「水の都」
「信仰値が欲しかったの」
スク水幼女と化したポセイドンは、悪びれる素振りを一切見せずに言い切った。祐二達は呆然とし、彼らをここまで連れてきたポセイドンの侍女は渋い顔を浮かべた。
「むさいオッサンの姿よりこっちの方が受けがいいでしょ? だから思い切って姿を変えてみたの。イメチェンってやつかしら」
「イメチェンって、そんなの出来るのかよ」
「出来るわよ。現に私がそうしたもの」
元の姿にだって戻れるわ。ポセイドンは続けてそう言った。祐二と美沙は顔を見合わせ、その横でパラケルススが彼女に言った。
「じゃあ一回見せてほしいッス。元の姿に戻るところ見せてほしいッス」
「悪魔に頼まれるなんて初めての体験ね。まあいいわ。お望みとあらば見せてあげる」
ポセイドンがそう答えた直後、彼女の足下から泡が沸き立ってきた。その泡は猛烈なスピードで下から突き上げられるようにして上へと登っていき、瞬く間にポセイドンの体を包み込んでいった。
「破ァッ!」
それから数秒後、泡の中から野太い男の雄叫びが聞こえてきた。それと同時に祐二達の眼前に出現していた泡の柱が内側から弾け飛び、中から筋骨隆々な男が姿を現した。
「ざっとこんなものよ」
背は祐二達より二回りも大きく、眼光は鋭く、巻き毛を後ろに撫でつけ、立派な顎髭をたくわえていた。それはここに来る前に祐二達が見た彫像と瓜二つであった。違っていたのは手に銛を持っていなかったのと、腰巻きを身につけていたことであった。
「どうかな? これで信じていただけたかな?」
全身から水色のオーラを放ちながら、筋肉の鎧を身に纏った大男が腕を組みながら悠然と言い放つ。その強大な神性を正面から浴びた祐二達は、反射的に土下座をしようとその体を動かしていた。
「服従しなければ殺される」。目の前に存在する絶対的な強者を前にして、彼らの精神の底に眠る動物的生存本能が表に顔を出してきたのだ。
「ごめんなさい! お願いですから見逃してください! なんでもしますから!」
そして実際、パラケルススはその本能に従っていた。祐二の横で彼女は両膝を地面につけ、頭を床にこすりつけながら必死に懇願していた。しかしその無様とも言える姿を見て、祐二達はすんでの所で自分達の動きを制御することが出来た。
「ほう。中々骨のある者もいるようだな。気に入ったぞ」
そんな膝を折りかけたところで動きを止めた祐二と美沙を見て、ポセイドンが優越感に満ちた笑みを浮かべる。その直後、腕を組んだ大男の足下から再び泡が沸き立ち、みる間に大男を包み込んでいった。
「そういえばそなたらは現人神であったな。いや失敬。さすがにそなた達ならばこの状況にも慣れているか」
そして泡が消えると同時に中からスクール水着姿の幼女が現れ、その幼女は自身の巻き毛を指でいじりながら祐二達に例のハスキーボイスで言った。本当はまったく慣れていなかったのだが、祐二達はそのことについては黙っておくことにした。つけあがらせるのが気にくわなかったからだ。
「それで、なんでその姿になると信仰値が上がると思ったんだ?」
代わりに祐二はポセイドンにそう尋ねた。ポセイドンは無い胸を張りながら強気の口調で答えた。
「だってそなたらはこういうのが好きなのであろう?」
「えっ?」
「我を甘く見るでない。この国のことなど既に調査済みよ。そして我はその調査を通して、この日本という国に住む人間が最も強く興味を抱く姿を探り当てたのだ」
「それが、その格好だと?」
「そういうことだ。しかし我は別に嫌悪している訳ではないぞ。欲望に素直なのは生きる上で重要なことだ」
幼女が再び胸を張る。お前はロリコンだと言われたような気がして、祐二は軽く頭痛を覚えた。
「まあ、そういうのが好きな人も確かにいるけどね」
その横で美沙はポセイドンの意見に同意していた。しかしそのすぐ後、美沙が顔をわずかに渋らせながら言った。
「でもさすがにニッチすぎない? 日本人全員がロリコンって訳でもないし。やるんならせめてスレンダーな美女とか、もっと大人びた女性とか」
「バカモン! こういうのはインパクトが大事なのだ。普通の美女になるだけでは注目は得られんのだ!」
「やりすぎると逆に引かれるんじゃないかしら。そもそも女体化自体がリスキーな行為だと思うわよ。元々の姿の方のファンを丸ごと敵に回すことだってあるんだから」
「それくらいやり切った方がいいのだ。むしろそうでもしないと、今のご時世では同業者の中に埋もれてしまう。既存の個性が埋没するくらいなら、いっそどこまでも突き抜けてしまえばいい。それも選択肢の一つなのだ」
「なんでお前ら話が通じ合ってるんだよ」
祐二はますます頭が痛くなってくるのを感じた。パラケルススはというと、人間と幼女神のやり取りを見ながら「参考になるッス」などと呟いていた。何をどう参考にする気なんだお前は。
「凄いですね。今のポセイドン様とあそこまで会話できるなんて」
そんな二人の元に、ポセイドンの侍女が近づいて言ってきた。祐二とパラケルススはそれに気づいて顔をそちらの方に向け、まず祐二が口を開いた。
「やっぱり誰もついていけなかったのか」
「と言うより、皆さん困惑しているのです。ポセイドン様がいきなりあのような姿になられて、どう反応していいのかわからないのです」
「その皆さんって言うのは、誰のこと指してるッスか?」
「他の神々や、私と同じような侍女達です。私も含めて、皆どう対応していいのかわからないのです」
「まあそりゃそうだ。神様全部がオタク文化に染まってるわけじゃないッスからねえ」
「染まってたまるかよ」
