のサイトも覗いてくれたみたいですし」

「サイト運営してるんですか?」


 美沙が声を発する。浅葱は頷き、再びパソコンを自分の元に引き寄せて操作を行った。それから暫くして、浅葱は再びパソコンの画面を三人に向けた。


「これが私のサイト。前まではブログもやってたんだけど、今はイラスト投稿専門のサイトになってますね」

「日記はツイッターでも代用できますしね」

「そういうことです」


 浅葱の見せてきたホームページ――一番上に「ぷらずま砦」と書かれたページを見ながら美沙が尋ねる。浅葱は嬉しそうに答え、一方でそれを見た祐二は思い出したように言った。


「そう言えば、ポセイドンは事前に日本人を調べていたって言っていたな」

「そうなんです。私の前に出てきたポセイドンもそう言って、色々吟味を重ねた結果君に決めたと言ってきたんです」

「だから以来を引き受けたんですか?」

「そうです。そんなこと言われて嬉しくならない絵描きはいませんよ」


 見るからに嬉しそうに浅葱が答える。そして浅葱はそのテンションのまま、どうやって自分が現人神を知ったのかについても説明した。


「こっちの方はワダツミから聞いたんです。ワダツミっていうのは、私がメインで降ろしている守護のことですね。主に魔法の攻撃力と防御力が上昇します」

「魔法使いなんですか?」

「はい。メイジやってます。攻撃特化タイプの方です。それで、ワダツミから近い内に現人神が来るから、もし本物が来たら中に入れて話をきいてやってくれと言われたんです」

「なるほど。だからなのか」


 それを聞いた祐二が納得したように言葉を発する。今度は美沙が浅葱に言った。


「じゃあ、なんで私たちがここに来たのかもご存じなのですね?」


 それを聞いた途端、浅葱は顔を曇らせた。そして眉をひそめ、不安げに声を発した。


「私、まずいことしたんでしょうか?」

「いえ、藤原さんは悪くないですよ。悪いのはポセイドンの方ですから」

「ルール破ったのはあっちの方ッスからね」


 祐二に同意するようにパラケルススが言った。それを聞いた浅葱は少し表情を和らげ、そして三人を見ながら言った。


「それで、私はどうすればいいんですか?」

「新しいイラストを書いてほしいんです。可愛い系じゃなくて、むさい系のやつで」

「確か、勝手に萌え系の姿に変更したことが問題になってるんですよね? わかりました」


 祐二の言葉に浅葱が同意する。そこまで理解しているのか。祐二は話す手間が省けたことを知り、このとき初めて神に感謝した。そして美沙から受け取った「むさ苦しいポセイドン像」の写真を見ながら、浅葱が言った。


「これをモデルにして別のイラストを描けばいいんですね?」

「そうです。お願いしていいですか?」

「わかりました。ワダツミからも現人神に協力しないとお前のパラメータ全部ゼロにするぞと言われてますので、喜んでやらせてもらいます」

「なんかすいません」

「いえ、大丈夫ですよ。ところで、ものは相談なんですが」


 申し訳なさそうに頭を下げる祐二と美沙に微笑みながら浅葱が声をかける。なんでしょうか、と反応した美沙の方を向いて、浅葱が僅かに頬を紅潮させながら言った。


「あ、あの、良ければ一緒にギルド作りませんか?」

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