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「電脳空間にて」

「ただいま午前七時になりました。定期メンテナンスの終了をお伝えします。プレイヤーの皆様、今日も楽しく探索を始めましょう」


 軽快な女性のアナウンス音声を目覚まし代わりにしながら、安藤祐二は白い部屋の中で目を覚ました。そこは床、壁、天井の全てを白に塗り固められた正方形の空間で、中には白いベッドと白い直方体の箱と白い扉だけが置かれていた。窓や換気扇といった物は無く、非常に狭苦しく殺風景な場所であった。

 祐二は白い貫頭衣を着た状態でベッドから上体を起こし、床の上に立ち上がった。一見コンクリートを白く塗り固めたような寒々しい見た目をした床は、しかし実際にはそこに裸足で立っても寒さを感じることは無かった。冒険の舞台となるフィールドと異なり、その「主要拠点マイホーム」の中に温度の概念は存在していなかった。仮想現実だからこそ出来る代物である。

 ここでは心臓が無くても生きていけるのだ。貫頭衣越しに胸の真ん中を触り、そこにぽっかりと開いた穴を指を通して再確認しながら、祐二はそう思った。


「……」


 このバーチャルリアリティの中に入り込んで今日で二週間目になる。祐二はそのことを考えながら、ベッドから離れて直方体の箱の方へ歩き出した。祐二はその公式で「アイテムボックス」と呼ばれているその箱の蓋を開け、次に貫頭衣を脱いでその箱の中に突っ込んだ。

 貫頭衣の下には白いタンクトップと白いトランクスがあった。初めてメインベースに召喚された時からずっと身につけている下着である。現実ならば洗濯もしないで同じ衣服を着け続けるのは抵抗があるが、仮想現実の中ではそんなことはない。このオンラインゲームの中では「汚れ」の概念は実装されていないからだ。

 当然「垢」といったものも出ないし、風呂に入る必要もない。体臭も気にならない。近々大型アップデートでそれらに似た要素が追加されるとの噂であるが、本当かどうかはわからないし、祐二本人としてはそれは勘弁してほしい所だった。ゲームに集中したかったからだ。


「ダンジョンに潜る前にまずは装備を整えましょう。どんなアイテムも装備しなければ意味はありませんよ」


 そんなことを考えながら、祐二は室内に反響する声に従ってアイテムボックスの中から白いシャツと白いズボンを取り出し、身につけた。次いで上下一対の銀色の鎧を取り出し、慣れた手つきでそれを装備する。機動性を重視した流線型で構成された全身鎧フルプレートアーマーである。汚れのない銀色の表面に絡みつくように茨を模した装飾が施されているのが特徴であった。

 それを身につけた祐二は次に今着ている鎧と同じ形状をした丸い兜を被り、最後にボックスから盾と剣を取り出した。分厚い銀色の盾は見るからに重い印象を与え、上半身を丸ごと覆い隠すほどの大きさを持ち、かち合った刃を逸らすために内向きに丸みを帯びていた。銀色の剣はその大きな盾とは対照的に小振りであり、飾り気のない両刃の剣だった。

 守りに特化したジョブ「ナイト」の基本装備である。祐二はその防御特特化の構成をいたく気に入っていた。防御は最大の攻撃であると考えていたからだ。


「本日の守護は決まりましたか? 守護無しで迷宮内を進むのは自殺行為です。必ず守護を降ろしておきましょう」

「はいはい。守護、守護ね」


 室内のアナウンスに適当に相槌を返しながら、背中に盾と剣を背負い完全武装した祐二がボックスの蓋を閉じ、その場に正座の姿勢で座り込んだ。次に顔の前で両手を合わせて合掌し、僅かに背を曲げて頭を垂れる。


「神の声に耳を傾けし者よ」


 直後、祐二の頭の中に声が響いてきた。幾重にもエコーのかかった、脳髄を揺さぶる声だった。その声はそれまでと同じ調子で祐二に向けて話し続けた。


「汝、夢の庭に彷徨いし羊よ。汝が縋る神の名を呼べ。汝が加護を求める神の名を呼べ」

「アテナ」


 祐二が静かに神の名を呼ぶ。直後、彼の脳裏に響いたのは底抜けに明るい女性の声だった。


「よっしゃー! 信仰キターッ!」

「アテナよ。ハレとケを弁えよ」

「これでまたランキング上位復活だな! ヤッホーッ!」


 それまで祐二に語りかけていた重々しい声の主からの忠告も無視して、アテナと呼ばれた者が喜びを爆発させる。その声は当然祐二の頭の中でも聞こえていたが、祐二はそれについて深くは考えないようにしていた。

