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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

キャンディ

作者: 榊坂さかき

キャンディ



 たかだか十七年で人生を間違えてしまったなんて言ったら笑われてしまうだろうか? 人生の先は長く、まだ何十年も先の未来があるのだから。でも、そんな時にいつもボクが考えるのは決まって一人の女の子のことなのだった。彼女は二年も前に死んでいる。今のボクよりも二年も早く人生を終わらせた人間がいるのに、ボクは自分の人生がまだまだ長いなんていうことを、思えるはずがないのだった。



 大人気取りの子供たちが撒き散らしている香水や制汗剤や整髪料の不自然な匂いと、自然発生した汗のすえた匂いと、窓から入る夏の外の風と、先生が黒板に板書するチョークのカツカツという音と、床下から湧いてくるような暑さを溜め込んだ教室で、授業は順調に進められている。その中でボクは一体、毎日何と向き合っているのだろうか? 破られてページの無くなった教科書を眺めながら真剣に考えてみる。たぶん、何とも向き合っていないのだろう。それは、この時だけのことではなく、きっと生まれてから十七年間ずっと何とも向き合ってこなかったのだ。その結果が、恐らく今のボクのポジションとして現れているのだろう。



 丁寧に一本ずつ折られたシャープペンシルの中で、比較的に形の保っているものを一本選び、板書をノートに書き写すフリを続けてみた。すぐにシャープペンシルの形は崩れて使い物にならなくなる。体面を取り繕うことさえ役に立たないゴミを、机の上に投げてボクは眠るフリをした。眠くなんてなかった。こんなボクを見て笑っているヤツがいると考えるだけで萎縮してしまう自分が、何よりも有罪だったし、実際に彼らは恐ろしかった。



 果たして救いというのは一体どこに存在するのか。考えた末にいつもボクは無限の距離を秘める空を想った。あの地平線の先はきっとこの世のどこをも超えた世界に繋がっており、いつかはそこに行ける気がする。ボクは肉体を捨てて孤独と友になり、無色透明な自由を持つ風の渦巻きとなり、永遠の時間を心に抱いた淡く切ない想いと共に過ごすのだ。その想像はボクの心にある種の感動を呼び寄せはしたが、あまりの陳腐さに絶望した。ボクが無能だというのならば、いっそ何にも気づけず、幸福な想像の甘さに浸り続けていられるような盲目さこそが欲しかった。



 そんな時にボクは確かな現実として、二年前に死んだ彼女のことを思い出すのだ。中学生の時のボクとは違い、今のボクならば彼女のことを心底から理解できる。そういう確信があって、それは叶わぬ妄想でもあった。彼女はこの世の中を儚み、自ら命を断つことによって「無」という名の自由を得たのだから。彼女は、もう、誰にも掴まえることができない。きっと、それこそがこの世で生きることよりも、確かで奥深く「生きる」ということなのだ。



 授業終了のチャイムが鳴って、先生が教室から出て行った。休み時間は、いつもボクに「どうして学校に通うのか?」という疑問を考えさせた。ボクは数人のクラスメイトによって、汚い男子トイレに連行された……。



 放課後、どうにか今日も学校を終えたボクは、特にいつもと変わらない、いつも通りの通学路を歩いて帰宅していた。自転車を使わない理由は、学校に置いておくと知らないうちにパンクしているのだ。別に歩いて帰れる距離に学校があるので、特に困ったことなどない。……特に困ったことなどないのだ。そう思った瞬間、ボクは不意に泣いてしまいそうになった。



 目元からちょっとだけ溢れ出た涙を腕で無理やり拭って、何事も無かったように振舞うとすぐに涙は止まり、感情の波は引いた。表情を確認するといつも通りの形に戻っている。大丈夫。何も問題は無い。辺りを覗っても誰かに見られた様子もない。



