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「入水」

 翌日、祐二達三人は東京都中央区と品川区の境界線上にいた。一歩前に踏み出せばまさに品川区内というべきそのラインの上に立ちながら、祐二と美沙、そして悪魔のパラケルススは呆然と目の前の光景を見つめていた。


「うわあ」

「本当に沈んでるよ」

「池ッスかね?」


 そこにあったのは、パラケルススの言葉通り巨大な池のようであった。実際にはそれは直角に出来た窪みの中に水が溜まったような物であり、一歩前に踏み出せば水底まで真っ逆様という有様であった。

 かつて品川区として括られていた一帯はその大地ごと真下に陥没し、そうして出来た空間の中に水がなみなみと注がれていた。水は透明で透き通り、水底に沈んだ建物の群をしっかりと視認することが出来た。品川区内を通る道路や線路もその中に入ると同時に地面に沿って垂直に折れ曲がり、壊れることなくそのまま水の中に存在し続けていた。


「本当にこの中に入れって言うの?」


 乾いた靴の先で水面をつつきながら美沙が言った。靴でつつく度に水面の上を波紋が走り、遙か底にある「俯瞰視点から見た町並み」の姿を陽炎のごとく揺らした。


「かなり気乗りしないんだけど」


 そして足を引っ込めながら美沙が続けて言った。それから美沙は「あなたはどう思う?」と祐二に返し、祐二も「自殺願望はないよ」と言って美沙の言葉に同意した。

 なおこの時の美沙は無地の赤いシャツと紺のパンツというラフな格好であり、祐二もまた白いシャツと群青色の長ズボンという飾り気皆無な服装であった。パラケルススはいつも通りの燕尾服姿であり、翼と角は隠してあった。

 ついでに言うと、現実世界で祐二と美沙が顔を合わせたのはこれが初めてであった。現実の容姿をそのままゲーム世界に転用するという仕様のおかげで美沙の姿そのものには見慣れていたが、それでも現実世界で美沙と会うというのは、孤児院以外で人付き合いのない祐二の心に多大な緊張をもたらした。


「その格好可愛いね。綺麗だよ」


 そんな気の利いた台詞を吐く余裕は祐二には無かった。そして品川駅で合流してから一向にアプローチをかけない祐二を見て、横にいたパラケルススが「ヘタレ」と呟いたが、祐二はそれの返答代わりに彼女の頭を軽く小突いた。

 閑話休題。


「俺達の他にも見物人っているんだな」


 それまで水の中に向けていた顔を持ち上げて祐二が言った。彼らの周囲には彼らと同じことをしている者達がまばらに存在していた。誰もが「窪地」の縁に立って水の中を見下ろし、中にはそこに見える街の光景をカメラや携帯電話を使って撮影している者もいた。


「のんきだなあ」

「対岸の火事ってやつッスよ。人間っていうのは実際に自分が痛い目に遭うまで、ああして軽い気持ちでいるものなんス」

「失望したりしないの?」

「そんなこと無いッスよ。ハレとケって言うんスかね? 心に緩急をつけられるからこそ、人間は精神を破綻しないでここまで進化することが出来たんスから。素晴らしい進化の形ッス」


 美沙からの問いかけにパラケルススが答える。その一方で、祐二の頭の中には彼女達のものとは別の声が聞こえてきていた。


「心配することはない。水の中に入っても死ぬことは無いだろう」


 アテナの声だった。その声が聞こえてきた直後、祐二は咄嗟に顔を上げて周囲を見回したが、アテナが「自分以外には見えない」ことを思い出すと同時に落ち着きを取り戻し、視線を池の中に落として怪しまれないようにしながら意識をそちらに集中させた。


「それどういう意味だよ?」

「言った通りだ。その水は実在はするが、お前にとっては無害だ。気にせず飛び込むと良い」


 脳内で祐二が言葉を思考し、それに反応してアテナの言葉が脳内に響く。そしてそれを受けて、祐二が再び言葉を思念に変えた。


「なんで無害なんだ?」

「我がそなたを守るからだ。前に言ったであろう? 一定の信仰値を溜めれば現実世界でも守護を降ろせると」

「降ろした守護が俺を守ってくれるって言うのか?」

「そうだ。そなたがゲームの世界で信仰値を稼ぐことで、その量に応じて特典が増えていく。追加技能がアンロックされていくと言うべきか」


 そこまでアテナの言葉が響いた直後、それに代わって祐二の頭の中に一つのイメージが出現した。それは左右にそれぞれ文字と数字が刻まれており、一番上に一回り大きいサイズの文字で「信仰値スキル一覧」と表示されていた。