 人は神に「信仰」を捧げ、神は人に「力」を授ける。その神から得た「力」を使って人は己の能力を底上げし、迷宮の奥深くに潜っていく。これが「守護」と呼ばれているシステムの内訳である。要するに「守護」とは自身のパラメータにボーナス値を付加するブースターのようなものであり、同一の神に信仰を捧げれば捧げるほどその神から得られる「力」はより大きくなっていく。


「やはり日本を選んで正解だったな。日本人の一番の美点は神に偏見を持たない所だ!」

「無関心とも言えるがな」

「憎まれているよりかはずっとマシだ。人口も多いしインターネットも発達している。ここまで適当な国はそうはないぞ」


 降ろせる守護は一人につき一体。一度選択すれば二十四時間は変更不可能。それが守護の制約だ。祐二はそんなことを考えて、先ほどから頭の中で繰り広げられているアテナと重々しい声のやり取りを努めて無視した。そして祐二はおもむろに合掌の姿勢を解き、左手を広げてその掌の上にメニューディスプレイを表示させた。


「メニュー画面では様々な情報を閲覧することが出来ます。現在のプレイヤーの状態から、戦った敵の情報まで、あなたの冒険の軌跡が全てそこに記されています。何か気になることがあったら、メニュー画面を覗いてみるのもいいでしょう」

「ただしダンジョン内ではメニューを開いている間も時間は経過している。敵と戦っている最中に画面を開くのは賢明ではないぞ」


 室内に響くアナウンスに反応するようにして、アテナの声が脳内に聞こえてくる。しかしこうして神の声を直接聞くような機能は、このゲームには実装されていない。ほぼ全てのプレイヤーにとって守護として降ろせる神は、自分の能力を底上げするためのただの「装備アイテム」の一つでしかないのだ。

 これが出来るのは祐二と、彼と同じ役割を背負わされたもう一人のプレイヤーだけである。それはある特別な使命を帯びた、もしくは勝手に背負わされた彼と彼女の持つ特権と言っても良かったが、祐二はそれを鼻にかける気はなかった。


「少し静かにしてくれませんかね」


 祐二はそう呟きながら出現したディスプレイの上で右手の人差し指を滑らせ、メニューを横にスライドさせていく。ステータス画面、戦績画面と続き、最後に自分の装備を確認出来る装備画面に到達する。

 そこには武器と防具を装備した今現在の自分の全体図と、その横に今自分が降ろしている守護を示すシンボルマークが名前付きで小さく描かれていた。そこには盾の中に長髪の女性の横顔が描かれたアイコンが記されており、その上には「アテナ」と刻まれていた。


「これでまたアレスの馬鹿に差を付けることが出来たな。あの殺しにしか興味のない阿呆め、いい気味だ」

「言い過ぎるとまた襲われることになるぞ」

「それがどうした。あの戦争馬鹿など何度でも返り討ちにしてくれる」


 アテナ。ギリシャだかローマだかの女神で、戦争を司る軍神である。祐二はそれくらいのことしか知らなかった。彼にとって大事だったのは、それによって防御値に大きくボーナス値がつくことであった。そんな軍神の名を冠する女神が、また自分の頭の中で誰かと話し合っていた。祐二は無視した。


「準備を終えた方は、そのまま扉を出て冒険に向かいましょう。あなたの活躍が、そのままこの世界の未来を変えていくことになるのです」


 室内にアナウンスの声が聞こえてくる、脳内に響いていた重苦しい声とアテナの声はいつの間にか聞こえなくなっていた。祐二は右手を握りしめてディスプレイを閉じ、立ち上がって白塗りの扉の前に向かった。扉の前に立った後、祐二はノブを握って軽く捻り、力を込めて扉を押し開いた。