 その周囲に誰か目撃者がいないかを確認した時に、一つの看板と店が目に止まった。まるで風景に同化して隠れているみたいに自己主張のない店。しかし、壁は一部ガラス張りで外から中が見えるようになっており、店内はそこだけ西洋の国を切り取って持ち込んだかのように別世界だった。アンティークショップ導星は、大使館や領事館と同じ国外的な空気に満ち、治外法権すら持っていそうな雰囲気を醸し出している。



 誘われるままに店内に足を踏み入れた。木製のドアに付けられた来客を知らせるための金属ベルが、高くカランと鳴った。店内の奥から年老いた老人の男性が現れる。老人は老いてこそいたが、その正しく伸びた姿勢からまだまだ若くて健康的な印象を受けた。「何かお探しですか?」非常に丁寧で柔らかい物腰に、ボクは少し戸惑った。



「い……いいえ、すみません。特に何かが欲しいというワケでは……」ボクは冷やかしで足を踏み入れたことを申し訳なく思った。しかし、老人は気にしている様子は無かった。「おやおや、そんなにお固くなることはないですよ。丁度、お茶を入れたのでね。良かったら飲んでいってもらえませんか?」と、空いているテーブルと席をボクに勧めた。ボクは促されるままに木製の椅子に座る。古い木の匂いのするどこか懐かしい気配を持つ椅子とテーブルだ。



 出された紅茶は普段飲んでいるセイロン茶とは違い、酸っぱい感じのする薔薇茶だった。添えられたお茶菓子もよく口にする日本の甘い味付けとは違い、香料の強いクッキーでちょっと固かった。お茶を出した老人は静かに店の奥にと戻っていった。ボクは一目でこの店が好きになった。時間から切り離された家具や小物たち。遠い異国を思わせる匂い。そして、まるで商品を失敬する人間など存在しないよ、と言わないばかりに無用心な老人の在り方は、ボクの荒んだ心を静かに慰めてくれている。何か、この老人のために買ってあげたかった。しかし、財布を覗くとお札は取られてしまっている。小銭入れに少し小銭が残っていたけど、三百円ぽっちだった。三百円ぽっちで買えそうなものは、あそこに置いてあるビー玉の入った小瓶だけだ。



「すみません。これ、幾らですか?」もし、三百円以上だったらどうしようかと思いながら、店の奥に声をかけた。ちょっと声は震えていた。しかし、そんなことなど気にしないというふうに自然体で老人はこちらまで歩いてきた。その仕草にボクは暖かい気持ちを覚える。「ああ、これかね? これは確か五百円だったかね」たったの二百円足りないだけだが、ボクを絶望させるには十分な金額の壁だった。「そうでしたか……」五百円程度も持っていない自分が恨めしい。「君はこれが欲しいのかい? よし、それならタダであげようじゃないか」え? とボクは自分の耳を疑った。



「キャンディは子供に食べて貰うためにあるのだからね。君に食べて貰えるならこのキャンディは使命を全うできるというものさ」ボクは子供じゃありません、と反論しようとしたが、この人から見ればきっと自分より大人の人も子供に見えるのだろうなと思ってやめた。それより、この小瓶に入っているのはビー玉ではなく飴玉だったのか。すごく綺麗な飴玉だと思う。しかし、タダで貰うのは申し訳無さ過ぎた。「いえ、そんな、悪いですよ……」「いやいや、いいんだよ。私が貰って欲しいんだ」ボクは感動した。そんなことを言ってくれる人間がこの世の中にいるという事実に胸を打たれた。たとえ、その言葉が、普段老人がよく口にするただの日常会話の一つだったとしても……。



結局、キャンディを無理やり持たされた挙句、シフォンケーキまでご馳走になってボクはホクホクした気持ちのまま家に帰った。紺色のブレザーをハンガーにかけ、一通り制服から私服に着替えて、洗濯籠の中に洗い物をぶち込んだ後は、自室のベットに寝転がって今日一日を思い返してみる。稀に見る良い日だった。あのアンティークショップには明日も行こうと、キャンディを一つ頬張りながら思った。キャンディはさほど甘く無く、なんらかのハーブの香りとハッカの臭いが強烈で、薬草を丸めたもののようにも思えたが、この日常離れした風味がボクを幸せにしてくれた。その日の夜、ボクは夢を見た。



