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前編

 世界が四つの国に別れるよりももっと昔の事。大陸には、いくつもの小さな国がありました。その中の一つ、アルタリアの山奥に、一人の魔女が住み着いておりました。

 日ごろは山奥の塔に引きこもっている魔女ですが、退屈の虫が騒ぐのか時折麓の村に下りて来ては、何かしら騒動に巻き込まれていました。それに懲りて山に戻り引きこもりの生活を続けるのですが、退屈になるとまた村に下りて来るのです。

 そんな生活を続けているうちに、村にはこんな噂が流れ始めました。

「山の魔女は、村に災禍をもたらす」

 事実とは少し異なっているのですが、元来人間というものは、怖いけれど面白そうなものが大好きな生き物のようです。噂が噂を呼び、さらに噂に背びれ尾びれがついてしまいメダカが立派な鯛になって、周囲の村や街にまで広がりました。アルタリアの辺境の山に住む妖艶で狡猾な魔女は、麓の村の男を惑わせ誑かして連れ去ってしまう。連れ去られた男たちは二度と戻って来る事はなく、魔女に食い殺されてしまっているのだと。

 そうこうしているうちに、物好きにも噂の魔女をひと目見ようという者たちが、次々に村を訪れるようになりました。村に一軒しかなかった小さな宿屋は満員御礼。街から旅行業者が団体を引き連れて来るようになると、当然部屋が足りなくなり、次々に新しい宿屋ができました。

 村は魔女の噂のおかげで、一気に活気づきました。観光案内所や山の地図の販売をはじめ、土産物屋には魔女タルトや魔女クッキー、果ては魔女ぺナントや魔女ハンカチまでが並べられるようになりました。




 そんなある日の事です。一人の男がこの村を訪れました。男は一人旅で、予約などしていなかったためその日泊まる宿屋が見つからず、往生していました。頼みの綱の旅行案内所は、日が高いうちにもかかわらず、早々に閉まっています。

 どこかの馬小屋にでも紛れ込むしかないだろうかと、男があきらめかけたときの事です。

「お兄さん、困っているの?」

 小さな女の子が、男の顔を見上げて訊ねて来ました。年の頃は十を僅かに超えたくらいの、まだほんの子供です。

「今夜泊まる宿がなくてね」

 肩を小さく竦めるて答えると、女の子は小首を傾げました。その様子がとても愛らしく、男の表情が少し和らぎました。

 そう。この男、見てくれは結構な男前なのですが、頬に走る創傷の痕と険しく顰められた切れ長の目が、声をかけるのを躊躇わせるほどの物騒さを醸し出していたのです。実は宿屋のいくつかには僅かに空き部屋があったのですが、この男の形相に厄介事を予感した主たちが、部屋を貸す事を拒んでいたのでした。もちろん男がそんな事を知るはずもなく、素直に主たちの言葉を信じてしまっていたのです。

「もしよかったら、わたしの家に泊まりに来る? 簡単な物しかできないけれど、食事も出せるから」

 まさかの言葉に、男の目が点になりました。

「それは、確かに助かるが。いいのか?」

「うん。ここからはちょっと歩くけど」

 どうやら村の外れに住んでいるらしい女の子の申し出を断るなど、もったいなくてとてもできません。女の子の背後に悪人が控えていて、身ぐるみはがれてしまう可能性も考えないではありませんでしたが、男は腕に覚えがあったため、気にしない事にしてしまいました。それよりも、長旅で疲れた体を休めたい気持ちの方が大きかったのです。

 男は徒歩で旅をしていましたし、女の子も馬など連れてはいませんでした。

 男は女の子と肩を並べて歩きながら、男の名前がクリストだという事、街から一ヶ月以上もかけて一人でやって来た事などを話すと、女の子はとても興味を持って熱心に耳を傾けてくれました。どちらかというと口が重い方のクリストも、ぽつりぽつりとではあるものの、いろいろな事を話しました。

