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[#10-熾泉花の部屋]

[#10-熾泉花の部屋]


「え、、、、、」

囁くような、優しい声音。高くもなく、低くも無い。男が無視するなんて不可能過ぎるほどの、可愛い声が扉の奥から聞こえて来た。

「姉さん⋯?」

「⋯⋯⋯⋯⋯」

ドアノブが下る。扉と廊下の壁から、暗黒の世界が広がり、そこから姉さんの姿が露呈していた。部屋に明かりを灯さないタイプのようだ。姉さんは扉と廊下の壁から出来上がった暗黒世界を最小限に抑えている。もうちょっと⋯開けてほしいんですけど⋯姉さん。

「來智花⋯⋯⋯は、、、、は、、、は、い、、る?」

「え、、、、、」

「だから⋯⋯⋯⋯こっち、はいる⋯ってきいてんの、ばか。なんども言わせないで」

たどたどしい。モジモジしてる。隙間から顔をひょこっと露出させる姉さんとは、あまり目線が合わない。でも、たまに合う。それは、姉さんが自分の感情を言葉にして乗せたいから。一文字一文字が断続的になっているシーンが多くあったけど、その一文字を言う度に、おれへ視線を向けて来てくれた。おれはそれが、とんでもなく嬉しかった。姉さんは確実に成長してる。良くなってる。そう思えただけで、おれは幸せな気持ちになった。しかもそれだけでは終わらず⋯なんと姉さんは自室への他者入室を許可。急に⋯何の変わりようなんだこれは⋯。でも、おれは姉さんにも何か想いがあるのだろう⋯と汲み取り、部屋へと入る。


「く、くらいね⋯⋯」

「⋯⋯うん⋯⋯⋯ごめん」

「謝らないでよ。姉さんの部屋なんだから」

「⋯⋯⋯⋯⋯うん」

パソコンモニターの光だけが、現在の部屋の灯りとなっている。真っ暗な空間にこうして光源的な光があると、確かに⋯籠城を続ける人間としてはこれだけで十分なのかもしれないな。姉さん、おれが思ってる以上に、引きこもりのレベル高ぇな⋯。

「電気⋯つけていい?」

「う、、うん⋯」

別に、部屋の照明をつけたくない訳では無いみたいだ。おれは照明をつけた。何となく⋯何となく⋯だ。引きこもり生活を送っている大概の人間というのは、不安定な精神状態となっており、部屋にもその影響が具現化されているケースが多い。実際、ネットで引きこもりについて検索してみると、重度のものだと自傷行為に走ったり、物に当たって部屋を破損させてしまう⋯という最悪な場合も存在する。

主に、引きこもり生活の軽度的なもので言うなら“異臭”だな。引きこもりをしているんだ。風呂にも入らず、寝て食ってを継続させていれば、部屋には死骸の肉片が散乱したかのような異臭が充満する。しかし、姉さんの部屋からその異臭騒ぎは一切無い。

嗅覚的には問題無し。では、視覚的には⋯


照明点灯。

「⋯⋯⋯⋯ふつう⋯⋯」

「⋯?なにその感想」

「あー!いやいや⋯」

「どうせ、引きこもりの女の部屋はグチャグチャなんだろー⋯とか思ってたんでしょ」

「イヤイヤイヤイヤ!!姉さんの部屋なんだから、そんな事思ってるハズないよ〜」

「⋯⋯⋯」


【ジト目】


姉さんからジト目を受ける。それも蔑視するような鋭い目つき。人を殺める前の人間ってこんなんだと思う。めっちゃ怖いけど⋯⋯⋯めっちゃ可愛いから、なんか複雑⋯⋯。

「ごめんなさい⋯ちょっと思ってました」

「素直でいいわ」

姉さんの発言が流暢になって来た。扉の向こうで、クソアニメの罵倒をしまくっていた時の早口程では無いが。ぜんぜん嬉しい。なんか、おれの存在を認めてくれた⋯ような感じだ。凄く嬉しい。

「⋯⋯⋯⋯」

「臭くも無いでしょ」

「え!?!」

「來智花、あんたバレバレよ。わたしの部屋をぐるりと見渡して、散らかり具合を確認するなり、異臭が漂ってないか、鼻をクンクンしたり⋯」

ゲッ!?!めちゃくちゃヴァレてたァ!???!

「別に⋯⋯なんの匂いもしない⋯⋯よね??」

「ウンウン!ぜんぜんしない!しません!これっぽっちも!しません!」

「フゥ⋯⋯⋯」

姉さん、安心してる。ちょっとはニオイを危惧した時期があったのかな⋯⋯。それで他人が自分の部屋に入ったから、『変な匂いしないかなぁ』って緊張してたのかな。だとしたら申し訳ない。でも、安心してくれ。部屋自体良い匂いだし、姉さんも姉さんで⋯!!