 教室の窓から外を見ると雨が降っている。黒い詰襟の制服は、雨に濡れるとナマモノの腐ったような異臭を放つので、だから傘を忘れたことはだいぶ憂鬱な出来事だった。帰宅時に傘立てから適当な物を奪って帰ろうと、窓ガラスを流れる水滴を見ながら考える。今日の授業はもうすぐ終わりを迎えようとしていた。最後の授業の道具を出そうとカバンに手を突っ込んだ時に、鈍い音が教室の隅から聞こえて、そちらを向いた。またやっているようだ。ここのところ毎日この類の音を聞く。見ると数人の男女が固まって一人の女生徒を囲っていた。女生徒は掃除用具入れの前で倒れ込んでいる。よくもまあ、飽きないものだ。囲いの一人が倒れている女生徒に何かをすると笑い声が上がった。何をしたのかここからではよく見えなかったが、どうでもいいことだった。



 アイツ等は全員が馬鹿なのだ。集団で一人を囲ってイジメる者も、その集団にイジメられる者も……。集団でイジメをする者は、周囲に合わせていないと自分という存在を維持することができず、その集団に弾かれてイジメを受ける者は、世の中というものが全くわかっていないデグの棒なのだ。日に日に少しずつエスカレートしてくイジメの内容についても、全員が加減のわからない子供だからで、要するにやっぱり馬鹿なのだ。きっと、もう、どうしてイジメを始めたのかもわかっていないのだろう。ボクはいつも通り無視することに決める。



 しかし、この日の出来事はその中でも、いつもと更に毛色が違った。「おい、脱がすぞ」と、男子の誰かが声にしたのが聞こえて、つい振り返った。「あはは、いいねえ」と、女子の誰かも賛同した。ボクは「マジで……?」と、つい小声で呟いた。嘘だろ、おい……。ありえないぞ、と。



 実際に誰かが女生徒を羽交い絞めにして、実際に誰かが女生徒のスカートを捲し上げて、実際に誰かが悲鳴を上げようとした女生徒の口を手のひらで塞いで、実際に「脱がせ」コールが沸き起こった。「脱がせ」「脱がせ」と、誰か一人が口に出すと、誰かがノリの良いフリをして「脱がせ」「脱がせ」と、続けて、後はそれの連鎖反応だった。ボクはその異常な光景に目を奪われる。もうそこまでいくと止まることのできない魔力が働いていて、イジメに加わってない傍観者にも石化の魔術がかけられて、教室にいる全員が女生徒を注視する状況になった。



 さすがにやりすぎだと思ったが、この空気で「やめたほうが良い」と発言をすることは、例えるなら満員のドームを貸し切ったコンサートでステージに乱入し、歌手からマイクを奪い取って一曲歌うようなものだった。勿論、そんなふざけたような状況ではないが、歌手からマイクを奪い取ることだって、実際はおふざけで済まされるようなことではない。身体を動かして彼女を守ることが正しいと思いつつ、ボクの身体は一センチも動かなかったのだ。ならばせめて無視するべきなのだが、この日の異常さがボクの目を釘付けにした。



 するすると下ろされていくパンツに男子の「ヒューゥ」という下品な歓声が上がった。ボクは黙って一部始終を全て目撃し、この時にようやく自分の目が血走ったかのように女生徒をガン見していることに気づいた。気づいたからといってしばらくは目が離れなかった。最初は女生徒も暴れていたのだが、下半身が露わになると諦めたのかぐったりと脱力した。教室中の視線から逃れるようにあさっての方を向いて泣いていた。この頃になってようやく先生がやって来て、彼は救世主のように思えた。