 言語変換・500ポイント

 水中行動・1000ポイント

 耐寒耐熱・2500ポイント

 空中浮遊・実装予定中

 空間跳躍・実装予定中

 大気圏外活動・実装予定中





「これが? 特典?」


 その一覧を心の目で見ながら、祐二がアテナに問いかける。アテナは「そうだ」と返し、続けて祐二に言った。


「信仰値を捧げれば捧げるほど、現実の世界で行えることも増えてくる。献身的な者に対する神の祝福と言ったところだ。迷宮三つが追加された際のアップデートで見れたはずだったんだがな」

「えっ?」


 祐二は気まずい気分になった。そこまでアップデート内容を告げるメールを読み込んでいなかったからだ。なのでそれに答える代わりに、祐二は一覧を見ながらアテナに言った。


「なんか物騒な奴が見えるんだけど」

「まだ予定の段階にすぎない。一部の神が実装しろと口うるさいのでな。とりあえず候補に挙げておいたのだ」

「守護を切り替えるとこの数値はリセットされるのか?」

「いや、守護を変えてもリセットはされない。こちらの方の信仰値は特定の神に対してではなく、神全体に対する信仰としてカウントされている。溜まり方も神単体に対する信仰値とは異なり、ずっと遅い」

「違う呼び方にした方がいいんじゃないのか?」

「考えておこう」


 祐二とアテナの脳内会談がそこまで進展した直後、祐二の真横から声が聞こえてきた。


「祐二、どうしたの?」


 驚いて意識を外に戻し、それと同時に顔を声のした方へ向ける。そこには心配そうにこちらを見つめる美沙の姿があった。


「さっきからじっと水の方見てたけど」

「い、いや、なんでもない。なんでもないよ」


 そう慌てて弁解する祐二の頭の中で、「恐れず飛び込んでみるがいい」というアテナの声が響いた。祐二はそれには答えず、立ち上がって水の方を見ながら言った。


「そろそろ行くか」

「嘘でしょ?」


 祐二の言葉に美沙が反応する。その顔は「冗談も程々にしろ」と言わんばかりに渋い物になっていた。一方でパラケルススは怪訝な顔はせず、興味深そうにこちらを見ていた。


「本当に沈むっていうの?」

「そうだ」

「死ぬ気?」

「そうじゃない。信仰値を溜めれば水の中でも息が出来るんだよ」


 そう言ってから、祐二は先ほどアテナから聞いたことを説明した。美沙は「えっ」と驚いた声をあげ、パラケルススは「悪魔は水の中でも息出来るから関係ないッスね」と答えた。


「やっぱり美沙も知らなかったか」

「だって私、説明書見るタイプじゃないし」

「そこは熟読した方がいいんじゃないッスかね」

「嫌よ。面倒くさい」


 パラケルススの意見を真っ向から切り捨てる。祐二はその二人を見た後、視線を再び水の中に向けた。


「とにかく俺は行くからな」

「気乗りしないなあ」

「嫌ならここに残っててもいいんだぞ」

「そうやって焚きつけるのやめてよ」


 そう言いながら、美沙も祐二の横に並んで水面を見つめる。その目には強い意志が宿り、何かの覚悟を決めたように見えた。


「いいわ。やってやろうじゃない」


 美沙が強い口調で言った。パラケルススも「こっちも準備オッケーッス」と返し、その二人を見ながら祐二が言った。


「じゃあ、せーので行くぞ。せーので飛び込むからな? いいな?」

「ええ」

「了解ッス」

「よし、行くぞ。せーの」





 男女三人、水没都市の中へ!

 集団自殺か? 白昼の悲劇!

 その日の夕刊の一面が決まった瞬間だった。

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