「そんなの私聞いてない」
祐二と美沙のリターンマッチは、結果から言えば彼らの圧勝に終わった。
「お前の火なんか痛くもかゆくも無いんだよ!」
「さっさとくたばれ!」
ボス天使の放つ唯一の大技「楽園業火」の対策として炎属性に強い耐性を持つ防具を揃えたこと、そしてアドバイス通り炎耐性をプレイヤーに与える守護を降ろしたことが何よりの勝因であった。装備集めをする中で資金もレベルも十分稼いでいたため、後は大技が来たときだけ祐二が防御しつつ、それ以外の場面ではアイテムを使って回復しながら二人で殴るだけの単純な仕事であった。
「こら! 守護が直接アドバイスしたら駄目だろ!」
「い、いや、なんか四苦八苦してるの見てたら放っておけなくて。それに向こうは現人神なんだしこれくらいはいいかなって」
「駄目だ駄目だ! 次のアップデートまで表に出てくるんじゃない!」
そして天使に勝った後、祐二の頭の中でそんなやりとりが聞こえてきた。それは美沙の頭の中でも響いていたらしく、祐二と美沙は同じタイミングで揃って顔を見合わせた。
「さっきのなに?」
「俺の方が聞きたいんだけど」
美沙が呆然と呟き、祐二が首を横に振る。その後二人はさっきのが何なのか話し込んだが、結局それ以上何かわかることもなく、二人はそれに関する話題は続けないことにした。
「やめましょ。わからないこと考えたって無駄よ」
「そうだな。今はこっちに集中しよう」
「一応勝てたんだし。天使の魂も集め終わったし、目的達成ってことよね」
「多分な。で、次はなんだ。何するんだ?」
「まずは広場に戻りましょう。そこで悪魔に魂渡さないと」
天使が倒れ、自分達を取り囲んでいた結界がガラス片のように砕けて消滅していく様子を見ながら、美沙がボウガンを背中に背負いつつ言った。祐二も「またお使いかな」とこぼしながら盾と剣を背中に担いだ。
新たな結界が出現したのはその直後だった。
「え」
突然のことに祐二と美沙が体を硬直させる。その間にも結界は着々と作られていき、そして完全に結界が完成した後、空からその中に向かって光の柱が降りてきた。
それはボス天使が出現する際のそれと全く同じ演出であった。柱が二本同時に降りてきたことを除けば、それはボス戦前に見てきた物と全く同じ光景であった。
「おのれ、よくも同胞を!」
「その罪、自らの命で償ってもらうぞ!」
それまで戦っていた天使と同じ背丈をした二体の天使が、それぞれ槍と弓を構えながら祐二達に怒りの言葉を投げかける。そしてそのまま場の空気が張り詰めた物に変わり、どこからともなく聞き慣れた音楽が鳴り響いてくる。
エレキギターとドラムを全面に押し出した激しいテンポの曲。ちょっと前まで嫌というほど聞いていた音楽。ボス戦闘用BGMだ。
「……なにこれ?」
「連戦?」
予想外の出来事を前にして祐二と美沙が呆然と呟く。槍を持った天使が空いた方の手を空高く掲げ、弓を持った天使が何もない空間から矢を生み出してそれを番える。
「え、マジで? うそ? マジで?」
「ちょっと待って、私聞いてない!」
人間二人が慌てて戦闘態勢を整える。そして祐二が咄嗟に盾を構えて美沙の前に躍り出る。刹那、弓の天使が矢を放つ。
白い光を帯びた矢が祐二の盾と衝突する。そこから衝撃波が発生し、以前の戦いによって周囲に散乱していた瓦礫を纏めて吹き飛ばす。衝撃波は同様に人間二人にも襲いかかってきたが、防御体勢をしっかり取っていた二人は多少よろめきこそすれ、それによる影響を受けることはなかった。
「よ、よし! 防御は出来る!」
「これならなんとかなりそう?」
美沙が祐二にそう問いかけた直後、今度は剣を持った天使が天に掲げていた手を祐二に向けて振り下ろす。空から紫色の光を放つ雷の槍が幾本も降り注ぐ。
祐二が再度盾を構える。美沙が祐二の後ろに隠れる。雷の槍が彼の周りに突き刺さり爆発を起こし、最後の一本が祐二の盾に直撃する。
