「前線基地」
黒幕の名前を聞きそびれた二人は、仕方なくそのまま黒幕がいると思しき場所に向かった。そこは彼らが元々イベント「ハルマゲドン」をクリアするために赴く予定だった、悪魔から指定された最後の場所でもあった。
東京ダンジョンの一角、天使が拠点を作っているとされているその地点に到着した二人は、そこに広がる光景を前に息をのんだ。
「うわ」
「なんだこれ」
まず視界の左側には戦車があった。それも単体ではなく、同じ形をした戦車が何台も、同じ方向を向きながら奥までずらりと整列していた。戦車はどれもカーキ色で塗装され、またその中で列を乱したり砲塔の位置がズレていたりしている物は一つとしてなかった。その全てが真横を向いてこちらに側面を晒しながら、病的なまでの正確さで整列させられていた。
戦車の向かい側には戦闘機が並んでいた。一様に鼠色に塗装されたそれらは、こちらも戦車と向かい合うように同じ方向を向き、祐二達にその側面を見せていた。
戦車と戦闘機の間は大きく距離が開けられ、その両者に挟まれた道の上を天使たちがせわしなく行き来していた。もっとも直接足を使って移動する者は皆無であり、その目に見える全てが背中の翼を動かして浮遊しながら移動を行っていた。そして彼らはあからさまに銃器を担いでいたりはしていなかった。
さらに視界を広げると、その戦車や戦闘機の外側に更に様々な物が設置されていた。テント、土嚢、木箱。道順を示す看板から装甲車まで。それらは特に一定の法則下で設置されてはおらず、窮屈にならない程度の間隔で様々な場所に置かれていた。廃墟や瓦礫は影も形も見られなかった。
そしてそれらは全てフェンスで囲まれた広い敷地の中に置かれていた。フェンスの外側には歩哨と思しき複数の天使が一定の距離をおいて立ち、その空間の中は厳粛で重苦しい空気に包まれていた。
「うわあ」
「なんだここ」
別世界だった。「剣と魔法の世界」とは無縁の光景がそこに広がっていた。
「まさか、最初からこういう場所だったのかな?」
「どうだろうな。例の天使達が途中で色々いじくって形を変えたのかもしれないぞ」
足を踏み入れた瞬間、二人は実際にある軍隊の基地に侵入してしまったのではないかと勘違いしてしまった。そしてその感覚から抜け出せないまま、二人は暫しその場に立ち尽くして目の前の光景を凝視していた。周りには自分たち以外にも数人のプレイヤーがおり、彼らは互いに遠巻きに距離を置きつつ、興味深げにその「軍事基地」を見物していた。
「そこの人間、何をしているのですか」
そしてその見物人の内、もっとも「基地」に近づいていた祐二達二人に気づいた歩哨の天使の一人が、軽く宙に浮きながら二人に近づいてきた。その天使はストラップをつけた大型の銃器を肩から斜めに提げ、腰に巻いたベルトに手榴弾をぶら下げ、反対側にあるホルスターに拳銃を差し込んでいた。誰が見てもわかるくらいあからさまに武装していたが、しかし天使はそれでもお構いなしに彼らに接近した。
「やべ、見つかった」
祐二が天使の存在に気づいた頃には、既に両者の距離は拳一つ分にまで肉薄していた。そこまで近づいた天使はゆっくりと地に足をつけ、人間二人を見つめながら話を始めた。
「あなた達、ここになんの用ですか? ここは我々天使以外は立ち入り禁止ですよ」
「ああ、そのな、実はだな」
そこまで言ってから、祐二が一度美沙の方を振り向く。美沙は祐二の視線を受けて、小声で「もう本題入っちゃったら?」と催促する。それを聞いた祐二は小さく頷き、再び天使の方を向いて周りに聞こえない程度の声量で言った。
「俺達は現人神だ」
「えっ」
