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「堕ちた光」

「かつて私は神に仕えていました。もう宗派は覚えていませんし、思い出す気もありませんが、私はキリスト教に連なるどこかに属していました」


 榊時子は跪いて言葉を述べた。子供達は全員中庭で遊びに出かけており、そして静かになった孤児院の中で、一人淡々と声を発した。


「私は信じていました。神に仕え、教えの通り清廉な生き方をすれば、神は必ず応えてくれると。お酒も煙草も、危険な遊びからも距離を置き、ひたすら神に仕える身としてふさわしい生き方を心がけてきました」


 正確に言えば、その時子のいた共同リビングの中には、彼女以外にもう一つの物体があった。それは内側からぼんやりとした輝きを放つ、白いもやであった。

 そのもやは小さく蠢きながら時子の眼前に浮遊し、彼女の懺悔に耳を傾けるようにその場に佇んでいた。時子はそれに対して頭を垂れ、両手を胸の前で組みながら言葉を続けた。


「ですが、神は助けてはくれませんでした。私の両親は私がまだ小さかった頃に事故に巻き込まれ、そのまま帰らぬ人となりました。ここに私を残して二人で買い出しに行ったその日、両親の乗った車が他の車と追突したのです」


 もやは何も言わなかった。時子が告白を続けた。


「それを知ったのはしばらく経ってからのことでした。私はすぐに病院に行き、必死に祈りました。手術を受けていた両親を助けて欲しい。神に必死に祈りました」


 そこまで言った直後、時子の体から力が抜け落ちた。姿勢は崩さず、覇気のない言葉で時子が言った。


「でも駄目でした」


 もやが一瞬、強い輝きを放った。その部屋全体を照らし出すほどの強烈な光はすぐに収まり、そして時子はそれに気づかないまま言葉を続けた。


「両親は帰っては来ませんでした。私がどれだけ祈っても、神は応えてはくれませんでした。神は私を裏切った。私の気持ちを踏みにじった。私はそう思いました」


 私は私を裏切った神が許せなかった。時子が怒りのこもった声で言った。それは今孤児院にいる子供達の誰もが、それこそ最古参の祐二でさえ聞いたことのない、恨みと憎しみに満ちた声だった。


「私は何も出来なかった。廃人のような状態になってしまった。両親の営んでいた孤児院は私一人では運営できず、そのまま閉鎖された。スタッフも子供達も、それぞれ別の場所に移っていった。私はそれを止めなかった。何も考えられないまま、孤児院の中に引きこもった。立ち直るのにはたいそう時間がかかりました」


 自分が立ち直るきっかけになったのは、孤児院の前で行き倒れていた祐二を見つけたことだ。時子はそう思ってたが、言葉にはしなかった。


「とにかく、今の私はもう神を信じてはおりません。なぜ神は私の声を聞き入れてくださらなかったのか、という疑問は今でも時々脳裏をよぎりますが、それだけです。たとえどのような答えが返ってこようとも、神に裏切られたという傷は一生治ることは無いでしょう」


 突き放すように時子が言った。もやは動揺しているかのように蠢動し激しく明滅を繰り返していたが、時子はそれに対する反応は何も見せなかった。


「ただいまー」


 二階からそんな祐二の声が聞こえてきたのは、まさにその時だった。





 やや駆け足ながらいそいそとやって来た時子の姿は、ゲームの世界から「帰ってき」た祐二の目にはいつも通りのそれに見えた。目頭がわずかに赤く腫れていたことに気づいたが、祐二は少し考えた後「寝ぼけてたんだろう」と結論づけ、深く追求することは無かった。


「お帰りなさい」


 時子がいつも見せる笑顔を浮かべながら祐二に言った。二人の間ではVRMMOを止めて現実世界に戻ってくる度に、「ただいま」「おかえり」と言い合うことになっていた。これを提案したのは時子であり、祐二もまた特におかしいとは思わなかったのでそれに従っていた。


「大丈夫? 無理してない?」

「平気平気。心配しなくても大丈夫だよ」

「そう言われても心配するものなのよ。それと私、今からお買い物に行ってくるから。お留守番頼めるかしら?」


 時子からの頼みに、祐二は「いいよ」と二つ返事で答えた。それを聞いた時子は「よかった」と安心したように返し、それから踵を返して階段へと向かっていった。


「それから冷蔵庫にドーナツあるから、あの子達が帰ってきたときに皆で分けて食べてね」


 階段を降りる最中に時子が言葉を放つ。祐二は「ああ、わかった」と返し、そしてパソコンからヘッドセットを外してそれを持ったまま下に降りていった。


「ご主人様、大活躍だったそうじゃないッスか」


 なお階段を降りる直前にパラケルススと合流した。祐二は彼女と一緒に階段を降り、台所と繋がっているリビングに向かっていった。

 リビングに入って、二人は唖然とした。


「え」

「なんで?」


 そのリビングの中に、二人の見知った顔がいたからだった。そしてそれは人間ですらなかった。


「な、お前達? なぜここにいる?」


 そして驚いているのは向こうも同じだった。リビングに入ってきた祐二達を見てあからさまに動揺するそれを前にして、祐二が眉間に皺を寄せながら言った。


「なんでここにいるんだよ? 何しに来たんだよ?」

「はっ、まさか自分の計画が潰された仕返しに来たッスか? 大天使のくせにやることがセコいッスよ!」

「違う! そうではない!」


 赤い甲冑を身に纏ったその天使はパラケルススの言葉に対し、首を横に振って強く否定した。そしてその天使は「このウリエル、そこまで落ちぶれてはいない」と力強く返した後、無駄に尊大な口調で言った。