 扉の先には暗闇に包まれた別の空間があり、その空間の中にはそれぞれ別のダンジョンに続く、白く目映い光を放つ三つの扉があった。祐二はその一番左にある扉に向かって歩き始め、今度はドアノブのないその扉を両手で押し開いた。

 扉は非常に重かった。全体重をかけなければ開かないほどに重く、祐二は歯を食いしばりながら扉に対して力を込めた。そうして開かれた奥からは白い光が溢れ出してきた。その光によって扉の先に何があるのかを見ることは出来なかった。隙間から漏れ出る暖かくも冷たくもないその光を全身に浴びながら、祐二は扉を開け続けた。


「何か問題があったらこちらから教える。それまでお前はダンジョンの探索を続けてくれ。よろしく頼むぞ、神と人を繋ぐ者よ」


 そして半分ほど扉を開いてダンジョンに向かおうとした矢先、頭の中にアテナの声が響いてきた。祐二はそれに対して「現人神ね」と短く呟いてから扉に再び意識を集中させ、勢いよくそれを開いた。





 このゲーム中に存在するダンジョンは全てマイホームから直接進入することが出来る。各地に存在する町も同様である。というより、このゲームには各地を繋ぐ「フィールドマップ」という物が存在せず、プレイヤーはわざわざ荒野や砂漠を踏破して各地にある拠点に向かう必要が無いのである。町から町へ、町からダンジョンに向かう際には、転送装置を使って行きたい所まで一瞬で到達できる。このゲームは広大な世界を冒険することが目的では無いのだ。

 プレイヤーが主に行うのはまず町やマイホームで準備を整え、後はひたすらダンジョンに潜る。強大な敵を倒してレベルを上げ、より強力なアイテムを入手する。「冒険」ではなく「育成」と「収集」に重点を置いているのがこのオンラインゲームの特徴であり、いわゆるハック&スラッシュと呼ばれているタイプのゲームであった。

 一応ストーリーも用意されてはいるが、そのシナリオ自体は短く、おまけに期間限定である。ストーリーというよりイベントと言った方がいいかもしれない。運営からの連絡ではシナリオとそれに付随するダンジョンは随時追加されていく予定とのことであるが、なにせ正式稼働してからまだ一ヶ月しか経っていないため、シナリオはまだ一つしか用意されていなかった。

 そして当然不具合やテストプレイ時には発見されなかった細かなバグも多数存在していた。


「消え去れ悪魔め! この世界から消え去るがいい!」

「黙れ! 消えるのは貴様達の方だ! この世界の覇権を握るのは俺達だ!」


 そして今、祐二の眼前ではその期間限定ストーリーの一つを端的に説明する光景が広がっていた。夕日が地平線の彼方に沈みかけ、空が赤く染まっていた。その真っ赤な空の下にはかつて大都市であったであろう廃墟が広がっていた。その摩天楼の残骸の中にはもはや人気は無く、ただその朽ち果て、錆び付いた鉄の躯を野晒しにするだけだった。

 その世紀末とも言うべき黄昏時の景色の中でまず目に付いたのは、赤い空模様の中で影絵のように黒く映える巨大な悪魔だった。それは服を身につけず、黒く雄々しい裸体を周囲に見せていた。背中からは蝙蝠の翼を、頭からは角を生やし、そして肩には片手で持った東京タワーをまるで鈍器を扱うかのように担いでいた。


「ふふん、そんな鈍器で私に勝てると思っているのか?」

「なんだと、貴様!」


 そしてそれの反対側には背中から羽毛に覆われた純白の翼を生やし、翼と同じくらいに白いローブを身に纏った巨大な天使が立っていた。腰まで届く金色の巻き毛を備え、影のように真っ黒な悪魔とは対照的に全身から白く神々しい光を放っていた。悪魔と同じ背丈を持ったそれは、まるで銃器を持つかのように東京都庁のビルを腰だめに構えていた。そんな両者は互いに向かい合い、悪態をつきあっていた。