「現人神だ。聞いたことないのか?」
今度は天使が困惑する番だった。しかしそれは単純に現人神という存在を「知らないから」ではなかった。
「どこでその言葉を知ったのですか?」
その証拠に、その天使はやや間を置いてその人間の発した言葉の意味を理解すると同時に、彼らに疑わしげな視線を向けた。それは霧を掴むようにおぼろげな疑念ではなく、身分を詐称する相手に対してその身分の内訳を知る検問官が向けるような、確たる疑心を持った視線だった。
「本気でそうだと仰っているのですか?」
「ああ」
強い語調で念入りに問いかける天使に、祐二が負けじと言葉を強めて言い返す。美沙も無言で天使を見つめ返し、その二人の視線を受けながら天使が口を開いた。
「何か証拠でもあるのですか?」
「俺の心臓見てもいいぞ」
そして天使が言葉を放った直後、咄嗟に祐二の口から言葉が飛び出した。現実の世界で自分が天使からされたことを思い出したのだ。「こちら」の天使はそれを聞いて一瞬体を硬直させて驚いた後、ゆっくりと口を開いた。
「いいんですね」
「ああ」
「では」
その後、天使は無言で祐二の胸元に手を伸ばした。祐二は無抵抗でそれを受け入れ、そして天使の腕は彼の着ていた鎧を透過してその体の中へと沈んでいった。
一瞬後、天使が腕を引き抜く。その手の中には心臓が握られていた。体から引き離されてなお一個の生命のように脈動を続けるその心臓を見て美沙は目を大きく見開き、天使は反対に目を細めてそれを観察した。
「……確かに、本物のようですね」
失礼しました。天使はそう言った後でその心臓を持った方の手を再び祐二の体内に沈め、心臓を元に戻してから手を引き抜く。二度腕が体の中に侵入した後でも、祐二の体と鎧に傷はついていなかった。
「先ほどは失礼しました。では改めまして、現人神よ。今日は何のためにここに来られたのですか?」
そして目から力を抜いて語調を軟化させ、しかしながら警戒の気配は解かずに天使が問いかける。それに対して祐二は黙って戦車を指さし、努めて平静を保った声で言った。
「あれはなんだ?」
「あれ?」
天使が首を回して祐二の指差す物へ目を向ける。カーキ色の戦車――「本来この世界にあってはならない物」が視界に入る。
「あ」
直後、天使は今自分達の置かれた状況に気づいた。即座に顔を元の位置に戻し、それまでの冷静さが嘘のように額から脂汗を流しながら祐二に言った。
「あ、あれはですね、その」
「その?」
「オブジェです」
「オブジェ?」
「飾りとして作りました」
「どうして?」
「格好いいからです」
天使が断言する。祐二は「は?」と言いたげに片眉を吊り上げ、隣にいた美沙はため息をついて肩を落とした。
「じゃあそれもオブジェ?」
「は?」
突然美沙に言われ、天使が目を点にする。美沙は無言で天使の腰に装備された拳銃を指差した。
「それも格好いいから持ってるんだ?」
「あ」
「まさかとは思うけど、それで攻撃は出来ないわよね?」
「最近それに似たようなアイテムを使って暴れ回ってる連中が増えてるんだ。言わなくてもわかると思うが、当然これは違法行為だ。で、俺達は現人神としてそれを止めるために、こうしてここに来ているってわけだ」
「そういうこと。それでどうなの? 出来ないわよね?」
人間二人からの追求を前に、天使は何も言い返せなかった。世界の光の象徴、誠実と正義を何より重要視する彼らは嘘がつけなかったのだ。
そしてその天使は、それに荷担している他の天使に比べてまだ外の声に耳を傾けるだけの理性が残っていた。天使はその体を石のように硬直させていた間、主から賜った使命とこの世界のルールとの間で葛藤していた。
