泡沫
前回より時間がかかりました。
お付き合いいただけますと幸いに存じます。
機械的な音が聞こえて、ゆっくりと意識が戻ってきた。
史佳はそっと目を開けた。
遮光カーテンの隙間から明かりがさして、室内灯の光と混ざっている。目の前のローテーブルではスマホからアラームの音がしていた。固まったように動かしにくい身体を少しだけ起こして、ローテーブルの上のスマホを手に取る。痺れたような痛みを感じながら、スマホの画面をスワイプすると、昨夜の三神からの着信が残っていた。
「はは…」
史佳は嘲笑うように乾いた声を出して、顔にかかる髪をかき上げて天井を仰いだ。
夢を見たのだ。とても惨めで独りよがりな夢。
「重症だな…」
呟いてみたら余計に惨めになった。
本当はもう気づいていた。3年も続くこの関係に未来がないことも、三神が妻と別れることはないことも、それに気づいている自分を無視し続けている自分の愚かさも。
化粧の残る乾燥した肌の不快感と冷房が切れた蒸し暑さで汗ばんだ身体を引き摺ってバスルームに移動した。相変わらず身体は強張っている。
全てを洗い流すように、頭からシャワーを浴びた。夢見た記憶も、叫びたくなるような感覚も、全て洗い流せるように、たくさんの泡で念入りに全身を洗った。
土曜の朝。
いつもなら惰眠を貪って、自堕落に過ごす日。でも、今日は早朝にシャワーを浴びて、しっかり目が覚めてしまった。
目が覚めると、さらに拍車のかかった冷静さが昨夜の夢を嘲笑った。
勢いに任せ、スマホの連絡先のアプリを起こすと、表示された三神の2つの携帯番号から私用の方をタップした。
呼び出し音が鳴る。
土曜の朝、まだ7時を回ったばかり。三神が起きているとは限らない。
いつもより長めに鳴らしていると通話の音が鳴った。
「はい、三神の電話です」
軽やかな女性の声が聞こえて、一瞬怯んだが持ち直した。
「わたくし、三神さんの部下の妹尾と申します」
軽やかさから一転して「はい」と怪訝さを滲ませた声が聞こえた。
「申し訳ありません。主人はまだ就寝中で、お急ぎですか?」
事務的な対応に努めているように聞こえた。
「いえ、休日の早朝に失礼しました。急ぎではありませんので、また改めます」
史佳も事務的に答えた。
「そうですか…。お電話いただいたことは伝えておきますね」
では…と電話を切った。
よく理解できない高揚感と背徳感を感じた。
きっと、三神の妻は彼に疑念を抱くだろう。起きてきた三神を責めるだろうか、それとも見ないふりをしていつも通り振る舞うだろうか。三神は折り返しの連絡をしてくるだろうか、そもそも、普段なら史佳からは絶対に鳴らさない私用のスマホに、史佳の連絡先が登録されているのだろうか。
そんなことを考えながら、インスタントコーヒーを入れてソファに座った。スマホは鳴らない。
「あ、昨日、誕生日だったんだ」
思わず独り言を呟いた。
33歳になった私の人生はまだまだ続く。
急に前向きな気持ちが目の前にブワっと溢れ出した。
スマホを手に取り、今度はメッセージアプリを起動して三神とのトーク画面を表示した。
もう十分です。
ありがとう。
さようなら。
改行しながら3行のメッセージを送信した。
送信を確認して、スマホの電源を落とし、画面を下にしてテーブルに置いた。
コーヒーカップを持ち上げて口をつけながら、いつもより早く起きた休日の予定を考えた。
夏は苦手だが、陽の光を浴びて活動的に過ごすのも良いかもしれないと思えた。
最後までお読みいただきありがとうございます。
拙い文章でお見苦しい点もあると思います。
個人的には、不倫や浮気を肯定も否定もしません。
結局は当人同士で起こることなので。