爆発。衝撃と紫色の煙を周囲にまき散らす。その煙の中で人間二人は何とか意識を保っていたが、祐二のHPは僅かに減少していた。
「こっちは守りきれないか」
「こまめに回復した方が良さそうね」
祐二の言葉に反応した後、美沙が横に飛び出しボウガンを構える。剣を持った天使の額に狙いを合わせ、引き金を引く。
「くたばれ!」
美沙が吼え、矢が撃ち出される。矢は風を切り裂きながらまっすぐ向かっていき、天使の額に命中する寸前で障壁に阻まれる。
「ぐうっ!」
しかしダメージはしっかりと受けていた。その攻撃を食らった天使の頭上にあるHPゲージが大きく減った。それを目の当たりにした美沙が叫ぶ。
「こいつら弱い!」
「本当かよそれ!」
「二人がかりだから能力も控え目にしてあるんだと思う。時間はかかると思うけど、とにかく単体で見たら前の奴より弱そうなのは確かよ!」
剣を持った天使に二撃目を放ちながら美沙が言った。二発目の矢は胴体に命中し、これもまた障壁に阻まれたが天使のHPゲージは確実に減少した。
「祐二は守りに専念して。削るのは私がやるから!」
「こっちも攻めなくていいのか?」
「欲をかいたら死ぬのがこういうゲームの鉄則よ。時間がかかっても安全を優先する、それがセオリーよ!」
ゲーム廃人の美沙が叫ぶ。ゲーム音痴の祐二はそれに素直に従うことにした。
「貴様、よくもやってくれたな!」
弓を持った天使が美沙に狙いをつける。祐二が天使と美沙の間に割って入る。天使が矢を放ち、祐二の盾がそれを受け止める。
立て続けに剣を持った天使が剣を振り下ろす。祐二はそれも受け止める。衝撃が迸り、祐二のHPゲージがまた少し減少する。祐二は反撃せずに回復薬を飲んで減った分を回復し、美沙はまたしても剣を持った天使に攻撃を加える。三発目も命中し、天使のHPが確実に削られていく。
「よし、いける!」
「おい美沙、本当にこのままの戦法でいいんだな?」
盾を構えて二人の天使の攻撃を凌ぎながら祐二が問いかける。祐二が攻撃を凌いだ後、ボウガンで慎重に反撃を加えながら美沙が言い返す。
「十分よ。このまま行きましょう」
「なんか地味な感じするけどな」
「勝てばいいのよ勝てば。最終的に勝てればね」
美沙が矢を装填し、再度攻撃する。属性矢は前のボスで全て撃ち尽くしてしまっており、弾数無限の無属性矢で地道に削っていくしかなかった。それでも通用していることは事実なので、美沙はこのまま攻撃を続けていくことにした。
「面倒だからこのまま押し切るわよ!」
「おう!」
剣を持った天使の雷が、それを防いだ祐二の体を盾ごと揺らす。しかし致命傷を当てるには程遠く、むしろ美沙からの反撃によってそれ以上に手痛いダメージを受けていく。新たに現れた二体の天使は苦い表情を浮かべるが、ボス役として名乗り出た以上ここで引き下がるわけにもいかなかった。
「おのれ、猪口才な真似を!」
「貴様達の浅知恵など毛ほども痛くないわ!」
「実際に効いてるくせに嘘つくんじゃないわよ!」
天使に堂々と言い返しながら美沙が矢を放つ。その矢はまたしても剣を持つ方に命中し、またそのHPを減らしていく。立て続けに攻撃を受けた天使は息を荒くし、こちらを睨みつけながらも苦しげな表情を浮かべ始める。もう片方の無傷な天使はその相方を見て「ええい、弱った方を集中攻撃とは卑怯な真似を!」と声を鼻息を荒くし、それを聞いた美沙は「戦術と言ってほしいわね!」と景気よく啖呵を切った。
「なにが戦術だ! ただの臆病ではないか!」
「安全に勝って何が悪いのかしら? 悔しかったら私達を倒してみることね!」
その様子を見ていた祐二は違和感を覚えた。美沙と天使達のやりとりが、まるで「生きている者同士のそれ」に見えたのだ。たとえこれが「神」の作ったものだとしても、これはゲームで、敵はただのデータのはずだ。
まさか、彼らも「本物」なのだろうか?