「あ……うう……」
天使が目を泳がせ、全身から汗をダラダラ流す。祐二と美沙は何の追求もせずにその様子を見守っていた。変に刺激を与えて藪蛇になるのを恐れたのだ。
事態が動いたのは数十秒後だった。
「う、うわああーん!」
結局天使は使命を優先した。天使はいきなり翼を広げて空高く舞い上がり、そのままフェンスの向こうへと飛び去っていった。しかし葛藤からは抜け出せなかったのか、飛び去る際その天使は目から滝のような涙を流していた。そしてその泣き声は、他のプレイヤーの耳にもしっかりと届くほどに大きかった。
「逃げた!」
「ああくそ、撃っときゃ良かった!」
その後ろ姿を目で追いながら祐二が反射的に声を放ち、美沙が光の塊から生成した拳銃を手に持ちながら毒づく。祐二はその隣から聞こえてきた物騒な声を無視して美沙に話しかけた。
「どうする?」
「追いかけましょう」
「だな」
そうして祐二と美沙が次の行動を決定した次の瞬間、フェンスの奥からサイレンの音が鳴り響いた。その避難訓練の時に流れ出しそうな重々しいサイレンは周囲一帯に鳴り響き、それに重なるようにして女性の透き通るような声が拡声器越しに響き渡った。
「警戒態勢! 警戒態勢! 侵入者発生の恐れあり! 動ける戦闘員は直ちに出動せよ! 巡回を強化し、各自持ち場を死守せよ! 蟻の子一匹生かして通すな!」
直後、フェンスで囲まれた敷地内がやにわに騒然となる。空の上を行き交う天使の数が増え、その天使達はもはや隠すことなく銃器を構えていた。さらにはエンジンの駆動音、それに続けてキャタピラが内側の歯車とキュラキュラ噛み合う擦過音までもが鳴り始めた。
「うわ、厳戒態勢だ」
「まずいことになったわね」
その騒々しい様子を見ながら、祐二と美沙がその場に立ち尽くす。他のプレイヤーはその異常な気配を察し、既に逃げ支度を始めていた。
ふと、二人が同時に首を回して顔を互いの方へ向ける。視線が重なり、暫くしてから祐二が声を出す。
「どうする?」
「どうするって」
美沙が空いた方の手の中に光の塊を現出させる。そして塊の形を変え、既に持っていた物と同じ形の拳銃を生み出しそれを握りしめる。
「せっかく向こうからボロ出してくれたんだよ?」
「行かなきゃ損か」
「現行犯逮捕ってやつよ」
美沙の目は歓喜に輝いていた。祭りを前に興奮を抑えられない子供のように純粋な目をしていた。そして祐二もその興奮に身を任せることにした。
「だよな。人として見て見ぬ振りは出来ないよな」
自分の良心に言い聞かせるようにわざとらしく大声を放ちながら、祐二が同じように光の塊を手の中に出す。塊は急速に形を変え、先程遭遇した天使が肩に提げていた物と同じ形をした銃器――突撃銃と呼ばれる類の銃を生み出してそれを両手で持つ。
「行くか」
ここまでした以上、もう後戻りは出来ない。突撃銃を持った祐二が決意を新たに美沙に話しかける。
「ええ」
そして二丁拳銃の美沙がそれに答える。口の端が吊り上がり、大きく開かれた両目はギラギラと輝き、頬は興奮で赤く染まっていた。今すぐ暴力を振るいたくてうずうずしているのが丸わかりであった。
「悪党を叩きのめすのよ」
獣性を抑えつけるように美沙が話しかける。祐二は黙って頷き、そして二人はそのまま歩調を合わせ、そのフェンスで囲まれた敷地内へと入っていった。
「警戒態勢! 警戒態勢! 発砲許可! 侵入者に容赦はするな!」
その間にもサイレンは鳴り止まず、警戒を促す音声はなおも響いていた。
その二重の騒音をかき消すように敷地内から爆音が轟いたのは、そのすぐ後のことだった。