魔王と偽の勇者
幼い頃から、私は教会の中で育てられた。女としてではなく、魔王を殺す為の存在として。剣と魔法をただひたすら教え込まれた。それは何故か、理由はごく簡単だ魔王を倒す勇者としての『聖痕』があったから。本来、聖痕は女性ではなく男性に現れる筈だった。
私はお伴も連れて行く事も無く、魔王へと挑んだ。
そして、破れた。
当然だった、私は紛いものの勇者なのだから、勝てる勝算なんてどこにも有りはしない。
聖剣も持って行かなかったのだから破れて当然、殺されれば良いと思った。否、殺されると思った。魔王の冷たい瞳と目が合ったとき、自分は死ぬのだとそう思った。
結果は違った、気付いたらベットの上で魔王との戦いやこれまでの旅で負った傷も綺麗に無くなっていた。
温かな料理が出て来たけれど、敵が用意した物だから口にしないでいた。
それが一週間ぐらい続いた。家臣から様子を聞いたらしい魔王が、私の部屋に入って来た。
「一週間、食事に手を出していないらしいな」
エネルギーの消費を抑える為に私は動かず、考えずにずっと過ごしていた。そんな鈍った頭では魔王の言っている言葉は理解出来なかった。
「まぁ、普通に考えれば魔族が用意した食事に簡単に手を出さないのだろう」
そう言って魔王はパンをスープに浸けて、自分の口に入れた。しばらく咀嚼してから、私の顔を自分の方に向けると唇を押し付けた。
抵抗しようとしても上手く行かず、歯をこじ開けられて唾液とスープでどろどろになったパンを流し込まれる。
「生きろ」
黒い髪の間から見えた赤い瞳は、私には燃え上がる炎のように見えた。
それ以来、私は三度の食事を自分から摂るようにした。また、魔王から口移しで物を入れられるなんてご免だったから。習慣になっていた祈りも始めた、教会が崇めてる神ではなく精霊に祈りを捧げる。
「勇者様、何か欲しい物はありますか?」
「・・・何も」
「・・・・そうですか、では何か暇つぶしになるものを」
メイドがハープを持って来てくれた。
親代わりのシスターが教えてくれた、ハープを弾きながら即興の歌を歌う。この時だけは、本当の私に戻った気がした。まさか、魔王が聞いてるなんて考えてもいなかった。
「閣下、何故あの娘を殺さないのですか?」
「殺す必要性が無い」
魔王は家臣の言葉に答えると、さっさ机の上の書類に目を通し始める。
しばらくして、魔王は滅多に人に見せる事の無い微笑を浮かべた。
「いい歌声だ」
「はい?」
「聞こえないのか? あの娘が歌っている」
家臣の耳にも届いたらしく、たしかに素晴しいですねと賞讃した。
「精霊達が惚れ込むのも分かるな・・・もっとも、本人は気付いてないようだが・・・」
月日が流れて、精霊から本物の勇者が現れたと聞いた。もう直ぐ、この城に来るのだそうだ、ここから出られるかもしれないと言うが、ここを出て何所に行けば良いのだろう。
久し振りに、魔王と二人っきりで話す機会があった。人間の王と同じように魔王も魔族を統べる為に忙しいらしい。
「ここを出て行く気はあるか?」
私は首を振った、出て行っても何もメリットが無い。
「なら、もしココが無くなったらどうする?」
「さぁ?」
それを決めるのは私ではなく、ここを攻めて来た人だろう。
「なら、俺の物にでもなるか?」
「・・・」
「冗談だ」
魔王はよく私の頬や髪を触るようになった。
そして、いつの間にか私は歌姫と呼ばれるようになっていた。
「姫さま! 逃げましょう」
いつかハープを届けてくれたメイドに手を引かれて私は魔王の城を後にした。
「行ったか・・・」
「魔王覚悟!」
本物の勇者に向かい合い魔王は不敵な笑みを浮かべる。
風の噂で魔王が倒れたと聞いた。
「どうして、貴方は殺さなかったの・・・?」
その疑問に答えてくれる者はもう居ない。
いつか、長編にしようと考えている話です。