 しかし、先生はイジメた生徒よりも先にイジメられた女生徒の方を叱った。それはあんまりな裏切りだった。叱られた彼女は訳がわからないという顔をしていたが、やがて、「お前もか!!」と叫ぶような凄まじい眼力で先生を睨み返した。彼女はごもごもと何かを呟いたかと思うと、ふらふらと立ち上がり、先生などどうでも良いふうに玄関に向かって歩き始める。先生がその手を掴もうとすると、女生徒は先生を思いっきり突き飛ばした。おそらく力の加減的に殺意が篭っている。振り返った彼女の目は完全にイッていた。あれには近づかない方が良いと、誰にでもわかるくらいには……。



 彼女が去ってから、ほとんど間を置かずに、やがて、外から衝突音と「救急車だ!」と叫ぶ男の声が聞こえた。嘘みたいだったが、しばらくしてから警官が数人やって来て、先生はどこかに連れていかれた。事情聴取だろうか……。そして残りの授業は中止となり、帰宅する時に校門前の道路を見ると、黄色いテープが張られた一角が出来上がっていた。コースを外れて電信柱に突っ込んだ十トントラックと、その運転手らしき男と、何があったのか想像出来る、雨に流され切れなかった血の跡と、忙しく動き回る警察官が何人もいた。女生徒の姿は無い。救急車で搬送されたのだろうか。パトカーの赤いパトライトが気持ち悪かった。



 彼女が先生に叱られた時、ごもごもと何かを呟いたのは、きっと「そうだ、死のう」という六文字だったのだと、ボクにはわかっていた。



 目を覚ますと窓から差した日の光が顔にかかって眩しかった。ここはどこだろうか? 自分の部屋のようだ。いつの間に寝て、いつの間に朝になったのだろう。中学校に行かなくては、しかし、壁にかけられていた制服は黒い詰襟ではなく紺色のブレザーだ。夢を見ているのだろうか? ……違った、そうじゃない。ボクは高校生だった。それでは、今までのことが夢だったのだ。それに気づいてボクは絶望した。



 もし、過去をやり直すことができるなら、ボクはいつも、あの日に戻ってあの時に彼女を助け出したいと願っていた。しかし、実際には、夢とはいえ、ボクはあの時に戻っても何も出来ないでいた。あれだけリアルな夢だったから、なおさらボクは悔しくて泣いた。本当に自分はクズだということを思い知らされた。もう二度と彼女とわかり合えるだろうなどと、考えることは許されなくなった。ボクは壁に頭を何回か打ち付ける。その後は虚空を見上げてボーっとする。



 何もかもがどうでも良くなったが、一つだけ、ボクはアンティークショップ導星にまた行きたくなった。そうだ、学校の帰りに、また、あの老人に会いに行こう。そう思うと失った気力が戻ってくる。行きたくない教室と受ける価値のわからない授業のために、どうしてボクは毎朝学校に向かうのだろうかと、よく考える。きっとそれは、高校生という身分がそうさせるのだった。高校生であることそのものが、ボクが生きているといえる理由なのかもしれないと、退学した時を考えるといつも思うのだった。何故なら退学した後のボクには何一つ選択肢が無いのだから。これは消去法の問題だ。



 学校に行く前に、少しだけボクは希望が欲しくて、アンティークショップ導星を一目確かめようとした。しかし、昨日あったと思った場所には、全く別の、ごくごく普通の一軒家が建ててあるだけだった。あれ? 確かに場所はここだったはずだ。忘れることの無いように、住所をメモして、キッチリ昨日と同じ場所に辿り着いたハズだった。しかし、現実には目の前には全く別の建物が建っている。おかしい。ボクは胸の内ポケットに入っているキャンディの小瓶を確かめた。確かにそこにはキャンディの小瓶があったので、アンティークショップ導星が夢だったということは無い。



 おそらく、念を入れて書いたメモ自体が間違っていたのだろう。完璧と思っていても間違いがあるのは、よくあることだ。また探すところから始める手間を考えると憂鬱になったが、キャンディを一つ頬張って元気を出そうとする。なに、ちょっと時間がかかるだけじゃないか。キャンディの薬草のような味がボクをそうやって励ましてくれる。