パラケルススの言葉を聞いた祐二が思わずこぼす。その後祐二は侍女の方を向き、彼女に対して質問を投げた。
「もしかして今日俺達を呼んだのって、これが理由?」
「はい。どうしても解決してほしかったので、こうした現人神様を呼んだのです」
「ポセイドンを元の姿に戻して欲しいってことッスか?」
「そうです。ポセイドン様が姿を変えること自体は問題ではないのです。問題はポセイドン様が他の神々に内緒で勝手に姿を変えてしまったことであり、そちらの方で他の神々が難癖を付け始めているのです。本人は気にしていないようですが、このままではポセイドン様のお立場がどんどん悪くなる一方です」
「なるほどな。ところで難癖付けてる神って、具体的には誰なんだ?」
「ハデス様とゼウス様です」
「どっちもポセイドンの兄弟じゃないッスか」
そう答えた後、パラケルススはすぐに表情を曇らせて「あそこは基本的に兄弟仲悪かったっけ」と思い出すように言った。それを聞きながら祐二が侍女に尋ねた。
「内緒でやったのがアウトってことは、つまりそういうルールがあるってことなのか?」
「もちろんございます。神は一度決めた姿をみだりに変えてはいけない。このようなルールがしっかりと存在するのです。これも神同士で軋轢を無くし、世界を円滑に動かす為の措置なのです」
侍女の言葉を聞いた祐二とパラケルススが頷く。「勝手にルールを破ったら駄目ッスよね」とパラケルススが言い、祐二もそれに同意した。そして祐二はそれから思い出したように侍女に問いかけた。
「信仰が欲しいって言うのは、やっぱりあれなのか? 信仰値をためて現実世界に行きたい云々と関係あるのか?」
「その通りです。人間から信仰を得て、人間の世界に進出する。復権すると言った方がいいでしょうか。このことはポセイドン様は元より、その他全ての神が切望することなのです」
「それで、どうやって元に戻せばいいッスか?」
続けてパラケルススが尋ねる。侍女はすぐには答えず、まず顔を動かしてポセイドンと美沙の方に視線を移した。
「まずその服! なにそれ! いくらなんでも狙いすぎよ! あざとさっていうのはね、行き過ぎると途端に陳腐化するものなのよ!」
「知った風な口を利くでない! これは我が水神であることをアピールするための重要なアイテムなのだ! 何も知らぬ小人は引っ込んでおれ!」
「世間知らずはそっちよ! 変なことばっかこだわってないで少しはマイルドになりなさい!」
あちらの方ではまだ熱い議論が交わされていた。それを見た侍女は「こちらには気づいていないようですね」と安心したように向こうには聞こえない程度の小声で呟き、その横で空気を読んだパラケルススが侍女と同じく小声で言った。
「ご主人様のご友人、結構オタクだったんスね」
「色々ゲームやってるっぽいとは思ってたんだけどな。あそこまで深みにはまってるとは思わなかった」
それに対して祐二がそう返した所で、侍女が二人に声をかけた。
「それで、ポセイドン様を元に戻す方法なのですが」
「あ? ああ、そういえばその話の途中だったな。すまん」
「いえ、お気になさらず。それでその方法なのですが、まずは現実世界に戻って絵師を探して欲しいのです」
「エシ?」
祐二が素っ頓狂な声を上げる。隣にいたパラケルススが侍女に言った。
「イラストレーターのことッスね」
「そうです」
「なんでお前知ってるんだよ」
「これくらいは常識ッスよ」
問われたパラケルススが当然のように答える
。侍女もそれに併せて頷き、祐二は一人世間から取り残されたような疎外感を味わった。
「それでその絵師についてなのですが、詳しく申しますと、今のポセイドン様のお姿を描かれた絵師を探して欲しいのです」
「それで?」
「その絵師に頼んで、新しいポセイドン様のお姿を描き直してほしいのです」
祐二とパラケルススが揃って鳩が豆鉄砲食らったような表情を浮かべる。すぐに気を取り直した祐二が侍女に言った。
「そんなんで解決するのか?」
「ポセイドン様のお姿を変えることが出来るのは、今のポセイドン様を最後にデザインした方だけなのです」
「そうなのか?」
「はい。なんと申せばいいのでしょうか。今のポセイドン様の姿は、その絵師の生み出したイラストのそれに固定されているのです。その姿は他の誰にも、もちろんポセイドン様にも動かしようが無いのです。その容姿を変更する権利は、<ポセイドン様はこういう姿なのである>と決定した者にしか無いのです」
「そういうルールになってるのか」
祐二はいまいち理解できなかったが、とりあえず相槌を打っておくことにした。流れには逆らうな。これが彼なりの処世術であった。
一方でそれを聞いた侍女はそのまま言葉を続けた。
「そうです。神と神の姿を決める者、この両者の同意の上で生み出された姿は、その姿を決めた者にしか変更することは出来ない。これもルールの一つです」
「神本人に選ばれた真の偶像ってわけッスね」
パラケルススの言葉に侍女が頷く。こちらも祐二には今一つ理解できなかったが、後で家に戻った時に調べようとも思った。さすがに知らないままで全部通すのは不味いと彼は考えていた。
「それで、その絵師はどこにいるんだ?」
そう考えながら、祐二が侍女に問いかけた。侍女はそれを聞き、一つ頷いてから答えた。
「品川区です」
「え」
「品川区にあるマンションの一つに住んでいます。住所と階数に関しては後でメールにてお送りします」
祐二は唖然とした。侍女が個人情報を握っていたことに関してではない。
「品川区って、あの品川区?」
「そうです。東京都品川区です」
「水没してんじゃん」
入水しろって言うのか。祐二は三度頭痛を覚えた。