「私は贖罪のためにここまで降りてきたのだ」

「贖罪?」

「インチキしたことに対して罰を受けたってことッスか?」

「そういうことだ」


 ウリエルが腕を組んで頷く。それからウリエルは人間と悪魔の二人を見据えながら、ゆっくりと言葉を続けた。


「あの後ガブリエルが来たことはお前達も知っているだろう」

「ああ。確かに来たな」

「あの緑の天使ッスね? 確かその後、天使二人を小脇に抱えてどっかに飛んでいったことも覚えてるッス」

「担がれたのはラファエルとウリエルだな。報酬は後で送っておくとも言われたな」


 つい先程目の当たりにした光景を思い出しながら祐二とパラケルススが言葉を放っていく。そして「することも無くなったから俺達はログアウトしたんだ」と祐二が思い出したように言った後で、ウリエルがその後を継ぐように言った。


「確かにあの後、あの武器処理場の管理はガブリエル直轄の天使達が引き継ぐことになった。お前達現人神の仕事は終わったと言っていいだろうな」

「それで? ガブリエルに抱えられた後、お前はどうなったんだ?」


 祐二からの問いかけに対し、ウリエルが若干バツの悪そうな表情を浮かべながら答えた。


「ミカエルから雷を落とされた。彼の者があそこまで怒るのは久しぶりに見た」

「こってり搾られたって訳だ」

「否定はしない。とにかく説教を受けた後、私はラファエル共々、今回の罪を償うためにある使命を与えられたのだ」


 愉快そうに相づちを打つパラケルススに言い返した後、ウリエルが神妙な面持ちで言った。


「人を救えと言われたのだ」

「人を?」

「人の悩みを聞き、それを解決してその人間を救う。それが我々に与えられた罰だ」

「随分簡単そうな罰ッスね」

「そんなことは無い。なぜなら我らの姿は人の目には見えんからだ」

「えっ?」


 祐二が目を丸くする。お構いなしにウリエルが続けた。


「触れることも、声をかけることも出来ない。無機物を手に取ることは出来るが、人間に直接干渉することは出来ないのだ」

「ああ、なるほど。八方塞がりってことッスね。その状況で人助けをしろと」

「そういうことだ。内に宿る神性を解放して相手の脳に直接語りかけ、悩みを打ち明けさせることは出来る。しかしそれだけだ。話を聞くだけでは根本的な解決にはならない」

「無理ゲーってやつッスね」


 ウリエルの言葉にパラケルススが答える。そこまで話が進んだところで祐二が困惑気味に口を開いた。


「い、いや、ちょっと待て。普通の人にはお前の姿は見えないのか?」

「そうだ。今の私はそのような罰を受けているからな」

「俺には見えているぞ」

「それはご主人様が現人神だからッス」


 パラケルススの言葉を聞いた祐二が表情を堅くする。そして堅い顔つきのまま祐二がパラケルススに問いかける。


「そうなのか?」

「そうッス。現人神様の特権の一つッス」

「そんなこと聞いてないぞ」

「聞かれなかったからじゃないッスか?」


 パラケルススがさらりと返す。祐二は反論したくなったが、なんだか言い返すのが馬鹿馬鹿しくなってきたので止めにした。


「ところで貴様、今はパラケルススと名乗っているのか?」


 その時、ウリエルが悪魔の方を見ながら唐突に言った。名を問われた方はきょとんとしながらウリエルに向き直って「そうッスよ」と答えた。


「あたしはパラケルススっていう名前の悪魔ッス」

「嘘をつけ」


 ウリエルが呆れた声で即座に反応した。パラケルススは最初の内は「何言ってるかわかんないッスね~」とはぐさかそうとしていたが、ウリエルから疑いの目を向けられ続ける内にやがて天使から視線を逸らし、目を泳がせて額から汗を流し始めた。

 そんな二人の様子を見て祐二は困惑を露わにした。


「おい、なんだよ。どういうことだよ」

「現人神よ。此奴は嘘をついているぞ」


 その状況を把握しきれていない祐二にウリエルが言った。そして咄嗟に自分の方に顔を向けた祐二に、ウリエルが断定する口調で言った。


「この悪魔の名前はパラケルススなどではない。それとは別の名前を持っている」

「え? でもこいつ、自分は下っ端だから名前持ってないって言ってたけど」

「それも嘘だ。そもそも此奴は下っ端などではない。どれだけ猫を被ろうとも私にはわかる。隠し立てしても無駄だ」

「あーもー、わかった、わかったッスよ」


 パラケルススが自棄になって叫ぶ。そして二人の注目を自分に向けたところで、パラケルススが目を伏せながら言った。


「白状するッス。全部言うッス。あたしは嘘ついてたッス」

「……名前のことか?」


 呆れと憤りの交じった声で祐二が追求する。小さく首肯してからパラケルススが言った。


「本名は別にあるッス。白状するッス」

「なんて言うんだ?」

「アザゼル」

「え?」


 聞き慣れない単語を前にして祐二が目を点にする。ウリエルが「やはりそうだったか」と頷く一方、パラケルススが苦い顔を浮かべながら再び口を開く。


「だから、アザゼルって言うッス。昔グリゴリっていう集団のリーダーやってたッス」

「グリゴリとは、人間に惹かれるあまりに掟を破り、地上に堕ちていった天使の集団のことだ。要は堕天使だな。我々天使の恥曝しだ」


 ウリエルが目を細め糾弾するように言い放つ。パラケルススはバツの悪そうな表情を浮かべ、祐二はなおも目を点にしていた。

 その顔のまま祐二が呟く。


「何それ?」


 今度は天使と悪魔が目を点にする番だった。

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