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「海神」

 第一回大型アップデートは、東京都全体が天使と悪魔に二分されたその翌日、午前一時ちょうどに行われた。アップデートの際にメンテナンスも行われたが、それによるログイン不可能時間は僅か三十分程度であった。いくらなんでも早すぎる。自宅でそう思った美沙は祐二に連絡を取ろうとしたが、この時既に祐二は自室で寝息をたてていた。

 午前一時三十分。アップデートとメンテナンス終了を伝えるメールがプレイヤー全員に行き渡った。そのメールには「一定の信仰値を溜めれば現実世界で守護を降ろすことが出来る」と記されていたが、一般のプレイヤーがその意味を理解するのは当分先のことだった。また、追加ダンジョン自体は同日午前十時より解放されるとも記されていた。

 午前十時。新ダンジョン「水の摩天楼」「空の楽園」「地下の歓楽街」が解放。それに伴い、熱砂の街に続く新しい拠点「氷河の街」も出現。この熱砂の街と氷河の街は転送装置で繋がっており、それぞれ自由に行き来することが出来た。

 そしてダンジョン解放と同時に品川区が丸ごと陥没し、空中から弾けて溢れ出した水の中に沈んだ。次に墨田区がその土地ごと空高く浮き上がった。最後に秋葉原と呼ばれている一帯が地上から消滅し、秋葉原駅のあった場所にマイホームにあるような扉がぽつんと置かれていた。





「何が起きたんだよこれ」

「俺が知るか! こんなの聞いてねえよ!」

「まさか、これもゲームが現実に反映されるってやつの影響なのか?」


 午前十一時、熱砂の街。

 ゲームの中では現実世界で起きた事象についての話題で持ちきりだった。それは街にある酒場も同様で、そこでは知り合いや日頃パーティを組んでいる仲間同士で集まり、熱心に議論を交わしていた。


「いや、そんなヒドい状況でもないんだよな」

「最初はビックリしたけどさ。なんか水の中でも息できるんだよね。服も濡れないし」

「何か喋ると泡は出てくるんだけどね。窒息とかはしないんだよ。水が中に入ってくる感じもないし」


 その中にあって、品川区、墨田区、秋葉原に住んでいた者達は揃って質問責めにあっていた。特に水没した品川区出身のプレイヤー達は四方を囲まれ、息つく間もなく言葉の波に晒されていた。