 クリストは最初は馬を使っていたのですが、道中足が悪くて難儀していた老人に、僅かな金銭と交換に譲ってしまいました。本当ならばもっと早くにこの村に着けていたはずだった事を考えると、無駄に時間を浪費してしまったのではないかと、女の子が訊ねます。けれどクリストは、急がなければならない旅ではない事、道中いろいろな人と出会えた事などを理由に、決して無駄ではなかったと答えました。

「お人好しなのね」

「そうかもしれないな」

 女の子の率直な言葉に、クリストは小さく肩を竦めました。

 そうこうしているうちに、だんだん日が傾いてきました。世界が茜色に染まる頃、ようやく小さな一つの小屋が見えて来ました。村の集落から離れているため、辺りの景色もすっかり違うものになっています。

「どうぞ。狭いけれど、入って」

 女の子が先に立ち、ドアを開けて待っています。クリストはその勧めに従って、狭い戸口をくぐりました。

 薄暗くて中の様子がよく分かりませんでしたが、女の子がランプに灯を入れると、ようやく視界がはっきりして来ました。外から見る限り、かなり小さい小屋でしたが、思いの他中は広々としています。戸口はクリストが屈まなければならないくらいに低かったものの、天井の高さは長身の彼が真っ直ぐに立っても十分なほどでした。

 勧められるままに、木で作られた質素な椅子に腰をかけ、室内をぐるりと見回します。室内にはもう一つ女の子のものと思える小作りな椅子と食卓と寝台があるだけで、余計なものは見当たりません。

「まさか、ここには一人で?」

 大人の存在を感じられる物がない事に気づいたクリストは、女の子に訊ねました。

「ええ」

 こんな小さな女の子が一人で暮らしているなど、クリストには俄かに信じられません。

「子供一人とは、危険だな。親は、どうしたんだ」

 思わず顔を顰めたために目つきが険しくなり、普通の子供ならば怖がって寄りつかない程度には恐ろしい形相になっているのですが、クリストは気がつきません。

「母は私を産んですぐに。父も小さい時に事故で。親が遺してくれたお金で、働かなくても食べていけているの」

 クリストが気にしているのは、お金の事だけではありません。

「万一強盗にでも襲われたらどうするんだ。なぜ、もっと人気の多い村のそばに住まない」

 そうではなくとも、大人に騙されたり利用されたりしてお金を失ってしまう事も考えられるのです。

「人の多いところは、苦手なの。それに、こんな小汚くて小さな小屋、強盗も興味がないでしょうし」

 あまりにも能天気な女の子の様子に、クリストは苛立ちました。

「もし、俺が強盗だと言ったら、どうするつもりだ」

 声が一段低くなり、まるで女の子を脅すようにドスを効かせます。

「大丈夫。私、人を見る目は確かだから」

 赤子が引きつけを起こし気の弱い者ならば卒倒するとまで言われたその形相に、けれど女の子は怖がる素振りも見せません。怖いもの知らずと言うべきか、それとも世間知らずとでも言うべきでしょうか。

 そんな事を話している間にも、女の子の手はてきぱきと動いています。あっという間に小屋の中に美味しそうないい匂いが漂い始めると、クリストのお腹がぐう、と音を立てました。

「はい、お待たせ。あり合わせで悪いんだけど、どうぞ」

 テーブルの上には、野菜をふんだんに使ったサラダとカボチャのスープと鶏肉のソテーと、ガーリックをすり込んで焼かれたパンが並んでいます。あり合わせなんてとんでもない。旅用の携帯食物ばかりを食べていたクリストにとっては、十分なごちそうです。子供の一人暮らしなのでお酒の類はありませんでしたが、その分たくさん食べる事ができます。

 お行儀よくいただきますと声を揃え、二人は静かに食事をしました。

 サラダに添えられたチーズとドレッシングの美味しさに驚き、中までしっかりと火が通った鶏肉の柔らかさに驚き、パンの香ばしさに驚き、何よりもスープの円やかな甘みに驚きました。子供がこれを作ったなんて、とても信じられないほどです。

