「特別任務」
剣が風を切り裂いた。
銀色の刀身が弧を描き、眼前に立つトロールの体を斜めに切り裂いた。もっとも剣筋に沿って火花のようなエフェクトが出るだけで皮膚は裂けず、血も噴き出なかった。しかしその一撃が毛むくじゃらのモンスターにダメージを与えたことは、相手の頭上に見えるHPゲージの減りを見れば明らかであった。
「グアアッ……!」
斬られたトロールが悲鳴を上げる。棍棒を持っていない方の手で顔を覆い隠し、よろよろと後ろに退いた。トロールに一撃を見舞った人間は追撃を行わずに素早く剣を引っ込め、身の丈ほどもある大きな盾を眼前に構えて相手の出方を窺った。その人間は表面に茨が巻き付いたような装飾の施された銀色の全身鎧を身につけており、鎧も盾も剣と同様に銀色に塗装されていた。それらは頭上に浮かぶ月の光を浴び、淡く白い輝きを放っていた。
「貴様、よくも!」
トロールが顔から手を離し、憎しみのこもった目で鎧姿の人間を睨みつける。睨まれた人間は盾を構えたまま微動だにしない。トロールがさらに雄叫びをあげ、一歩前に踏み出しながら棍棒を持つ手を振り上げる。
鎧を着た人間はその瞬間を待っていた。
「シールドバッシュ!」
鎧の中の人間が叫ぶ。少年の声だった。直後、彼の装備していたスキルが発動し、彼の盾が赤く光る。シールドバッシュ。スキル発動を宣言してから最初に盾に当たった近接攻撃を無効化し、さらにその攻撃を弾いて相手に大きな隙を生み出すカウンタースキルである。
当然トロールも眼前の人間のスキル発動宣言を聞いていた。しかし既に攻撃モーションに入っており、それをキャンセルすることは出来なかった。
トロールの棍棒が盾にぶつかる。次の瞬間、人間がその盾を持った方の腕を大きく振り払い、盾にぶつかった棍棒を勢いよく弾き飛ばす。攻撃を弾かれたトロールはその勢いで棍棒を持った腕を大きく持ち上げられ、敵に対して無防備な胴体を晒した。
「もらった!」
人間が剣を持つ腕を後ろに引き絞り、がら空きの腹に向けてその刃を突き刺した。刀身が体を貫通し、刃先が背中から顔を出す。致命の一撃。シールドバッシュが成功した直後に放たれた攻撃は必ずクリティカルヒット扱いになるのだった。
「し、しまったぁ……」
トロールがかすれた声を喉から絞り出し、棍棒を手の中から力なく落としながらその場に崩れ落ちる。両膝を地面につき、そのままうつ伏せに倒れ伏せる。地に落ちたトロールはそのままぴくりともせず、全身を金色の粒子に変えて空に舞っていった。
一体撃破。そう心の中で宣言する鎧の人間の背後から別のトロールが迫る。背中を取ったトロールが棍棒を振り上げる。鎧を着た人間はまったく動かない。気づいていなかったのではない。動く必要が無かったからだ。
「くたばれ!」
トロールが叫び、兜めがけて棍棒を振り下ろさんとする。しかし腕が動いた直後、そのトロールの体が激しく痙攣した。全身を青白い電流が這い回り、体が明滅し、トロールが声を震わせて悲鳴をあげる。
しばらくしてから鎧の人間がゆっくりと後ろを振り向く。そこには棍棒を持ち上げたまま全身から煙を出し、白目を剥くトロールの姿があった。トロールはその体勢のまま仰向けに倒れ、最初の一体と同様に金色の粒子となって空に溶けていった。
「お待たせ」
その粒子の舞う中で、また別の人間が鎧の人間の背後に降り立った。兜の代わりに髪飾りを身につけ、腹や二の腕、太腿を露出させた軽装鎧を身につけた小柄な少女だった。
その少女は手にした二連装ボウガンを持ったまま、鎧の人間に向かって近づいていった。鎧の人間もまた少女の方へ向き直り、剣を盾を持っていた方の手に持ち替えてから拳をつきだした。
「電撃矢か」
「ええ。痺れる味よ」
その突き出された拳に、少女が自身の拳を軽くぶつける。軽い音が響き、少女が歯を見せて笑いながら言った。
「なかなかやるじゃない」
「これくらいは出来ないとな」
少女の問いかけに鎧が答える。そして鎧もまた少女に向けて「そっちもやるな」と返し、少女が腰に手を当てつつ得意げに「ま、これくらいはね」と答えた。