「空の上だと空気薄くないの?」

「うーん、息苦しくはないかな」

「他の区に行きたいときはどうしてるんだ?」

「天使に頼めば降ろしてくれるんだよ」

「悪魔に頼んでも行けるぜ。金取られるけどな」

「アキバもそんな感じだぜ。そこにいる天使なり悪魔なりに頼めば地上に連れて行ってくれるんだ」

「なんだそれ。秋葉原って地面の下に埋まってんのか?」


 酒場の中は大盛り上がりだった。祐二と美沙、そしてパラケルススはその輪には入らず、いつもの席に陣取りながらその会話を盗み聞きしていた。


「金と言えばさ、なんかまたアップデートが始まるらしいぜ。今度のは金が絡んでくるらしい」

「マジで?」

「今度は何する気だ?」

「まさか課金アイテムとか出てくるのか? そういうのは嫌だぜ」

「さあな。細かいバランス調整とかだけかもしれんぞ? 俺も良く知らんけど」


 そんな彼らの近くで、別のプレイヤーの一団の話し声が聞こえてきた。そちらの方に意識を傾けていた祐二に、反対側に座っていた美沙が声をかけた。


「これ、本当どういうことなのかしら」

「どうって?」

「なんのためにこんなことしたのかって言いたい訳よ。品川とか水の中に沈めてさ。何の意図があるのかしら?」


 そこまで言って美沙が眉をひそめる。そして祐二が何か言おうとするよりも早く、彼の隣に座っていたパラケルススがそれに答えた。


「別に意味なんか無いじゃないッスか?」

「どういうこと?」

「だから、そのままの意味ッスよ。こういうのは神様連中のその、なんて言えばいいのかな。やりたいからやった、的な?」

「暇潰し?」


 祐二が返す。パラケルススがコップの水を飲みながらそれに頷く。


「そんな感じッス」

「いくらなんでもそんな理由で」

「神様なんてそんなもんスよ。気まぐれで訳の分からない神様なんかより、人間の方がずっと話がわかるッス」


 パラケルススがしみじみと言った。この時祐二は、隣に座る悪魔の本当の名前と、そのかつて天使だった者が何をして堕落したのかを思い出した。

 アザゼル。人間に惹かれ、使命に背いて地上に落とされた元天使。


「そう言えばお前、人間好きだったんだよな」

「それはもちろんそうッスけど、いきなりなんスか?」

「いや、人間の肩を持ってたからそのことを思い出しただけだよ」

「?」


 突然話を振られたパラケルススが怪訝な表情を浮かべる。祐二はそれを無視して、自分が頼んでいたドリンクの入ったグラスを手に取った。美沙は二人が何を話しているのかわからなかったが、すぐに気にしないことにした。世の中知らなくてもいいことは沢山あるのだ。

 そんな二人の人間の視界の端に新着メールを伝えるウインドウが表示されたのは、そのすぐ後のことだった。





 メールで呼び出しを受けた祐二と美沙、そしてちゃっかりついてきたパラケルススの三人が向かったのは、新しく実装された「氷河の街」だった。


「うわあ」

「白いな。真っ白だ」


 名は体を表すという言葉通りに、そこは見渡す限りの銀世界であった。地面も建物も看板も降り注ぐ雪によって等しく白化粧を施されており、そして白く染まった地面は街の中を流れる川によって三つに分断されていた。街の中を行き来するにはその川の上に架けられた橋を渡って行く必要があり、そしてその橋の下を流れる川には大小様々な氷の塊が浮かんでいた。


「見るからに寒そうだな」

「落ちたらどうなるのかしら」

「試しに落ちてみたらどうッスか?」


 橋の真ん中で立ち止まり、足下に流れる川を見下ろしながら三人が言葉を交わす。川の水は透き通っていたが、底は暗く見ることが出来なかった。また不規則にそこを流れる氷塊の群れが、その川の寒々しさを際だたせていた。そして美沙を茶化したパラケルススがその直後に足を滑らせて本当に落ちそうになったので、それを取り押さえた祐二と美沙は他人事ながら肝を冷やした。


「落ちたらどうするんだ!」

「ほら、さっさと行くわよ!」


 何とか平静を取り戻しつつ、三人は橋を渡って目的の場所へ向かった。





 指定された場所は街の中にある一軒の宿屋だった。そこは表向きにはあくまで雰囲気を出すためのオブジェクトの一つにすぎず、祐二達がその中に入っていく様子は、さながらバグでプレイヤーが建物の中にめり込んでいくように見えていた。

 祐二達はお構いなしに、その建物の表面から中へと入り込んでいった。


「ようこそおいでくださいました。あなた方が現人神様でいらっしゃいますね?」


 テクスチャ一枚隔てた先にあったのは、暖色系の照明で照らされた大きな円形のホールだった。外周部分には均等に石柱が立てられ、地面は大理石で出来ていた。そしてそこに一人でいたクリーム色のローブを身に纏った女性が三人を見つけ、そちらに近づくなりそう声をかけてきたのだった。