「いい嫁さんになるぞ」

 社交辞令でも何でもなく、クリストは心からそう思いました。

「ありがとう」

 女の子は頬を赤く染め、小さくお礼を言います。その可憐さと愛らしさに、クリストは思わず胸を掻き毟りそうになるのを堪えました。

 生まれてから二十七年間。人相は悪いもののクリストの顔のよさに靡いてきた女性もいましたし、恋愛も肉体関係もそれなりに経験がありました。けれどそれらのすべては、同世代の相手ばかり。こんな子供相手に男心をくすぐられるとは思いも寄らず、クリストはただただ焦るばかりです。

「クリストは、どうしてこの村に来たの?」

 食後のお茶を飲んでいるとき、女の子が、クリストに訊ねました。

「魔女の噂を聞いてね」

「魔女って、裏山の魔女?」

 女の子は猫舌なのか、すぐにお茶を飲もうとはしません。カップを両手で包むように持ち、クリストの言葉に小首を傾げています。

「他に魔女がいるのか?」

「そりゃあ、世界はこんなに広いのよ。魔法使いの一人や二人や三人や四人、いても不思議はないでしょう」

 言われてみれば、至極もっともな事でした。けれど生憎クリストは、他の魔女や魔法使いの話を聞いた事がありません。

「あなたも、魔女を退治しに行くの?」

「も、って事は、俺以外にも魔女の山に入った奴がいるって事だな。さすがは観光名所だけはある」

 かつて村人よりも家畜の数の方が多かったこの村は、今では家畜の数よりも観光客の方が多くなっています。観光客の目当てが魔女だという事は前に述べた通りなのですが、実際に魔女の山に入って行く人はほとんどいませんでした。

 街から来たお金持ちが建てた「魔女の館」という屋敷を見るだけで満足してしまい、本来の目的である魔女をひと目見ようという事を果たさずに帰って行ってしまいます。その屋敷ではお色気たっぷりな美女が出迎えてくれるのですが、これが裏山の魔女だと紹介され、簡単な魔術を見せてくれるからなのです。

「あんなものが魔女であるはずがない。小手先だけでできる手品を見せているだけだ」

 どうやらクリストも、宿を探す合間に覗きに行って来たようです。

「どうして、魔女に会いたいの?」

 女の子は、真っ直ぐな目でクリストを見て訊ねました。

「さて。なぜだろうな」

 クリストの返答に、女の子は怒るでもなく呆れるでもなく、ただ真っ直ぐにそのつぶらな瞳を彼に向けています。その目には力が込められ、まるで嘘は許さないと言っているかのように見えました。だからクリストは嘘をつきません。つけなかったのです。

「俺にも、分からない。とにかく、魔女に会ってみたかった」

 女の子から目を逸らす事ができず、真っ直ぐにその目を見つめ返しながら、クリストは答えました。

「魔女なんて、いないって言っても?」

 女の子の言葉は、少なからず、クリストを驚かせました。

「いない?」

「誰か一人でも、魔女を見たという人がいた? 魔女の姿を見た人に会って、話を聞いたの? 街にまで流れている噂だけを頼りに、ここまで来たんじゃないの?」

 確かに街にまで伝わってくる噂は、村に下りて来た魔女が村の男を誘惑しては食らっている、そういった類のものでした。それが単なる噂である事の証拠に、国は魔女を狩ろうとはしませんでした。それどころかこの件に関して王様は、指一つ動かさなかったのです。

 人の噂など信じないクリストでしたが、旅行業者が大々的に魔女の存在を売り物にし始めると、噂の真相が気になり始めました。本当に魔女は存在するのだろうか。村の男を食らうというのは、本当だろうか。山に登って帰って来ない男たちは、どこに消えたのだろうか。そんな疑問がクリストの胸に湧き、自分の目で確かめようと、旅に出たのです。

 クリストはそれらの事を包み隠さずすべて、淀みない言葉で女の子に話しました。女の子はただ黙って訊いているだけです。まっすぐに、クリストの目を見つめたままで。

「魔女がいないのだとしたら、騒ぎの元はなんだったと言うんだ」

 クリストは、喉から声を絞り出すようにして訊ねました。

「私が知っている話だけれど」

 そう言い置いて、少女が語り始めました。すべての発端となった、魔女の話を。

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