また会えたら話しませんか?
「──次は終点、岳峰公園、岳峰公園。お出口は右側です……」
学校帰りの電車に揺られながら、俺はアナウンスを聞き、開いていた本を閉じた。どこの本屋でも手に入る、ライトノベルだ。乱読家の俺にとって、通学時間は貴重な読書時間。鞄には常に本が仕込んである。
「──The next station is, Takemine-Koen-Terminal. The doors on the right side will open. Please change here for……」
暗唱できるほど聞き慣れたアナウンスを、ポイント通過の走行音が上書きする。速度を落としていてもこのときばかりはがたがたと揺れる電車だが、座っていればそこまで大変なことはない。
ありがたいことに、この路線は帰りの時間帯でも混むことは少ない。今日も何事もなく電車は駅に着き、俺は立ち上がって降りる準備をする。なのだが、今日はふと、ドアを開けるボタンに伸びた手が止まった。視界の端に、ぴくりとも動かない人影が見えたのだ。一歩下がり、ボックスシートを覗き込む。
鞄を両腕で抱きしめたまま眠る、少女がいた。制服を着ているので、恐らく高校生だ。綺麗だな、とぼんやり思ったが、そんなことはどうでも良い。問題は、電車が終点に着いたのに、彼女が起きるかどうかだ。
一〇秒待ってみた。彼女はすやすやと眠ったままだ。直角に立つ硬いシートでよくそんなに熟睡できるなと感心してしまいそうになる。このまま寝かせてやりたい気もするが、この電車は折り返して長い道のりをまた走る。ワンマン運転なので車掌さんが起こしてくれることもない。車内に乗客はもういない。
俺が起こさないと駄目か……。
「あの、終点ですよ」
軽く肩を叩き、呼びかけてみる。反応はない。そりゃそうだ、寝ているんだから。もう一度、肩をとんとん。
「もしもし、起きてください」
少女はあろうことか、肩に置いたままの俺の手に頬を擦り付けてきた。近所の猫によくやられるマーキングを思い出す。正直美人に懐かれるのは悪い気はしないが、初対面の相手に擦り寄られたところで、困惑が勝る。これはどうしたものか……。
結論から言うと、特に考える必要はなかった。思っていたのと違う感触が返ってきたのか、少女はゆっくりと目を開いて己の肩を確認すると、ぴたりと動きを止め、次いでびくりと身体を跳ねさせて、目を見開いてまた固まった。すいませんねえ、イケメンでなくて。
寝起きで状況がよく理解できていないらしいので、俺はもう一度、電車が終点に着いたことを伝えた。
「え、あ……ありがとうございます」
俺が手を離すと、彼女は一言礼を言ってから立ち上がった。俺は再度降り口に回り、ドア横のボタンを押して電車を降り、閑散としたホームを歩く。少女を起こしている間に、他の乗客は皆、跨線橋を渡って外に出て行ったのだ。
歩きながら、手に持っていたライトノベルを鞄に仕舞う。すると少女の目線が一緒に移動した。俺が手に持っていた本を見ていたらしい。
「……気になるんですか」
「あ、いえ、良いなあって」
「良いなあ?」
「その、ライトノベルって、たまに外で取り出すには勇気の要る表紙のデザインとかあるじゃないですか。だから私、あんまり家の外で読めてなくって……」
なるほど、確かに際どい衣装のヒロインだとかあまりにもストレートすぎるタイトルだとか、そういうのが抵抗感を持たせるのも理解できる。そんな抵抗感はとっくに俺からは消え失せたけど。
「もちろん気にしなければ良いだけなんでしょうけど、私はなかなかできないので、そうやって外で読める人、羨ましいなって、思うんです。すいません、初対面の人にする話じゃないんですけど」
「いえ、別に。気持ちは分かります。ブックカバーとかあると便利ですよ。書店によっては買うときに無料で付けてくれるところもありますし」
「なるほど、そんなやり方があるんですね。それなら電車でも読めそうです」
俺がさっき読んでいたものは、肌面積の狭い、常識的な私服の衣装が表紙になっている。だがそれは一巻だからだ。二巻以降も買って家に置いてあるが、ラブコメ本というものは、どうして二巻の表紙を水着姿にしたがるんだろうな。俺的ラノベ七不思議の一つだ。
たまに高校の図書室にあっていいものなのか疑わしいようなものもある。活字に年齢制限はないだろうけど、表紙が際どいのは大丈夫なのだろうか。ちょっと心配になることもあるが、R-15レベルなら俺たち高校生は全員クリアしてるわけだし、まあ良いのか。良いのか?
それから俺たちは、歩きながら話した。
「ライトノベル、よく読むんですか」
「はい、兄の影響で」
「俺はアニメとか漫画が入口で、原作に手を出してみたのが入口でしたね」
「アニメだと二期が来るまで三年とかかかりますからね。漫画だと一冊で小説の三分の一くらいしか進みませんし」
「そうなんですよね。俺、せっかちだからどうしても続きが気になっちゃって」
「アニメから原作に行くと、追い付くまでは復習をしている気分になりますよね」
「分かります。『ああ、あのシーンってそういうことだったんだ』みたいなのが続けて来るから、それもそれで楽しいんですよね」
「そうなんですよ! アニメを見て気に入ったら、全巻まとめて買っちゃうことも……あっ」
歩きながら話していると、少女が急に、残念そうな声を上げた。つられて俺も視線を前に戻す。改札だ。もうこんなところまで来ていたらしい。
「楽しい時間はあっという間ですね。俺、久々にこんなに語りました」
「いえ、私こそ付き合ってくれてありがとうございました」
話に熱が入ってしまったことで、別れるのが少し寂しくなってしまった。それくらい、彼女とは話が合ったのだ。どうやら高校が違うので、残念ながら、もう会わないだろう。
「じゃあ、俺こっちなので……」
そう言って別れようとしたのだが、
「あ、あのっ!」
彼女に呼び止められてしまった。
「なんです?」
「あの、また会えたら、もっとたくさん、お話したいです。駄目、でしょうか」
「それは……」
確率的に難しいだろう、と一蹴してしまうのは簡単だ。でも俺も、彼女と話すのを楽しんでいた自覚はある。少しくらい希望を持っても良いだろう。だから、
「はい、こちらこそ、よろしくお願いします」
ぱっと花が咲くような笑顔が少女を彩り、不覚にも、心臓が跳ねる音がした。そんな動揺を悟られないように自然に手を振って俺たちは別れ、それぞれの進む方へと歩く。
その途中でふと思った。
「しまった、あの子の学校と名前、訊くの忘れたな」
だけど、別に悲観はしない。
「まあ、今度会ったら訊けば良いか」
夕焼け空の帰り道、俺を正面から照らす西日が、なんだかいつもよりも眩しい気がした。
気が向いたら続き書きます。