三体目のトロールの雄叫びが聞こえてきたのはその直後のことだった。
「おのれぇ! よくも同胞を! 許さん!」
二人が声のする方へ顔を向ける。視線の先に立っていたのはそれまで彼らが倒したのと同じ姿をしたトロールだった。だがそれが武器として手に持っていたのは、それまでの敵とは大きく異なっていた。
「消し炭にしてやるゥ!」
背中にボンベを担ぎ、両手で筒のような物を構えていた。
火炎放射器だ。
「ひえっ!?」
「うおおっ!」
それを見た人間二人が同時に、同じ方向へ全速力で逃げていく。トロールは一瞬反応が遅れ、かつて二人がいた、今は誰もいない場所に向かって引き金を引いた。炎の柱が勢いよく吐き出され、前方の光景を真っ赤に染め上げた。
「くそう、逃げるな!」
引き金を引いたままトロールが体を捻る。炎がその動きに追随し、一帯のものを容赦なく焼き払っていく。
二人の人間は後ろに飛び退いてそれを避けた。そしてそのまま後方に待避し、かつて建物の一部であった瓦礫の物陰に隠れてそのトロールの様子を窺った。
「またチート使いか」
「あんな時代錯誤な武器なんか持ち出して、そんなに勝ちたいわけ?」
鎧人間が呟き、ボウガンを持った少女が苦々しく吐き出す。馬鹿なトロールは自分の炎で視界を遮られ、引き金を引いたまま右往左往していた。
こうした光景は、このゲームでは稀に遭遇することが出来た。このオンラインゲームは剣と魔法のファンタジー世界をベースとしているのだが、時折このような時代設定を無視した近代兵器を振り回す敵が出てくるのだ。
ゲームの運営組織はこの現象を「バグである」と公式に発表しており、彼ら曰く「このゲームは当初は現代戦をベースにしたアクションRPGとして開発されており、その名残がバグとして表出している」とのことであった。
こうした敵には普通のプレイヤーでも対処することは出来た。しかしこのようなチート、言ってしまえば「インチキ行為」を行う敵が出現した場合、運営ないしプレイヤーからその報告を受け、そういった「チート使い」、つまりバグに優先的に対処する者達もいた。
「ていうか、最近こういうの増えてきてないか?」
「まだ稼働して間もないからね。バグが出まくるのも仕方ないんじゃない?」
「働かされるこっちの身にもなってほしいよ」
「仕方ないわよ。それが現人神の仕事なんだから」
「現人神、ね」
現人神。このオンラインゲーム「サンサーラ・サーガ・オンライン」の中で勃発する諸問題に対してゲームの世界から直接対処する者達のことを、ここではそう呼ばれていた。ゲームにとってのいわゆる「神」である運営組織から問題解決を依頼され、他のプレイヤー達からも問題を持ちかけられる。そうして神と人の間を取り持つことからその名が付けられたのであると、二人は現人神に任命された際にそう説明されていた。
しかしどれだけ立派な理由付けがなされようとも、やってることはただの「何でも屋」である。いっそのこと「お悩み解決相談室」に改名してもいいんじゃないか、鎧を着込んだ人間はそう思っていたりしていた。
「で、祐二。どうする?」
そう考えていた鎧の人間に少女が話しかける。祐二と呼ばれたその人間は少し考えた後、盾と剣を持ち直しながら少女に向かって答えた。
「いつも通りの作戦で行こう」
「いつも通りね。こっちもチート使うとかってのもありだと思うけど、どう?」
「あれくらいなら使わなくてもなんとかなるだろ」
「了解。祐二、ちゃんと引きつけてよね」
「美沙こそ外すなよ」
「それは任せて。的当てには自信があるから」
美沙と呼ばれた軽装の少女が自信満々に答える。祐二はそれを見て「なら安心だ」と返し、二人は揃ってトロールの方へ顔を向けた。
「やるぞ」
「ええ」
祐二の言葉に美沙が返す。そして祐二はまっすぐトロールへ向かい、美沙は瓦礫に隠れながらその様子を見守った。
「おいノロマ! こっちだ!」