「ママのおかげよ。芳香剤、芳香剤、芳香剤、芳香剤、芳香剤」

姉さんが指差す方向いたる場所に、芳香剤が置かれていた。まぁそれを見れば、この“塊的な良い匂いの正体”が分かる。

「ママ“も”危惧してたんだろうね」

「おれも入ってる??」

「⋯どうせ、思ってんでしょ?」

「だから!姉さんの部屋が汚い⋯だとか、臭そう⋯だとか、そんなん思っても無かったよ!」

「“汚い”⋯わたし、その心配はして無かったわ。あなた、自分から遂にボロを出したね」

「だァ〜もお!違うって!」

「⋯⋯!?ちょ、、、ちょっと⋯⋯!?」

姉さんとの距離感を一気に縮めた來智花。熾泉花には緊張が走り、來智花には覚悟が迸る。

「⋯な、なによ⋯⋯⋯⋯」

「おれは姉さんのことをずっと考えてた」

「うそね」

矢継ぎ早に言い放つ。

「嘘じゃない!姉さんが思ってる以上に、おれは姉さんのことが⋯⋯」

「⋯⋯⋯うぅん?」

「姉さんのことが⋯⋯⋯大事に思ってる」

「⋯⋯⋯はぁ?」

なんだよそれ⋯『大事に思ってる』ってなんだよ⋯文法がグチャグチャじゃねぇか⋯。こんなあやふやな気持ちじゃ姉さんに何も伝わらない。⋯てか、おれは今、姉さんに何を伝えようとしてるんだ⋯⋯⋯。

『姉さんのことが⋯』に連なる言葉なんて⋯⋯⋯『⋯⋯好きだ』しか⋯⋯⋯いや、探せばもっとあるか。⋯⋯え、、無くね?⋯⋯⋯無くねぇか??


來智花の顔。自分から、そっちから近づいて来たのに何よその赤い顔。⋯⋯⋯せきにんとってよ。わたしから離れる理由なんて、、べつに無いんだから⋯。

そっちが離れないなら、わたし、ずっとこのままでいいんだから。⋯⋯⋯嫌なら離れるけど。


「わたしを大事に思ってくれてるの?」

「うん。そうさ、大事に思ってる⋯!」

赤みを含んだ表情が元に戻る來智花。熾泉花はと言うと、感情を表に出さず、無を貫いている。籠城を貫いている人間だ。そんじょそこらの感情を受けたとて、彼女の心の中で、何かが変わるようなことは無い。自我を強く持った熾泉花は、來智花にとって攻略激ムズの難敵となりうるのか。


「へぇ〜あっそ」

なんとも“興味無し”としか思えない口振りだ。

「それで?來智花くん、引きこもりのお姉ちゃんに何のようなんでしたっけ」

「ああ⋯その話なんだけど⋯」


なによ⋯離れるの??変なタイミングね。


おれは姉さんの眼前から離れ、本題に移る。姉さんがベッドに腰かけ、おれは部屋に直立する状態。そんなおれの姿を見て、口を開く。

「⋯⋯コッチ来たら?」

「え、、、」

「真横はダメよ?⋯ちょっと離れた⋯人、一人分ぐらいのスペースは空けてね」

姉さんが、自身の座るベッドをポンポンと叩く。

それは、おれをベッドに誘っている事を意味していた。⋯あ、これ、違う意味として伝わるか??

「い、いいの?」

「座るだけならね。あんた、オナラとかした?」

「ンンンんん!!!」

拒否しまくり。頭を横にブンブン振り続け、これでもかと“オナラしてませんアピール”を強調した。そりゃあ嫌だよな、オナラしたパジャマでベッドを座られたら。当たり前だよ。⋯にしても、んな事聞くか?

「⋯どうぞ」

「し、しつれえー、、、します」

「ンでぇ?なに」

「⋯⋯んぅえ?、、あ⋯そ、そうだったね。あのさ、『話そ』ってのは、本当に話したい事があって⋯」

「うん」

「姉さん、アニメ、好き⋯?」

「好きよ」

「じゃあまだ、好きなんだね」

「“まだ”というか、永遠に好きだと思うよ」

「そっか!姉さんに趣味があって良かった」

「何それ、わたしが何もせずに引きこもってたとでも思ってたの」

「いやいやいや!それは無いよ〜」

それは思ってない。たまに姉さんの部屋から聞こえる、『殺す!!』という野蛮な言葉の数々。きっとゲームに対しての言葉なのだろうが、かなり聞いていて辛かった。

「姉さんアニメこれからも好きっていうから、もっとこのこと話したくなっちゃった」

「なんなの」

「あのさ、姉さんに色々⋯アニメに関して教示してほしいんだ」

「⋯⋯⋯⋯は??」

横一列になった善知鳥姉弟。弟からの予期せぬ発言に、姉は驚いた。ただ驚くのでは無く、弟の方を向いて、その驚愕の表情を見せた。姉から見た弟のその表情は、“本気”の意思が見て取れるもの。ただ、姉には懸念点があり⋯

「いやわたし、そんなアニメに関して詳しくないよ?」

「え??」

「いや⋯あの⋯べつに、アニメに詳しくなりたくて観てる訳じゃないし⋯。ただただ面白いから観てるだけだから、來智花に教えれるような事は無いかな」

「あーーー⋯⋯」

まずい⋯せっかく姉さんとこれから逐一話せる口実を作れると思ったのに⋯もっと粘ろう。ここは粘るべきだ。

「アニメ玄人にしか判らない視点ってあると思うんだよね」

「うーーーん⋯⋯」

姉さんをおれから視線を逸らし、熟考。天井を見たり、床を見たり、自身のコレクションを見ながら、考えを巡らせていた。

「⋯⋯⋯こだわりとか、無いよ?べつに」

「姉さんの知識と智慧は、姉さんしか持ってないから。おれはそれを欲してるんだ」

「⋯う⋯⋯⋯!」

「ん?姉さん?」

「い、、いや⋯なんでもない⋯」

凄く顔が火照って見える。先程の天井、床を見ながら熟考する姿とは一線を画すほどの逸脱した意識の乱れが生じていた。

「⋯⋯⋯わかった」

「ほんとに?」

「うん」

「ありがとう!」

本当はここで姉さんに感謝の握手とか⋯肌に触れる類の表現をしたかったけど、まだ物理的な距離感を抱かせてしまっているのは否めない。止めておこう。


「姉さんじゃあ、外出ようよ」

「⋯⋯⋯は」


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