「祐二、来るわよ!」
そんな彼の思考は、不意に飛んできた美沙の言葉によって強引に中断させられた。彼はそれと同時に咄嗟に盾を構え直し、天使の放った一撃をガードする。完全に防御態勢に移る前に攻撃を受けたために全身が激しく揺さぶられ、祐二は思わず歯を食いしばる。
「大丈夫? 何か問題でもあったの?」
その様子を見た美沙が心配するように声をかける。祐二は頭を振って雑念を払いながら「大丈夫、なんでもない」と声を返す。
「まずはこっちに集中だ」
「そうよ。こんなところで負けたら死んでも死にきれないんだから!」
美沙が発破をかけ、祐二が強く頷く。そして心を新たにした彼らは天使との戦いを続け、その地味なやりとりはそれから三十分ほど続いたのだった。
「食らえ! 我が神意の雷を!」
「ふん、無駄無駄! 祐二!」
「おのれ、またしても防がれたか!」
「今度はこっちの番よ!」
「……」
酷いルーチンワークだ。その三十分にも渡る戦いの間、祐二は率直にそう思った。最初は彼もこの戦いに熱意を持っていたが、同じ行動を何回も繰り返す内にその熱は次第に冷めていっていた。
それは守って回復して反撃するだけの非常に地味な応酬であり、盛り上がりも何もあったものでは無かったのだ。しかし自分の周りにいる面々は、敵味方共に祐二の思いとは対照的に白熱していた。ゲーマーだから楽しめているのだろうか?
「祐二、防御お願い!」
「任せとけ任せとけ」
しかしここで負けるのもそれはそれで癪だ。そう思った祐二は気を引き締め、最後までその単純作業をやり遂げたのだった。
「よくやった。これで魂はあらかた揃ったな」
天使との連戦に勝利した後、広場に戻った二人は悪魔に自分達の回収した魂を引き渡した。悪魔はそれを見て満足しつつ、続けて彼らに次の指示を与えた。
「では次の指示を与える。これがお前達にしてもらう最後の仕事となるだろう。実は我々と同様に、天使達も拠点を作っているらしいのだ。我々の送った偵察部隊によってその居所は既に判明しており、そして完成間近とのことだ。そこでお前達には、それの妨害工作をしてきてもらいたい」
「具体的には何をすれば?」
「簡単だ。そこにいる天使共を全員倒して、作業を妨害してやればいい。援軍が来るかもしれんが、来たら来たでそいつらも返り討ちにしてしまえ。遠慮はいらん。徹底的に痛めつけてやるのだ」
質問した祐二に対して悪魔が熱のこもった口調で説明する。同時にメニューディスプレイの中にある情報も更新され、イベントの情報を表示している画面の中に新たな目的が追加されていた。
「敵の建造途中の拠点を叩け」
そこに書かれてある文章を美沙が読み上げる。文章自体は短かったが、簡潔な分理解するのも簡単だった。
「これまた簡素だな」
「他に書くこと無かったからじゃない?」
「わかりやすい方がお前達にしてもやりやすいだろう」
アイテム回収係の悪魔が二人のやりとりに反応して言葉を投げる。二人は一瞬呆気にとられた後、素直にそれに同意してその場を離れた。
「びっくりした。それにしてもあんな反応してくるなんて、ここのAIって結構作り込まれてるのね」
「……本当にAIなのかな?」
美沙の言葉に祐二が疑問で答える。その後「えっ?」と聞き返してきた美沙を無視して、祐二はたまたま近くを通りかかったモブの悪魔に声をかけた。
「次の中間発表っていつだっけ?」
「今日の夜だ。忌々しいが、今回は天使側の方が優位に立っているようだな」
話しかけられた悪魔は立ち止まってそう答えた後、また前を向いて歩き始めた。その後ろ姿を目で追いかけながら、祐二は眉をひそめて言った。
「本当にAIかな?」