トロールの正面に立ち、剣の腹で盾の表面を叩きながら祐二が声高に挑発する。それを耳聡く聞きつけたトロールは祐二の方を向いてその姿を視認し、そして見つけるなり火炎放射器の先を突きつけ、躊躇いなく引き金を引く。
竜の息吹かと見まがうような炎の塊が祐二に襲いかかる。祐二は盾を構えて内側に身を隠し、その炎を受け止める。盾は炎を全て食い止め、壁にぶち当たった炎は四方へ拡散し火の粉となって消えていく。
「ハハハハ! 灰にしてやる!」
「なんの、これしき!」
盾を構え、炎を受け止めたまま祐二が動き出す。トロールを軸にして、円を描くように大きく動く。トロールは祐二を追いかけるように体を動かし、同時に火炎放射器も引き金を引いたまま祐二に向け続ける。炎はなおも盾に防がれていたが、トロールはお構いなしだった。
そして祐二と同時に美沙も動き出した。彼女もまたトロールを中心にして、しかし祐二とは反対の方向に姿勢を低くして小走りで動いていく。そしてトロールに気づかれることなく背後を取ることに成功した美沙はその近くにある別の瓦礫に身を隠し、そこでそれまで使っていた物とは別の矢をボウガンに装填した。
「火炎矢」
小声で美沙がアイテム名を宣言する。ボウガンに装填された矢の先端に火が灯り、その火は瞬く間に大きくなって矢全体を覆っていく。その様子を見た美沙は瓦礫から上半身だけを乗り出し、狙いをトロールの担いでいるボンベにつける。
火炎放射器は背中に積んだボンベに可燃性ガスを充填し、それを噴射口から噴き出してそれを噴射口下部に点火されている火にぶつけて火柱に変えている。ベトナム戦争を題材にしたゲームでそんな事が語られていたことを思い出しながら、美沙はボウガンの引き金を引いた。
「死ね」
ボウガンから矢が放たれる。炎に包まれた矢は目標に向かってまっすぐ飛んでいき、矢の先端がボンベに突き刺さる。
鈍い衝突音が、次いで激しい爆発音が轟いた。ボンベが破裂し、矢を覆っていた炎が中のガスに引火し、周囲を赤く照らしながら盛大な火球が誕生した。火球自体はすぐに消えたが、代わりに火球の中から火達磨になったトロールが姿を現した。
「うわあ……」
それまで盾と剣を持ったまま剣を握っている方の手で耳を塞いでいた祐二が、盾の上から顔の上半分を出して目の前の光景を見つめていた。そして火達磨になりながらそれでも炎を消そうともがくトロールの姿を見て、兜の奥で痛々しげに眉をひそめた。
その祐二の元に美沙が歩み寄ってくる。そして美沙がそのすぐ側を横切った時、トロールはゆっくりともがくのを止め、立ち尽くした状態のまま地面に倒れ伏した。美沙が祐二の目の前に到達した頃にはトロールは完全に動きを止め、その身に備えた毛と脂でもって盛大に炎を燃やし続ける可燃物と化していた。
「やり過ぎじゃないか?」
「一発で倒したかったのよ」
構えを解いた祐二の問いかけに美沙がさらりと返す。そしてボウガンを腰に戻しながら、美沙が祐二に言った。
「それで、この後どうする? 依頼は片づけたし、街に戻る?」
構えを解いて盾と剣を背中に背負いながら、祐二が美沙に向き直る。この時すでに、彼の頭の中から火達磨と化したトロールに対する憐憫の情は消え去っていた。所詮はエネミーキャラだ。どんなやられ方をしようがこちらが気に病む道理はない。
「そうだな。体勢を立て直して、もう一階ダンジョンに行くか?」
「今度は普通に経験値稼ぎをしようってこと?」
「そういうことだ。美沙はどうする?」
「もちろん、一緒に行かせてもらうわ」
祐二が問いかけ、美沙が微笑みながら返す。そして祐二と美沙は二人で横並びになり、一緒にダンジョンの出入り口である扉をくぐって街へと帰って行った。その後もしばらく燃え続けていた炎が、彼らの「仕事」が成功したことを運営側に対して言外に伝えていた。
安藤祐二・レベル5。倉敷美沙・レベル7。稼働して一ヶ月を迎えようとしていたVRMMO「サンサーラ・サーガ・オンライン」の中でなんでも屋、もとい現人神となった二人の戦いと冒険は、まだまだ始まったばかりだった。