「神の使い走り風情が、我らに勝てると思っているのか? 夢を見るのいい加減にするのだな!」

「貴様達こそ、我々に適うと思っているのか。我らは正義の軍、正当なる力を持ちし光の軍勢ぞ!」


 彼のいるダンジョンの名前は「東京・西暦1999年」、シナリオの名前は「ハルマゲドン」。年代以外は祐二の元いた世界、現実と同じ光景がそこにあった。


「ええい、猪口才な! お前達、天使の軍勢を蹴散らしてしまえ! 勝利の栄光を我らにもたらすのだ!」

「怯むな! 邪悪な悪魔の手先を迎え撃て! この世に光を取り戻すのだ!」


 天使と悪魔の声に呼応するようにして、彼らの回りを飛び回っていた者達が一斉に突撃する。遠目からは鳥のように見える彼らはそれぞれの側にいる巨大なそれと同じ外見をし、その手に剣や槍を持ち、防御など考えもせずに突撃した。

 そしてプレイヤーにとっては「現段階では」両方とも敵である。それを証明するかのように、その目の前に広がる廃墟の至る所で他のプレイヤーが天使や悪魔と戦いを繰り広げていた。


「予定通りね」


 不意に祐二の隣から声がかけられてきた。その声のする方に目を向けると、そこにはいつの間にか一人の少女が立っていた。背丈は自分よりも一回り低く、革で作られた軽装鎧を身につけていた。露出した腹は引き締まり、二の腕と太腿には細すぎず、しかし筋肉達磨と呼ばれない程度に筋肉がついていた。そうして全身に適度についた筋肉によって、彼女は猫のようにしなやかで力強いプロポーションを備えていた。胸は平らだった。

 腰には上下に装填口があり二連射が可能となっている鉄製のボウガンを提げ、背中には矢筒を背負っていた。


「なんだ、美沙か」

「相変わらずの重武装ね、祐二」


 安堵のため息を漏らす祐二に美沙と呼ばれた少女が笑みを浮かべながら返す。そして美沙は左手を広げてその上にメニューディスプレイを展開し、右手の指を使って何度か画面をスライドした後、その画面を見ながら言った。


「最近天使がインチキしてるみたい。祐二もその報告聞いてるでしょ?」

「ああ、チート使ってるって噂だな」

「どっちを支持するかはプレイヤーの自由だけど、さすがに信仰欲しさにバランスを大きく崩す武器を野放しにさせておくわけにはいかないわ」

「あれみたいにか?」


 祐二が声をかけ、美沙が顔を上げる。そこには腰だめに構えた東京都庁の中心部分、凹んだ部分からレーザー光線を発射し、その放たれた金色の光の塊をぶつけて眼前の悪魔の腹に大穴を開ける天使の姿があった。


「さすがにやりすぎだな」

「運営をあっちだけに任せるのも考え物ね」

「だから俺達が選ばれた、って訳か」

「そういうこと」


 祐二の言葉に美沙が答える。それを聞いた祐二は「面倒くさいな」と返し、美沙は「まあ仕方ないわよ」と告げた。


「俺は普通に遊びたかったんだけどな」

「別にいいじゃない。現人神になれたんだから」

「あんな理由でいきなりされても困るんだよ」


 神の声を人に伝え、人の声を神に伝える。人と神の伝達役。それが現人神。

 要は運営の意向を衆目に伝える使い走り、双方から提示された問題を解決する「何でも屋」である。そのことを思い出しながら祐二が美沙に言った。対して美沙はしたり顔を浮かべ、背中のボウガンを両手で持ち構えながら言い返した。


「諦めも肝心じゃない?」

 祐二は乾いた笑い声を立てるだけだった。美沙も釣られて笑みをこぼし、そして二人はそれぞれ武器を構えながら天使と悪魔と人間の相争っている場所へと向かっていった。

 現人神として行き過ぎた行いをする天使を説得するために。






 数分後、廃墟のど真ん中で大の字になって倒れる二人の男女の姿があった。巨大天使に挑み、見事に返り討ちに遭ったのである。

 正確には、天使の右ストレートで二人まとめて叩き潰されたのであった。


「やっぱり、レベル上げも大事よね」

「そうだな」


 少女の言葉に青年が答える。二人はそれから黙って赤い空を見上げていた。現人神という御大層な肩書きを持つ二人、頼んでもいないのにゲーム内に噴出する問題の解決を任されてしまった二人は、結局その日は何も出来ないまま、そのままマイホームへと転送されていった。

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