「ところで、そちらの方は?」


 そしてパラケルススに目をやったところで、女性が形の整った眉を小さくひそめた。祐二は咄嗟に「召使いです」と答え、美沙もつられて首を縦に振った。


「現実世界で召使いになって、そのままこっちでも一緒に行動してるんです」

「何か問題でも?」


 続けて祐二が言葉を放ち、美沙が一歩前に出ながら強気に迫る。女性はそんな二人の顔を交互に見比べた後、「そんな、滅相もございません」と見るからに恐縮しながら言った。


「現人神様のお言葉に疑問を差し挟むおつもりはありません。ただ少し気になったものでして。申し訳ありませんでした」

「いや、別にいいんです。こっちこそすいません。脅すつもりは無いんです」

「ところであなたは? あなたが我々に連絡を寄越したのですか?」


 若干怯えながら話す女性に申し訳なく思いながら祐二が答え、美沙が続けて問いかける。女性は「申し訳ありません」と答えた後、居住まいを正して三人に言った。


「はい。今回あなた方をお呼びしたのはこの私です。私は海神ポセイドン様の下にお仕えしている者です」

「ポセイドン?」

「海の神様です。ゲーム的に言えば、水の迷宮の再深部におわすお方です。こちらが大昔に人間が作ったポセイドン様の彫像です」


 そう言いながら、女性が一枚の写真を渡してきた。そこに写っていたのは一体のブロンズ像だった。

 それは鷹のように鋭い双眸を備え、癖の強い巻き毛を後ろに撫でつけ、立派な顎髭を蓄え、筋骨隆々な上半身を晒した壮年の男であった。下半身を荒れ狂う波の中に沈めていたその男は片手に銛を持ち、もう片方の手で遙か遠方を指さしていた。


「それはポセイドン様が反乱を起こした不埒者を討伐なさるご様子を形にしたものだそうです」


 写真を見る三人に向けて女性が解説を挟む。三郷パラケルススが感嘆の声を上げると同時に、祐二が顔を上げて女性に話しかけた。


「見るからに強そうですね。今もこの格好なんですか?」


 それを聞いた瞬間、女性は見るからに表情を曇らせていった。祐二はその異変に気づき、美沙とパラケルススもまたその気配の変調を肌で感じて顔を上げる。


「どうかしたんですか?」

「……実は、今日はそれについてあなた方をお呼びしたのです」

「?」


 三人が揃って首を傾げる。女性はそれ以上は何も言わず、彼らに背を向けてから言葉を発した。


「以前まではそうだったのです」

「どういう意味ですか?」

「こちらへ。直接見た方がよろしいかと」





 四人はそれからホールを出て暖かな照明に照らされた大理石造りの廊下を通り、やがて一つの扉の前までやってきた。


「こちらの奥にポセイドン様がおわします」

「他に誰かいるんですか?」

「いえ、中にいらっしゃるのはポセイドン様だけです」


 それは濃い青色で染められた観音開きの大きな扉であり、前に立つ女性が扉の取っ手を掴む。それから彼女は余計な音が出ないよう、慎重に力を込めてゆっくりと扉を押し開く。


「ポセイドン様、失礼します」

「いいよー!」


 三人は耳を疑った。名前を呼ぶ女性の声に反応して帰ってきたのは、ハスキーな少女の声だったからだ。そして女性につれられて中に入った三人は、今度は自分の目を疑った。


「え」

「え?」


 そこにいたのはキングサイズのベッドの上に腰掛ける一人の少女だった。それもまだ小学校に通っているような見た目の、スクール水着を着用した幼い少女だった。

 ふわふわとした金色の巻き毛を揺らし、ぱっちりと開いた金色の瞳は若さと無邪気さで爛々と輝いていた。形の整った眉は細く伸び、鼻は高く唇は桜色を帯びていた。その平坦な体つきは子供のそれそのものであり、手荒に扱うと簡単に壊れてしまいそうな姿をしていた。


「まさか、これ?」


 美沙が唖然としながら呟く。


「これが? 今の?」


 美沙の言葉に女性が小さく頷く。それを見た少女は「ああ、あなた達が現人神なのね」と状況を察し、ベッドの上から降りつつ声を発した。


「私は海神ポセイドン。誇りあるオリンポスの神々の一人よ。よろしくね!」


 幼女が満面の笑みを浮かべながら、両手を使って自分の顔の近くでピースサインを作る。三人は開いた口が塞がらなかった。

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