「さっきから何言ってるのよ」
その祐二の肩を叩きながら美沙が声をかける。祐二は今度はそれに反応し、そこで美沙に持論を語って聞かせた。
「どうかしら。生きてる人と同じくらい柔軟な反応するAIならあってもおかしくはないと思うけど」
それを聞いた美沙は茶化すこともせずに、真剣な面持ちでそう言った。祐二もそれを聞いて「考えすぎかなあ」と返し、美沙も「まあ無理に思い詰める必要はないんじゃない?」と言った。
「それより、どうする? もういい時間だし、ここで切り上げる?」
そして美沙が続けてそう言った。それを聞いた祐二はメニューディスプレイを開き、右上に表示されているデジタル時計に目をやった。
午後六時二十二分。確かにいい時間だった。
「そろそろ家の手伝いしないとな」
「じゃあもう終わりにする?」
「だな。帰るか」
祐二と美沙はログアウトすることに決めた。二人はディスプレイを操作し、ログアウトの部分をタッチする。直後、二人の体は同時に青白く発光し、その場から音もなく消滅していった。
「天使が勝ったって言ってたっけ」
そして時子の手伝いを済ませて子供達を寝かしつけた後、自分も寝る段階になった時に祐二は不意にそのことを思い出した。二回目の中間発表は本当にそうなったのか?
「まあいいか」
祐二はさっさと思考を切り上げた。とにかく今日は色々なことがありすぎて疲れていた。祐二はベッドに潜り込み、大人しく眠りにつくことにした。
「祐二君! 起きて祐二君!」
翌朝、祐二はまたしても時子に叩き起こされた。いったいなんだ? 祐二は目をこすりながら上体を起こし、自分のすぐ側に膝立ちでこちらを見つめる時子に顔を向けた。
「なに? どうしたの?」
「また変わったの」
「何が?」
「外の光景が!」
時子がそう言ってから立ち上がり、窓に近づいてカーテンを開ける。続いて祐二もベッドから立ち上がり、あくびを噛み殺しながら時子の隣に立って窓の外に目をやった。
「え」
輝いていた。
街全てが白く輝いていた。
道路、車、建物。人以外の全てが真っ白に光り輝いていた。
「うわっ!」
反射的に祐二が手で顔を覆う。その横で時子が街の向こうを指差す。
「祐二君、あれを見て」
光が目に慣れてきた祐二が時子の指差す方に目を向ける。そこには光り輝く街の中でより一層まばゆい輝きを放つ物体が鎮座していた。
「塔?」
かつて悪魔のドームがあった場所に、白く光る塔があった。塔は内側から輝きながら天高くそびえ立ち、その頂上は空に浮かぶ雲を突き抜けて視認できない位置にあった。塔の外郭部は至る所が鋭く外向きに尖り、奥に続く暗い穴が一定の間隔を置いて空いていた。
そのいくつもの穴から複数の何かが、頻繁に出入りを繰り返していた。それは塔や街と同じく輝いており、背中から白い翼を生やし、それをはためかせて外に飛び出し空を舞っていた。
塔から鐘が鳴り響く。その清く透き通った鐘の音は聞く者の心を癒し、荒ぶる気持ちを鎮める力を秘めていた。
「天使……」
その鐘の音を聞きながら、祐二が呆然と呟く。時子は顔から血の気を失っていた。そんな二人の目の前で、塔から飛び出した天使達は白い羽を飛び散らせながら街の上を泳ぐように飛んでいた。
「勝ったからだ」
その幻想的な、ある意味で常軌を逸した光景を前にして、祐二が呆けた表情で言った。
「中間発表で勝ったからだ」
時子が口に手を押し当ててガタガタ震えている。目を大きく見開き、信じられない物を見るかのように唖然とした表情を浮かべていた。
「本当にいるのね……本当に……」
「やっぱり繋がってるんだ」
二人はそれぞれ違う理由から、言葉も出せずにその光景を見つめていた。