 その日の学校はいつもより、更に悪質な出来事が待ち受けていた。世間にバレないようにボクをイジメるのが、彼らとボクの間に交わされた暗黙のルールだったのに、今日ついに破られた。休み時間に連行されたボクは、バケツになみなみと注がれた水を頭から思いっきりぶっかけられて、水洗便所に頭からねじ込まれて流された。息ができずに溺れかける。便器にこびり付いた誰かのクソが、ネチョリと顔に付いた気がするが、構う余裕は無く、すぐに腹を蹴られた。吸い込んだ水がむせ込みと一緒に出て、胃の中身も少し出る。チャイムが鳴ると彼らはボクに唾をかけて置き去りにしていった。ボクは顔を拭った。水でふやけてネチョネチョになった泥みたいな誰かのクソが、ブレザーの袖の上で伸びて広がり、こびり付いた。……これは中々取れないだろう。



 なぜボクは学校に来ているのだろうか? ここまでされて守るべきものなんてあるのだろうか? 授業が始まって静かになった男子トイレで考える……。生きるとは一体なんなのだろうか? こうまでして生きていかなくてはならないものなのだろうか? 逃げないことが美徳とは誰が言ったのだろうか? ここまでの仕打ちを受けなければならないほど、ボクは深い罪を犯したのだろうか? それならば、もう、ボクは罪を償ったのではないだろうか? 誰にも問いかけられない問いを、ボクは誰に問いかけたら良いのかわからなくて、便所の窓から空を見上げて訊いてみた。透き通るように澄んだ青空が無関係とばかりに美しくって恨めしかった。



 救いは一体どこにあるのだろう? そうだ、もう、学校には来ないでおこう。そして、ボクはアンティークショップ導星を訪ねて、そこで新しい世界を開拓するのだ。まだ、人生の全てが終わったわけではない。ボクにも好きなものがある。好きだと言える場所が存在する。それは人が「生」にすがりつくための、たった一つの免罪符のようにも思えた。



 ボクはキャンディを一口舐めたくて、ブレザーの内ポケットを探った。しかし、キャンディの入った小瓶は……確かにあったはずなのに……全くそこにあった痕跡を残さず消えていた……。



 ブレザーの内ポケットにはファスナーがついている。だから、中に入れたもの出ていくことなど無いし、たとえ割れたとしても破片が外に逃げ出すことはない。ボクはしっかり閉じられていたファスナーを開いて、ポケットに手を突っ込んで中をまさぐった。ポケットに穴の空いている様子は発見できなかった。ブレザーを脱いでひっくり返して確かめてみても、ポケットの穴も、ファスナーの壊れも確認できなかった。何度も何度も確かめているうちに一つの可能性だけが真実として明らかになっていくのだった。キャンディも、アンティークショップ導星もボクの見たまぼろしだったのだと……。



 果たして救いは一体どこにあるのだろうか? それは、もうどこにも見つからない。そうか、そうだったのか。この世の中は絶望で満たされているのだ。自分は特別な不幸を背負っているのではなく、絶望であることが普通であり、当たり前のことだったのだ。真実はここにある。便所にうずくまって誰かのクソを顔につけて、水まみれになっている今の自分こそが、紛れのない真実なのだ。



 今まで自分は夢の中を生きていた。死んだ少女をもとに膨らまし続けた妄想も、アンティークショップ導星の優しい世界も、きっと、これから学校を辞めてもどうにかやっていけるだろうという希望的観測も、全て自分が可愛いあまりに作られた虚構のストーリーなのだ。ならば、自分はこれからどうすれば良い? 決まっている。今この場でイジメられている自分から脱皮し、新しくイジメられない自分を世の中にねじ込んでいくしか、もう、ボクが存在する方法は無いのだ。



 気づいてしまえば、どうしてこんな簡単なことに今まで気付けなかったのか不思議でしょうがない。内ポケットにキャンディの小瓶が無いかどうかもう一度確かめる。無くて良かった。無いからこそ、わかることができたのだと、ボクは消えたまぼろしに感謝する。


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